第五章 果ての星の蜃気楼(3)
船で宿泊し、翌朝、六人は、三つの班に分かれて行動を開始した。
初日は、まずは場所探しが必要だろうから、少し早目の行動だ。
朝の八時にもならぬくらいの時間から出発し、船から歩いて十五分ほどのところのエミリア大使館の前に、僕と浦野はいた。
エミリア大使館は、小さなオフィスビルかホテルのような風体だった。
莫大な投資をして影響力を行使する、と言うから、どれだけ広い敷地と立派な建物だろうと期待していただけに拍子抜けだった。
「さて、それで、僕らが潜入する場所を探すわけだけど」
「寒かったらどうしようかと思ってたけど、なんだかあったかいよねえ。これなら屋外でもいいねえ」
浦野は、どうやら地球にいたころの季節をまだ引きずっているみたいだ。なんだかそんな間の抜けた浦野の態度が、僕の悩みが実につまらないもののように感じさせてくれて、自分でもわかるくらいに口元が緩んでいた。
「なによう、大崎君、なんだか楽しそう」
「いや、そうじゃないさ、ほかの惑星にまで来て、地球の北半球の季節を引きずってるんだなあなんて思ってね」
「あー、馬鹿にしてるう。あたしは宇宙旅行なんて初めてなのにい」
「ごめんごめん。それにしても、ここは本当に普通の通りだなあ。公園でもあればと思ったんだけど」
僕は浦野のふくれっ面を横目に、通りのあちらからこちらまでを見渡した。
「あたしはプリンが近くにあればいいわよう? ほら、あそこの四階に喫茶店があるじゃないのう。プリンくらい出すんじゃない?」
浦野が指差した先は、通りの真向かいの四階に出ている喫茶店の看板。
こんな時にまでプリンのことばかり……、喫茶店?
なんだ、それで良いじゃないか。
「ふふっ、浦野、それでいいよ、あの喫茶店からならこの出入り口も見えそうだ。早めに行って、窓際の席をとっちゃおう」
僕が言うと、
「……あっ。あ、そうよう? 最初からそのつもりで言ったんだから」
明らかに動揺しながらも、したり顔で言い返す浦野だった。
通りを渡ってそのいくつかの飲食店の入ったビルのエレベータに乗り、喫茶店のあるフロアへ歩を進める。
早朝から営業の喫茶店は通り側の一角を占めていて、浦野と二人ですぐに窓際の席に着くことができた。
そこから見下ろすと、確かに、エミリア大使館のちょっと豪華な玄関からの出入りが一望できた。
まだ出勤時間のようで、事務員のような人たちが次々にその玄関に吸い込まれていく。
「浦野、ちょっと相談」
「なあに?」
「君は人の顔を覚えるのって得意だったかな」
「あんまり得意じゃないけど……どうして?」
「いや……あそこは大使館だからさ、本当の大使とか重要事に関わる事務員は中に住んでいるんじゃないかと思って。だから、今入っていく人たち――たぶんこの国で雇われてる一般スタッフ、彼らが出かける分には無視してもいいかと思ったんだ」
僕は注文したカフェオレが届いたのでそれに手を伸ばしながら言った。
「相変わらず頭が良いねえ、大崎君は。出来るだけ覚えておくように頑張る」
間もなく浦野にもホットティーが届く。
浦野は一度手に取ってすすり、それから渋い顔をして、砂糖とミルクを放り込んでかき混ぜる。
「でも悪かったね、あの時以来、君をこんなことに巻き込んで」
「違うわよう、今回は、あたしが連れてかないとばらすぞって脅して連れてきてもらったんだよう。巻き込まれたんじゃないから……」
「うん、だけど……」
「言いっこなし! あたしはさ、セレーナさんと……大崎君の、役に立ちたいと思ったの。だって……もしかすると何かあって、もう帰ってこないんじゃないかって思って……」
「確かに……今回のことでもし……そうだな、ラウリの言うような陰謀があったとしたら、セレーナは、自分で地球に帰らないことを選んでしまうかもしれない」
「そうじゃないよう……あたしの心配は、大崎君なの……よう」
この僕のこと?
いくらなんでもそれは明後日方向の心配と言うものだ。
「この前の誘拐の時に分かった。大崎君はとても、とても強くて。あまりに強すぎて、どんどん遠くに飛んでっちゃいそうで。そんな形で……その……大切な友達を失くしたくないのよう。もちろんセレーナさんもそうだけれど……」
「……そうか、浦野にそんな風に見えていたなんて、思ってもいなかった。大丈夫、僕はちゃんと帰る」
僕が帰ってこられない場所に飛んでいくなんて。浦野も随分とぶっ飛んだ妄想をするもんだな。
「うん。何かあったら、首に縄かけてでも連れて帰るつもりで、だから、脅してでもついて来ようと思ったのよう?」
「それを言ったら、セレーナは僕の何千倍も強い。その上、僕の何百万倍も一人で背負いこもうとする。だから、浦野、セレーナのことを……僕なんかのことよりも、セレーナのことを、お願いしたい。男の僕よりも女の君の方が分かり合える部分もあるんじゃないかと思う」
「大崎君がそう言うなら……分かった。でも、セレーナさんと本当に分かり合えてるのは大崎君だと思うよう?」
そんなことはない。
セレーナは、いつも、僕をかばおうとして一人ですべてを背負いこもうとしてきた。
僕は最後の最後までいつもそれに気づいてあげられず、セレーナだけにつらい思いをさせてきた。
きっと、根本的に男と女だから分かり合えない、そんなこともあるのかもしれない。
もちろん、王女と高校生っていう身分の違いは大きいんだけど。せめて性別が一緒なら。
そんなことを思いながら、カフェオレをすする。そう言えば、エミリアのエスプレッソはひどい苦さだった。だけど、もう一度味わってみたいな、なんてことを思う。そんな日が来るだろうか。
カランカラン、と入り口のベルが鳴り、来客を告げるのが聞こえる。静かな音楽が時間の流れをゆっくりにしているようだ。
「あー、でも、プリンがあってよかった」
浦野が再びにこにこ顔で言った。
え、まさか。
ここにプリンがあったら無限プリン地獄だぞ。
そう思ってメニューを見る。
「……浦野、勘違いしているところ悪いけど、この喫茶店、プリンは出さないみたいだよ」
僕が指摘すると、浦野はぶんぶんと首を横に振った。
「この世にプリンがあってよかった、ってことよう。大崎君とあたしはプリンだけのつながりだけど、プリンがこの世に無かったら、大崎君と友達になることもなかったんだなあ、なんて思って」
思えば、学校の購買で最後に残った一個のプリンを購買のおばさんに押し売りされたことが発端だった。押しに弱い僕がそれをつい買ってしまい、たまには甘いものでも食べようか、と観念しながら振り向いたとき、泣きそうな顔の浦野と目が合ったのが最初だった。
……あんなつまらないことを覚えているなんて。もちろん、僕も、あの時の泣きそうな浦野の顔を覚えているから、今でもことあるごとにプリンをご馳走する羽目になっているわけだけれど。
「相変わらず、大げさだな。同じクラスなんだから」
「それでも、よう。そのおかげで、セレーナさんみたいな素敵な人とも巡り合えて……だから、あたしは誰一人いなくならないでほしい」
「……ラウリも?」
僕はあえて聞いてみた。
「うん、そうねえ。でも、ちょっとラウリさんは、違うかも。他所の国のスパイだって分かっちゃったからってのもあるけど。あたしは、ラウリさんといてもあまり楽しくないなあ」
浦野がこんな風に人を選り好みするなんて珍しいことだと思う。
僕がいろいろな意味で彼を不快に思っていることと、浦野が単純に彼を感情的に好きになれないと言うこととが重なっていること、なぜか僕はちょっとうれしく感じてしまった。
「念のため、だけど、もし彼が変なことをしてたら教えて。僕は、彼は味方じゃないと思ってるから」
「分かってるわよーう。大崎君たら、ライバル心むき出しなんだもん」
「そ、そんなだったかな」
そんなに僕の態度に出ていたなんて、とさすがにばつが悪いが、浦野は、いつものように間延びした笑い声で、あたしもラウリさんきらーい、なんてことを言って僕の気負いを吹き飛ばしてくれるのだった。
***
初日は何も起こらなかった。
大使館から出てくる人は、たいていがその前に入って行った訪問者で、一度、それらしい人が出て行くのを尾行したが、近所のレストランでランチを取っているだけだった。このことがあって、ランチのお出かけにも振り回されないように工夫が必要だな、と学習することになった。
特にほかの班からも連絡は無く、ドルフィン号に戻って確認しても、それぞれ何も起こらなかった、という報告だけだった。
二日目には、ビルの駐車場から黒塗りの車が出て行って、これは大物かも知れないと息を切らせながら走って追っていったが、途中で見失った。けれど、ジーニー・ルカに検索してもらった結果、車の向かった先は郊外の宇宙港で、エミリア本国からの事務員の補充か何かを連れて帰っただけのようだった。
この日は、新連合でもロックウェルでも動きがあってちょっとした尾行劇が行われたようだったが、最終的に関係のありそうな訪問先ではなかった。
ようやくと言うか、早くもというべきか、事件が起こったのは三日目。
もはや喫茶店の常連となった僕と浦野が窓際の席に陣取って、約一時間という頃だった。
浦野が、ふと気が付く。
「あの二人、いつもお昼頃出てるのに、今日は早いなあ」
そんなことをいう。
濃いめのスーツ姿の二人組。
僕は顔を覚えてなかったけど、浦野が言うのならたぶんそう。
「つけよう」
僕はそう言い残し、二人の後をつけた。
二人組はずっと歩いている。
IDスキャンを警戒して乗り物を使わないのかもしれない、なんていうサスペンスじみた考えも出てくる。
やがて二人が近づいてきたのは、ファレン産業庁の大きな建物。
……と、向こうから見知った顔も。
それは、ラウリだった。
目くばせで、彼がつけていた相手が示される。
彼がつけているということは――新連合からの客。
まさか、という思いがある。
やはり、エミリアと新連合は何か密約が?
その密約の場がファレン産業庁――資源開発をつかさどる政庁?
きな臭さがぐっと濃くなる。
と思ったとたんだ。
僕がつけていた二人組が立ち止まり、ラウリがつけていた二人を見て何かをささやき合って、慌てたように後ろを向いて早足で戻り始めた。僕は慌てて顔をうつむけて隠す。二人が横を通り過ぎる。
「マジかよ、なんでいるんだ――」
二人のうちの一人がそんなことをつぶやいているのが聞こえた。
「……ジュンイチ君」
気が付くとラウリが目の前にいた。
「あの二人はプリンからの客かい?」
「ああ。クレープからの客は?」
「そこに入った」
……僕は感じた違和感を口にする。
「クレープからの客の顔を見た途端、プリンが逃げるように去った」
「追おう」
ラウリはいろいろな推測を述べるまでもなく、短くそう言って早足で追いはじめる。
やがて、二人組は、入口に立つ警備員に一言二言かけて、エミリア大使館に入っていった。
僕らは急いで浦野のいる喫茶店に戻る。
二人で戻ったことに、浦野は少し驚いているが、そんな時間はない。
「盗聴を仕掛けよう。ジーニー・ヴェロニカ」
最初の呼びかけの後、彼は思考だけのオーダーを彼のジーニーに送っているようだった。
僕とラウリは、何を相談すべきでもなく、二人の会話を聞くべきだと判断した。
エミリアから出た二人。
新連合からの客に顔を見られないように回れ右して逃げた行動。
彼らがファレン産業庁で果たすべき役割を果たせなかったこと。
きっと、これからの行動について、二人で打ち合わせが行われる。
そこには、言ってはいけないことも含まれる。なにせあの焦り様だ。
まさに、千載一遇のチャンスとしか言えない。
「……三分後に侵入完了する。君も聴くかい?」
「もちろんだ。僕の端末を経由して音声をつないでほしい」
僕は言いながら、小さなイヤホンをジーニーインターフェースにペアリングして、耳に押し込む。
「いいだろう。……王女にもつなごうか?」
ここでの密談をセレーナに聞かせるべきか?
……聞かせるべきだろう。
セレーナは、すべてを正しく知っていなければならない。
僕らにできるのは、知ることと、考えること。
一人も欠けてはいけない。
僕はうなずきだけでそれを伝える。
ラウリは、セレーナに回線をつないで二言三言状況を伝え、
「……彼女も聞くそうだ」
と、セレーナの回答を僕に伝えた。
「大崎君、あたしは?」
浦野が横から。
「話を聞いてから考えさせてほしい。君たちをこれ以上深入りさせるべきかどうか、僕には自信が無い」
僕が言うと、
「君たちは聞くべきではない」
ラウリは冷酷に言葉をかぶせた。
僕の拒否だけだったら浦野はわがままを通すつもりだっただろうが、ラウリの真剣で冷酷な瞳に、彼女は体を小さくしてうつむいてしまった。
「応接室が四つ、一つが今使用中になった、そこでいいね」
確認というよりは宣言のようにラウリが言う。
「……つながった」
黙って、というように、人差し指を立てる。
「……応接室に二人。何か紙をめくる音……イヤホンに集中して」
ラウリは盗聴を続けた。




