5話 クスメイアの変人一族1
まるでここで生まれ育ったかのような錯覚を覚えるくらいに、馴染んでいる自覚がラナイにはあった。通り過ぎる人の大半も顔見知りで、皆笑顔で挨拶をしてくれる。公言したわけではないが、幾人かは娘のシロイ病の治療のためにここにいる事を知っているのに偏見などなく普通に接してくれていた。
ヒイルへの信頼の深さを改めて感じる瞬間だ。
カーマが、地域密着形の薬師だと言っていた理由もわかった。薬師は基本的に治療行為は行わないのだが、医師が忙しいとよく手伝っていたりするらしく、診断書を持ってくると薬の調合に止まらず入院も有りらしい。それを可能にしているのが、両脇をしっかり固めるカーマとヨギだということも。
もうじき1ヶ月が経過する。
リルナもたまに笑顔を見せてくれるようになり、顔色はずっとよくなった。ほんの3日前に、治療の前準備の体力作り期間が終了してこれから本格的な治療を行うと言われて、心底驚いた。調子がよくなっているように感じていたのに、そうじゃなかったなんて。
そんなわけで3日前から、薬の配達のほとんどを任されている。持って行った時の半分の重さのパンと代金。この籠がヒイルの配達用というのは有名らしく、これまでよく盗難に合わなかったと不思議でならない。一度盗人と間違えられて捕まりそうになったが。
「ラナイさん、ちょっと!」
考え事をしながら帰路に着いていたら、街の出口で呼び止められる。
「はい? …ヤムバさん、どうかしましたか」
街の警備隊でよくこの西門を担当している同年代の男―――ヤムバが苦笑して手招きしていた。
「いつもの」
短く告げると門の横にあった木製の扉を開いて招き入れる。門番の詰め所に招き入れられるということは、だ。
「何人ですか?」
「2人組と4人組。2人組の方は、さっきうちの奴らが運んでったけどな」
「そうですか…。お疲れ様です」
「いやまぁ、何てーか…。ここで仕分けできりゃ、余計な負担減らせるんだが、街道だからなぁ」
怪しい風体の通行人をいちいち呼び止めていたら仕事にならない。そもそも街の外へ出る輩だし、怪しそうな奴らが王都の外へ変な荷物を持たずに出るなら止める理由もないのだ。むしろ監視対象が減るから警備隊的には万々歳だった。
ここから出て行く胡散臭い人間の8割は、王都へ逆戻りとなっているが。
「そういった連中の報奨金も薬師クロードの収入として計算してるらしいよ、カーマさん。課税対象外だけど」
横から割り込んできた聞き覚えのある声にラナイとヤムバが首を巡らせ、
「「ジン」」
揃ってその名を口にする。
東側に住んでる職人見習いでたまにヒイルの所に顔を出す少年だ。
「今日はどうした?」
「ヒイルに依頼。後は伝言?」
「そっか。今はやめとけよ、こっちきて茶でも飲んでな」
ヤムバがにこやかに招き入れる。遠方に住んでいる孫が男の子で、年はジンの方が上だが同じように可愛がっていた。
「ラナイさんがいたから、そうかと思ったんだ」
へらりと答える。
「東に住んでるのに、すっかりこっちに馴染んでんな」
「お陰様で。だってみんな優しいしさ~」
出された葡萄水を嬉しそうに口にする。ジンが顔を出すようになってから、ここに置かれるようになった飲料水だ。
「ヒイルさんに依頼って、急ぎなのか?」
「ラナイさん、まだヒイルのことさん付けなんだ。この前いらないって言われてたのに」
「お世話になってるスゴい薬師だからなぁ。国一と評判の。……見えないが」
ぼそりと付け加えられた科白に、2人が吹き出した。
「ヒイルって僕が初めてあった時から全然変わってないから、あのまま年取るんだろうねぇ。……ヒイルを紹介してくれた人によると、成長はしたらしいけど」
「そうなんだ…」
「あー……。そういや、初めてみた頃は今より小さかっ………た、ような気がする…?」
ヤムバが物凄く遠くをみるようにして呟いた。
「身長…」
「ヒイルってあそこで仕事始めたの9年くらい前って聞いたけど、その前から知り合いなんだ」
「いや、知り合いっていうか15年くらい前に何度かここを通ってる」
「よく覚えてるね…」
「流石はヤムバさん」
感嘆した声の2人からそーっと視線を逸らし、
「カーマの印象が強かったからな、美人過ぎて」
「「なるほど…」」
物凄く納得できた。
「それで、ジン。ヒイルに依頼って何を頼むんだ?」
ごほんと咳払い一つでごまかすヤムバ。
「もうすぐ母さんの誕生日だから。プレゼントにシナリウムの香水を作ろうと思って。あの花好きだから。取り寄せて育ててるんだけど、香水の作り方は流石にわかんないからさ」
「………そりゃ大変な作業だな」
「香水の作り方まで知ってるのか…」
「ヒイルの中では香水も薬の一部らしいよ」
可笑しそうに笑うジンの姿に、大人2人は微妙な顔をする。
「修行の成果じゃないのは疑問だが」
「去年、ブローチをあげた。もっと上達したら、ピアスとペンダントをセットにしたのを作るつもりだけど、まだまだだからさ」
「そうか」
香水を作る時間を作成に費やしたらどうにかなったのではないかと思わないでもなかった。
「もうすぐ誕生日なのか、お前の母親」
「うん、何で?」
「何でって…すぐって訳じゃないが、来月は王妃様の誕生祭があるだろ」
「そうだねぇ。そういやいつも疑問なんだけど、何であんなに派手にやるの? 王様の誕生祭のが地味だよね」
子供は正直である。
「最後のそれは言っちゃ駄目だ、ジン」
「そーなの?」
「そうだ」
「ふぅん」
「そんなに派手なのか?」
王都暦1ヶ月のラナイにはわからない話である。
「すっごいよー。ボク毎年疑問だからね、王妃様が王族直径とかならまだわからないでもないけどさ、違うじゃん。それなのに何でかなぁって」
「そっか…。住んでた村は小さい田舎でどっちにしろ変わらなかったが、近くの大きめの街でお祝いの雰囲気が強かったのは確かに王妃様だったなぁ」
「へー。じゃ、国内でそういう流れなわけ?」
「だろうな。無理もないだろうが…」
ラナイが軽く左右に頭を振った。
「無理もないって、どういう…」
「どーもこーも、王妃様のお祝いごとが派手になるのは仕方ねぇの。あの人がいなかったら、オレら全員この国の行く末を嘆いてねーといけなかったんだから」
「え?」
「先代の国王が、まぁ、為政者としては他国の王族が参考にするくらいにすばらしかったんだが、女癖が酷くてな…」
賢王として名を残してもいいくらいに国政においてはその才能と手腕を発揮したのだが、女性関係だけは有り得ないくらいにだらしがない上に残虐非道だった。先王の子供として名を連ねている人数は決して少なくはないが、過去にそういったことがなかったわけでもない。
だが。
名のない者――認められなかったという意味ではなく――の数が尋常でないのだ。
それゆえに、先王の頃の後宮は血の牢獄などと揶揄されていた。
あれだけの人数の子供達が生き延びていたのが不思議だと言われるほどに。もっとも、その子供達の大半はそれがしっかりトラウマになっているのか、誰も父の後を継ぎたいと思わなかったし、結婚も、跡取りもうんざりといった独身生活を満喫している。
結局先王の急死により長男リカルドが後継となり現在国王として鎮座しているが、周りにどれだけ何を言われても結婚する気などさらさらなかったし、無理やり後宮を開いて人数集めてしまえと動けば「後宮を開くなどオレに死ねと言ってるのか」などと嘆きだす始末で何ともなからなかった。
「前の王様がそこら辺酷かったのは聞いたことあるけど、それって王妃様のお祝いと関係あるの?」
「大有りだ」
「リカルド国王、女性恐怖症って噂があったな、昔」
「え?」
「ラナイさんのトコまで届いてるってことは、国中で噂になってたんだろうなぁ。ってか事実だが」
「事実なのか…」
「女嫌いじゃなくて、恐怖症…」
愕然とジンが呟いた。
「女性恐怖症で女性不振だ。もう後継とか無理なレベルだったんだよな。まーそれも無理ねぇんだよ。誰だって、普段は人前で綺麗に着飾って微笑んでる女が、般若のような顔して血みどろになりながら自分の父親を取り合ったりすんの見てたらしょうがねーだろ」
物凄いことをあっさりと告げるヤムバに、しんっとする。
「………詳しいですね、ヤムバさん」
子供のジンがいるのでラナイは話題を変えることにしたらしい。
「あぁ、まぁ、うちのオヤジは王宮で騎士やってたから」
「は?」
偉いことをあっさりと告白してきた。
「アナタもでしょう、元王子付きの近衛騎士ヤムバ=ザコード」
「「ええ!?」」
ヘンなところから入ったツッコミにラナイとジンが同時に叫ぶ。
「それにアナタの父親は、そういったことをを口外するような人ではないでしょう」
「「………キリウ様」」
ラナイとヤムバが気まずそうに来訪者の名を告げ、その後ろでジンが引き攣った笑みを浮かべていた。
「ご心配なく、オレは何も聞いてないことにしますから。それと今日は、知人に泣きつかれて、ジンを迎えに来ただけですからね。勉強をサボって脱走したそうで、放置しておくとヒーちゃんを紹介したオレに苦情が来るところだったので」
くるりと視線がジンに集中し、
「み、見逃し…っ!?」
にっこりと微笑みを浮かべるキリウにジンが言葉を全部飲み込む。
「やることをしっかりと済ませてから行動しないから、こういう事になるのです。いい加減に学習したらどうですか。おとなしく帰ってもらいますよ」
ぎゅーっと風船がしぼんだように小さくなっていくジンを不憫に思うが、元王位継承権保持者を前に王族と対面経験などこれまでの人生で微塵もなかったラナイは何も言えなくなる。
「キリウ様」
ずさっとヤムバが方膝を付いて騎士の礼をとる。
「どうか今日はもう少し見逃してはくれませんか。ヒイルのところへ行くのを私が引き止めていたも同然、真っ直ぐ向かっていれば今頃は戻っていた筈です」
「………ヤムバさん、そういうのもうやめてくれませんか。オレはただの魔術師ですよ」
「由としていただけるまでは」
頭を下げたままあげる気配ゼロの後頭部をしばし眺め、はぁ、とキリウは息を吐き出す。
「ヒーちゃんのトコに何の用?」
「母さんの、誕生日の」
ぽつり、と呟くジンに、キリウの微笑みが濃いぃものになる。
「そういう理由なら、なおさらきちんとして出かけるべきだったろう。どこまで父親に似てマヌケでツメが甘いんですか。………まぁ、仕方ないですね。オレが連れて行きますから、さっさと用件を片付けて戻りますよ」
「ホント!?」
「キリウ様、ありがとうございます。よかったな、ジン」
「うん!」
「………というか、ヤムバさん、何者…?」
和やかなムードの中でつぶやくラナイの科白に一瞬だけ時間が止まる。
「本当によかったな~。母親は大切にしろよな、ジン!」
「わかってるよ!」
聞かなかった事にしたヤムバに口を開きかけたが、余りに嬉しそうなジンの姿にラナイは言葉を飲み込む。
「4人組みまだ戻ってこないが、まー大丈夫だ。あっちは万全だし、こっちから向かうにしてもキリウ様がいれば100人力だからな!」
「あっ、そういえばそうだった…。じゃ、急いで行こう!」
4人組の存在を忘れここで茶を飲んでいた理由を忘れていたジンであった。
「そうだな、遅れて怒られても大変だからな。片付けとくからそのままでいいぞ」
「ありがと、ご馳走さま!」
くるりときびすを返してキリウの横をすりぬけて詰め所から出て行く。それを見送ってから、
「彼は以前、オレ直属の近衛騎士だったからね。継承権放棄と王族からの抹消の後で、王宮に残らず街に下りて今はここで門番をしてる」
あっさりとヤムバが誤魔化したかった事実を告げてくるりと背を向ける。固まっているヤムバと驚愕に目を見開いているラナイをそのままに、詰め所の扉が静かに閉じられた。