12:四本の黒い尻尾!
「菖蒲様だ……!」
「おや、こちらへ来られるとは珍しい」
「菖蒲様が女の子を連れているね」
「嫁だよ、あれは彼の嫁だ。長に会いにきたんだよ」
「可哀想に。菖蒲様の嫁なんて人身御供も同然だろうに」
連れて行かれた大きな建物は、牛車と同じ平安時代風だった。教科書で見たことのある、平らな建物の奥に私達は案内される。
お揃いの着物を着た、お手伝いさん風に見える人……天狐達が慌ただしく建物の廊下を行き交っていた。
彼女達は忙しなく何かを喋っている様子だけれど、少し距離があるため内容までは聞こえない。
きっと、菖蒲の嫁は目つきの悪いブスだとか言っているのだろう。
私は自分で思い浮かべた勝手な妄想に、一人で傷ついた。
ここは、天狐達の城と呼ばれているそうだ。この建物の本殿というところに長がいるらしい。
私達の乗った牛車が停められたのは、三つの門をくぐったところにある庭の中だった。広く大きな和風庭園には、大きな松の木が植えられている。
「こちらでございます」
案内役の女性にひときわ大きな襖の前に通された私は、少し怖じ気づいた。
ドラマに出てくるような、絢爛豪華な謁見室だ。いや、それよりもすごい。
襖の上部には鳳凰のような鳥がたくさん彫られており、その一つ一つにびっしりと金箔が塗られている。
「菖蒲、長はこの中にいるのですか? 私、こんなすごい部屋を見るのは初めてなんですけど」
「薊は、図太いんだか小心者なんだか分からないね。首を括るよりも怖いこと?」
安心させるかのように、菖蒲が私の手を取った。
「菖蒲は、ここに慣れていますか?」
「そうだね。私は、何度か来たことがあるから」
彼に励まされ、私は開かれた扉の中へと足を踏み入れる。
……どうしよう、偉い人に会う時の作法なんて分からない。
私がもたついていると、真正面から声が掛かった。
「久しいのう、菖蒲。柊から話は聞いておる、嫁が見つかったそうじゃな」
声を掛けてきたのは、妖艶な雰囲気を醸し出す美しい女性だった。座っている位置からして、彼女が長なのだろう。
年齢は菖蒲よりも上に見えるが、天狐の年齢は見た目とは異なる。彼女も、薄と同じ白髪の持ち主だ。
長は、広い板張りの部屋の奥の一段高い場所に座り、真っ紅な唇を面白そうに吊り上げて私達を見下ろしている。
菖蒲が長と一定の距離を保った場所で正座をしたので、私もそれに倣った。
「嫁の薊です」
「やれ、めでたいのう。ついに、そなたの嫁が現れたか」
菖蒲が私を長に紹介する。
その場の雰囲気に戸惑いつつ、私は長に向かって頭を下げた。こんな感じで良いのだろうか?
「畏まらずともよい。薊、そなたは異種族であろう? 前に人間の嫁が来たのは百年ほど前になるかの。我が一族では、天狐同士の結婚が多いのだが、たまに人の娘が嫁に選ばれることがある。そなたは希有な例だ」
私以外にも狭間に迷い込んだ人間が存在するようだ。それも、百年前という割と近い時代に。その人も私と同じで、樹海で自殺を図ろうとしたのだろうか。
「天狐は愛情深く嫉妬深い、心して嫁ぐが良いぞ。ところで、そなた……」
不意に言葉を切った長が、私の顔をじぃっと見つめてきた。どうしたのだろう。
「菖蒲の天狐としての役割は、既に聞いておるのかえ?」
「役割?」
「そうじゃ。菖蒲は黒狐ゆえ、特殊な事情を抱えておるのじゃが……その様子じゃあ、何も聞いておらんな。分かった」
そう言って、長は菖蒲を呆れた表情で見下ろしている。
「お前が話さぬのなら、私から話すが……良いな? 他人から偏った話を聞かされるよりは良いだろう?」
菖蒲が金色の目を逸らしたのを了承と取ったのか、長は私に向かって彼の事情を説明し始めた。
「かいつまんで言うと、菖蒲は狭間の番人じゃ。天狐の間では、黒狐が現れたら必ず番人の役目に就かせるという決まりがある。黒狐というものは滅多に生まれないのじゃが、何故か全員が狭間と外界を隔てる結界の管理能力に長けておっての。代々狭間の番人を勤めるということが決められておるのじゃ。今までもそうじゃったが、菖蒲もその例に漏れず番人の役についておる」
「番人……?」
「そなたが通り抜けてきた、人間の世界と狭間との間を監視する者だ」
あの膨大な数の鳥居の道のことを言っているのだろうか? それとも、樹海に並んでいた岩? どこが境界だったのか、私にはいまいち分からない。
説明を聞いても尚、釈然としない私に向かって長が言った。
「菖蒲とそなたの家があるところが、狭間と人間の世界の境界じゃ。天狐が人間の世界へ行ったり人間が天狐の世界に来ないように、あそこで目を光らせているのが菖蒲の仕事。狭間は放っておくとすぐに揺らぐのでな、力の強い者が常時そこにいる必要がある」
「菖蒲が家にずっといるのは、あの場に常時いなければならないから……ということですか?」
「その通り。番人となった者は、境界を離れられなくなる。あまりこちらに長居しすぎると結界が揺らいでしまうのでな、遅くとも数日で家に戻らねばなるまい」
「他に、菖蒲と同じ仕事ができる人はいないのですか? いれば、たまに交代してもらうとか……」
「残念ながら、菖蒲の代わりはおらぬ。不思議なことに黒狐は一代に一匹だけしか現れない。次の黒狐が生まれるのは、菖蒲が死んだ時だけじゃ。職業柄、一つの場所に縛り付けるようで気の毒じゃが、菖蒲よりも境界の管理に向いておる天狐がおらぬのでな」
そう言って、長は目を伏せた。
私が菖蒲の方をちらりと見ると、なんだか元気がない。生気の宿らない切れ長の金色の目が、虚空を見つめている。
「薊。そなたが菖蒲の嫁になるということは、菖蒲と共に境界で暮らすということじゃ……耐えられるか?」
長が真剣な目をして私を見る。
どうしよう。私はまだ菖蒲の嫁じゃなくて、ここには嫁のフリをして来ただけなのに……
肝心の菖蒲は、長の説明が始まった時から放心状態だ。
「そなた、菖蒲とともに暮らして行く覚悟はあるか?」
「…………はい」
嫁のフリなんだから、「はい」で合っているよね?
そう思い、再び菖蒲の方をちらりと盗み見た私は、言葉をなくした。
菖蒲が、ものすごく幸せそうな顔をしている。演技だとは思えないくらいに頬を染めて、微笑んでいる……と、問題はそこじゃない。
菖蒲の表情もそうだが、私が言葉をなくしたのは、いつの間にか彼の着物の後ろから、巨大な四本の黒い尻尾が生えていたからだ。四本がバラバラに、ゆっさゆっさとものすごい勢いで揺れている。あれで叩かれたら吹っ飛んでしまいそうだ。
どんな心境の変化だろうか。さっきまで、表情が死んでいたのに……
「菖蒲……尻尾が出ていますよ?」
「ああ、本当だ。嬉しくて、つい……」
私に指摘されて、菖蒲は初めて気が付いたみたいだった。
「ふむ……その様子じゃと、心配するほどのことはなかったか。番人であるが故に、黒狐の結婚には破綻が付き物だから気にしておったのじゃ。もう下がって良いぞ」
長は、手に持っていた金色の扇を一振りした。
すると、私の周囲の景色がぐんぐん移り変わってゆく。体を動かした覚えはないし、菖蒲に倣って正座をしたままなのに……何が起こっているのか分からない。
「大丈夫だよ、薊。今夜泊まる部屋へ送り届けてくれるだけだから。一泊して、明日の朝には家に帰るから。怖いなら手を握っておいてあげる」
そう言って、私が返事をする前に手を握る菖蒲。
しばらくすると周囲の景色が停止し、私達は客室と思われる小綺麗な部屋の中にいた。




