かわいげはないですけど、あなたよりは100倍幸せです
「お前、酒臭いぞ!」
「バカ言うなよ。昨日は飲んでねえよ。お前こそ、タバコ臭いぞ!」
「おい! 教師のいるところでは吸うなよ!」
学園に隣接する公園がやけに騒がしかった。声は学園の敷地内にまで聞こえてくる。
あまり行儀がいいとは言えない学生たちが入り乱れて、ふざけ合っている。いわゆる不良学生だ。
どれだけ素行が悪くても、親が甘かったり、家や土地を継承できるのが確実な立場の学生は羽目をはずしがちだった。
そういう学生がいても、勝手にしていればいいと思っていた。
しかし、その中に婚約者のステファンがいたのは悲しかった。私より一学年上だから、今年で18歳なのに、まったくおとなしくならない。
この私、テレーズの子爵家とステファンの伯爵家が婚約を結んでから、ステファンと心が通い合ったと思える瞬間はまったくない。
ステファンは行動的で積極的、悪く言えば粗暴だ。私は趣味が読書で貴族ばかりの学園の中でも落ち着いた性格と見られていた。仲良くなれるわけがない。
ステファンは少しカールした派手な赤い髪の女子学生の肩を抱いて、顔まで近づけている。
「ちょっとやめてったら、ステファン! あなた、テレーズって婚約者がいるんじゃないの?」
「4年前に親が勝手に決めたことだから、どうでもいいさ。それにアレクサンドラ、お前のほうがかわいげがあるしな!」
「なによ、かわいげって。私は普通にやってるだけよ」
アレクサンドラという名前が聞こえてくる。
やっぱり、ステファンはあの子にハマってしまったか。
私が長い金色の髪という、学園の子女の中でもよくある見た目というのもあって、そこから雰囲気の違う人間に惹かれたのだろう。
アレクサンドラ男爵令嬢は、私と同学年。3年前、14歳の時に、商売で成功した庶民の家から養女として男爵家に入ってきた娘だという。
男爵家に入る前に遊び歩いていたせいか行動が派手で、学園で禁止されている飲酒や喫煙も隠れてやっているという噂だった。
そういう悪い女子学生はアクセサリーみたいに素行の悪い男子学生を集めるものだが、自分の婚約者がそこに入っているなんて。
今日はステファンの屋敷で彼の両親の伯爵夫妻とお茶会をする予定だったのに、参加する気持ちがあるのかも怪しい。でも、婚約者に声をかけずに向かうわけにもいかない。
私は柵の先の公園敷地のほうに向かって、声を出す。
声を張るのが恥ずかしいが、そうしないと聞こえないだろう。
「ステファン、今日はあなたのお屋敷でのお茶会の日でしょう? そろそろ馬車がやってきますよ」
彼らの声がやんだ。
ステファンがかったるそうに私のほうに顔を向ける。
「ああ、テレーズか。悪いな。俺はこいつらと遊ぶから行けない」
「欠席するとは事前にお伝えしていないのですよね? 親とはいえ、約束をたがえることは将来伯爵になる身としてあまりいいことではありません」
「ったく、かわいげのない女だな」
ステファンがつまらなそうに柵の奥から私を睨んだ。
ああ、その言葉か。
ステファンがイライラした時に使う言葉だ。
「テレーズ、青春ってのは一回きりだろ。お前みたいにお勉強と小言だけで生きてたら、大人になったあと、何も楽しいことがなかったって後悔することになるぞ。まあ、お前みたいなカタブツ女にはわからないかもしれないけどな」
「そうよ。今を楽しまずにいつ楽しむって言うのかしら」
アレクサンドラがステファンに顔を近づける。
貴族ばかりのこの学園でなくても、誰もがはしたないと言うだろう。
「テレーズ、お前が一人で俺の親の相手を務めな。外から来る客人はお前だけだ。お前一人でもなんとかなるさ」
タバコの煙が後ろから漂っている。悪い仲間の誰かが吸っているのだ。
「それに、お前にとったら俺と結婚するだけで子爵家の娘から伯爵家の妻の立場になれるんだもんな。メリットが大きいから、頑張れるだろ」
すぐに言い返さなかったのはあきれて言葉が出てこなかったせいだ。
4年前に成ったこの婚約も、子爵家の私の親が売り込んだものではなくて、ステファンの伯爵家のほうから持ち掛けられた話だ。
ステファンがあまりにもいいかげんなので、しっかりした人間をということで白羽の矢が立ったのだ。
でも、そんなことを言えば、私のほうまで無礼者になってしまう。
貴族は余計なことはしゃべらない。
私はゆっくりと背を向けた。
「ねえ、ステファン、もう私に乗り換えちゃいなさいよ」
「アレクサンドラ、俺は前からそのつもりだぜ」
そんなステファンとアレクサンドラの楽しげな声が私の耳に入ったが、何も言い返さなかった。
◇
迎えの馬車に乗って伯爵家の屋敷に到着した。
ステファンがいないことにすぐ気づいた伯爵夫妻に何度も謝られて、私のほうがあわててしまった。
「あいつは本当にどうしようもない奴だ、本当にテレーズさんには苦労をかけている」
「いえいえ! 伯爵家に嫁ぐ立場になる身ですから、これぐらいは……」
「用意はもうできているわ。さあ、どうぞ、こちらへ」
奥様が笑って、私たちを応接室へ案内してくれた。
伯爵家の応接室はちょっとした調度品のしつらえからして、私の屋敷とは格が違うと感じる。
どちらかというと、南方のものが多いが、かといってそれだけに偏らずに、全世界のものを違和感なく配置している。
そこで学園での話をいくつかされた。私が学生なのだから、当然の話題のチョイスだろう。
失礼がないように、私は丁重に返事をする。冗談を言えるような距離感でもないし。
「君は本当に振る舞いが完璧だね」
伯爵が感心した声で私を見た。
ありがたいけれど、すぐに喜んでいるような表情は見せない。それだと軽く見られてしまう。
「ありがとうございます。伯爵家に嫁ぐ身ですから、無作法なところは見せられませんから」
「そこまで気を遣っていただく必要はないわよ。私よりずっと詳しいんじゃないかしら」
奥様も微笑んでくれた。
「これもすべて急ごしらえで覚えたものですから。間違いがいくつもあるんじゃないかと不安になっています」
本当は不安などはない。これぐらいの作法は以前から身についている。
だけど、子爵家の人間が伯爵家の人間を行儀作法で圧倒して鼻を明かしても仕方がない。
それだとただの身分が低いくせにお高く留まったいけ好かない人間だ。
あくまでも、ひたむきな性格の若者として過ごす。面倒でもこれが最適解だ。
食事や儀礼での有職故実の数々は、どうすればその場を適切に乗り越えられるか、貴族が長年考え抜いてきたものの集積だ。相手に恥をかかせるためのものではない。
「いやはや。本当に見事だ。やはり私と妻の見る目に曇りはなかった」
伯爵夫妻がお互いに顔を見合わせて笑った。
「ところで、現在、隣国で紛争が起きているが、あれはなんで起きたとテレーズさんは思うかね?」
「あなた、学生さんをつかまえての政治談議は嫌われるわよ。しかも、女の子に対してなんて二重に変だわ」
奥様が伯爵をたしなめる。
「いえ。素人のつまらない意見でよろしければ、お答えさせてください」
今日のお茶会の本来の目的がはっきりした。
これはつまり、伯爵家に入れるかどうかの面接だ。
今までは一種の「一次」面接。まずは貴族としての作法をクリアしているか。
そして、ここからが「二次」面接。わざと世界情勢の話を振られたというわけだ。
伯爵家を継ぐ者が近辺の政治や経済を何も知らないようでは話にならない。
とくに妻が家政を取り仕切っている貴族の家も多いのだ。
ただ、かわいく座っているだけでは決して務まらない。
私は隣国の紛争の理由と、それがいつ解決しそうかという話を述べた。
「――ということだと思います。もちろん、すべてはこの国の一学生が話したことですから、はずれていることも多いでしょうけど。今、私たちのところにまで届いている情報自体が隣国から選択されたものかもしれませんし」
伯爵がわずかに目を見開いた。
「テレーズさん。君はそこまで考えてらっしゃるんだね」
「そこまでというと、どの部分でしょうか?」
「この国に届く情報がそもそも隣国で選択された後のものというところだ。そうなんだ。他国からの情報は戦略的な理由や体面から、常に操作される」
奥様もうなずいている。そういえば、奥様は隣国に近い土地の大貴族出身の方だったか。
「だが政治家の中にもそんなことがわかってない者がいる。どんなに妥当な判断をしても、その判断に至る情報が不十分なら無駄だろう? その注意ができている君は本当に素晴らしい」
「いえ、教師の方の受け売りですから」
伯爵夫妻がまた顔を見合わせて、うなずき合った。何かを決めたらしい。
「私たちは離席するが、せっかくなので、我が家の家族を紹介させていただけないかな。何かあればそこに執事もメイドも立っているからなんなりと声をかけてくれればいい」
夫妻が出ていくと代わりに入ってきたのは、ステファンの次弟のリュックだった。
もちろん、これまでも顔を合わせたことは何度もある。同じ学年なので、学園ですれ違うことも多い。だが、屋敷で制服を着ていないリュックを目にするのは久々だった。
ステファンのトゲトゲしたようなところがリュックにはまったくない。
かといって陰気でもなく、学園のダンスパーティーでも、婚約者が決まってないこともあって、ずいぶん女子から人気があった。
やけに髪が整っているけど、学園からの帰宅後、屋敷で再びセットしたんだろうか。
「テレーズさん、おおげさになってごめん。親があいさつに行けってうるさかったんですよ」
「いえ、リュックさん。かまいませんわ。こういうことはすごく大切ですから」
「そうですね。僕も『第二候補』として、こんなお茶会にも力を入れないとと思っています」
私たちは学園で会った時も敬称を付けて呼び合っている。義理の姉と弟になるかもしれない相手とはいえ、軽々しすぎる態度は非難の対象になるからだ。
そこで、リュックはふぅっと息を吐いた。
「ダメだ、ダメだ。どうも堅苦しいのは性に合わないようです、実は今日は堂々とあなたと政治学のお話ができると思って楽しみにしてたんです。テレーズさんがその方面の科目で成績優秀、小論文も学生のレベルではないと教師の方々が言っていたのを知っています」
私もそこで少し笑ってしまった。
「そんなことを心待ちにしている人なんて初めてですよ」
「まあ、そんなに笑わないでください。僕はこの国の南方問題は10年先には大幅な変更が行われていると思ってるんですが、男子同士でもそんな話をすれば朴念仁と言われてしまうんです」
たしかにいつもそんな話を持ち出されたら相手もへきえきするだろうけれど、リュックがそんな話をしたのは明確な理由があった。南方にいくつか伯爵家の所領があるのだ。
私はリュックからの質問にいくつか答えた。私の言葉をリュックは本当に興味深く、熱心に聞いていた。
私たちの様子を後ろで立って見ていたメイドさんまで、少し笑っていた。
きっと年頃の男女なのに少しも色恋の気配も見せずに勉強のことばかり話していておかしいと思ったんだろう。
でも、そんなことは私もリュックも承知している。
今の私たちが色恋の気配など見せては絶対にいけないのだ。婚約者でも何でもないのだから。
他人からもそんな雰囲気が一切感じられず、なのに熱心になれる話題をリュックは用意してくれていたわけだ。
「ありがとう、テレーズさんのおかげで本当に勉強になりました。せっかくだし、弟と妹もあいさつに呼んできていいでしょうか。こちらは本当にあいさつだけです。勉強のわからないところなど質問させませんのでご安心を」
「でも、私が義理の姉になるなら、勉強ぐらい教えてもおかしくありませんけれどね」
「ええ、そうかもしれませんね」
リュックは部屋を辞去する前に小さくこう言った。
「第二候補としての僕は合格ですか?」
「第二候補の意味はよくわかりませんが、リュックさんとのお話、ここ最近では一番楽しかったです」
「ああ、それから、テレーズさん、アレクサンドラ男爵令嬢と二人きりになるのはお気をつけください」
「胸に留めておきますね」
結局、不在のステファン以外の伯爵家の方全員とあいさつをした。
今やれるべきことを私はしっかりとこなせたと思う。
もう、ステファンからどんな仕打ちを受けても、何も怖くない。
◇
アレクサンドラと二人きりになるのは極力避けて行動していた。
彼女が私を憎んでいるのはよく知っていたからだ。何かあらぬ疑いでもかけられるのではないかと思っていた。
しかし、こちらはこそこそ隠れて学園で過ごすわけにもいかない。ちょっとした隙をつかれた。
放課後、地理の教師からわからないところをいくつか質問して、廊下を歩いていた時だった。
「お久しぶり、テレーズさん」
後ろから声をかけられた。
気づかないふりをするという手もあると思ったが、無視したと言いがかりをつけられるリスクのほうが大きい。
振り返ると、アレクサンドラが腕組みして立っていた。
「ごきげんよう、アレクサンドラさん。どうかなさいまして?」
「あなたが最近冷たいとステファンがよく言っているのよ。婚約者なのになんでステファンのことを構ってあげないの?」
こちらに一方的に非があるようにアレクサンドラは言ってきた。
それにしても、学園生活だから身分を気にしすぎる必要はないとはいえ、丁寧な物言いぐらいはできないものだろうか。
「そんな話は私はされておりませんが、今後は気をつけたいと思います。ご忠告ありがとうございます」
私は笑みを張りつけて対応する。決してケンカはしない。
「あなたって、本当につまんないわね。もっとステファンを取られたくないって躍起になってくれなきゃ面白くないわ」
本当に価値観が違うのだとあぜんとした。
そんなことを考えるぐらいまでなら百歩譲って大目に見よう。人の心は覗けないのだし。
でも、なんでわざわざ口に出すのだろう。
「意味がよくわかりませんね。私は彼の婚約者です。一人の殿方に複数の婚約者がいることはありませんから」
「やっぱり、面白くないわね。あなた、かわいげがなさすぎるってステファンがしょっちゅう言ってるわ」
あなたみたいに誰彼構わず媚びて生きているわけではないから――と言わなかった自分を褒めてほしい。
それにしても、アレクサンドラの前でも、かわいげがないと言っていたのか。
むしろ、かわいげがある態度って何なんだろう? ステファンにわからない問題があるからと聞きに行くとか? ステファンのひどい成績では当てつけかと逆上されるだけだろう。
「多くの方に愛される立場にはなれないかもしれませんが、少なくとも婚約者の方に恥をかかせないようには生きたいと思っています。それでは、また」
丁重に答える。アレクサンドラはひどい侮辱でも言われたように私を睨んでいた。
「やっぱり、あなたはかわいげがないわ! 感情を抜き取られたお人形みたいね!」
感情を出すべきでないところであなたたちが感情を出しすぎなだけだ。
敵の対応はとにかく過激だった。
翌日、学園に行くと、アレクサンドラは頬に包帯をつけていた。
私は遠目に見ただけだったが、とにかく異様だった。
それは昼の授業が始まる前のことだった。アレクサンドラとステファンが私の教室に入ってきたのだ。
「テレーズ、お前はとんでもないことをしてくれたな! 口論だけで収まらないからってペンを投げつけるなど、本当にはしたない女だ! アレクサンドラはしばらく顔に包帯をつけて過ごす羽目になった!」
こんなことをしてくるとは思っていたが、よりにもよって教室か。
ステファンだけでなく伯爵家にまで恥をかかせる態度だ。
アレクサンドラに至っては悲しそうな顔の演技をするべきところで、したり顔になっている。本当に中途半端だ。
「どういったお話をアレクサンドラ男爵令嬢からお聞きしたのかわかりませんが、私がものを投げつけたことなどありません。何かのお間違いでしょう」
「この期に及んでシラを切るつもりか! とんだウソつき女だな」
我慢だ。かわいげがないぐらいでちょうどいい。
ここで感情を出してしまえば、私も彼らと同じ扱いになってしまう。
「私は何もできない若輩者ですが、誠実には生きてきたつもりです。ちなみに、彼女にはどのような傷がおありなのでしょうか? それをお聞きすれば思い出せるかもしれません」
「ペンが刺さって、はっきりとかさぶたがついている。もし目にでも刺さっていたらと思うと、ぞっとするぞ」
「そうですか。失礼ではございますが、その包帯を取って、傷を見せていただけないでしょうか?」
その一言でステファンとアレクサンドラ二人の顔色が青くなった。
まさか、罪をなすりつけるためだけに顔に傷までつけたりはしないだろう。
なのに、ステファンはやりすぎた。具体的な傷の程度を話してしまった。
教室中の視線がその包帯に向いた気がした。
話を聞いていた学生たちも、その疑惑の傷が気になったのだ。
この場にはステファンやアレクサンドラの悪友もいない。
二人にイニシアティブがとれる場ではないのだ。
「や、やはりお前はねちねちとかわいげがない女だな! もう、いい! お前のような女との婚約は破棄する!」
ステファンは自暴自棄な調子でそう叫んだ。
やはり、それが目的だな。性格の合わない私と別れて、アレクサンドラをとるためにつまらない小芝居までしたということだ。
「そこまで思ってらっしゃるのであれば、仕方ありませんね。ただ、婚約は両家が決めたものです。私たちの一存だけでは覆せません。伯爵家のご両親に婚約破棄の説明をなさっていただけますか?」
あっさりと私が受け入れたのか、ステファンとアレクサンドラの顔に笑みが浮かんだ。
「ああ、帰ってから確認する。まずはお前が婚約破棄で構わないとここで宣言しろ」
「ええ。私とステファンの婚約は難しいですね。破棄ということで」
その言葉にアレクサンドラ男爵令嬢とステファンが顔を見合わせて喜んだ。
ああ、なんと仲睦まじいお二人だこと。
「これで私たちは結ばれるのね!」
「ああ、そうだな! アレクサンドラ、お前を必ず伯爵家に迎える!」
私は冷めた顔でその様子を見つめていた。
どうかお幸せに。
◇
二日後、休日だったので、私は家でじっとしていた。
婚約破棄の件があるので、はっきりと結果が出るまであまり外をうろちょろしたくない。
と、親から客人が来ているのでお会いするようにと言われた。人に会える程度の身だしなみは整えていてよかった。
客間で立って待っていたのは見知らぬ四十過ぎぐらいの男性だった。
本当に誰だろう?
すぐに男性は頭を下げた。
「私の愚かな娘があなたにご迷惑をおかけして本当に申し訳ない! どうか、ご容赦願いたい!」
「え、ええと、どちら様でしょうか?」
「アレクサンドラの養父のジェラルドです」
「あっ!」
ジェラルド男爵は貴族というよりやり手の実業家といった風貌だった。
「詳しいことは伯爵家からお聞きしました。昔からすぐに増長したり調子に乗るところがある娘でしたが、今回の件はほかの方まで巻き込んでしまって看過できません。あの娘は勘当いたしました」
勘当という強い言葉が耳に入った。
「あの、何もそこまでなさらなくても……」
「いえ、伯爵家にもあなたにもあなたのご実家にもご迷惑をおかけして、もうダメです。あれは養女の形で親類の商家から引き取ったのですが話になりません。家に帰します」
となると、婚約破棄の件はどうなるのだろう……。
「これから馬車で伯爵家に謝罪に赴くのですが、あなたもよかったらいかがです?」
私は被害者側のはずだから待っていてもいいのだろうけど、状況が動きすぎたので、じっとしていられなかった。
「行きます。私も乗せてくださいませんか?」
◇
馬車の車中、私は気が気でなかった。
最悪の結果になってしまったらどうしよう……。
だが、私のほうで決められることではない。あくまでも伯爵家の考えにゆだねざるをえない。
「まず、私が謝罪に出ます。テレーズさんはこの馬車でお待ちください。もし、とうていあなたがいらっしゃってることを切り出せないようならご容赦を」
緊張した汗をハンカチで拭きながらジェラルド男爵は馬車から出ていった。
居心地が悪いが、謝罪のジェラルド男爵と一緒に出ていくのは作法として変だろう。
5分ほど待っただろうか。
「テレーズさんっ!」
少しはずんだような声がした。馬車の外にリュックが立っていた。
「リュックさん」
私も彼の名前を呼んで馬車から降りた。
その私の手をリュックはすぐに両手で包んだ。
「僕は第一候補になりました」
その言葉で伯爵家で何が決められたのかすべて理解した。
「『第一候補』の僕と婚約してくださいますか、テレーズさん?」
「それは家同士が決めることではありますけれど、私の実家では婚約者が代わるかもしれないという話は事前に受けて了承していましたから」
「よかった。本当によかったです……。これであなたと堂々と親しげに話すこともできますね。この数年間、本当につらかったんです」
リュックからの好意はなんとなく気づいてはいた。
だが、気づいたからといって、その時の私には何もできなかった。婚約者の弟に乗り換えたいだなんて言い出せばあまりに非常識な人間だと思われる。
だが、婚約者のステファンの素行は悪くなる一方だった。しかも、この一年と少しでステファンはアレクサンドラという女性とあまりにも仲良くなりすぎた。
おそらく、そのあたりで潮目が変わった。
「以前のお茶会、あれを両親に提案したの、実は僕なんです。兄がテレーズさんの夫としてふさわしくない、あまりにもひどいと思った場合は伯爵家を継承する『第二候補』の僕を真剣に検討してほしいと」
「そうだったんですね。やけに面接の雰囲気があるお茶会だとは途中で感じたので、伯爵家の中で動きがあるとは思っていました」
「もっとも、兄がサボって来ないとまでは思ってませんでした。あの日、兄は試合放棄で負けたようなものだったんです」
たしかに自分の子供の行状を見極めようと伯爵夫妻が考えていたのに、当人がサボったのでは印象はこれ以上ないほど悪くなるだろう。
「おそらくこれだけでも近いうちに婚約者の立場から外されたでしょう。ですが、そこで伯爵家の品位を下げるような行いをアレクサンドラさんとしてしまった。なので、家からの追放ということが正式に決まりました。今から報告に行こうとしていたら――」
「まさか、私のほうから来るから驚かせてしまいましたね」
私はこれ以上ないほどの笑顔で、リュックに微笑みかけた。
これまではできるだけ感情を押し殺して生きてきたし、それでかわいげがない理由の一つでもあっただろう。
でも、これからは少なくともリュックと一緒にいる時は、もっと笑顔でいられそうだ。
「私、気が気でなかったんです。アレクサンドラさんの勘当を聞いたステファンが彼女を切り捨てて、婚約破棄を無効だと言い張るんじゃないかって……」
もし伯爵家が従来の婚約を継続する可能性はいくらでもあった。とくにアレクサンドラがステファンより先に罰せられてしまった場合はどうなるかわからない。
でも、結果として伯爵夫妻は愚かなステファンを切り捨てる判断をしてくれた。
おかげで私が愛のない結婚をする危険は回避できた。
その時、あわただしい足音が聞こえてきた。
「お前ら、謀ったな! なんで、俺が伯爵家から勘当処分になるんだ!」
ステファンだった。彼の目は血走っていた。
「謀ったのは兄さんだよ。顔に傷もついてないのに包帯だけで婚約者を陥れようとしたと、もう学園では噂になっているよ」
「なんでだ? 誰が証拠を見たって言うんだ!」
「傷を見せろと言われたのに見せられなかったという事実は多数の学生が見ているよ。それがすべてだ」
さっと、リュックが私の前に立つ。ステファンが殴りかかろうとしてきた時に、私を守ろうとしてくれているのだ。
だが、その前にステファンの前に別の「敵」が顔を見せた。
「ふざけないでよ! 伯爵家を勘当されて何も相続できないってどういうことよ!」
乱れた髪のアレクサンドラがステファンにつかみかかった。
「私も男爵家を勘当されちゃうし! すべてあなたの計画のせいよ! 何もかも失っちゃったじゃない!」
「お前だって成功間違いなしだ、未来の伯爵家の妻だと笑ってただろう! 俺のせいにだけするな!」
二人がつかみあいのケンカをしだしたのを、伯爵家の執事や下男が止めに入りだす。
リュックが私の手を引いた。
「あなたが見る必要はない。屋敷に入りましょう。せっかくですし、両親からの謝罪を聞いてください」
「謝罪だなんて。私はお礼を言いたいぐらいです」
「だとしても、両親の謝罪は聞いてください。貴族は形式を守るのも仕事ですから」
「本当にそうですね」
私たちは微笑みながら、屋敷へと入っていった。




