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13:絆されてはいけない!

「お可哀想に、薊様〜」

「あの菖蒲様のところに嫁ぐのでしょう? 一生、境界から出られませんよ〜?」

「昔は、黒い天狐の伴侶は自由に外に出られたみたいなんですけどぉ……閉じ込められる生活に嫌気がさして、外に出て行ったきり戻って来ない者が続出したために、今では夫婦揃ってあの場所に留まることが定められているんです〜。ほら、私達は長生きだから、長時間一つのところに留まるって言うのはものすごく苦痛なんですよぉ〜」

「天狐って、本来は愛情深い生き物なんですけどねぇ。雨によってもたらされる夫婦の絆をぶち壊してしまうくらい、番人との生活は凄まじいということなんです! 実際、番人の伴侶以外は生涯夫婦円満ですからね〜」


 菖蒲が風呂に入っている間、私は部屋の中で、この建物内で働いているらしい天狐の女の子達に取り囲まれた。全員で五人だ。

 同じようなおかっぱの髪に、同じような化粧と着物。皆が皆、日本人形のように可愛らしい。

 いきなり部屋に現れた彼女達は、私が聞いてもいないのに菖蒲の仕事について、説明を始めてしまったのだ。全員が、親しげに私へ話しかけてくるけれど、その内容は微妙だった。


「天狐の夫婦でも、黒狐の結界に対抗して逃げ出すのは容易ではないですぅ。薊様は人間ですので、為す術がありませんね〜」

「まあ、雨が降っちゃいましたから仕方がないですよね〜。この現象を覆すことは難しいですからぁ〜」


 彼女達は、私への同情を口にしながらどこか面白可笑しそうに嗤う。菖蒲のことを貶められているような気がして、私は苛立を覚えた。

 彼は、好き好んで番人になった訳ではない。

 たまたま黒い姿に生まれついてしまったから、天狐の掟によって番人の役を引き受けざるをえなくなったのだ。長だって、そんな話をしていた。

 長が、「偏った話を聞かされるよりは——」と言っていたのは、きっとこのことなのだろう。ここでは、彼女達のような考えがまかり通っているかもしれない。

 菖蒲が、「本殿は苦手」だと言っていた理由がようやく分かった。


「番人の嫁なんて、私だったら絶対に無理です〜」

「菖蒲様は美しいお顔ですけど。何を考えておられるのか、分からないところがありますし〜」

「いくら美形でも、黒狐じゃあ……ちょっと、ねぇ〜」


 境界から離れられずに生活をしているのは菖蒲本人の所為ではない。こんな言い方は酷いと思う。

 きっと、菖蒲だって好きで黒狐の姿で生まれてきた訳じゃないはずだ。私が好きでこの姿で生まれてきた訳じゃないのと一緒で……いや、菖蒲の方がずっと重い事情だが。

 彼女達の話を聞いているうちに、私の中で菖蒲に対する気持ちが徐々に大きくなってゆく。


 樹海に入るまで誰にも気に掛けて貰えなかった私に、最後に唯一親切にしてくれた人が——天狐が菖蒲だ。

 菖蒲によって私の心はいくらか救われたし、彼との生活は穏やかで心地よいものだったのだ。

 このまま最後を迎えても悔いはないと思えるほどに——

 番人の役目を負っているからといって、菖蒲がここまで言われる筋合いはない。

 だから、私は彼女達に対してつい反論してしまったのだった。


「……あなた達はそう言うけれど。菖蒲が境界を守ってくれているから、天狐達はこうして普通の生活を送っていられるんでしょう? 菖蒲だって、別に好きで番人をやっている訳じゃないと思う。きっと、誰かがやらないといけない大切な役目だから引き受けてくれているんだよ」


 私の反論が意外だったのか、彼女達は少しだけ躊躇した後で口を開く。


「だからって、関係のないあなたが、菖蒲様の都合に巻き込まれる形になってしまっていいんですかぁ〜? 菖蒲様は自分で役目に就くことに納得されていらっしゃいますけどぉ、雨に降られただけのあなたはそうじゃないでしょう? 番人の嫁になるために、人間の世界からやってきた訳ではないでしょう?」

「そうですよぉ。黒狐って天狐の中でもちょっと不吉っていうか、忌まれている存在だからぁ。境界に置いて、他の天狐から引き離しているんですよぉ。黒狐の死因って、大体は自殺らしいですから」


 その話は初めて聞いた。長は、そんなことを言っていなかったのに。

 一代に一匹しか生まれて来ない黒狐。自身が死ぬまで、他に黒い毛色の者は現れないという。

 ずっと一所に閉じ込められて、周囲から迫害されて……菖蒲は、彼女達のような天狐が自分に対して話す心ない言葉を知っているのだろうか。千年近く、そうして過ごしてきたのだろうか。

 その可能性に思い当たり、私は心臓がひやりと冷えた。

 ゆっくりと、彼女達に向けて声を絞り出す。


「菖蒲のことを悪く言わないで……確かに、彼がいなければ私はこの場所にいなかった。でも、菖蒲は、夜中に死に場所を求めて彷徨っていた私に親切にしてくれた人だよ。彼は、与えられた仕事をきちんとこなしているだけ。あなた達がそんな風に貶めていい相手じゃない。菖蒲がいなくなって、境界がめちゃめちゃになったら困るくせに」


 私の言葉を聞く彼女達は、徐々に苦々しい顔になっていく。


「薊様は、自殺志願者だったのですかぁ。ある意味、菖蒲様とお似合いですよね!」

「もし、あなたが逃げたがっているのなら、今のうちにこっそり逃がしてあげようと思ったんですけど〜。そんな私達の親切心は要らなかったみたいですね〜」

「どうせ、またすぐに自殺したくなるんじゃないですか? 番人との同居生活なんて、長く続くとは思えないですけど。何なら、今死んどきますかぁ?」


 自分達の意見が受け入れられなかった彼女達は、口々に不満を漏らす。その涼しげな目元には、凶暴な光が宿っていた。

 きっと私が何を言ったとしても、彼女達には何も伝わらないのだ。

 私は口をつぐんだ。人間の世界で、今までずっとそうしてきたように。


「——薊に何をしてるの?」


 不意に、不機嫌そうな声が部屋に響いた。

 見ると、入口に湯上がり姿の菖蒲が険しい表情で立っている。


「出て行け」


 彼の声に、弾かれたように女の子達が部屋を飛び出して行く。ものすごい速さだ。

 さっきまで散々菖蒲の悪口を言っていたのに、菖蒲自身に食って掛かる気はないらしい。見事な逃げっぷりだった。


「菖蒲……」

「一人にしてごめん、薊」

「平気ですよ。ちょっと絡まれていただけなので」

「私が来るのが遅れたら、喉笛を噛み切られていたかもしれないよ。まさか、この部屋の中にまで侵入されるとは思っていなかった……ごめんね」

「……そういう凄惨な死に方は嫌です。私は、なるべく苦しまずに楽に死にたいですから」


 そう言うと、菖蒲は困った表情を浮かべたまま私の傍に来て座る。


「悪いけど、薊は私が死なせない……さっきは、私のことを庇ってくれてありがとう。薊は私のために怒ってくれたのだね」

「聞いていたの?」


 では、彼女達の暴言も聞こえてしまっていたのだろう。

 私は菖蒲に向けられた酷い言葉を思い出し、苦い気持ちになった。


「……途中からね、出て行くタイミングが掴めなくて。私は、ああいうのは慣れているから平気だけれど、薊が狙われそうになって肝が冷えたよ。もう二度と、本殿で薊を一人にはしない」


 そう言って、菖蒲は私を抱きしめた。驚いて、彼の顔を見る。


「あの、揶揄うのはやめてください……そんなことをされたら、大抵の人間は誤解をすると思うんです。その、菖蒲が自分に気があるのじゃないかって……」

「……私は、薊以外にこういうことをする気にはならないよ。天狐の雄は雨に降られた途端、相手に恋をするんだ」

「そんな馬鹿な」

「薄も言っていたよね、天狐は自分で自分の伴侶が分かるって」

「だからって、なにも私なんかを選ばなくても……見ての通り私は美人でもありませんし、取り立てて性格が良いわけでもないです。人間の世界でも、私を必要としてくれる人はいませんでした。菖蒲……もし、私を揶揄っているのなら、ここで終わりにしてくれませんか? これ以上は……」


 本気にしてしまいそうになるから——

 そうなった後に、菖蒲に拒絶されるのが怖い。

 本当に、少し優しくされただけで簡単に異性に好感を持ってしまう学習能力のない自分を殴りたい。酷い目に遭ったことだってあるのに、菖蒲が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたからといってすぐに絆されて。


「最後に菖蒲に優しくされた記憶だけを持ったまま、綺麗に死にたいんです。もう辛い思いを上書きするのは嫌なんです」


 私の言葉を聞いた菖蒲は、僅かに瞠目すると口を開いた。


「私は、薊を揶揄ってなんかいないよ。だから、そんな悲しいことを口にしないで」


 そう言って、菖蒲はゆっくりと私を抱きしめる腕に力を込める。

 意思とは関係なく涙腺が緩み、私の頬を涙が伝った。これまで押さえ込んで、墓場に持って行くつもりだった思いが一気に溢れ出る。

 涙を抑えようと意思の力を振り絞るけれど、はらはらと零れ落ちる雫を止めることは叶わない。それどころか、片手で私の頭を撫で始めた菖蒲の所為で悪化の一途をたどっている。


「我慢しなくても良いよ。命を断ちたいくらい、辛いことがあったんだね」


 本当に困る。そんな風にされると、もう後には戻れない。

 私は菖蒲の腕の中で、声を上げて泣いた。

 酷いことを言われた菖蒲の方が、私なんかよりもずっと傷ついているはずなのに、こんな風に私を気にかけてくれて……

 ああ、だめだ。

 私は、現時点で菖蒲のことが相当気に入ってしまっている。もはや、恋に落ちたも同然だった。

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