11:牛車でドナドナ!
本殿、というところから菖蒲に呼び出しが掛かったのは、柊達が来たすぐ後のことだった。
「本殿ってどこですか? 私も行くんですか?」
「うん。本殿っていうのは、天狐達の長がいるところだよ。薊もたまには外に出たいでしょう?」
「それは、もちろん出たいですが。天狐には、長がいるのですね」
私の質問を受けた菖蒲が説明してくれるには、天狐は元々は個々の種の集まりだったが、今はその長を中心として纏まっているらしい。
呼び出しを受けた菖蒲が、あまり気乗りしない様子だったので、そのことが少し心に引っかかる。
「菖蒲さん……じゃなくて菖蒲は、本殿というところに行きたくないのですか?」
「本殿は苦手。でも、断ることはできないんだ。嫁が現れたら紹介するのが決まりだから」
「……私、まだ菖蒲の嫁になるとは言っていませんよね? 薄も柊さんも、どうして勝手に話を進めてしまうのですか?」
「薊の了承をまだ貰っていないし、私も薊相手に無体なことをする気はないよ。けれど「嫁入り」の現象が起きてしまったからには、本殿の呼び出しを無視する訳にはいかないんだ。ごめんね」
困ったような表情で、菖蒲は俯いた。
例の雨が関係しているのだろう。天狐の一族にとっては、あれは大切な現象らしい。私にとっては、ただの偶然だけれど。
真っ赤な夕焼けの中で降りしきる雨は、確かに珍しい現象だった。
「……そうなのですか。付いて行くだけなら、別に良いですけど」
「形だけのものだから。薊は、ただ私の隣に座っていてくれるだけで良いからね。何も心配する必要はないよ」
「……はい」
決定事項は覆せないみたいだ。久々に菖蒲の家から外へ出れるチャンスだと思えばいいか……
私はいつも以上に菖蒲に飾り付けられて、出かける支度をする。用意された着物も、いつも着ているものよりもしっかりして高そうなものだった。
「さて、行こうか。薊……迎えが来ている」
「え、もう!?」
菖蒲に手を引かれて廊下を歩く私の前に、久々に玄関が現れた。
いつも、どうやっても辿り着けないこの場所は、菖蒲と一緒なら来ることができるらしい。
玄関をガラガラと開けると、家の前に時代錯誤な牛車が停まっていた。
「平安時代!?」
私の問いかけに苦笑した菖蒲は、牛車の扉を開けて私を中へと促す。
外から見たら小さかった四人乗りの牛車の中は、入ってみるとそれなりに広い。いや……この広さは、現実的にありえない。外見とは違い、八人は余裕で乗れてしまう広さだ。きっと、これも天狐の不思議な力が働いているのだろう。
私は、少しずつ菖蒲達の生活に、馴染みつつあった。いちいち気絶をしていては身が保たない。
続いて乗り込んできた菖蒲は、迷うことなく私の隣に腰掛ける。
「あの、菖蒲……近いんですけど」
「近くはないよ、いつも通りだから」
言われてみると、そんな気もする。いつも、菖蒲の部屋でお喋りしている時はこの距離感だ。
しかし、この密閉空間で密着されると私は落ち着かない。いつの間にか、右手を握られているし……
窓は閉じられており、外の景色をみることはできない。
「すぐに本殿に着いてしまうのが、勿体無いね」
残念そうな表情で、金色の目を伏せて菖蒲は呟く。
私は、菖蒲に握られた手をじっと見つめていた。彼の手を無理に振り払おうとは思わない自分がいる。
以前、手を繋がれたときもそうだったけれど、私は菖蒲のことが嫌ではなかった。彼は私を家の中に閉じ込めるけれど、イケメンで人間でもないけれど、いい人だ。
だからこそ、彼に拒絶されるときが来るのが怖い——
出会った時から好意的に接してくれた菖蒲にまで嫌われたら、きっと私は今までの比ではないくらい傷つくだろう。
「今日の薊は一段と可愛いな。伸びた前髪を切って、おでこを出したらもっと可愛くなると思う」
「……いや、それは微妙ではないでしょうか。私、自分の顔はなるべく晒したくありませんから。前髪も伸びたままでいいです」
「目に悪いよ?」
「いいんですってば。この不細工な顔で周囲を不快にしたくないんです」
「不細工って誰が? もしかして、薊のことを言っているの?」
「この牛車の中で、私以外に不細工がいますか!? 菖蒲は誰が見たってイケメンですよ」
菖蒲だって、自覚はあるはずだ……いや、どうだろう。なんだか彼は、私が今まで見てきたイケメンと様子が違う。人間じゃないからだろうか。
「薊は可愛い。吊り上がった目も、薄い唇も、天狐好みの顔だよ」
「あ、お世辞は結構です。自分の身の程はちゃんと理解していますから」
舞い上がってはいけない。
でなければ、きっとまた自分が傷つくことになる。しかも、今度の傷は以前とは比べ物にならない程、私の心を深く抉ることになるだろう。
私は、そのくらい菖蒲に心を許している自分に少し驚いた。
今でも、菖蒲に対して自殺を邪魔する困った相手だという認識はあっても、自分を害する相手だという認識は持っていない。
でなければ、これまで同居生活なんてして来られなかったはずだ。ただでさえ、彼の家から出られないという異様な状況なのに。
そんなことが気にならないくらい、私にとって菖蒲の傍は居心地が良かったのだ。
だからこそ、余計に怖い。いつか、彼と決別する時が来るのが。
そんな悲しい出来事に遭遇する前にこの命を絶って、何事もなかったかのように人生を終わりたい。
必要とされているという勘違いをしたままで、最後を迎えたい——
そんなことを思いながら、私は不思議な牛車に揺られて本殿へと向かうのだった。




