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4:不可思議な牢獄!

 ロープを没収した菖蒲は、代わりに女物の着替えと小物類を用意してくれた。

 手渡されたのは、団栗色のシンプルな着物だが、しっかりとした生地で重量もあるものだ。

 昨日の旅館用浴衣とは違って本格的な着物だけれど……誰のものなのだろうか? まあいいか、菖蒲がそれを着ろと言っているのだから。

 しかし、受け取った着物を着るに当たり、重要な問題が浮上した。


「すみません、菖蒲さん。私、着物を着たことがないので、着方を教えていただけますか?」


 着物の国である日本に生まれながら、お恥ずかしいことだけれど……私はただの高校生。今まで、こんな風に着物にお目にかかる機会がなかったし、着る機会もなかった。普段着は、主にシャツとデニムである。

 そんな私を見た菖蒲が、口元に妖艶な笑みを浮かべた。見ているとぞわりと鳥肌の立つような、恐ろしい中にも色気を含んだ笑みだった。


「手伝うよ、着せてあげる」

「え……!?」


 断る間もなく、着物を手にした菖蒲に、私はあれよあれよという間に着替えさせられる。気が付けば、綺麗な着物を身に纏った中身の冴えない女が、部屋の鏡に映っていた。

 菖蒲の手伝いもあって、なんとか着ることができた着物の帯には、可愛らしい真っ赤な紅葉が描かれている。菖蒲は肩下まである私の黒髪を器用に結い上げ、小さな紅葉の簪まで刺してくれた。


「……ありがとうございます」

「よく似合っているよ。着替えはいつでも手伝うから言って」

「はい……」


 とは言うものの、男の人に着付けを手伝ってもらうのはかなり気恥ずかしい。早く、一人で着物を着られるようにならなければと思う。

 洋服があれば楽なのだが、菖蒲も着物を着ていることから、ここでは和服が普通なのかもしれない。



 自殺計画を諦めた訳ではないが、現状、実行は不可能そうである。

 あの後も家からの脱走を試みたのだが、抜け出そうとすると何故かぐるぐると邸の中を彷徨う羽目になり、不機嫌な表情の菖蒲と遭遇してしまうのだ。

 イケメンの不機嫌な顔は、それだけで脅威である。


「菖蒲さん……」


 廊下で出会った菖蒲に、私は気になっていたことを申し出てみた。

 彼の不機嫌を逸らすのと、しばらくこの場所に滞在するにあたり、引き換えになるものを提案するのが目的である。


「どうかしたの、薊? あの縄は、返さないよ?」

「そうじゃなくて……何か、お手伝いすることはありませんか? 湯沸かしも、食事を作るのも一人だと大変でしょう?」

「……え?」


 菖蒲は、何故か戸惑ったような表情を見せる。自殺に関係のない話が、意外だったのだろうか。それとも、単に完璧主義で、他人に余計な手伝いをされたくないタイプなのだろうか。


「勿論、無理にとは言いません。私、家事は人並みにしかできないですし……」


 よく考えると、私にあんな完璧な料理は作れない。余計な口を挟むべきではないだろう。ああ、なんて気が効かない……だから、私は駄目なのだ、妹と違って。

 自己嫌悪に陥り、思わずその場で俯いてしまう。


「なら、薊には、私の話し相手になってもらおうかな」


 菖蒲は、少し屈んで私に目線を合わせると、にっこりと笑って言った。艶やかで、屈託のない笑みだった。

 私なんかに向けるには、勿体ない笑顔——

 そう思いながらも、私は取り繕うように会話を進めた。


「……それは、お手伝いとは言いませんよ」

「昨日も言ったけれど、この邸には私以外、誰も住んでいないから暇なんだ」


 仕事は? と聞きかけて、私は慌てて口を噤んだ。

 世の中には複雑な事情を持つ人もいる。もし、菖蒲が失業者だったら、余計な傷を抉ってしまう恐れもある。今度は、口に出す前に気が付いて良かった。


「分かりました」


 私は余計なことは言わずに、その一言だけを菖蒲に返す。


「それじゃあ、朝食を食べたら私の部屋へ行こう」

「はい」


 とても不思議なことに、私達が座敷に着くと朝食は既にできていた。

 焼き魚に野菜の煮物、お漬け物……お味噌汁の入ったお椀の蓋を開けると、湯気が立ちのぼっている。御櫃に入ったご飯も同様だ。


「菖蒲さん……さっきまで私の部屋にいました、よね?」

「そうだね」


 彼は、いつの間に朝食を作ったのだろうか。やはり、お手伝いさんがいる説が強そうである。だから、菖蒲は私の「お手伝い」を断ったのだろう……

 朝食は、文句のつけようがないほど美味しかった。黙って黙々と食事をしていると、金色の目を細めた菖蒲がじっと私を見つめてくる。


「……何ですか?」

「ふふ……美味しそうに食べるなあと思って」


 食い意地が、張っているということだろうか……

 菖蒲の言葉に、徐々に顔が熱くなっていくのが分かる。余所のお宅で、行儀の悪い真似をしてしまった。

 とりあえず、一旦箸を置いた私は、真っ赤な顔を誤摩化そうと菖蒲に質問を投げかける。


「ここは何県なのですか? このお家には、通いのお手伝いさんがいるのですか? 一度、この家の外に出たいのですが…………そんな目で見ないでください」


 外の話をした途端、菖蒲の目に剣呑な光が宿る。

 この話題は、彼にとっての鬼門のようだ。


「私の方も、薊に質問したいことがある。君はどこから来たの? 何歳? 未婚だよね?」


 ワザとなのか気にしていないのか。菖蒲は、またこの場所のことを答えてくれない。それどころか、逆に質問仕返してくる始末だ。

 最後の「未婚」という質問の意味が分からない。見れば分かるだろうに……


「出身地は伏せたいのですが……樹海でピクニックをしていたら、菖蒲さんに出会いました。年は十六歳。未婚です」

「ああ、あそこから来たんだ。ああいう不安定な場所って、こっちと繋がりやすいんだよね……急に雨が降ったから何事かと思ったけれど、行ってみて正解だった」

「菖蒲さん?」


 ぶつぶつと呟く菖蒲の言葉の意味がよく分からず、私は彼に聞き返してみた。

 しかし、彼がそれに答えてくれそうな気配はない。


「……こっちの話だから、薊は気にしないで。十六歳、未婚、探し人なし……か。年よりも幼く見えるね」

「……童顔は、気にしているんです」

「ああ、ごめん。でも、薊の顔は可愛いよ」


 出た。イケメンのすぐに「可愛い」と連呼する攻撃。彼等の「可愛い」に意味はない。きっと呼吸のようなものなのだ。

 菖蒲は悪い人ではなさそうだけれど、私はイケメン全般が苦手である。よって、彼の言う「可愛い」も、真に受けない。

 自分の身の程は、自分が一番良く知っている——


「それで、菖蒲さん。ここは一体どこですか?」


 強引に話を元に戻し、私は彼を問いつめる。


「……そうそう、私の部屋は庭に面しているから、外の景色が見られるよ?」


 ワザとか、ワザとなのか!? 菖蒲には、この場所の詳細を答える気が全くなさそうに見える。


「……もういいです。どうせ、私は引き蘢りの自殺志願者ですからね。菖蒲さんが、しばらくここに滞在させてくれると言うのなら……お世話になります」


 結局、のらりくらりと質問を躱し続けた菖蒲の所為で、「狭間」という地名以外の情報は何一つ分からないままだった。

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