8:短冊に願いを!(ただし、不可能な願いの場合は紙が燃えます)
狭間——
人間以外の生き物が住む、閉ざされた不思議な世界。そんな柔らかな檻の中に、今の私は閉じ込められている。
「——着いた!」
この家は外へ出ようとさえしなければ、ちゃんと目的地にたどり着けるように出来ている。どうやら薄の言っていた結界には、私の意思が関係しているようだ。
家の中にいるつもりであれば、トイレ、風呂、洗面所には普通に出入りできるし、食事をとる部屋にも来ることができた。
「お早うございます、菖蒲さん」
「お早う、薊。朝食は出来ているよ」
松葉色の着物を着ている菖蒲は、一足先に食卓の前に座っている。
「ありがとう、ございます……あの、ずっと聞きたいことがあったのですが」
「……何?」
「この朝食は、菖蒲さんが作っているのですよね?」
「……」
「菖蒲さん?」
「……もう、薊は色々と知ったからいいかな。朝食を作ったのは、私ではないよ」
「では、お手伝いさんが?」
「違う。ここには私達しかいないから。これは、別の場所から届けられたものだ」
「宅配メニューにしては、手が込んで見えますね。プロの技です」
「いや、これは……そうだ。薊、何か入り用なものはある? 後で書きに行こう」
「書く?」
食後に菖蒲に連れて来られたのは、彼の部屋だった。食事の後片付けは不要らしい。誰かが片付けてくれているのだろうか。
この家は、不思議なことだらけだ。
「おいで」
縁側で菖蒲が手招きしている。素直に彼について行くと、軒下に履物が用意されていた。
大きな男性用の下駄は菖蒲のもので、その横にある赤い鼻緒の小ぶりな下駄は、私のために用意されたものだろうか。いつの間に?
そろりと下駄を履いて庭に降りると、菖蒲が庭の隅を指差した。
そこには、人工的に設置された笹が立てかけられている。緑の葉をつけたそれは、まだ切り取られて間もないもののようだ。
「この短冊に、欲しいものを書き出して笹の葉に括るんだ。届けられないものもあるけれど」
菖蒲は懐から五枚の短冊を取り出すと、私にくれた。和紙で出来ている、イチョウの透かし模様が入った短冊だ。紐の部分は、植物の茎が代用されている。
「欲しいものを思い浮かべてご覧。文字が浮かび上がるから」
言われた通りに、私は欲しいものを思い浮かべる。
すると、突然短冊が燃え始めた。
「うわぁっ!」
慌てて手を離すと、それは地面に落ちて真っ黒な灰になった。なんだ、この危険物は!
驚いて菖蒲を見ると、彼はびっくりした様子で私を見た。
「薊、なにを思い浮かべていたの? 短冊が燃えるのは、届けられないものを頼んだ時だけれど」
「パソコンと周辺機器一式」
「……」
高価すぎるものは駄目なのだろうか……
気を取り直して二枚目を手に取り、別の品を思い浮かべると、また燃えた。
「今度は何?」
「……睡眠薬」
私の答えに、菖蒲は険しい顔をした。
「まだ、諦めていないの?」
「……勿論。今回は燃えてしまったので諦めますけどね」
次こそはと三枚目の短冊を取り出すと、今度は文字が浮かび上がった。
「みゃん・みゃん、十一月号?」
菖蒲が首を傾げながら短冊を覗き込む。
彼が分からないのも無理はないだろう。みゃん・みゃんとは、女子高生向けのファッション雑誌なのだから。
一日中邸から出られない私の暇つぶしアイテムのつもりで思い浮かべてみたのだ。
菖蒲に指示された通りに、笹の葉に短冊を括り付ける。すると、数秒後に紙が光って消えた。
「消えました……」
「うん、欲しいものが聞き届けられると、ああいうふうに短冊が消える」
「不思議ですね」
私は残りの二枚のうち、一枚には高級洋菓子店のケーキ、もう一枚には○天堂三DSと記入した。○天堂三DSの方は燃えた。
電子機器類は駄目だというルールでもあるのだろうか。
「じゃあ、部屋に戻ろうか」
「はい。あ、あの……?」
私は躊躇いがちに菖蒲の顔を見た。
目の前で、菖蒲が左手を差し出している。これは、手を繋げと言うことなのだろうか。
しかし、菖蒲とはそこまで親しい仲でもないし、万が一私の勘違いだったらとても恥ずかしい。
どうしたら良いか分からずにその場を動けずにいると、菖蒲が優しい手つきで私の左手を取った。やはり、手を繋ごうという意味だったらしい。
菖蒲の手は少し温かくて、私は、なんだか胸の奥がツンとした。
誰かと手を繋ぐという行為は久しぶりだ。幼い頃、まだ妹が産まれていない頃、両手を両親に繋がれて遊園地に行ったときのことを思い出した。そういう時代が、私にもあったのだ。
慣れない下駄でコツコツと庭を移動し、菖蒲の部屋へと戻った。
「ああ、もう届いているね」
不意に、菖蒲が右手で自室の奥を指差したので、私もそちらに目を向ける。
「え、さっき短冊を括り付けたばかりなのに!?」
菖蒲の部屋の奥にある机の上に、私の指定したケーキ屋の箱が置かれている。
思わず机に駆け寄って箱を開けて中身を確認したが、本物らしい……四つの可愛らしいケーキが納められていた。
その脇には、なんと、みゃん・みゃん、十一月号も置かれている。こちらも、本物だ。
「すごい……」
「短冊が入り用な時は、私に言って? 沢山持っているから」
「はい、ありがとうござい、ます……」
まるで、不思議な夢を見ているようで現実感が伴わない。試しに右頬をつねってみたが痛いだけだった。
そんな私の隣では、菖蒲が興味津々と言った様子で、みゃん・みゃん十一月号をパラパラと捲っている。
「面白いですか?」
「変わった服装だね。近頃の人間の若者は、こういった格好で出歩くんだ……」
「若者って……菖蒲さんだって、私とあんまり年は変わらないでしょう。二十二歳だって言ってましたものね」
「……!」
私の質問に、菖蒲はソワソワと落ち着きをなくす。また、彼が言いたくないことを尋ねてしまったらしい。
それ以上は答えたくないのか、菖蒲は一心不乱に、みゃん・みゃん、十一月号を読み続けている。
「菖蒲さん、一緒にケーキを食べませんか? 思ったより沢山届いたようですので……食器などはありますか? お皿があれば取り分けますが」
「ああ、皿なら炊事場に……少し待っていて」
雑誌を置いて立ち上がると、菖蒲はスタスタと歩いて行ってしまった。フォークは、ケーキの箱の中に専用のプラスチック製のものがついている。
しばらくすると、和柄の小皿を持った菖蒲が帰ってきた。
「ありがとうございます。菖蒲さんは、どれが良いですか?」
私は、紙の箱を開けて、宝石のような美しいケーキを菖蒲に見せる。
ツルツルの真っ赤な寒天の上に可愛いイチゴの乗ったケーキや、フワフワのナッツのムースの上にチョコレートの乗っているケーキ。三層構造の異なる味のスポンジの上に大量の栗の乗ったケーキ……ああ、見ているだけで癒される。
「先に、薊が好きなものをお食べ。私は後で貰うよ」
そう言われた私は、イチゴのケーキを自分の皿に乗せた。
菖蒲は、柑橘類の乗ったレアチーズケーキを選んだ。
「いただきます! んん、美味しいですね!」
「薊は、ケーキが好き?」
「はい、大好きです。とはいえ、高級品なのでいつも食べていた訳じゃないのですが……月に一つ、くらいです」
少ないお小遣いの範囲で買い物をしなければならないので、それ以上はケーキに費やせなかったのだ。
そう言えば、両親は私に無関心だったけれど、毎月二千円のお小遣いはちゃんと用意してくれていたんだよね……
「薊……?」
考え込んでいた私に、菖蒲が声を掛けてきた。
横を向くと、口元にフォークに乗ったケーキが差し出される。
「どうぞ。気になっていたのでしょう?」
「あ……」
確かに、全てのケーキの味が気になってはいた。けれど、異性のフォークからケーキを貰うのは少し気恥ずかしい。
戸惑っていると、更にフォークを口元に近づけられる。思わず口を開けてしまった。
「どう? 美味しい?」
「……美味しいです」
私が、もぐもぐと口を動かしながらそう答えると、菖蒲は本当に嬉しそうに破顔した。
けれど、実際のところ……恥ずかしさが勝って、あまりケーキの味が分からなかった。




