3話 呪令の魔女9
場を支配していたのは沈黙だ。
誰一人として口を開こうとしない。それどころか、物音を立てるのすら躊躇わせる、静寂。
尤もこの状況で楽しい会話も有り得ないだろうが。
「―――リサエナですか。いいですね、私にも頂けますか」
沈黙を破る声に視線が集中する。
「お帰り~」
「どちらにします?」
前者がヒイルで後者がキリウだ。
「ただいま戻りました。……キリウ様が?」
「僕以外にできないでしょうに」
苦笑する手にはティーポット。
「申し訳ございません。温かいものをお願いします」
「構いませんよ。座ってて下さい。ここは自宅より落ち着けますしね」
勝手知ったる他人の家とはまさにこの事である。
キリウにとって一番気を抜けるのがここなのも自他共に認めるところだ。
「クラリアはどうしたの?」
暢気に聞いてきたヒイルに、隣に腰掛けながらカーマは視線だけで答える。己の足元をちら見しただけだが。
「誰の嫌がらせですか、それは?」
目の前に座るリリーとその眼前に置かれた冷め切ったティーカップに、カーマが息を吐き出す。
空気が変な風に固まった。
「ぇーと…。自分で治せるのかと思ってたから?」
へらりとヒイルが笑い、ヨギが無言で頷き、キリウは微笑のままカップを差し出し、グインは悔しそうに歯を食いしばり、リリーが無表情でカーマと対峙する。
「私は治療が出来ないの。適正が微塵もなかったから」
「………クラリア。あなたってどうしていつもそうなのですか? いつまでもそうしてないで、早く治してあげたらどうです」
自身で砕いておきながらずいぶんな言いようである。
「―――はい」
その返事にリリーとグインがほっとしたように肩を落とし、立ち上がったクラリアの姿にヒクリと頬を引き攣らせた。
「それで、リリー。大丈夫なの?」
「は、あ、いえ…。師匠の方こそ、その…」
どうみても瀕死にしか見えない姿のクラリアに、半ば青ざめた顔で返す。当人は平然と何でもないような口調と声音なのだが。
「ああ、うん。まぁ、ちょっと痛いけど、大丈夫」
ちょっとなんだ、とグインがあきれ返ったような視線を投げる。
「私はともかく、あんたよ~。一歩間違ったら大変な事になってたんだから。散々注意したじゃないの」
「師匠…。確かに、姉君とその主には手を出すなと教えられましたが、それだけで、外見的特徴どころか名前すら聞いておりませんでした」
微妙な沈黙が辺りを覆う。
「えーっと………ゴメンね?」
てへり、とクラリアが笑う。
紛うことなき絶世の美女なのに、何故にこうも口を開くと美女から遠ざかってしまうのだろう。不思議だ。
「それから、どうして師匠はここへ?」
「えーと、それは~このブローチ割れたらわかるようになってたから。もう命の危険かと心配しちゃったわよー」
微塵もそんな気配を感じないトーンである。リリーの傍らに腰を下ろすと、その両腕をしげしげと眺めた。
「流石、と言えばいいのかなぁ…。姉様、折り方が上手いわ」
そこは賞賛すべき所ではない気がするのだが、特に突っ込みは入らなかった。
「ってか、何でこんなとこにいるのかな~。打たれ弱いんだから、あそこから出ちゃ駄目って言っておいたわよねぇ?」
「呪い返しが」
「うん? でも、あなたなら大丈夫でしょ」
自分ごとのように得意げに口元に笑みを浮かべたクラリアとは対照的にリリーはそっと視線をそらす。
「それが…「クラリア。名前の呪いみたいだよ~」
「は? 名前って……まさか」
クラリアの表情が何とも言えない微妙なものへと切り替わった。
「それ、まだ有効だったのね…」
若干頬を引き攣らせつつ呟いたクラリアに、神妙な頷きを返し、
「それで、思ったんだけどさ~ 「駄目ですよ、ヒイル」
言いかけた言葉をカーマがにこやかに遮る。
「まだ何も言ってないんだけど…」
「以前ににも口にした事がありますでしょう?」
むぅ、とヒイルが押し黙る。沈黙は肯定だ。
「でもわかってた方が便利だよねー? 後々」
「そうですね」
「ならいいじゃん。前は断られちゃったけど、今回は大丈夫そうだし」
ちらりとリリーとクラリアを一瞥し、
「それ、解けた方がいいでしょ? 仕事に支障出るもんね、夜は引きこもりにならないといけなくなるから。解呪の協力してくれるよね」
「………具体的に、どういう」
「とりあえず、ここに住んで。部屋ならあるし。それで、どういった現象が起きるのかとか、色々とまぁ……ね?」
にっこりと笑うヒイル本人に他意はなかったのだが、それが黒かったとか何とか。
「具体的なやりとりはカーマとしてもらうようになるけど。もしこの建物に住むのが嫌だって言うなら、裏庭に小さいけど小屋が一つあるから、そっち使ってもらっても構わないよ。何の手入れもしてないから、住めるようにするのが大変だと思うけど」
にこにこと説明するヒイル。
つい先刻まで命を狙っていた相手にする話でなければ、顔でもないのだが。その盾と呼ばれているカーマとヨギは特に何かを言うまでもなく黙ったまま、紅茶を飲んでいる。
唯一、正解(?)の顔をしているのは、多分にグインだけだ。微妙に引き攣った顔で珍妙なモノを見るような眼差しをヒイルに送っていた。
「どうする? ってもすぐに決断は無理だろうから、まぁ、今日明日くらいに教えてね。今度お客さんが来るから、そうなってからだと対処できないしー」
へろりと告げて隣に座るカーマへを見つめると、
「それじゃカーマ。後宜しくね。私、乾燥中のアンドゥナ取り込んでくるから」
にこにこと、鼻歌交じりに部屋を出て行った。
パタンと閉じられたドアの音を聞いてから、
「相変わらずヒーちゃんはマイペースですねぇ」
沈黙した室内の空気をそのままにしみじみと呟いて、カップを片付けるキリウであった。