第二章 エミリア(2)
僕を監獄から連れ出したセレーナは、いきなり看守に銃を突きつけていた。
撃たれれば一瞬で昏倒するという『神経銃』だ。
看守はあわわわ、なんていう情けない声を出している。
「で、殿下、その、囚人を、お連れになってはいけません……」
それでも看守は声を震わせながらセレーナを制止しようとする。
「だったら私はあなたを撃ち倒して堂々と出て行くだけですけれど?」
セレーナの脅しに対して彼は首を横にぶんぶんと振る。
「どうぞお気を確かに……殿下はなさってはならないことをなさろうとしていらっしゃいます」
「いいえ。この私は最高位の貴族としてあなたのような平民の人権を蹂躙する権利を持っております」
その高圧的な宣言に、看守は顔を真っ青にした。
「さあ、お退きなさい。それとも、こちらがお好み? 今ならこの王女の慈悲で出力レベルを最大にして最高の苦痛を下賜しましょう。あら、そういえば、出力を上げすぎて死亡したなんて事故も昔ありましたわね」
セレーナが出力調整のつまみをカチカチと回して見せると、看守は、ひええ、と悲鳴を上げて一歩下がり、両膝をついた。
「間違っても誰かに通報しようなんて思わないことね」
セレーナは僕を引き連れて悠々とその前を通り過ぎる。
やがて小さな厚い扉をくぐると、王宮の広大な敷地が目に飛び込んできた。
「さ、早く行きましょう、すぐに追っ手がかかるわ」
「え、でも看守には通報するなって……」
「王宮セキュリティがそんなの律儀に守るわけないでしょう」
彼女が先に立って、植栽の間を走る。
捕まったとき、失意で周囲の観察もしていなかったから、自分がどこなのかも分からない。
だから、とにかく彼女についていく。
立派な道があるのに、わざと植木の合間を走っていく。
なぜだろう、と思っていたら、すぐに通路部分に明るい街灯が灯った。まぶしいくらいだ。
「あーあ、もう手が回ったのね、毎度お早いこと」
セレーナがつぶやくように言う。
「毎度って……え? いつもこんなことしてんの?」
「憂さ晴らしにジーニー・ルカと宇宙に出かけるときは。ばれたらすぐに王宮中にサーチライトが灯るのよ」
――自由を奪われ光ない瞳で空を想う深窓の王女様、それを颯爽と救い出す忠義の騎士――そんな僕の理想と想像と妄想を返せ。くそ、思ったより自由だぞ、この王女様。だまされた。
さっそくほんのり後悔しながら進んでいると、サーチライトは的確に僕らが通りそうなところを照らす。あっちも慣れてるぞ、これ。
少し気が急いてしまって、思わず駆ける足にも力が入り、セレーナを追い抜いて前に進みがちになる。
と。
「伏せて!」
突然、セレーナの小声の叫びと、背中に重い衝撃。
僕はつんのめって倒れ、芝生にしこたま鼻を打ちつけた。
ぜいぜいと息をしながら耳を澄ますと、近くの小道を複数の革靴の走る音が聞こえる。
危ないところだった。
足音が聞こえなくなるまでじっとして、ついでに呼吸を落ち着かせる。
すると、僕の耳元に、高く速い呼吸音が聞こえることに気がついた。
うつぶせの僕の上に、セレーナが覆いかぶさっている。
彼女のピンクの唇は僕の耳のすぐ後ろにあって。
彼女の小さな体は僕の上にぴったり重なっていて。
長い髪のいい香りが僕の鼻をついて。
僕の肩甲骨の辺りに、小さく柔らかいふくらみを感じて。
小柄な体格なのに触ってみると意外と……。
あ、いやいや。
あわわわ。
思わず赤面する。
僕のそんな様子に、セレーナが気付いたようだ。
ゆっくりと立ち上がり、衣装の前をパタパタとはたいている。
僕も立ち上がるが恥ずかしくて目を合わせられない。
突然、ガツンとすねを蹴っ飛ばされる。
叫び声をあげるのをぎりぎりで我慢してうずくまる。
角はやめて、そのとがった靴の角は。
「……これで勘弁しといてあげるわ。くれぐれも、この王女に妙な気を起こさないように。ただじゃすまないわよ」
自分から覆いかぶさってきたのに、実に理不尽だ。
そりゃちょっとその感触を楽しんじゃったことは否定はしないけれど。
でも次はローキックじゃなくて神経銃かもしれない、と思い、反論しようとした口を閉じた。
***
行き交う衛兵に見つからないよう王宮内を右往左往した挙句、ようやくプライベートゲートの一つから抜け出すことに成功した。
もちろんゲートの衛兵はセレーナの逃亡を知っていたが、この衛兵は彼女のウィンク一つで笑顔で彼女を通した。くそ、想像以上だぞこの王女様。
ゲートを通って外に出たところは、広い公園。
そして、ほんの一分も待たぬうちに、彼女のマジック船が飛び降りてくる。
僕らはそれに飛び乗り、誰にも制止されることなく、気がつけばはるか上空の青と黒の境を突破していた。
宇宙に出てすぐに通信アラームが船内に響く。操縦者証スロットはセレーナのIDに入れ替えてあったから、それはもちろんセレーナ宛の通信だ。
椅子から立ちアラームの主をパネルで確認したセレーナは、渋い顔をして僕の方に振り向いた。
「ロッソよ」
そうだろね、と軽くうなずき返した。
「無視しようかしら」
つぶやいてから彼女はしばらく唸って考え込んだ。やがて、再び僕の方に顔を向けた。
「彼も困った立場でしょうから、顔くらい立ててやることにするわ。当分家出するってこともついでに」
僕は無言でもう一度うなずき、彼女の考えを支持した。
彼女はパネルに向きなおり、通話開始の操作をした。
映像はなく、声だけが聞こえてきた。
『セレーナ王女殿下、摂政でございます。今すぐお戻りください。これは王命です』
と、しょっぱなから高圧的だ。
「ロッソ摂政様、申し訳ございません。しかし、あらぬ疑いをかけられこの姫の名誉は深く傷つけられました。もはや王城にはこの姫の居場所はございません。名を捨て地の果てに逐電することをお許し願います」
セレーナはそう言いながら、僕の方を見ながらぺろりと舌を出して見せる。文字通りの二枚舌というものが目撃された歴史的瞬間である。
『王女殿下への疑いに関しては、弁護の機会が与えられます。どうぞ、お戻りを。そのままでは、汚名をそそぐ機会さえ訪れません』
「あのような下賤の民との関係を疑われたことがもはや私にとって耐えられぬ屈辱でございます」
下賤の民、耐えられぬ屈辱、ねえ。間接的に僕が手痛いダメージを負っているような気がするのは気のせいだろうか。
『殿下、此度ばかりは単なる家出では済みません。殿下は数々の罪を重ねておいでになる。このままお行きになるのであれば、少々きつい処分を検討せざるを得ません。今お戻りなら無罪となるよう王勅をお出しくださると陛下も仰せです』
セレーナはすぐに答えず、パネルを叩いて回線を一時停止にした。
「と、言っているみたいだけど、ジュンイチはどう思う?」
「……きつい処分って?」
「そうね、前にも一度だけ脅されたことがあったけど、クレジットを停止されるとか」
「それって結構おおごとなんじゃ」
「まあね。今回の件でそこまでやる覚悟がロッソにあるかしらね」
って、前にはどんなことやらかしたんだよ、クレジット停止って。
しかし、さて、ここにきて、彼女は悩んでいるんだな、と思った。
それはそうだ。かたや無罪放免、さもなくばきつい処分。単に地球人の平民の脱走のためにそこまでの危険を冒す必要があるだろうか?
相手は意外なほど現実的な妥協点を提示してきた。だったらこちらも譲歩できるんじゃないだろうか。少なくとも、セレーナの汚名と罪はすべてチャラ。あとは僕がセレーナの弁護の下、罪を晴らせばすべて解決。僕は首尾よく王女様の汚名を雪いだ英雄となり、懐かしい日常が待っている。
「……僕が気になったのは、君がこの後ひどい扱いを受けないかってこと。ここで言質をとってその心配が消えるのなら、戻ってもいいんじゃないかな」
僕が言うと、セレーナは微笑んでうなずいた。
「ありがとう。あなたならそう言うと思ったわ。……決めた」
そう言って、セレーナはパネルに再び向き合った。
「あなたの罪が消えない限りは譲らない」
背中越しにきっぱりと言い切ったセレーナ。
……僕は一番大切なところで間違ったスイッチを押してしまったらしい。彼女の意地っ張りに盛大に点火してしまった。
彼女は回線をリスタートし、その向こうの摂政に向かって話しかけた。
「大変寛大なお仕置き、ありがたき幸せでございます。であれば、私の過ちで罪に問われたあの平民の潔白も同時に明かされたものと考えてよろしいですね?」
セレーナの言葉に一瞬静かになった回線の向こうから、声が続けて聞こえてきた。
『王女殿下、お戯れを。殿下の過ちはすべて水に流す。となれば、今回の事件はあの平民が一人で起こしたことです。下賤なる平民が恐れ多くも殿下の御意に反しその純潔を犯し奉ったとならば、法に照らせば死罪。さほどの重罪人を無罪とする法は、この王国にはございません』
その言葉に、僕はしゃっくりのような声を出してしまった。
死罪? 死刑ってこと?
そこまでの重罪だなんてこれっぽっちも思っていなかった。
じゃあ、セレーナは、死刑囚を脱走させた重罪人ってことになる。
そんな危険を冒して僕を……。
でも、僕だってここで死にたいわけじゃない。
僕の命と引き換えにセレーナを助けてやってください、なんて……とても言えない。
身体が自然に震えてくる。
ここで逃げ出せなければ……本当に命を取られかねないだなんて。
僕はセレーナの横顔をちらりと見た。
セレーナは、同じように僕にちらりと視線を送り、苦々しそうに歯を食いしばっている。
その量刑の重さを僕に聞かせてしまってはまずかった……そんな表情だ。
だがやがて彼女は小さく二度かぶりを振り、通信機に向けて口を開いた。
「あくまで彼を処罰するとおっしゃる。結構です。このセレーナ・グリゼルダ・グッリェルミネッティにも覚悟がございます。私が彼の男を逃がしおおせて見せます」
それからすぅっと大きく息を吸い込み、
「わからずや! あなたがただって彼が何者でどうやってあそこにいたかくらい分かってるでしょ!? 国法だの純潔だの、そんなちっぽけなものを守るために一人の人間の命と尊厳をもてあそぶのが誇りあるエミリア貴族だっていうの!? もうまっぴら! そんな馬鹿げた王国なんて! 除名でも追放でもお好きにどうぞ!」
一気にまくしたてたかと思うと、一方的に回線を切断し、それどころか通信端末のメインスイッチも落としてしまった。そして右手をパネルに押し付けたまま、何も言わずに通信端末の前にしばらく佇んだ。
と思っていたら、突然、くっくっ、と小さな声が響いてくる。
「ふ、うふふ、あははっ……!」
セレーナが笑っていた。
「はははっははっ……」
笑うセレーナを、どうすればよいものやら、迷っていると、
「ジュンイチー……大変なことしちゃったぁ……」
目元をぬぐいながら、彼女が振り向いた。
「……うん、分かる、何となく」
と言いつつ、僕は、やっぱり案外自由だな、この人、と心中でため息をつく。
「……さて、儀式も済んだし、行きましょ」
ちょっとしょんぼりとした声で言いながら、彼女は操縦者証スロットから自分のIDを取り出した。
「ってことで、しばらくまたあなたのIDを借りるわ」
僕からIDを奪ってスロットに入れ、それから、彼女はちょっと疲れたような顔で居眠りをし始めた。
きっと僕のことで何日も眠れてないんだろうな、と思って、そっとしておいた。
***
エミリア領から出るのに使った航路は、来るときに通ったグリゼルダではなく、ベルナデッダという星系側だった。彼女の説明によれば、ここももちろんエミリア領だという。エミリアが唯三つ領有する最後の惑星。
ここからジャンプすれば、もうすでに隣国。
ここまで来れば、エミリアの物理的な追跡は無い。
セレーナのIDも文字通り宙に浮いているから、居場所さえ掴めない。僕自身のIDで言えば、彼らは僕のIDを一度も確かめさえしてないのだ。
セレーナにしてみれば、たぶん、これまでで一番自由な家出なんじゃないかな。彼女のうきうきした顔を見ていれば、なんとなく分かる。
またまた二日をかけて、地球へ。
誰にも止められず、楽な道のりだった。
彼女に会ってから六日がたっている。
秋休みももうすぐおしまいだ。
と告げると、じゃああなたは学校に行った方がいいわね、とセレーナは言った。
何事も無かったかのように学校へ、となれば、結局、事件は事件にさえならずに終わるわけだ。
「それで、君はどうする?」
「さあ、このまま軌道にとどまっててもいいんだけど……無重力って疲れるのよね」
そんな年齢でもなかろうに、左肩を押さえて首を左右に曲げる。
「じゃあ、うちに」
と半分まで口に出してから、いやさすがにそれはまずい、と言葉を止めた。
でも彼女は遠慮なしだ。
「そうね、ご理解のあるお父様みたいだし。ちょっとお邪魔するわ」
決まるや、彼女はジーニー・ルカに着陸を命じた。
***
うちにセレーナを招いたときの親父とのひと悶着は省略する。
美少女に絡まれたと連絡した直後二、三日ほど無断で外泊してたかと思ったら二日で帰る、という雑な連絡、そして、超の付く美少女を家に連れ込んで。
まあ、どういういじり方をされたかは想像がつくと思う。
とはいえ、実際にセレーナが王女であったこと、その隠れ蓑として協力していたことを告げると、親父は少し困った顔をしながらも、母さんにばれないようにな、と言って、いったんはセレーナを迎え入れてくれた。
母さんが帰るのはまだだいぶ先だが、それまでにケリを付けなければならないだろう。
セレーナがこれからどうするのか、これから僕はどんな役割を演じなければならないのか、といったことは気にはなったが、ともかく僕は普通の生活に戻ることで頭がいっぱいだった。なので、そういうことはいったん頭の隅に追いやって、登校した。
秋休み明けの学校は、何も変わっていない。
小数点以下の気温低下があったくらいだろう。
考査結果の発表などというまったくうれしくないイベントを挟みながら、一日目は無事に終わった。
そこで話しかけてきたのが、浦野だ。
「大崎君、秋休み、どこか行ってたのぅ?」
「う、うん、どうして?」
「どっか遊び行こうと思って呼び出したらつながらないし、おじさんに聞いてみたら、なんだかごまかされちゃったし」
浦野から連絡あったなんて親父言ってなかったぞ。
僕のほうはと言えば、星間距離にいたもんだから、星間通信契約なんてしてるはずの無い浦野からはつながるはずが無いし。
「そうなんだ、ごめん」
「一人旅? やるねえ」
「一人旅……えー、うん、ソウダッタカナ」
ちょっと棒読み気味に答えると、浦野の目がきらりと光る。
「……誰か一緒だったんだあ。うわー、やーらしーいー」
「な、なんでやらしいんだよ」
「そりゃもう、年頃の男女が二人旅なんて言ったら毎夜毎夜のお楽しみが……」
「そ、そんなこと無かったよ!」
あわてて否定してから、なんだかまずいことを言ってしまったことに気づいた。
「……あれ。年頃の男女が二人で旅行してたわけ?」
うん、まずいこと言ってたみたい。
「だーれーよーうー。おーしーえーなーさーいーよーうー」
うわあ、うざい。
って、百光年彼方のエミリアの王女様に不逞を働いた罪で捕らえられ、なんだかだあって――思い出すとちょっと恥ずかしいことを叫んでた気がするけど――王女様を助け出して、今自宅に匿ってます、なんて、言うに言えない。
「……仮の話」
「うんうん、仮の話」
目を輝かせる浦野。
「遠くの星の王女様が空からやってきて、ちょっと家出したいから手伝えって言われたら」
「……は」
彼女は口をぽかんと開けて固まった。
「まあ、手伝うよね」
「そ、そうかなあ?」
「そういうことだったと思ってよ」
「……あー、はい。それでいいです」
完全に呆れられた。けど、それがいい。
「で? その王女様は、無事に家出できたの?」
あ、続きは聞きたいんだ。
「できたできた。でも、帰れないから、今僕のうちにかくまってる」
浦野は、そこまできて、ぷすっ、と小さく噴き出した。
「うふふふ、面白いねえ。だったら、ちゃんと帰るまでサポートするのが男の役目よぅ?」
「でも本国のすっごく偉い貴族に啖呵きって出てきちゃったから帰れないんだよ」
「あはははは。おもしろーい。じゃあ、大崎君、例のあの、『究極兵器』ってのを見つけてあげたら? そんで、それ持って帰って許してもらうの」
「あー、なるほど?」
……なるほど? 確かに彼女をいつまでも置いておくわけにもいかないし、何かきっかけがなきゃいつまでもあのままで――いや、家に美少女がいる生活は全ての男子のあこがれではあるけれど――それはそれで、彼女を助けると言った僕の沽券に関わるし、僕なりに出来ることが、あるのかも?
「で、結局誰と?」
ふと、船内でちらりと見たセレーナの寝顔とかが頭をよぎり――
「だから一人だったってば!」
僕の顔はちょっと赤くなっていたかもしれない。




