3話 呪令の魔女6
その時、誰が何を思ったのかはわからない。
ただ予測できたのは1人だけで、反応出来たのは別の1人だけだった。
ぎぃんっ、と、甲高い音が響き、
「どこから…っ!?」
怨念めいた悔しさいっぱいの叫びが続く。
ぎりりと睨みつける視線の先には、ほぼ無表情で己を見下ろす灰眼。
「………ヨギ」
目の前に突然現れた壁にぽつりとヒイルが呟く。
「対峙しているのが己でないからといって、油断し過ぎだ、ヒイルも、キリウ殿も」
ぇ、カーマは? とヒイルが視線を走らせると、にっこりと笑うカーマがこちらを眺めていた。
「ふふっ。“呪令の魔女”と名高いアナタがまさか直接刃物で攻撃をしてくるとは、本当に意外。けれど周りが見えていないのは問題ですわね」
「他に人の気配なんか、なかったのに…っ!」
ぎりっと唇をかみ締める悔しそうな顔が、素早く移動したためにフードを失って散る黒髪の狭間から青い眼とともに覗く。
「ヨギは人とは思えないくらい気配を絶つのが上手でしょう? 私も時々把握できないくらいですから、ほぼ初対面のアナタに判別するのは難しいでしょうね」
ころころと笑うカーマ。
「退け」
短い言葉と共にヨギが軽く剣を振ると、それに合わせてリリーの短剣が弾かれる。
柄の先に何やら大きな青い飾り石が付いていて、微力ながらも魔力を帯びている事に気付いたキリウが眉間に皺を寄せる。
「呪い、ね」
ぽつりとキリウが呟いたので、ヒイルがきょとんとした顔でそれを見上げると珍しく険しい顔をしていた。
「情報では、魔力耐性はほぼないと…っ!」
「そのための備えはばっちりだよー」
口惜しそうなリリーに暢気にヒイルが答え、
「前々から用意はしてあったんだけど、あなたが動くって聞いたからすぐに取りに行ったの。カーマは自分で振り払えるし、私はほぼ無効化するからね」
「…それならっ!」
羽織っていたマントを翻して懐から鞭を取り出したリリーに、この期に及んで、と何人かが思った。
ぴしんっ、と音を立てて繰り出されるそれに、ヨギの双眸が細められる。
基本的にこの家の住人達は平和主義だ。降りかかる火の粉は払うが己から攻撃に転じる事はなく、ほぼ応戦のみである。
ヨギにとっては、ただ唯一の例外を残して。
「あまい」
いつものように短い言葉で鞭を中ほどで切り捨て、踏み出し、リリーへと迫る。半歩後退しつつ左手に残してあった先ほどの短剣で受けるも、音と共に弾かれ、
「くぁっ…っ」
痛みが走り、鮮血が舞う。
更に後退しようとするリリーを追う形になったヨギは、2歩進めた所で眉間に皺を寄せてぴたりと静止する。剣を構え、視線はリリーに固定したまま、
「子供を切る趣味はない」
口をついたその言葉通り、リリーをその背に庇うようにして、ミルガナオの少年が立っていた。
ふーふーと荒い息を付き耳も尻尾も出して、両手を前に差し出すようにしているのはヨギの剣を受けようとしたからなのか、白羽取りするつもりだったのか。
「結界越えられたんだねぇ」
しみじみと口にしたヒイルに、
「そのためにわざとヒイルを狙ったんだね」
納得顔のキリウ。
「何が?」
「単純、素直な仔だから、余計な事を考えてて阻まれてた。でも、大切な人が危機的状況に陥ったらそれしか考えられなくなるでしょ?」
「確かに。そんな作戦立ててたんだ」
感心した様子のヒイルに肩を竦め返すと視線をカーマへと移す。
キリウの視界に入ったその姿には同様はみられない。つまり、この事態はある程度カーマにとっては予想していたという事だ。やはりあなどれない、とキリウはそっと息を吐き出した。
「それで、退く気はないのか?」
「ない。リリーには、これ以上、近づけさせない!」
「そうか」
短い言葉とともにカーマを一瞥すると剣をおさめる。
「馬鹿にするな! オレだって戦えっ!」
いきり立った台詞は、冷たいヨギの視線を受けて途絶える。
こくりと生唾を飲み込みながらも、少年は退こうとはしなかった。
「カーマ」
何故か溜息がちに呼びかけ、視線を送るヨギ。
「何でしょう?」
「満足したか?」
「………あら。ヨギ、その察しの良さは本当に人間離れしすぎですわ」
「顔に出ている」
「ふふ。それを言っているのですわ」
ころころと笑うカーマはとても満足げだ。
「本題に入りましょうか、リリー?」
「何を…っ!」
「この場であなた方を始末するのは簡単ですが、私達は平和主義なので穏便にすませたいのですよ」
笑顔で優しい口調なのに、何故だか空気だけは冷え冷えとしていた。
「彼が“呪い”と口にしていましたね。あなたがわざわざ足を運んだ理由もその辺りに関係しているのでしょうね。お2人のどちらかがかかったのかはわかりませんが、家主の希望で性質の悪いモノは置いておりませんし、“呪令の魔女”と名高いあなたに対処できないとは思えないのですが」
「あれのどこがっ!?」
何故か少年がドン引きして顔を引き攣らせ、リリーが思いっきり眉間に皺を寄せた。
「アナタの趣味なのかしら、あの呪い返し。悪趣味だわ」
心底そう思うのであろう声で呟かれた科白に、カーマが笑顔のまま固まる。
「身に覚えがないのですが。そのままお返しするだけですから」
へらりと答える。それもどうかと思うのだが。
「そもそも誰に呪いをかけ…―――あぁ、そういう事ですか。私とした事が失念していました」
独り自己完結し、何故だか本気で苦笑する。
「申し訳ありませんが、おそらく、私達ではどうする事もできないモノですわ」
突然謝罪して頭を下げるカーマに、きょとんっとした空気が流れる。
その行動に、あっ、とヒイルが声をあげ、
「私!? ってか、まだ有効だったんだ…」
軽く頬を引き攣らせ、カーマと同じように頭を下げる。
「ごめん。かけた本人と連絡とれないから、解呪できません。―――でも」
そこで言葉を区切って顔をあげると肩を竦め、
「私の名前を使って悪い事をしようとするとかかる呪いなんだから、自業自得だよね」
だよね、という声がどこからか聞こえてくるような気がした。