4話 来訪者3
既視感を覚え、ラナイは気付かぬ内に安堵の息を吐き出していた。
ロヘイアから話を聞いた時は何を言っているのかと、驚いたものだ。また騙されてるんだろう、とも。
国一番と伝え聞く薬師クロードが、そんなご大層な人間が辺境の貧乏人など相手にする筈がないと思っていた。路銀を手渡されたと言ってそれを受け取っても、半信半疑だった。
それがどうだろう。
坂道の下まで出迎えがあった声は聞こえたし、この雰囲気。王都の喧騒から外れた場所にあるここは、慣れ親しんだ故郷の集会所を彷彿とさせた。
「遠路はるばる、ようこそお越しくださいました」
凛とした涼やかな声がホールに響く。声に視線を巡らせれば20代後半の黒髪の美女が微笑んでいた。
ぱちくりと、目を瞬く。薬師クロードが女であることは聞いていたが、余りにも予想の範疇を超えた姿だ。
「カーマ、後に」
短くヨギが告げてさっさと歩き出して左手にあった階段へと向かう。
「…そうでした。失礼しました、まずはお部屋をご案内します」
「いえ、こちらこそ…」
「薬師も部屋で準備をしておりますので、ご挨拶は改めてそのときに」
にこり、と微笑んで遮った科白に再度、ラナイは目を瞬いた。
階段の方へ向かったので部屋は2階なのかと思ったが、横を通りぬけてその裏手に回る。
階段の影に廊下が続いていた。
個人の家の造りとしては違和感がある。やはり何かの施設のようだと改めて感じたラナイの前で、カーマが無言でドアを開けた。
階段から一番近い部屋だ。
中にはいると10畳ほどの広めの部屋で、向かって正面の壁には窓が2つ。そのうちの奥の窓際にはベットと、
「遠路お疲れ様。ヨギ、こっちへ」
可愛らしい少女が安堵したような笑みを浮かべて佇んでいた。
リルナと同じ年頃だろうか、ああして元気にしていたのに、と思い出して目頭が熱くなる。
ベットにリルナを横たわらせると、
「そのままで」
体を起こそうと身じろいだ姿に制止がかかる。
「そんなの気にする人はここにはいないから、大丈夫。疲れてるんだから、横になってて」
にっこりとリルナに告げると一歩さがり、
「改めて自己紹介をします。初めてまして、私が、薬師のヒイル・クロードです」
「「え?」」
リルナとラナイの声が重なった。
「……男性が、ヨギ。力仕事とか、配達とか色々してくれてます」
ぺこり、と軽くヨギが頭を垂れる。
「それと、入り口のそばにいる女性が、カーマ。家事全般まかせてます」
「宜しくお願いします」
優雅に流れる動作でカーマが頭を下げた。
半硬直している2人を微妙にスルーして紹介を続けたヒイルに、しっかりとついて行くカーマとヨギ。流石に慣れている。
「後2人、裏庭の隅にある別邸に住んでるけど、今日は遅いから明日、日が高いうちに紹介するね」
「あ、はい。……あなたが」
「そう、宜しくね。あー、うん、見た目が子供っぽいとかは言われ慣れてるから気にしないけど、正真正銘、私が薬師クロードだからね」
「随分とお若い内に… 「私、リルナさんより年上だからね」
感心したラナイの科白を遮ったヒイルに場が沈黙した。
「―――お世話になります。ラナイ・サッタと、娘のリルナです」
深々とラナイが頭を下げた。
「ラナイ様」
穏やかにカーマが声をかける。
「お荷物を下ろして楽になさりたいでしょうから、お部屋をご案内します」
「えっ…。あの、ここ、では…?」
「こちらはお嬢様のお部屋になります」
にこり、と微笑んでいるのに問いかけすら許さない妙な威圧感があった。
「そう、ですか…」
「お互いに気兼ねしなくていいようにわけたけど、ラナイさんがお見舞いに来るのは大丈夫だからね。……娘とはいえ、女性だからノックはお忘れなく」
へろりと告げたヒイルに場が沈黙した。
この破壊力は何なのだろう、伝え聞いていた薬師クロードのイメージと全く噛み合わないとラナイは内心で呟く。後にこれか普通で、噂は所詮噂でしかないもので大量の尾ひれが付いていく経過を体感する事になるのだが、それはもう少し後の話である。
「荷を」
ヨギが短い科白を口にしてラナイの肩にかかっていた鞄を受け取り、その背を促すように押す。ちらりとリルナへ視線を送ると、ベットの上から小さな頷きが返った。
「リルナ…。今日は久し振りに、ゆっくり休めるな」
「………はい」
「ラナイさんもね」
ニコニコと告げたヒイルの声を合図にして、カーマが扉を開いて退室する。ヨギに促されるようにしてラナイがその後に続き、静かに扉が閉じられた。
最後にヨギが一瞥してきたのでヒイルは肩を竦める。
「心配性だなぁ…。ね、リルナさん。長旅お疲れ様。ラナイさんも言ってたけど、ゆっくり休んでね」
「…あの、私は…」
「うん。最初に話を聞いた時に心配したのより症状がよかったから少しだけ安心した。ロヘイアさんに渡したのが上手く聞いたみたいだね」
「ええ。…話をするのも、キツかったので、感謝してます」
「お礼を、言えるから?」
声のトーンを下げて単調に発せられた台詞に、リルナが息をのんだ。
「可能性の一つとして考えなかったわけじゃないよ。…前にね、いたから。このまま死なせて欲しいって」
「…その、人は?」
「うん、そうだね。死なせてって言いながら、目は生を望んでいたし…、なんて言うか死ぬことを自身にも許してないというか」
「どういう…?」
「いやっ何て言うか、説明は難しいんだけど…。単純に言えば、生きたいってのが本音だった、みたいな…?」
「生きたい、ですか」
「そう」
にっこりと笑い、
「だからね、リルナさん。選んで、ゆっくりでいいから」
「…選ぶって、何を?」
「生と、死と。薬が上手く利いてくれたから、1週間くらいは余裕があるよ。ゆっくり考えて」
「何を…」
「未来を望なら、その後は症状を遅延させる薬を飲みながら体力作りをするよ。落ち着いて、治療に耐えうるだけの体力が戻ったら本格的に治療開始ね。終わりを望むなら、痛み止めの薬だけにする。最後まで辛くないようにね」
ビクリとリルナの体が硬直した。
オブラートに包んだつもりだったのだが、はっきり言い過ぎたかとヒイルは内心苦笑する。しかしこれは最初に告げてはっきりさせておかなければならない事で、それがわかっているからあの2人はラナイを連れて部屋を出たのだ。
治療を望むであろうと信じて疑わない父と、生きる事を諦めかけている娘と。
「私は…」
「ゆっくりでいいよ。言ったでしょ、1週間は余裕があるって」
くるりと反転してベットのそばにあったテーブルに置いてあった水挿しから、コップに水を注ぐ。
「喉渇いたよね?」
「えっ…。あ、はい。いただきます」
返事を聞くと腰を落としてリルナを抱き起こして、コップを渡す。
「ゆっくり飲んでね。―――でもね、リルナさん。症状が少し上向きになったの、お父さんに隠してるのはよくないと思う」
コホッと軽くむせこんだ。
「ご、ごめんっ! 驚かせるつもりはなかったんだけど…」
「っ! いえ、こちらこそ。……そんなことまで、わかっちゃうんですか」
「えっ、あー…いや、ごめん。カマかけただけなの。話し方が、ラナイさんがいるときとちょっと違ったから」
「は…?」
「ずっと弱々しい感じだったのに、饒舌になってるし。こっちについてから、やっぱり治らなかったって事にでもしたかったのかなって思って。ロヘイアさん、頑張ったのわかってるから断れなかったんでしょ?」
「そう、だと言ったら、どうしますか?」
「別にどうもしなけど」
あっさり返った科白にリルナが呆けた顔になる。
「私はリルナさんの意志を尊重するから。それにさっきも言ったじゃない、可能性の一つとして考えてなかったわけじゃないって」
「そうでした…」
「周囲にいるのが優しい人達ばかりだから、余計だよね」
ぐっと言葉を詰まらせるような顔をしたので、
「あ、ごめん。脈だけはからせてくれるかな? コップ、一度戻すね」
眼に溜まった涙がこぼれる前に話をそらすようにしてその手からコップを受け取るとテーブルに戻した。
「腕を」
「腕…で、はかれるんですか?」
「そう、手首でね。………違うの?」
「首元でした」
「あぁ、うん。そっちでもはかれるね。でもあんまり触られるのヤでしょ、そのヘンって。手首の方が気持ち悪さ少ないから」
両手で手首に触れて何かを探すようなしぐさをするヒイルを眺める。
「何だかお医者さんみたい」
「………薬師だよ? ただの薬師」
「えぇ、わかっています。でも、ただの薬師さんではないですよね。国一番ですし」
「……………育毛剤でね…」
ぽつり、と呟かれた科白にリルナが固まった。
「脈取ってるのに、そんなっ!? ってか、そこが有名になった原因なのに、あれ? 知らなかった?」
「初耳です…」
「………えぇ、どんな伝わり方してるんだろうー」
「国一番、が先行してて。そういえば…具体的に、どんなお薬を作ったのかは、一度も聞いたことありませんでした」
衝撃の事実にヒイルが頬を引き攣らせる。
「ロ、ロヘイアさん、そんなレベルの話だけで私のトコに来てたの…」
色々な意味でびっくりだ。
「あ、脈取れたからもう腕はしまって平気。…脈拍は通常の人の平均値に近いから、薬がいい感じに有効だったってのを実感」
「……体が以前よりも、軽く感じるのも?」
「そうだね。思いのほか適合したみたいだし」
「ヒイル様」
「様て…。様とか付けなくていいから、ホントに」
「……ヒイルさん。の、方が年上なので、これ以上は譲れません」
「えっ、はい、わかりました。何でしょう?」
「ヒイルさん、はっきりとした答えは無理なのはわかっていますが、聞いてもいいですか」
「…何を?」
真顔になったリルナに、ドキドキしつつ半身引いているヒイル。
「私が、もしも…生きたいと言ったら、治るんでしょうか?」
「うん」
「そうですよね、やっぱり…―――え?」
この上なく深刻な声で慎重に問いかけたのに、いやにあっさりとした短い返答があって、ぱちくりと眼を瞬きながらヒイルを眺める。
「治るよ。時間はかかるけど。多分半年くらい」
「えぇ?」
「まぁ、平均の話だからもっと早く治るかもしれないし、後になるかもしれないけど。リルナさんの体力しだいだからね、完治までの期間は。薬だけじゃなかなか難しいから」
「本当、ですか…? 嘘…?」
「いやここで嘘はつかないでしょ…って、あ、そっか。治療を受けさせるために付く可能性もあるかもしれないよね。うん。わかる。何せ初対面だしね、私達は」
うんうんと一人自己完結する姿に、リルナはそういう意味じゃないと内心突っ込むが言葉にならない。
「でもまぁ、嘘じゃないよ。治る。リルナさんに治す気があるならね」
「断言、しちゃっていいんですか」
「もっと重症だった状態から回復した人を何人か知ってるから」
知っていると言ったのであって、ヒイル自身が治療したと口にしたわけではないのに、何故かリルナはそうである気がした。
「質問してもいいですか?」
色素が抜けてきていて、ずいぶんと金色に近づきつつあるオレンジの髪に触れながら問いかける。
「うん。何?」
「シロイ病って、特徴が目立ちすぎるじゃないですか。症状が悪化すれば、するほど」
「そうだね。色が抜けて白くなるから、その名が付くくらいには」
「……それってつまり」
そこまで口にしてから言い難そうに顔を顰めてうつむく。
「つまり、何?」
「…つまり、その…。ヨギさんって」
ぐっと拳を握り締めてその名を口にした。
初対面でいきなり父の手から抱き上げられたのだが、それ以上に視界に入ったその姿に驚いたのだ。白い髪、その厳つい体つきからは想像も付かないほどに色白な肌。しかも無駄に美白。更に瞳も薄いブルーだった。
それらの行き着く先の答えは一つだ。
「そうだね。ヨギは、私が知る中で一番の重症患者だった。勿論あの見た目だから、言うまでもないだろうけど」
この病は真っ白になって死んでいくからシロイ病と名付けられたのだから。
「治療は…」
「3年近くかかった。今みたいに動けるようになるまで、だけどね」
「…やっぱりヒイルさんが治療されたんですね」
「うん。…って、あれ? 言った?」
「完治を断言していたから。治療してた本人じゃないとわからないでしょう?」
「あぁ、そか」
「完治したヨギさんが今もここにいるのは、命を救ってくれた恩があるからですか?」
「ううん、私、亡くなったヨギの妹さんにそっくりなんだって。真意は本人に聞かないとわからないけどね。でも私にとっては、血のつながりはないんだけど、カーマが姉で、ヨギが兄って感じ」
微笑んで告げるヒイルの言葉を、リルナはしっかりと受け止める。
「わかりました。1週間ですね?」
「…うん、そうだけど。えっと、今の会話で何が?」
きょとんとした顔のヒイルに自分より年上には絶対に見えないと思いつつ、
「ゆっくり考えて、きちんと答えを出します。自分だけでなく、父を納得させられるだけの答えを」
まっすぐに困惑した顔のままのヒイルを見つめて、宣言した。