5話 クスメイアの変人一族3
「ただいま~」
ノックもなしに開いた扉から、暢気な声が聞こえて、
「お帰りなさい、ヒイル」
穏やかな声音に怒気を纏わせるという器用なことをやってのけたカーマが、同じように声をかけようとした他者を黙らせる。
「―――ジン君、いらっしゃい」
一瞬詰まりながらも流すが、その頬が少しだけ引き攣っていた。
「…こんにちは」
流石にカーマの負のオーラに気付いたのか、普段の元気がない。挨拶だけで黙り込んだ姿に、笑みを張り付かせたままヒイルは全力で思考した。
その間、わずか3秒。
謝罪、という回答でもってカーマへと視線を走らせた。一般的に見れば素早い選択だ。
だがしかし、それすらも凌駕する、
「何か言うことはありませんか。グインに」
という冷気を含んだ声。
うっと言葉を詰まらせるヒイルの姿に、キリウが「あぁ、悪いことしてる自覚があるんだ」などと独り言ちる。
「えぇと…。変な4人組のことかな? ごめん。グインに迷惑がかかるとは思わなくて」
「いや……まぁ、中にいれば安全だから何ともないんだが。状況見るとお前途中で遭遇してるよな?」
「うん。坂道の真ん中過ぎたあたりで。薬師クロードの家はこの先かって聞かれたから、そうですよって答えたら、ありがとなーって」
本人なんだけどね、と笑うヒイル。
場が凍りついた。発言というよりは、カーマからもれる負の気配に。
「連絡しようとは思わなかったのですね」
「え、だってそんな事したら関係者だと思われちゃうじゃん」
「本人ですわ」
にっこりと、背後に真っ黒いオーラを纏いながら、それはそれは素敵な微笑を浮かべ、
「3日間、謹慎です。配達は全て私とヨギで行います、よく反省なさい」
例えそうは見えなくても、成人した大人がうける罰ではなかった。
ががーん! という擬音が似合う顔をして硬直したヒイルが謝罪のために口をひらき、
「それとヒイル。ジルイ様からお話があるようですわ」
再び遮られた。
勝てない…と小さく呟いたヒイルの声を聞いたのはすぐそばにいたジンだけだった。
話かけていいものかと思案してから、
「誕生日のことなんだけど」
と、ぽつりと口にする。これで反応してくれたらいいな、という遠慮がちなアプローチ。
「ん? アシルの?」
へろりと口にしたそれに、グインだけが頬を引き攣らせた。
アシルなどと気安く呼んでいるが王子なジンの母親である。つまりクスメイア国の王妃アシルウィナの愛称。
絶対に一般人じゃない! とグインが思ったのも無理はなかった。
「そう。香水をプレゼントしようと思って、作り方教えてもらえるかな?」
「…………シナリウム、何株くらい育ててるの?」
数秒の思案の後でそんなことを聞いてくる。花の名前を告げる前だったので軽く驚いてから、見かけによらず察しがいいのを改めてジンは思い出す。普段のノリがノリなだけに、忘れがちだ。
「10株。30ミル作りたいんだけど、花と茎を考えたらそれで足りるかなって」
「足りないよ」
「え!? だって結構あるよ?」
「シナリウムは、花しか使えないの。正確に言うと、花びらから額の内側までなんだけど。茎と葉はニオイが変わっちゃうから駄目なんだ」
「嘘っ!? ど、どうしよっ……。今から取り寄せても、もう間に合わないよね…」
「んー。うちにあるのと、お城の薬草園にあるのと、足したらなんとかなるかなぁ。30ミルを20ミルにさげれば」
「そ、んなっ。入れもの、作ったのに…。驚かせようと思ってこっそり」
どうやらプレゼントをいれる香水のビンは王子のお手製だったようだ。その凹みように、また作れば、と気安く口にできるものはいなかった。
きっと相当凝った作りか、手間がかかったのだろう。勉強と王子としての仕事、日常のアレコレの狭間に母親に見つからないようにコソコソとしていたのだろうから。
多分ばれてると思いますが、と内心キリウとカーマが呟いたのはここだけのヒミツだ。
どよん、とした空気を全身でまとうジンに、困ったようにヒイルが頬をかく。
「明日、聞いて見るよ。仕入れられるかどうか。花を付けた株をね」
「え! ホント、ヒイル!?」
「うん。時期的にちょっと値が張る可能性は捨てられないけど、まぁ、聞くのはタダだからね」
「ありがとう! よかったー」
子供っぽさ全快で安堵する姿は市井の子供達と何ら変わりない。
「………国家権力行使?」
ぼそりと呟いたグインに視線が集中し、それにあわせて頬を引き攣らせる。
「人聞きの悪いこと言わないでよー。シナリウムはれっきとした薬草だよ。茎と葉は子供向けの刺激の少ない湿布になるんだから。花は香水にもなるけど、凝縮したのを水に垂らして蒸発させて鎮静剤として使う場合もあるの。主に妊婦とか子供とか」
とかく子供に優しい薬草らしい。
「子供に優しいってイイよな…。やたらキツいのはヤだし、被れるし」
「ジン君は弱いからねぇ、肌。諦めなよ、そこはクスメイア王家の伝統だから」
違うだろ、と内心で突っ込んだ者が数名。
「薬嫌いになるから子供が苦痛に感じないのはいいだろ。ヒリヒリしたり火傷したみたいに爛れたりしないんだろう、それ」
ブツブツ呟くグインに、ここにもいた!? とその場にいた全員が思った。
「グインも弱いの、肌?」
暢気に問いかけたヒイルに、
「弱くはない………はず。そう簡単に焼けたり切れたりしないし」
若干ズレた回答が返された。
「炎症起こしやすいの?」
「………皮膚がはがれる」
相当だった。
思いっきり場が沈黙し、ジンですら同情の眼差しをグインへと向ける。
「ま、そんなワケで少々値が張ったとしても有効利用するから問題なし。―――そういえばキリさん。予算の件だけど」
「え、今度はどんな無理難題を…?」
「ううん。来月の予算、上方修正したの自分で通してきたから。その報告」
「………あ、はい。お疲れ様」
予算を上乗せして欲しい話が出たのは昨日の昼過ぎだ。この短時間で認めさせるとは一体どんな手を使ったのか非常に気になったが、余りにもいい笑顔のヒイルがいたのでキリウは言葉を飲み込んだ。
聞いてはいけない気がする。
「グイン、肌の状態とか調べて見る? 何に対して反応するのか知っておいた方がいいと思うけど」
「…………痛いのと臭いのはちょっと」
子供か! ………いや、子供だ。グインの見かけは成人してるか否かといったところだが、人間換算の年齢は11歳らしいので、紛うことなくお子様である。
クスメイア国内では、後ろ暗い仕事か家事手伝いしか出来ない年齢だ。
「少し痛いかもしれないけれど、後で知らなくて物凄く痛い目にあうよりはいいと思うよ」
晴れやかな笑顔で告げる科白に、何人かが鬼だと思い、グインはそっと涙する。項垂れ気味に、
「時間のあるときに…。いや、それよりもリリーの方を」
ここへ直接出張る理由、住み込む理由、“呪令の魔女”を廃業した理由を。
「………。それより検査の方が簡単だから、すぐ終わるしね!」
案にそっちは時間がかかると告げていた。
そもそも、10年以上研究していて解明できてないものが、一朝一夕でできるワケもない。
「わかった。………カーマ、そろそろ戻る。昨日話したように、今日の夕食はいらないから」
「ええ、わかりました」
カーマが頷いたのを確認してから席を立ち部屋を後にする。
それを見送ってから、
「本腰を入れてやるよりも、呼びつける方法を探した方が早そうですわ」
「………そーだね」
唯一話が通じるヒイルが、重い重い同意の頷きを返した。
「何の話?」
「気にしなくていい話。ここに住んでる私達がわかっていればいい話だから。余計なことを知ると命が危ないかもしれないし。人格がアレな人が住んでいるからね…」
人格がアレ。ヒイルに言われたくないだろうが、その点については割と疎ましく思っているらしい。
ヒイルの育った環境とその身近にいた面々を思い浮かべ、カーマはそっと息を吐き出した。
長くなってしまったので、3と4に分けてみました。