10:ご長寿万歳!
「よお、来てやったぞ!」
菖蒲による何度目かのプロポーズを受け、断っていると……
以前と同じように薄が庭から降ってきた。彼は、いつもあんな場所から現れるのだろうか。
今、夜中なんですけど……?
「なんだ、薊も月の光を浴びているのか? 人間にはあまり効き目はないと思うけどな……ま、何もしないよりはマシか」
「何のことですか、薄?」
「天狐は月の光を浴びることで力が増すんだよ」
「……よく分かりません」
「だよな、人間にはそんな習慣はないもんな。まあ気にすんな!」
足を広げて畳の上に寝転ぶ薄は、とても菖蒲よりも年上には見えない。白髪の子供の姿で、ゴロゴロと私の傍まで転がってくる。
「薄……踏むよ?」
何故か不機嫌な声の菖蒲が、薄に冷たい視線を落とす。普段は穏やかな菖蒲が初めて見せる表情だった。
「なんだぁ、妬いてんのか? 心配すんなよ、俺にはもう嫁がいるし。天狐が嫁一筋だってことは、お前も知っているだろう?」
薄の言葉を無視して、菖蒲は私を自分の方に向き直らせた。
「どうして、薊は薄のことを呼び捨てにするの?」
「だって、この間、薄に呼び捨てで良いって言われましたし……」
「……なら、私の事も菖蒲と呼んで?」
「ええっ!?」
明らかに年上の人間……天狐を呼び捨てにするのは、ちょっと抵抗があるのだが。
「薊? ほら、菖蒲って言ってご覧よ」
菖蒲の白魚のような指で頬を固定された私は、注がれる金色の瞳を見ながらおずおずと口を開けた。
「あ、菖蒲……」
「これからは、私の事はそう呼んで。約束だよ?」
「うわぁ……誰だよ、お前。本当に嫁にゾッコンだな」
ケタケタと笑う薄を足蹴にした菖蒲は、不機嫌な声で彼に質問する。
「それで、薄。こんな夜中に私に何か用?」
「そうそう、前に言っていただろう。俺の嫁を薊に会わせるって……普段は本殿で女官をしているから、こんな時間にしか連れ出せなくてな! そろそろ到着すると思うんだが?」
薄の言う通り、しばらくすると玄関の方から女の人の呼び声がした。
「ごめんくださ〜い」
少し間延びした、若い女性の声だ。その声に菖蒲が答える前に、薄が返事をする。
「おう、柊。上がれ上がれ、菖蒲の部屋だ!」
ここは菖蒲の家だというのに……大丈夫なのだろうか。
ややあって、奥から野菊の柄の着物を着た茶髪の小さな女の子が現れた。年齢は、薄と同じくらいに見える。
その子は、私と目が合うなり、可愛らしい顔に満面の笑みを浮かべた。
「おやまぁ! あなたが坊のお嫁さん?」
「ボウ?」
「そうよぉ、この子ったらもうお嫁さんを貰うようになったのねぇ。こんな小さい子狐だったのに」
柊という女の子は、菖蒲に対して外見からは似つかわしくない言葉をかけている。
「……柊、薊の前でそういうこと言うの、やめてくれる?」
「あらまぁ、この子ったら。一丁前に格好付けて」
この人も、菖蒲よりも年上なのだろうか。
柊はひとしきり喋り倒すと、私の隣に腰掛けた。
「私は柊。薄の妻で、菖蒲の親代わりみたいなものよ」
「……薊、です」
「まあまあ、可愛らしいお嬢さんですこと」
私は、社交辞令にお礼を言う。
柊は、スッキリした目元の利発そうな女の子だ。大人になったら、きっと美人になりそうな……いや、薄の奥さんだから菖蒲よりも大人なんだよね、たぶん。
「坊のお役目のこともあるし、これからは窮屈な生活になると思うけれど……困ったことがあれば私達に何でも言ってちょうだい」
お役目とは何のことだろう……
よく分からないが、柊に話を合わせて適当に相づちを打っておく。
「……ありがとうございます。でも、私、まだ嫁じゃな……」
「ふふふ、薊ちゃんは何歳なの?」
「十六歳です」
「あらあ! 若いわぁ、さすが人間! 坊とは千歳以上の年の差婚なのね!」
「柊……!」
柊が千歳と言った途端、菖蒲が焦ったような声を上げた。
千歳……って?
「ああ、坊は千歳じゃなくて、千五十歳だったかしら!?」
「私はまだ、千二十二歳だよ!」
叫んでから、しまったとでも言うように菖蒲は気まずそうな顔で私の方を見た。
彼は本当に千歳越えなのだろうか。
「ほら、天狐って長生きだから。私も二千五百歳だし、薄は三千歳くらいなの」
あまりにも長生きすぎる目の前の二人の子供に、私は言葉が出ない。
つまり、菖蒲は千歳もサバを読んで私に年齢を申告していたことになる。
そう言えば、以前年齢を聞いたとき、一瞬言葉に詰まっていたような……
遠い目をした私に、菖蒲が話しかけてきた。
「薊は、前に私に向かって、年齢よりも中身だって言ってくれたよね」
「……そうですね、確かにそう言いました」
「まあ、なんて良い子なの! 天狐以外の種族との結婚で、いつもネックになるのは年齢なのよね! この子の場合は、それに加えて職業面でも問題があるから心配だったのよぉ……でも、この調子ならきっと大丈夫よね!」
おばちゃん口調で喋る女の子に、私も菖蒲も口を挟めない。怒濤のように話を続ける柊に相づちを打っているうちに夜も更けてしまった。
頃合いを見計らって、薄が菖蒲に声を掛ける。
「そろそろ帰るか。じゃあな、今度は明るいうちに来る!」
そう言って、薄が立ち上がると。柊も彼の後を追うように立ち上がった。
「そうねえ、今度は本殿で会いましょうね。お嫁さんのお披露目が必要でしょうし」
「柊! 薊はまだ……」
「ふふふ、心配しなくても大丈夫よ。日程はまた連絡するわね!」
それだけ言うと、二人は影となって今度は庭の方へ消えていってしまった。
嵐のような二人だった。




