0話 魔女の契
場が、静まり返っていた。
何をどうしたらいいのか、いや、そもそも何故こんな事になっているのかと、そこにいるべき者達は揃って目を瞬き、擦った。
何度も、何度も。
けれど変わらない、何も変わらない。
クスメイア王国の王都メイア、その王城は国王謁見の間。
何の前触れもなく、本当に、忽然と、国王が鎮座する王座から続く6段の階段を降りてすぐの場所に、大小2つの人影が立っていた。
20才くらいの、腰まで届く黒髪黒眼、メイド姿の整いすぎた容貌を持つ絶世の美女。
身長から10才前後と思われる、古ぼけた黒いローブで全身をすっぽり覆い、フードを目深に被って口元しか見せない子供。
どこからやって来た、とか。
どうやってこの部屋に入って来た、とか。
色々突っ込み所は満載だったけれど、とりあえず、人々は驚きで沈黙していた。
即位して4年になるが未だ風格が足りないと、年長者を始め周囲の者達から叱咤激励されている33才独身クスメイア国王リカルドは、本能で、嫌な予感というよりは面倒事の臭いを嗅ぎ付けて、思わず頬を引き攣らせた。
「王様、お手紙です」
可愛い声が、沈黙を破ってフードの下から漏れた。顔は見えないが、恐らく声の感じから少女と思われる。
ローブをごそごそといじって、若干茶色に変色してる封筒を取り出す。
隣にいたメイド姿の女性が無言でそれを受け取ると、足音1つ立てず優雅に階段を上ってリカルドの眼前まで歩み寄り、丁寧に丁寧に、深く頭を垂れて、手紙を差し出した。
「…………クスメイア国王、リカルド=エンマイア陛下。この書状、アナタは読む義務があります。おわかりですよね?」
にっこりと、美しいその顔で微笑む。
茫然としていたリカルドは、差し出された手紙―――そこに記してあった紋様に、露骨に顔を強張らせた。
無言で手紙を受け取るようプレッシャーをかけてくる美女に負けまいと、リカルドは必至に全身を固まらせて、受け取りを拒否した。
全身全霊で。
「もう一度、言いましょうか?」
凛と美しいのに、やたら冷え冷えとした声が美女メイドから紡がれる。顔は微笑んでいるが、目は笑っていなかった。
「きょ、拒否す 「アナタに拒否権はありません」
ごくりと生唾を飲み込んでから出した声は、ずっぱりと切り捨てられる。
「それとも、現状を見て、更に敵を増やしますか? それは一国の主たる国王として正しい判断では 「脅しちゃダメだよ」
にこにこ告げる美女メイドの冷たい科白を、可愛い声が遮った。
「王様。ただのお手紙です。それを読んで、どう判断を下すかは、アナタの自由です。というか、読んでもらわないと、困ります」
少女は全く空気を呼んでいなかった。
そのあまりに暢気な声に、周囲の人の思考回路がやっと繋がった、というか正常に動いた。
「へ…陛下に対して無礼なっ!」
階段下、少女に1番近い所にいた近衛兵士が声を上げる。
「……………暴言と、判断します」
殺意の滲む言葉とともに、ゆらり、と美女が振り返った。
その視線に、ひっ、と声を上げて腰を抜かす近衛。
「……………仮にもクスメイアの国王間近に仕える者として、この程度でへたれるとは情けないですね」
「脅しちゃダメだってば。視線に殺気込めちゃダメ。喧嘩しに来たんじゃないんだよ?」
「申し訳ございません」
あっさりと纏う殺気を和らげて、リカルドを振り返る。
「受け取っていただけますね?」
あくまでにっこりと。
「……………今、我が国はそれどころではないのだが」
「受け取っていただけますね?」
笑顔で繰り返した姿に、リカルドは渋々と煮え切らない顔のまま、手紙を受け取った。
それに満足げに微笑むと、再び一礼し、階段を降りて行く。
受け取ったコレ、どうしよう。本気でリカルドはそんな顔をしていた。
「………陛下?」
すぐ傍に控えていた、老人が恐る恐るといった風に声を上げる。
「ああ、待て」
本気で疲れた声でリカルドが答え、意を決したように口を引き結ぶと、封を切った。
手紙を広げて、目を通す。
険しい顔のリカルドの目が、本当に、点になった。
何度も、何度も、それを読み返す。
「馬鹿な」
ぼんやりと、リカルドは呟いた。
「ダメですか?」
少女が不安げに問い掛ける。
「いや、ダメというか…―――――わかっているだろうが、今、戦争中なのだが?」
「はい、わかってますけど」
「それなのに、わざわざ危険を冒して?」
「危険ですか?」
きょとん、と返った声に、リカルドは言葉を失った。
何と説明したらいいんだろう、自然と目が宙を漂う。
手元の手紙には、本当に短い文面しか記されていなかった。
―――全部略。
何代目かは知らないが、クスメイア国王へ。
すまんが、居住まいを与えて、国民として扱ってやってくれ。
本人が面倒をかける事はないだろうが、軍部や宮仕えにはするな。
それと書くまでもないだろうが、出生はバラすな。伏せろ。
お前が後悔する事になるから。
じゃ、よろしく。
……………どうしろと!?
リカルドは必至で脳内反芻した。
何で自分が王の時に、と思った。
何でこのタイミングで、と思った。
面倒をかける事はないって、今この状態がすでに面倒事になってるよ!? と、本気で思った。
「………ねぇ、今、危険なの?」
ちらりと隣に佇む姿を仰ぎ見る。
「我々に及ぶ危険など、ある筈もありません」
揺ぎ無い自信に満ちた声が返った。
「でも、王様心配してくれてるみたいだよ?」
「いいえ、アレは違うでしょう。恐らく、戦争中のこの非常事態に、何を面倒事をと思っている筈です」
的確なその指摘にリカルドはギクリとするも、残された国王としてのプライドか顔には出なかった。
「そっか、戦争してるからか。………じゃあ、王様。戦争が終わったらいいですか?」
はい?
リカルドは思わずトボケタ顔で、小さなフード姿を眺めた。
「王様。戦争が終わったら、いいですよね?」
もう一度問い掛ける声を反芻し、重々しく頷く。
「ああ、そうだな。そっちが片付けば問題ない」
リカルドはその立場にあるまじき事を考えた。
戦争が終結したら、速攻で退位して、息子はいないから面倒は全部、弟に任せて―――
「ちょっと行って来ようか」
―――しまおう、という言葉は、少女の暢気な声に遮られた。
「どこへなりともご一緒致します」
穏やかに微笑んで頷き、
「ええと、場所はどこだったかな~」
呟きながら少女が右手を視線の高さまで持っていくと、人差し指をくるくる回す。
「国境のケイザ草原あたりが、現在、戦闘区域でしょう」
「ケイザねー」
声にあわせて、ぎゅるっと、少女の指から溢れるようにして、水が舞った。
突然の事に言葉を飲む周囲を余所に、水は少女の少し頭上で円形を取って留まり、そこに映像を映し出した。
「流石。ばっちりだね」
「恐れ入ります」
満足そうな声が示すように、水に映ったのは草原で、白に赤い紋章を掲げた軍と、蒼に黄色と緑で書かれた紋章を掲げた軍とが、まさに、戦争中だった。
「「「「み、水鏡っ!?」」」」
驚きの声が上がったが、それすらも放置して。
「それじゃ王様、これ、終わらせてきますね」
まるで買い物にでも出かけるように、近所に遊びに行くかのように告げられた声。
「え、ちょ、待っ…」
動揺しきったリカルドの声は、届けたい主には届かなかった。
“水鏡”と呼ばれたそれより視線を更に下げた時、そこに、既に2人の姿はなく。
「んな阿呆な…」
茫然とした国王の声を合図とするかのように、“水鏡”が消え失せた。
「陛下?」
「ああ、もうっ! どーすんだコレ!? だ、誰かっ、キリウを呼べ!! 大至急!」
「ここに。陛下」
すぐ傍でした若い男の声に、リカルドはびくうと王にあるまじき反応を示した。
「い、いつからいた!?」
「魔力の反応が陛下のすぐ傍でしたものですから。遅かったようですが、ご無事で何よりです。尤も、危険な反応ではなかったので、気にする必要もないかと思いましたが」
「………心臓に悪い登場の仕方するな! つーかさらりと酷っ!? 気付いてたなら来いよ、仕事サボんなー!!」
「今更?」
「今更ゆーな! っつーか、何に対してだ、それっ!?」
「陛下、混乱の余り言葉が乱れて地が出ております」
「わかってんなら説教してねーでやれよっ!」
誰も付いて行けない空気の中、33才とは思えないリカルドの叫び声が響き渡った。
「幾つになっても子供のままですね、アナタは」
肩であからさまな溜息を吐き出す姿に、
「お前のが8つも年下じゃねーか!!」
リカルドは品位のかけらもない突っ込みを返す。
「落ち着きが足りないかと存じます、陛下。ともかく、“水鏡”ですか。ケイザ草原の状況など、もう10日以上変わりないのですがね」
「動いて欲しくないが動くだろうよ」
あきれ返った声に肩を竦めて、キリウは左手を翳した。
“水鏡”で戦場を移し、視線をリカルドへと。
「して、何をご覧になりたいのですか。陛下」
「わかってて聞いてるだろ、お前?」
「ええ」
あっさりと頷き、軽く左手を振ると、移されている場面が切り替わり―――本当に、それは、異常としか思えない光景を移し出した。
戦場の、ど真ん中に、先ほど目の前にいた筈の2人が暢気に立っている。
メイド姿とローブ姿と。
ローブ姿はともかくとして――身長が戦に出るには足りないだろうが――メイド姿はない。ありえない。
「………終わった」
脱力して、リカルドは呟く。
「小さいなりに強力な結界が有りますね、中々有能な御仁のようです。まさにパーフェクトメイドですね」
キリウの感嘆した声に、リカルドは頭を掻き毟りたくなった。
「おや? 小さいコが動きますか」
その科白に、がばっとリカルドが顔を上げ“水鏡”を凝視するように見つめ―――“水鏡”が弾け飛んだ。
「ぶっ! 何だ、どーしたっ!!」
「覗き見を赦さないレベルで、魔法が展開されたみたいですねぇ」
暢気な声に、リカルドの顔が蒼白になって力なく落ちる。
その姿に、戦場にいた兵士達の死を察した他の者達も動揺に顔色を変えた。
しかし、その場を殲滅したところで、それはただの一時凌ぎに過ぎない、そうリカルドが苦々しくも冷静に判断した瞬間、
「これは面白い」
キリウの心底そう思うのであろう声が届いた。
訝しむように顔を上げたリカルドの目に映ったのは、再び構成された“水鏡”。
いや、それよりも問題なのは、まるで一場面を切り取ったかのように、動きを止めた両軍の兵だった。
「………止めてるのか?」
「いいえ、現実に、あちらではこのような状態になっているようですね」
ひらひらと左手をキリウが振ると、場面が変わる。
くるくると変わる場面は、いずれも同じだった。
動きが止まっている。
表情を見れば、困惑。
両軍とも。
「ケイザ草原で戦闘中の両軍の動きを丸々止めるとは、縛る魔法にしても規模も威力も尋常ではありませんねぇ」
1人暢気なキリウの双眸は、本当に愉しそうだった。
「音を届けられないのが残念ですが、まぁ、当事者が戻ってから聞けばよいでしょう」
「………戻るって?」
「素敵な殺し文句を口にされました」
「………何だって?」
問いに対して薄笑みを返す姿に、リカルドの背を冷たい物が走り抜ける。
「今、お聞きになりたいですか?」
意味ありげに笑うキリウに、聞かない方がいいのではと思う反面、心底愉しそうな笑みを浮かべる理由に興味を引かれない訳もなく。どの道、後で聞くなるなら、今この場で聞いても同じじゃないか、と悩んだ末に結論付けて、
「ああ」
と、掠れた声で頷く。
その答えに、にこやかに微笑むと、それでは、と前置きして、周囲に未だ茫然と佇む姿を一望し、
「クスメイア、ならびに、センザリ。双方に現在進行中のこの戦争は、ここで終結する事。大人しく両軍引きなさい」
淡々と告げるキリウに、場の空気の温度が下がった。
「アナタ方の命は現在、私が握っています。身にしみて理解している事と思います。ゆえに、大人しく引かないのであれば、この場で全員、死んでもらいます」
空気は、零下になった。
「更に、なおも戦争を続けるというのであれば、先に仕掛けた方々に、死んでもらいます。無論、国ごと。尤も、停戦に伴う和平交渉は、国家間で勝手にやって下さい。そちらには感知しません」
絶対零度に静まった、国王謁見の間。
翌日、双方の国から揃って終戦宣言が出される。
それから僅か5日という短い期間でもってクスメイア国とセンザリ国との間で、和平条約が結ばれた。
過去300年近くに渡り、数十年ごとに繰り返されてきた戦争。
現在、何度目になるかわからないそれは余りにも情けない、否、あっけない幕切れを迎える事となった。
そうして結ばれた二国間の和平条約は、通称“魔女の契”と呼ばれた。