4話 来訪者1
それはとても陽気のいい午後だった。
ここ数日は雨が続いていたので、雲ひとつない快晴は本当に久しぶりである。
こんなにいい天気だというのに―――――。
「なんて空気の読めない」
窓の外を眺めながら、不満げな呟きをヒイルは漏らした。
家の正門――名ばかりだと言われても仕方ないほど情けない棒が2本たっているだけだが――の向こうに、お天道様の下を歩くのをはばかるべき人種が2人、並んでこちらを睨んでいる。
入りたくても入れない、その理由すら知ることの出来ないある意味残念な輩だ。カーマからはそういった者達は相手にするなと言われているのだが、あそこを通らないと街へ行けない。
今日はドルトルのところに商品を届けなければならず、他に2件の配達がある。
「誰もいないし。困ったなぁ」
カーマもヨギも、今日の夕方に備えての準備で外出中である。ヒイル自身も配達を終えて日の入りまでには帰宅する予定だったのだが、このままでは間に合わない。
そもそも外出が無理そうなので帰宅の心配は必要ないが、配達にいかねば信用問題に関わる。ただし、ヒイルが賞金首になっているのを皆知っているから、困ったことに多少の遅れは哀れみの眼差しを向けられて終わるのだが。
「いやいや待って。あのままずっといられたらそれはそれで問題のような気が…」
夕方に予定している来客は間違いなくあの向こうから来るのだから。
さてどうしたものだろうと思案し、悩んだ末に、カーマの用意してくれた籠を放棄。リュックへと持ち替えて中身を固定して配達品をセットした。
裏口を使えば街へいけないこともない。
割と急斜面な上に街の商店街からは外れたところに連結しているため、普段めったに使われないから獣道のようになっているが。
「お願いします」
ぺこりと外出中の同居人に向かって一礼。
そそくさと裏口から脱出して行った。
* * * * * *
「6万401シルだった」
ドシャリ、と皮袋が音を立ててテーブルに置かれた。
「予想より高かったねぇ」
「2人でな」
「やすっ…」
微妙な空気が居間を支配した。
「想定の範囲内でしょう、ここへ入れない者など。むしろ賞金がかかっていたことに、驚きです」
「確かに」
ばっさりとカーマが切り捨てヨギが同意する。
たまに耳にする会話だが、締め出しをくらっていた2人の姿を思い出したヒイルはほんのちょっとだけ同情した。
「来客は出迎えた方がいいか?」
「そうですね…。外周に反応はありませんが、確認させましょうか」
「日暮れ頃ってカズちゃんが言ってたよ。2人連れでロヘイアさんいないって」
一瞬だけ場が静まり返り、
「わかった。それに合わせてオレが出迎えるから、ヒイルは家にいろ」
「え、…―――はい。家にいます」
ジト目で2人に睨まれては頷くしかなかった。
「もう少し時間がありますね。…3部屋は必要なかったようですが、どこに入ってもらいましょうか」
「親子だけならいっそ広いところに一緒のがいいのか?」
「んー。別々でいいんじゃないかな。リルナさんは予定通り階段横で」
「いいのか?」
「うん」
ロヘイアの話を思い出してヒイルは苦笑する。リルナの場合は、ここまでの経過を考えると心のケアも必要な気がしたからだ。ある意味では治療以前の問題として。
「わかった。…カーマ、裏の柵を修理してる」
「はい。タイミングを見計らって呼びに行きますわ」
「頼む」
淡々とやりとりを終えてヨギは居間を後にした。
「ヒイル」
ぼーっとしていたので名前を呼ばれてハタとする。
「…何?」
「明日の午後、キリウ様がいらっしゃいます」
「そうなの?」
「ええ。手間が省けますから、その時に今回の申請書類を持たせましょう。直接キリウ様にお渡しした方が処理速度も違いますからね」
「ぇ…。冗談、だよね?」
「薬の準備にかかったものの領収書は全てここに」
涼しい顔をして、A4サイズの“3”と書いてある緑の木箱を出してくる。ヒイルの薬草関係で出費した経費別にカーマが仕分けている専用の箱だ。
ヒイルの頬が完全に引き攣る。
「まだ、書類は全然…」
「先にまとめておける部分はありますよね」
「長旅で疲れているだろうから、本格的な診察は明日に…」
「キリウ様がいらっしゃるのはお茶の時間の予定ですから」
「症状にあわせて薬の調合しないと…」
「カズエイダルに確認させて準備できているはずですよね?」
「………まとまる、かな」
「今からやれば十分間に合うでしょう」
にっこりと微笑むカーマの笑みに、恐怖しか覚えないヒイルだった。圧力が半端ない。
「―――薬草と調剤の、詳細まとめてくる」
敗北宣言をするヒイルの声は、不満そうではないがつまらなさそうな響きを持っていた。
「そうしてください。領収書はすでにまとめてありますので、すり合わせて書類に添付しておいてくださいね」
「はい」
笑顔で木箱を押し出され、しぶしぶ受け取るヒイル。
肩で小さく息を付くと、木箱を手に立ち上がる。
「それじゃカーマ。到着したら、教えてね」
「ええ、呼びに行きますのでご安心ください。別宅の2人も顔合わせのために声をかけた方がよろしいですか? 明日でもいいかしら」
「………日の入りに間に合うようなら、呼んでもいいかもね。紹介だけならいいだろうけど、何かあってバレたらしゃれにならないし」
「私としては、どちらにしろ被害は出ないので関係ない気もいたしますが、リリーにはそう伝えておきましょう」
さらりと酷いカーマだった。
「うん、お願いね。……そだ、カーマ。今日、ムランさんのトコに行った時にメルグウィのクリームが欲しいって言われたんだけど。取り寄せていい? 今ちょっと時期はずれだから、国境越えるんだよね」
「経費に上乗せをするのなら構いません」
微笑みを浮かべたままカーマの顔が固定する。
「そこは、ほら。お得意様だし…」
「わかりました。ヒイルのお小遣いから引いておきます」
「…………やっぱりそうなるんだ」
全身で脱力して、頭を垂れる。
「んじゃそれでいいや。いってきます~」
へろへろと足取り重く居間を後にする。扉が完全に閉じられたのを確認してから、カーマはほっと息を吐き出した。
「これで、ヒイルが外へ出迎えに行く心配はなくなりましたね」
ぽろりともれる本音。
金額が大きくなるにつれてやってくる人間のレベルが上がりっぱなしなため――今日のような例外もたまにはあるが――出来ることなら、家でおとなしくしていて欲しいカーマであった。配達も自分かヨギが行えばいいと思っているし、どうしてもヒイルが行きたいのであればヨギを護衛にでもつけてくれたら安心できるというのに、どちらも断固として受け付けないため今後に不安が隠せない。
これまで大丈夫だったからといってこれからも、という保障はどこにもない。
ヒイルの悪運の強さもどこまで通じるかわからないし、本格的になんらかの対策を取る必要があると考えて、大きくて深い溜息をカーマは吐き出した。