2話 依頼2
「なんだこれ」
右手で摘み上げたそれを見て、ヨギは眉間に皺を寄せる。
みたこともない生き物だ。蝙蝠に似ているが、毛が生えている。短くてもふもふした茶色い毛が全身にびっしりと。そして閉じられては要るがその瞼のサイズから大きいとわかる瞳。頬から左右ににょーんと伸びる6本の髭。
「ヨギ。子供じゃないんだから、何でも素手でつかんじゃだめだよ」
苦笑した声に振り返れば夜着に身を包んだヒイルが目に入り、
「そんな格好で外に出たらカーマに怒られると思うが」
「………忘れて」
「わかった」
何とも単純な男である。
「で、それ。捨てといて。敷地の外に」
「………いいのか?」
「うん。使い魔みたいだから、多分、“呪令の魔女”か“クエンロッド”のだと思うし」
「…埋めといた方がいいんじゃ?」
「手間だし、面倒でしょ?」
「まぁ、な」
「じゃ、ぽいっとやっちゃって」
遠投のスイングをしつつ笑うヒイルに、何の返事もなくヨギは思いっきり放り投げた。
街とは反対の山の方へむかって。
「ぁー………凄い飛んだね」
「別に大した事じゃない」
ここでも使うんだ、という突っ込みもなく、
「んじゃ家に戻ろうか。それにしても動き早いねぇ」
「だな」
両方の言葉に、一言で頷くヨギ。
歩いて裏口へと向かう途中で、
「ヒイル」
「ん?」
「ありがとう」
「…どうしたの?」
「いや、これのお礼を言ってなかった」
「ああ。別にいいのに」
「だが、そうとうしたんだろう?」
「ん? んー。まぁ、加工と対魔力のための細工はリッシュさんだから安くはないけどね。腕は確かだし、効果が見合ってないと意味ないから」
「だから、だ」
「いやいや。そんなの、ヨギが無事でこれからも仲良く生活できるなら安いもんだよ」
へらりと笑うヒイルに、ちょっとだけその金銭感覚が心配になったヨギだった。カーマがいるから無問題だが。
「それにヨギが心配してるほど高くないよ。石は市場で買ってきた不純物混じりまくってた安い水晶だから」
「…そう、なのか?」
安い水晶とういわりには、黒光して高級感あふれる漆黒なのだが。
「カーマが不純物を除去して、2人で魔力込めたらそうなったの」
色々と物凄く納得したヨギだった。
配達用の籠を片手に、軽い足取りでヒイルは扉を開いた。
「こんにちは~」
「いらっしゃい。…と、ヒーちゃんか」
「配達に来ました。後、パンを持ち帰りで。いつもの数お願いします」
「はい。毎度ありがとうございます」
「こちらこそー」
カウンターごしに籠を手渡す、通例行事。
「数は30、価格は同じで」
「わかりました」
頷きながら、ヒイルにカップを差し出すドルトル。
「ああ、おいしい」
一口含んでから、満足げに呟く。
キーから情報を仕入れて早3日。話を聞いた日の晩に珍妙な来客があって以降、ヒイルの周囲はいたって静かだった。
油断しているわけではないが相手の出方をまってから動くと決めているので、特段変わった行動を何一つとらずに日々を過ごしている。過ごせてしまっている。
と、背後に人の気配を感じ、カップを手にしたまま肩越しに振り返り、
「無言で女性の背後に立つのはどんな場面でもいただけないと思いますよ?」
その人物を見上げる。
旅人風の若い男。強面の堅物であると告げる風貌で、こげ茶色の髪に眉間に軽くしわを寄せた青い目でヒイルを見下ろしている。
ヨギと同じ年くらいかなぁ、などと思いながら、こくりともう一口。緊張感はゼロ。はたから見ると、少女を睨み付ける凶暴な男の図、なのだが。
「失礼。……薬師クロードの使いの者か?」
「だとしたら?」
息を呑んだドルトルとは裏腹に、暢気に問い返すヒイル。
「聞きたい事があるから、会わせて欲しい」
「直接家にいけない理由でもあるの? 場所なら、こっちの情報屋ならどこでも聞ける」
「聞いた。だが…」
苦虫を噛み潰したような渋い顔になり、
「すまん。オレの名は、ロヘイア・カーグ。知人の娘がある病気になり、苦しんでいる。医者は匙を投げた。近くの町の医者も同様に。他にも何人にも 「薬師と医者は別物だよ」
普段のヒイルを知っている人物からは想像も付かないほど単調な声がロヘイアの科白をさえぎる。
「それをわかった上で言ってるの?」
「わかっている。だが、このクスメイア一と言われるその腕なら、あるいはと思い」
「そう。つまりそーいう話をして、断られたって事か。薬師と医者を混同している人には教えない規約になってるもんねぇ」
へろりと頷く。
「で? 会ってどうしようっていうの」
「薬を作れるか否か、尋ねたい」
「ふぅん…。その娘さんは、何の病気なの?」
それは普通の問いかけなのだが、何故かロヘイアの顔がこわばった。
何となく、病名を先に言わないあたりにクサイものを感じていたヒイルだったが、公の場で言えない病なのか、ただの口実なのか、どちらだろうかと思案する。
「少し、はばかられる…」
「そ。わかった。じゃ、家に帰ってから詳しい話を聞く事にするよ。こうしてわざわざ私が来るのを待ってたくらいだから。ちょっとばかり情報が歪んでるみたいだけどねぇ」
「会わせてくれるのか!」
途端、ロヘイアが嬉しそうに声を上げた。
「ぁー、うん。いや、っていうかもう会ってるし?」
「…は?」
「あぁ、私名乗ってなかったよねぇ。初めまして、私がお探しのヒイル・クロードです」
にこりと微笑んで名乗るヒイルに、口をあんぐりと開けて間抜けな顔を返した。
「“マギン”のパンを買って返らないといけないから、そっちの準備が出来るまで待っててね」
固まったままのロヘイアをそのままに、くるりと向き直ると、
「ドルトルさん、確認大丈夫?」
「え、ええ。はい。確かに30受け取りました」
「はい、お願いします」
独りマイペースを貫くヒイル。そんな姿にドルトルは小さく肩を竦めて返すと、
「すぐ用意しますね。それと、そちらの方。いつまでもそんなところに立っていないで、どうぞお座り下さい」
ヒイルの隣の席を指し示して告げると、呆然とした様子のロヘイアの返事を待たずにカウンターの下へと姿を消した。
「………ねぇ、いつまで私の背後に立ってるつもりなの?」
げんなりと呟いた。殺気など微塵もないのだが、驚愕の視線を背にひしひしと感じ続けるというのも落ち着かないものである。
「あ、ああ」
小さな声が返り、隣に移動したロヘイアは、腰がぬけたかのようにどかりと椅子に座った。
「いやいや、そこまで驚くことかなー?」
「……クスメイア一というので、かなり高齢の人物を想像していた」
「勝手な想像と違っていたからってそこまで驚く、普通?」
「男だとも思っていた」
「それにしても、だよ」
「………まさかこんなに幼かったとは」
「子供じゃないし!!」
暢気に受け答えしていたヒイルだったが、幼い、に反応して力いっぱい叫んだ。
「子供とは言ってない」
「幼いって何よ、幼いって! 失礼にもほどがあるー!」
「………まだ10代だろう? いや、成人してから店を構えた事を考えれば、すでにクスメイア一と呼ばれているのだから天才と言うべきか」
「失礼なっ! 私は20代で 「馬鹿な」
眉間に皺付きの驚愕した顔で、ヒイルを上から下まで眺め、
「ないな」
呟く。
それは至極一般論で、10人が10人同じ答えに、それが例え10倍100倍に膨れ上がろうとも、答えは変わらないだろう。
「…うぅ、酷い」
しくしくと項垂れるヒイル。初対面の人間には必ず言われるし、実年齢を聞いても誰も信用してくれないのも毎度の事なので、最早涙するしかない。
どんなに頑張ったって、20代には見えないのだ。それがヒイル・クロードなのだ。仕方ない。
「どうせ小さいし、童顔だし…」
ぶつぶつ呟く。確かにそれらも要因の一つではあるのだが、最大の理由は己の言動だと気づく気配は全くない。指摘されても直せてない時点で諦めるしかない、何せ本人は見た目のせいだと思い込んでいるのだから。
「ヒーちゃん、元気だして。僕はヒーちゃん、可愛いし素敵だと思うよ」
「ドルトルさん…」
ほろり、と少し浮上するヒイル。
「薬のお代と、入っていたメモのパンを入れておきました。お釣りも」
「有難う」
一気に復活し、ほくほく顔で籠を受け取る。
そのまま店を後にしようとして、
「あ、ごめん。えーと、ロヘイアさん? 付いてきてね」
「………ああ」
立ち上がりかけた姿勢で頷いたロヘイアは、最初についたごめんの科白にやはり忘れていたのかとちょっとだけ幸先が不安になった。