2話 依頼3
少し頬を染めて、どぎまぎしながら視線を彷徨わせる。あからさまに挙動不審なロヘイアだったが、対面に座る2人は完全スルーだ。何せ2人にとっては見慣れた姿。
「それで、ロヘイアさん、とおっしゃいましたか。ヒイルにどういったご用件なのでしょうか? 薬と言われましても実際にその症状を見るか、医師の診断書でもないと難しいと思うのですが」
「あ、はい。その…」
まっすぐに自分を見つめて話すカーマに、鼓動が収まらないロヘイア。これまで見たこともないレベルの美女を前に、豪華な衣装ではなく普通の町娘と変わらぬ井出達だというのが更に悪いのか、思考が定まらない。
独身男として当然の反応だ。多分。と、ロヘイアは内心呟く。
「とりあえず、人前じゃ言い難いっていう病名は? そこから始めようよ。キリがないもん。男の人ってカーマを見るとたいていこうなるし」
ぐはっ、ロヘイアは精神的ダメージを受けた。
「それもそうですね。落ち着けるよう、お茶をもう一杯お持ちしましょうか」
そう言って席を立つカーマ。
思わずその姿を目でおいかけるロヘイアに、
「それで、病名は? っていうか、はーるばる来たのに本来の目的忘れて女の人眺めてるって恥ずかしくないの?」
「………すまん」
謝るしかなかった。
「で?」
催促するヒイルに、手元のカップの冷めてしまった紅茶を一気に飲み干す。
「もし、無理だったら無理と言ってくれてかまわない」
「そういう判断は後でしょ」
「確かに」
苦笑し、まっすぐにヒイルを見つめる。
先ほどカーマに見とれていた男と同一人物とは思えないほど真剣な、初対面の時のあの顔で。
「“シロイ病”」
ロヘイアの告げた病に、ヒイルの眉間に少しだけ皺がよった。
「なるほど。それなら、人目を気にしても仕方ないね」
“シロイ病”。
その病の一目瞭然の特徴から付いた病名。
全身の色が徐々に抜けて白くなる病で色が抜けるのにあわせて体も弱っていき、発祥からおよそ5~8年で全身が白くなり指の一本も動かせなくなって死に至る。
その進行速度は非常にゆっくりで気づき難く、気づいた時には手遅れというのがほとんどだ。
最初にその症例が報告されたのは30年ほど前、シリオン大陸南東部。
伝染病とも土地病とも言われ、多くの医師や薬師が匙をなげた難病だ。
それにより多くの差別が生まれ、数多くの命を奪った人だけが侵される病。
唯一の救いは十数年ほど前に治療法が確立し、不治の病ではなくなったという事。
それでも伝染する病であるため患者に対して医師の数は不足し、また治療にも相応の時間がかかるため難病には変わりなく。今なお多くの人の命を奪い続けている。
更に通常の接触――対面し、会話するなど――ではうつらないと証明されているのだが、偏見が残っているため、自身や身近に“シロイ病”の患者がいた場合それを隠すのも常だった。
「でもさ、それの治療なら、ラシャークの方で確立してたでしょ? 医者もあっちには何人もいる筈だし、専用の設備も整ってる。ロヘイアさん、少し南方の訛りがあるから王都のこっちへ来るより近かったんじゃないかと思うんだけど」
出身地にまつわる話は一つも口にしていないのにずばり言われて、ロヘイアの顔が引き攣った。
「よく、わかったな…」
「いや、わかるでしょ。そもそもその病気、クスメイアとラシャークの国境あたりに広がってるんだし」
でなければ、土地病などという噂も広がらない。
「詳しいんだな」
「そのあたり、旅したことあるからね」
あっさり告げたヒイルに、どんな物好きだコイツという視線を返すロヘイア。失礼なヤツである。
「勉強しにいったんだよ」
何を、とは言わなかった。
それでも、ロヘイアは思わず立ち上がり前のめりになる。
「それならっ…!」
「早まらないでよ。私の質問に答えてないし、第一、私は医者じゃないんだよ。それを忘れてない?」
じと目で睨まれて腰を下ろした。
「それで、何でこっちの方まで?」
「薬をもら 「来た目的じゃなくて、そうせざるを得なかった理由を聞いてるんだけど」
単調に告げてから冷めてしまった紅茶を飲み干す。
「そもそも、“シロイ病”に関しては国を挙げて治療にあたってる。治療費だって国が出してるから無料だし、症状が軽ければ薬で何とかなるから無料でもらえる薬で治せる筈。末期になれば施設に入らないといけないけれど、それだってお金はかからない」
「詳しいんだな」
「当たり前でしょ。でないと何しに行ったのかわからないじゃない」
「治療を……ああ、いや。はじめから話そう。正直、あまり話したくない情けない話なんだが」
「どういう事?」
「知らないって事は、それだけで罪って話だ」
「………格好つけてるなら、帰ってもらってかまわないよ」
「あ、いや。その……すまない。つまり、当時のオレ達は何も知らなかったんだ。山の中じゃないが、辺鄙なトコにある小さい村で、でも村中知り合いで、何もないトコだけど、平和だった。ほとんどが農業に従事してるようなトコで、リルナ…ああ、その娘の名前なんだが、リルナは元気で働き者で村中の人気者だった。仕事だって大人にまけないくらい立派にやってのけてたんだが……いつ頃からか、ぽかをやらかすようになった。最初は、おっちょこちょいですませてたんだが……だんだんそれが増えてきて、これまで平気だった重労働ができなくなってきた。それで、おかしいって話になって、村に医者はいなかったから、隣の町まで行って見てもらったんだ。最初はただ疲れがたまってるだけだって言われたんだが…」
空になったカップを両手で握り締め、顔に後悔を滲ませる。
「色が、抜け始めてきた。髪が日に焼けて薄くなったのかななんて言ってたんだが、その割に、肌は白くなってきてた。太陽の下で焼けてる筈なのに、どんどん白くなっていって、それで、その可能性に思い至った。うつる可能性なんかゼロに近かったから、全く考えも付かなかった」
「それで?」
「隣町の医者に相談して、ちょっと離れてるがでかい街の医者を紹介してもらった。過去にも何人か助けられてるって聞いて。そこでもらった薬を飲み始めて、症状がおさまってきた」
「最初の段階だね。薬が効いてる証拠」
「でも、そこから治る様子もないけど悪化する様子もなかった。治療には長い時間がかかるって聞いてたから、そういうもんだと思ってたんだ。でも…1年が過ぎた頃、おかしいって気づいたんだ」
「どういう事? 話を聞いた限りだと、症状は初期段階だから、そのくらい飲み続けたら完治まではいかなくてもその手前くらいまでは回復してる筈だよ」
「色が抜けてたんだよ」
「え…?」
「本当にゆっくり過ぎて、身近にいたオレ達は気付かなかった。王都に出稼ぎにきてる知り合いが久しぶりに帰って来て、おかしいって言うまで、疑問にすら思わなかった。治ると信じて疑ってなかった」
その頃を思い出しているのか、自嘲の笑みを浮かべる。
「それで薬を出してる街医者に詰め寄ったら、そんな筈はないと。時間はかかるが、必ず治るから大丈夫だと。…もし自分達が信用できないなら余所で薬をもらうことにしてもかまわない、自分達は今後一切関知しないとも言われ。余所でったって、通える範囲で薬がもらえるのはそこだけだったし、謝って、また薬を出してもらえるよう頼んだ。その時、余所へ行ってたら、こんなことにはならなかったんだろうけどな」
「つまり…その医者が」
「そう、偽物をよこしてた」
ほとんど無表情に近い顔で話を聞いていたヒイルの眉間に皺が寄る。
「最初は本物だった。信用させるために。で、偽物と本物を混ぜるようになって、最後には偽物だけだった。リルナが歩けなくなって、大金払って調べた結果がそれだった。結果が出る頃には、もう体を自分で起こせなくなってて、薬だけじゃ治療は無理だと言われた。施設に入らなければ、と」
「ラシャークの施設なら、優先して入れてもらえる筈。どうしてすぐにそうしなかったの?」
「金がなかった」
「は?」
「無料、なんだよな。全部」
「え、あ、うん」
「薬も」
「うん…。って、まさか」
「高い金払ってた。隣町の元患者は無料で薬を貰ってたって聞いてたから、変だと思って聞いてみたんだが、薬はラシャークから輸入しているからその分の税と輸送代が入っていると言われて納得しちまった」
「なるほど。全部国持ちって知らなければ、そういうものだと思うよね。他の品は全部かかってるし」
「ああ」
「いや、でもさ、施設は無料で入れる訳だし 「手形」
ぽつり、と呟いたロヘイアに、ヒイルの動きが止まる。
国境を越えた事がないため、出入国の際に必要なその存在をすっかり失念していた。
「手形、高いもんね…。その、リルナさんは無料で貰えるけど、家族は別だから」
「ああ」
「……その医者、吊るし上げないと」
「それはもうやった。首飛んで別のヤツってか元々そこにいた医者が戻ってきて、薬をきちんとしたの出してもらえてたんだけど」
「薬だけじゃ追いつかないよね、寝たきり……末期だし。そのために専用の施設を作ってるんだから」
「ああ。医者にもそう言われた。薬だけだと現状を維持させるので精一杯、もしかするとそれすらも無理になるかもしれないと。でも、ラシャークへ行くのはもう無理だった。動けないリルナ独りでどうやって行ける? 行けるわけがない」
「それで、私?」
「ああ。さっきちょっと話した知り合いから聞いて。ただ手をこまねいてるくらいなら、駄目元で尋ねてみろって言われて」
「なるほど」
故郷で農業をしていて王都へ出稼ぎに来ていたというのなら、その場所はおそらくメイアの西側。それなら“マギン”で張っていたのも頷ける。
「お待たせしました」
そう言って戻ってきたカーマだったが、その姿に見とれる事なくロヘイアはシリアスを貫いている。
明らかに話が終わるタイミングを待っていたかのような登場だったので、ヒイルが一瞥すると、にっこりとした笑みが返ってきた。
「どうぞ。そちらはお下げしますね」
そう言って湯気の漂う暖かい紅茶を差し出されても、軽く頭を下げて受け取るだけに留め、
「これで全部だ」
そう締めくくった。