怪話篇 第十三話 別れのKiss
1
「ねぇ裕美、今度はあっちの方に行ってみようか」
「そうね」
「早くこいよ。ほら、良い景色だよ」
「…………」
「どうしたんだい? 今日はいつもと違うなぁ」
「それはあなたも同じでしょう。淋しい処ね。私達の他には誰もいないのかしら。でも、そうね、その方が都合が良いのでしょう? あなたには」
「そ、そうだね。やっぱり邪魔者はいないに越した事はないか」
「邪魔者ね。そう、邪魔者よ。私、判ってるのよ」
「判ってるって、いったい、何を言い出すん……」
「私、知ってるの。あなたが私と結婚なんてしたくない事」
「何を? 裕美、バカな事を言い出すんじゃないよ」
「いいのよ、皆聞いたんだから。この前、あなたのマンションに行った時、あの人と話してたでしょう。その時は聞こえなかったふりしてたの。だから、……でもいいの。あなたの好きなようになさい」
「裕美」
「良い風ね。このまま逝ってしまうのには勿体ないわね」
「…………」
「何も、言ってくれないのね。それとも、……!」
「…………」
「やっぱり、そうだった」
「そうさ、邪魔なんだよ、おまえは。けど、感謝するぜ。あっさり死んでくれるなんて言うんだからな。いっその事、自殺でもしてくれりゃあ手間が省けるのに」
「私、……私、あなたを許すなんて言ってない」
「そうかい? どっち道、最初から死んでもらう予定だったんだか……!」
「お別れのキスよ。さよなら。私、あなたを許さない、絶対に。あなたを、愛してたのに」
「そうかい? オレは、どうでも良かったんだぜ」
「……許さ……な……」
「バイバイ、裕美。」
2
「仁、昨日デカが来たわよ。あの女の死体が見付かったみたいね」
「そうかい? で、何て言ってやったんだ」
「さあね。あたしには、関係ない事でしょう。勿論、仁にもね」
「上出来だ」
「ねぇ、いつ入るの。お・か・ねっ」
「ん? 保健金かぁ。まぁ、もう暫く待てよ」
「ふふっ、楽しみねぇ。でも、私がバラしたら、あなた即捕まってコレね」
「やめろ! 縁起でもない事」
「どうしたのぉ、血相変えて。臆病風に吹かれたの?」
「バカ言うな」
「変わったわね、仁。あの女の所為?以前のあなたは、死ぬ事なんて人を殺す事くらいに平気だったのにねぇ。それが最近は、ちょっと車がかすったくらいで、冷や汗流したり。その上、死刑が怖いなんて」
「うるさい。そうだよ! 怖いよ、死ぬのも死にそうになるのも。確かに変だ、あれ以来な。まさかな。だが、しかし、……」
「仁、どうしたのよ。しないの、続き」
「ん? なんとなく乗らなくて。やっぱり行ってくるわ」
「何処ぉー?」
「ちょっと病院」
「病院? まさかエイズの検査だなんて、言わないでしょうね!」
「まさか。あの女に、毒でも盛られたのかも知れん」
「毒? ああ、『お別れのキス』ね」
「そうだ。女の執念は怖いからな」
「仁!」
「何だ?」
「もし、あなたが死んだら、このマンション貰っていい? あん、保健金もかけておくんだったわねぇ。ねえ、今からでも間に合うかしら?」
「勝手にしろ」
3
「仁ー! ビール飲むぅー?」
「いらん!」
「何よ。そんな言い方ないでしょう」
「悪かったよ。変なのは判ってるんだが。あんの薮め、どこも悪くないと吐かしやがる」
「なら、良いじゃないよ。どこもおかしくないんでしょう。ほとぼりが冷めるまで、静かにしてれば直るわよ」
「ふん、サツなんぞに何が出来る。オレの計画は完璧だ。今までだって、そうだったろう。捕まる訳ないさ。ん? 何だこれは」
「どうしたの?」
「おまえ、何でこれを捨てたりしたんだ!」
「いいでしょう、あの女の物なんか。目障りでしょう。それとも、惚れてたの?」
「馬鹿やろう。そんなんじゃない。そうさ、サツにこんな処を見付かってみろ。いくら完璧な計画でも、オレもある程度は目を付けられているんだ。疑われて、余計な危険を背負い込むのは御免だからな。そうさ、だからだよ」
「どうだか。じゃあ、行くのね」
「当たり前だ。葬式くらい出ないとな」
「明後日?」
「ああ。ちょっと出て来る」
「何処? 病院?」
「ふん! 誰があんな薮。何が、『強いて言うなら恋煩いでしょうな』、だと。まっぴらだ」
「じゃあ、何処よ。」
「何処でもいいだろう! それから、あいつの物には触るな。捨てりしたら、ただじゃあ済まないからな。判ったな!」
4
「課長、ヤツは白ですかねぇ」
「かもしれん、違うかもしれん」
「しかし、葬式でヤツは泣いてましたよぉ。ありゃあ、演技じゃないすよ。本気で害者の死を悲しんでましたねぇ」
「その通りだ、新井。だから判らんのだ。白なのか、それとも、愛するが故の殺しなのか。私には、ヤツが4人も殺したとは思えんね。少なくとも、最後の一人は違うだろう」
「あっ、ここですよ、課長。御免下さい。誰かいませんかぁ?」
「何かな?」
「ああ、松戸京一さんですね?」
「はぁ、そうですが。何か?」
「我々、こういう者ですが、ちょっとお話が」
「何の用かは知りませんが、まあ、お入りなさい。こんな処で立ち話も何ですから」
☆ ☆ ☆
「他でもありません、以前あなたの助手をなさっておられた河合裕美さんの事について、2・3お伺いしたいのですが」
「ああ、河合君ね。中々有能な人だったが。彼女がどうかしましたか?」
「はぁ、実は、どうも殺されたようで」
「殺された? ふむ」
「何か心当たりはありませんか」
「さぁて、彼女がここを辞めたのは、去年ですからねぇ。それ以降は、先月に一度逢ったきりですよ」
「先月! 先月のいつごろでしょうか」
「えーと、二十五日くらいですか。突然、訪ねて来ましてね」
「課長、殺される直前くらいですよ」
「ああ。で、松戸さん、彼女はその時は何の用で」
「別に。薬が欲しいと言うので、やったんですよ」
「薬って、どんな」
「失敗作なのでねぇ、あまり言いたくないんですがねぇ。それに、関係ないと思いますよ」
「いえ、どんな事でも疑ってかかるのが、仕事ですから」
「しかしねぇ」
「場合によっては、任意同行でも家宅捜索でもしますよ」
「仕方ありませんねぇ。大したモンじゃぁないんですよ。もう現物はないんですが、まあ言ってみればちょっとした『改善薬』ですよ」
「『改善薬』? ですか」
「そう。人間のあらゆる悪しき心を改質して、真人間にして仕舞う薬」
「…………」
「を、造るつもりだったんですがねぇ。作用は大した事なくて、代わりに副作用ばかりが強くて。失敗作ですよ」
「副作用というと?」
「ふむ、なんて言うか、実際に出来たものは所謂『惚れ薬』だったんですよ。まあ、善なる心というものは神への愛とも言えますから、あながち間違ったものが出来た、とも言えんのですがねぇ」
「は、はぁ」
「それと、死への強い恐怖が残るのですよ。まあ、自殺というのも不道徳的な事ですから、間違いではないんですがねぇ」
「ん~、まぁ確かに」
「で、彼女はそれを?」
「そうですよ。効き始めるのには時間がかかりますが、確実に百%効果がありますからね。60人の男女に使ってみて、60人とも。但し、早くても一週間、遅い者は3ヶ月以上しないと反応が出てこなくてね」
「…………」
「信用しておりませんな。では、あのN氏の突然の結婚をどう説明します?」
「ええ! あの俳優のNさんが。まさか」
「使用の際に取り交わした誓約書も、彼の奥さんの感謝状もあるけれど」
「これは、本物の様ですね」
「しかし、こんな物を我々に見せても……」
「なぁに、帰る時に忘れてもらえばいいんですよ」
「はぁ。で、その薬を貰いに来た彼女に、何かおかしなところはありませんでしたか?」
「別に。好きな男性でも出来たのかって訊いたら、……そういえば、何だか悲しそうに微笑ってましたね」
「ふむ」
「しかし、殺された彼女もですが、使われた人も災難ですねぇ」
「か、課長、まさか……」
「お、恐ろしい話ですね、松戸さん」
「そりゃぁそうですよ。後追い自殺も出来ずに、もうこの世に居ない女性に恋焦がれて一生を過ごすんですから」
「それも、自分自身で殺したのなら、なおさら……」
eof.
初出:こむ 8号(1988年1月15日)