18:過去にさよなら!
「実はね、私は薊の両親のことを知っている」
月の綺麗なある日の夜、菖蒲は私に向かってそう言った。だんだん肌寒くなってきているのに、菖蒲は相変わらず毎晩月の光を浴びている。
「薊が嫁に来てくれた時に、君の素性は天狐によって調べられていたんだ。異種族から妻を娶る時はいつもそうなんだけれど」
「そうですか」
その話を聞いても、私の心境は特に変化することはなかった。
私にとって、家族は過去の存在。今更、どうでも良かったのである。
「今更こんなことを言い出す卑怯な私を許して……薊に里心がついてしまったらと思うと、中々言い出せなかった」
「私は何とも思っていません。別に、現在の私の家族が生活に困っているとか、そういうのではないでしょう?」
「うん。君の家族は別の地域に引っ越しただけ。父親は同じ会社の別の支店へ、妹は別の学校へ……君の失踪事件についての話題も下火になってきている」
「清々しました」
私がそう言うと、菖蒲は僅かに顔を歪めた。
「薊の家族は、君のことを心配していたよ」
「まさか」
「特に君の両親は、何かを激しく後悔するような素振りを見せていたとか」
「ふぅん」
今更、どうでもいい話題だ。
そして、彼等を私にとってどうでもいい人間に昇華してくれたのは、他ならぬ菖蒲だ。
「菖蒲。だからといって、今更私が家族の元へ戻りたいなんて思うことはないです。あの人達が後悔しようがしまいが、今の私にとっては関係ない」
「そう……」
私が本当に興味を示さないのを見届けた菖蒲は、両親の話題をやめた。
「初めて薊に会った時……私は、薊が自分の嫁なんだと確信していた。けれど、君がどうしても人間の世界へ帰りたいと言うのなら、戻してあげるつもりだったんだ」
ぽつり、ぽつりと菖蒲は私達が初めて出会った時のことを口にする。
「でも、あろうことか薊は狭間の奥へと進もうとする始末だし。私が止めても聞きやしない……だからね。ああ、これは運命なんだって思ったんだよ。それで、私はすかさず君を捕まえたんだ。食事を盛って家に閉じ込めて、決して逃がさないようにして……酷い話でしょう?」
菖蒲は、苦しげな顔で自嘲した。そんな彼を見ていられなくて、私は咄嗟に口を開く。
「……別に酷いなんて思わないです。菖蒲がそうしなければ、私は既にこの世から消えていますし。今のところ、菖蒲には感謝しているんですよ」
「私はね、どうしても薊が欲しかった。一度君を懐へ入れてしまうと、もう手放せなかった……急に孤独が怖くなったんだ。千年も一人で番人を続けていたのに、変な話だよねえ」
「孤独……ねえ。菖蒲ほどではないけれど、私もそうだったのかも」
「そうだね。薊の場合は周囲に人がいたけれど、君は誰も信用していなかったものね……」
「でも、今の私の傍には、菖蒲がいてくれます」
「うん。私は薊の傍にいる……」
そう言って、菖蒲はとても嬉しそうに微笑んだ。
「薊も、ずっとここにいてくれるよね?」
菖蒲の言葉に、私はコクリと頷く。
きっとこれでいいのだと自分に言い聞かせながら。
けれど、これで迷いが完全になくなったと言えるのだろうか……
私は気がつかなかった。
そんな心の脆い部分を、しっかり見抜いている人物がいたことに。