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3:迷路御殿へようこそ!

「よし、今日こそ決行してやる」


 まだ周囲も薄暗い早朝に、私は目覚めた。

 菖蒲にお礼の手紙を書き残し、こっそりと荷物をまとめる。元々着ていた服は洗濯されているらしく見当たらないので、このままの格好で出かけることにした。

 手紙の横に、迷惑料として残った全財産を置いておく。どうせ、使わないお金だ。

 私は、誰にも見つからないように、闇の中を忍び足で玄関を目指した。

 ところが……


「あれ、どうして? この場所、さっき通った気がする」


 どういう訳か、歩いても歩いてもいっこうに玄関に辿り着かない。


「おかしいな、昨日はこの道を来たはずなのに……」


 どうやら、私はぐるぐると邸の中を回っているようなのだ。

 廊下を歩いても歩いても、最終的に自分の部屋の前へと戻ってきてしまう。


「まっすぐ歩いているはずなのに。どうしてここへ戻ってきてしまうんだろう、家の構造としてありえないんだけど」


 私は、家の玄関から出ることを諦めた。玄関が駄目なら庭から出れば良いのだ。私が用意してもらった部屋は外に面していないが、昨日、風呂に行く途中で庭の見える場所を通った気がする。


「お風呂場は、こっちだったよね」


 私は見覚えのある通路を進んだ。

 けれど……


「……なんでお風呂場じゃなくて、また部屋に戻ってくるわけ? 昨日は、確かにあの道を通ったはずなのに」


 同じ道順で、問題なく風呂場に行けたのだ。そして、その先には食事をした座敷があった。


「おかしいな、どこで間違えた? 絶対に邸を一周することなんてないはずなのに」


 とにかく、もう一度チャレンジしてみようと自身に気合いを入れた瞬間、背後から聞き覚えのある柔らかな声が降ってきた。


「どこへいくの? まだ朝も早いのに、もう少し眠っていていいんだよ?」

「……!!」


 驚いて振り返ると、案の定……寝間着姿の菖蒲が立っている。


「いや、長々とお邪魔しても悪いですし……そろそろおいとましようかと」


 私の言葉に、菖蒲は金色の目を見開いた。


「こんな時間に出発するの?」


 菖蒲は、私のいた部屋の窓際に置かれている紙に目をやった。私が菖蒲宛に書いたお礼の手紙だ。その隣には、私の全財産が無造作に置かれている。


「薊、少しいいかな」

「……はぁ」


 返事をしつつ、私は焦った。

 まずい。このままでは、警察に連絡が行ってしまう。今の私は、家出少女も同然なのだ。

 一人で混乱している私を余所に、菖蒲は私のために用意された部屋へと入ってきてしまった。

 仕方なく、ナップザックを床において彼と向き合う。


「薊は、これからどこへ向かう気だった?」


 私は、いきなり呼び捨てにされたことよりも、質問内容に気を取られた。


「……山の方、です」

「一体、何をしに?」

「……」


 言える訳がない。

 これだけ世話になっておいて、こんなにも良くしてもらっておいて……死にに行くだなんて。


「さ、山菜採り?」


 苦しすぎる言い訳だった。都会育ちの私は、山菜の種類なんてワラビしか知らない。それも、スーパーで売られているパックに入った水煮くらいしか見たことがないのだ。

 菖蒲は小さく溜息をつくと、私のナップザックに手を伸ばした。


「あっ……!」


 止める間もなかった。菖蒲は次々にナップザックの中身を取り出して、床に並べ始めたのである。

 懐中電灯、ナイロンの上着、薄手のブランケット、水筒、ライター、虫除けスプレー、筆記用具、スマホ、財布……

 そして、既にリング状にしてある首つり用ロープ……


「薊……」


 私は死刑を言い渡された囚人のように、青い顔で固まるしかなかった。


「これは、私が没収するね」

「ああ……!」


 インターネットで調べながら、苦労して作り上げた首つりロープが!! よりスムーズに、苦しまずに首を吊るべく試行錯誤を重ねた一品だったのに。

 しかし、菖蒲に冷たい目で一瞥された私は、黙り込んで素直に彼に従うしかなかった。


「なるほど、君は自殺志願者だった訳だ」

「……」

「親御さんは? きっと心配しているんじゃないかな」

「……平気です。心配していたとしても、きっと今だけだから。私なんかいなくたってあの家は回るんです」

「本当に?」


 菖蒲は、金色に輝くビー玉のような瞳で妖しく私を見つめた。


「本当です! 両親は、妹さえいればいいんです。私なんて誰も要らないんです!!」


 子供っぽく意地になった私は、感情のままにそう叫んだ。

 もし、この時、冷静な考えを持っていれば、叫んだ瞬間の菖蒲の表情に気が付いていれば——その後の私の人生は、きっと変わっていただろう。

 後戻りのできない深淵に、無意識のうちに私は一歩を踏み出していたのだった。

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