1話 薬師クロード1
北にシリオン大陸、南にキリオン大陸、両大陸間の大海に横たわるようにある小さな諸島群、それがこの世界の地図。
人間、魔族、精霊、竜、言い出したら切りがないほど雑多な人種が住まう世界。
そんな世界は、500年近く前、真っ二つに別れて争っていた。
大陸間戦争と後々語られる事になるこの戦争は、元々、国を介して相容れる事のなかった、北と南の大陸、その間で起こった。
事の起こりは、キリオン大陸からの、シリオン大陸最南端の土地を持つマグリ国への侵攻だった。
北の大地には人間が、南の大地には魔族と、世界最大数を誇る2種族がそれぞれ住み別けていた当時、魔王を筆頭とした魔族が、人に対して、否、彼等の住む大陸から尤も近いマグリ国に対して起こした戦争が、全ての始まり。
何を思い、当時の魔王がそれを始めたのかはわからない。
始めは、海を越えてやってくる魔王を筆頭としたキリオン軍と、迎え撃つマグリ軍との争いだった。
別に当時の魔王は、世界征服なんぞ掲げてはいなかった。
けれども、侵攻の理由は謎のまま。
そうした状況において、1年を待たずに、マグリ国はキリオン軍の、魔王の傘下となる。
黙っていなかったのはその周辺諸国だった。
元より友好国として助力していた西のトレマー国を筆頭に 「魔王帰れ!」 コールが高らかに叫ばれるようになる。
幾人もの人々が、魔王、そしてキリオン軍討伐へと乗り出した。
馬鹿な話に聞こえるかもしれないが、魔王は賞金首にもなった。ぶっちぎりの文句ナシでシリオン大陸最高額の数字が踊り狂い、魔王の部下の幾人かにも賞金がかけられたりもした。
こうして魔王、もとい、キリオン軍のシリオン大陸侵攻は、世界を2分するまでに至った。
表と裏で。
それでも、誰も、魔王を討てず。
立ち向かって行った者達が帰る事はなく。
旧マグリ国は、キリオン領と呼ばれ植民地となり、誰も取り戻す事が出来ず。
人々が諦めかけたその頃、タイミングよく、むしろ作られたお伽噺のように、シリオン大陸の東方にある小国の王子が、部下―――10名に満たない少数部隊―――を率いて、魔王討伐に乗り出した。
王位継承権第一位にあったその王子がどういった経緯で、そんな事になったのか、詳細は伝わっていない。
当時国王だった父親も、国の重鎮達も、揃って口を閉ざした。
しかしてこの王子。
何をどうやったのか、国を出て半年も経たない内にキリオン領を解放、マグリ国へと返還してみせた。
その後、経路は不明のままだが、キリオン大陸へと乗り込み、魔王を倒してしまったのである。
彼の王子が国を出てから1年ほどで、大陸間戦争は終結し、王子は英雄と歌われた。
だが、凱旋帰国を待ち望んだ国民の声も空しく、王子は帰らぬ人だった。
国王も重鎮達も、落胆の色を隠さなかった。
結局、王位は弟が継いだのだが、たったの8名の部下とともに戦場を駆け抜け、魔王軍を悉く打ち破り、シリオン大陸に平和を齎した彼の王子は、今に至るまで、尤も有名な英雄として歴史に名を残している。
その名は、レグ・エンマイア。
シリオン大陸東の外れと言うには半端な位置にある、自然豊かで鉱山が有名な、クスメイア国の王子であった。
キリオン軍の侵攻によって一致団結した、シリオン大陸。
英雄レグの働きによって平和が齎された、シリオン大陸。
しかし、シリオン大陸のそんな平和は100年を待たずに、キリオン軍の侵攻以前の形―――シリオン大陸に点在する国々との争いへと戻っていた。
クスメイア国は、というよりも、シリオン大陸の東方がわりと暢気な土地柄なせいか、大きな争いはなかった。そもそも魔王を倒した人間を出した国がある、そうそう戦争をしかけようと思う者もいなかったのだろう。
けれども。
クスメイア国の西にある、センザリ国。
双方の国で、本当に些細な、本当に下らない理由から、争いが生じ―――それが戦火となった。
そもそもの発端は1年経たずに失われてしまったものの、互いに出してしまった矛は、既に引くに引けない状態になっていた。
血は血を呼び、争いは争いに塗れた。
戦争をすれば国が疲弊する、そうなれば自然と戦火は小さくなった。
しかし時を経て力を蓄えて来ると、また、些細なきっかけで戦火は大きくなった。
そんな事を繰り返して289年後。
まさに交戦中のさなかに横槍を入れた存在によって、無理矢理、戦争は終局を迎えさせられた。
それから更に、13年。
現在のクスメイア国は、小さな争いや、個人間での喧嘩などはあるものの、至って、平和である。
クスメイア国、王都メイア。
大きく東西に別れる特色を見せる街だが、王城から真っ直ぐ南に抜ける大通り―――メイア通りと、その両脇に並ぶ店舗はいつも賑やかだ。
その王都メイアの西側、大通りから外れて行けば閑静な住宅街―――と言えば聞こえはいいが、街中から外へとかけて、主に農業従事者が多く住んでいるため牧場や田畑が目立ち、東側に比べて大都市色はかなり薄い。というかぶっちゃけ、王都とは思えないくらい田舎である。
そもそも、街を囲む塀を西門から抜けた途端に、山道入り口というレベルだから仕方ないのかもしれないが。
メイア通りから2本、西に入った路地にある、カフェ“マギン”は、地元密着の知る人ぞ知る名店。飲食ともに文句ナシに美味しいのは勿論だが、店主の見た目と人柄も固定客を繋ぎ止めている理由の1つだ。
「いらっしゃいませ……と、ヒーちゃんか。こんにちは」
来客を告げるベルがドアから聞こえた店主がお決まりの科白を口にしてカウンター越しに振り返れば、立っていたのは大小見知った2人の姿。
小さい方は、黒髪黒眼の10代後半くらいに見える可愛らしい少女。大きい方は、銀髪灰眼の30代半ばで風貌にそぐわない色白美肌のいかつい男。
「こんにちは、ドルトルさん」
「こんにちは」
片や朗らかに、片やぶっきらぼうに、それぞれ挨拶を返して、カウンターへと歩み寄る。
「昨日、連絡貰った追加分、持ってきたよ」
「本当? 早いね、助かるよ」
「こちらこそだよ~。ヨギがミルク買いに行くついで荷物持ってくれるって言うから、いつもより大目だったりする」
「ますます嬉しいね、それ。ヨギさんも有り難う」
「別に大した事じゃない」
満面の笑みで会話する2人を余所に、いかつい男――ヨギが、やはりぶっきらぼうに答えて、手にしていた大きい籠をカウンターに置いた。
「ヨギは照れやさんだから~」
「まぁ、もう慣れたけどね」
無言で差し出された籠を受け取りながら、店主―――ドルトルは苦笑した。
「それじゃ、オレはこれで」
「うん。ヨギ、有り難うね~」
「ヨギさん、お疲れ様でした」
「別に大した事じゃない」
お決まりの科白を口にしてヨギは踵を返した。その背を見送っていた2人に、
「で、その到着を待っていた顧客がここにいるんだが」
ぽりぽりと、淋しい頭をかきながらカウンターに座っていた男が口を挟んだ。
「はい、すぐに用意しますね」
受け取った籠をカウンターの向こうに下ろして品物を確認するドルトル。
「毎度有り難う、リッシュさん」
「こっちこそだな、ヒイル。お前さんは本当に腕のいい薬師だ。身近で格安で手に入るオレは幸せもんだな」
にやりと笑う姿に、少女―――ヒイルは、軽く眉を上げ、
「リッシュさんなら直売もするのに」
顔は笑っているものの拗ねた口調で返した。
「月一なら行けるけどな、毎週通える距離じゃねぇよ。こうして、昼飯食うついでに買ってんだから」
「リッシュさんの造る魔具は優秀だから、忙しいのは仕方ないね。ん~………配達できたらいいけど、そうするとメイアを東西横断になっちゃうし。それって最初に決めた規定を曲げるから、贔屓になっちゃうもんねぇ」
「いつもの事だな。オレもこのためだけに工房引っ越す気はねーし。ま、しょーがねぇな、そこは。お互いの生業上」
肩を竦めるリッシュに、
「リッシュ・クルーヴの魔具師としての腕は、クスメイア随一」
にやりと笑ってヒイルはそんな事を口にした。
魔具―――魔法使いが使う装具が代表的だが、それ以外にも、魔力の伝導が必要な作業に使われる道具は全てこれに部類する。
ヒイルが言ったように、この、一見いかついだけの禿オヤジは、クスメイアで1、2位を争うと言われる腕前を持つ魔具師であった。
魔具や魔法、鍛冶関連の住いや工房は王都メイアの北東部――鉱山に程近い場所――に集中して点在している。
「そんな事を言う、ヒイル・クロードは、押しも押されぬクスメイア一の薬師」
ふふん、とリッシュは笑った。
薬師―――そのままなので説明は要らないだろうが、医者とは当然区別される。主に魔法使いが片手間に作業して、何らかの薬を作るのが一般的で、稀に、医者と共同作業をしている者もいる。
王宮仕えで日々薬の研究に勤しむ研究者としての薬師はいるが、ヒイルは薬を作る事を生業としている紛れもない個人経営の薬師だ。当然のように、数多くの薬草を育てる必要性が出てくるため、ヒイルの住いは、西側にある。
正確に言うと、ギリギリで街の“外”。西の門を抜けると山越えの道に突入するのだが、右手に小道の分岐路があり、ゆるやかなその坂を登っていった先に、ヒイルの家はあった。旅人が間違えないよう、分岐路に“これより先、私有地”とかかれた看板が置いてあったりもする。
「はいはい。お互いに褒めあうのもいいですけど、そのくらいで」
ひょっこりと顔を出したドルトルが話を止めた。
「ドルトルさん、今回は50ね。値段は同じで」
「わかりました。価格は1つ5000シル、数は50、確かに預かりました」
この世界の通貨単位は、シル。
普通の宿に一泊するのに平均4000~5000シルかかるので、割と高額に部類する薬である。
「宜しくお願いします」
笑顔のヒイルに、微笑みを返して、リッシュに向き直る。
「お待たせしました、リッシュさん。ご注文の品です」
ドルトルが肩を竦めて、緑色の10センチほどの小瓶を2つ差し出した。
「あんがとさん」
どしゃりと皮袋を置いて、お金を差し出し、瓶を受け取った。
「直売の方が、500シル安いんですけどね。うちとしては嬉しいですが、リッシュさん、ヒーちゃんとは顔見知りなんだから、わざわざウチの店を介さなくてもいいのに」
「マスターにも世話になってるから、いーんだよ。それくらい。それにさっきも言ったように、暇がねぇ」
「直売は、家まで来てくれた人のみって決めてるから、まぁ、しょうがないよね」
「まぁ、ウチとしても、この薬目当てのお客さん、クスメイアの有名人が訪れる店って事で、お陰で繁盛してますけどね」
「「またまたぁ」」
ヒイルとリッシュの声が重なった。
「謙遜しちゃって、マスター」
「間違いなく、ここはメイアで1番美味い店だよ。知らない人は損してるよね~」
「お茶の方の種類も味も、メイア一」
「ドルトルさんの人柄も、固定客をがっちり掴んで離さない。“マギン”のサービス、メイア一」
「何より、マスターいい男。銀髪青眼長身痩躯、優しい雰囲気で心を癒す39才。しかも美人の嫁さん付き」
「2人とも、そこまでおだてても何も出ませんから」
「「と、言いつつ、お茶が出てるよ」」
突っ込みはハモった。
「これはいらっしゃった皆様に出しています。それに、お茶の葉は半分以上、ヒーちゃんが育てたものでしょう。しかも趣味で」
にこやかに微笑む。
言葉を詰まらせたヒイルの背後で来訪を告げるベルが鳴り、ドルトルは仕事へと戻って行った。