第一章 転入生(4)
「陛下、ひとまず、セレーナ王女殿下は無事、地球で学生生活を始められるようです」
私の執務室は、実のところ、狭い。
貴重な無垢材を惜しげ無く使い贅を尽くしたと言いたいところだが、それは部屋の質素さを強調しているだけで、加えて言えば、私の自由にできる空間は、私の座す黒革の椅子と、チェリーウッドのデスクだけだ。
そして、今、我が執政の補佐官であり事実上の最高責任者であるウドルフォ・ロッソが、デスクの向かいで恭しく頭を下げている。
「うむ、そのようだな。いろいろと手を尽くしてくれて、大義であった。……が、ともかく、二人だけの時は、陛下と呼ぶのはやめてくれ。肩がこる、なあウドルフォ」
「む、参りましたな、アル。余り不用意に名を呼び合って誰かの目に留まると、と気になりましてな」
「気を付けてくれているのは助かる。だが、時には、昔の間柄に戻りたい時もある」
「左様であれば」
そして、彼は、今度は気安く頷いて見せた。これが、彼が友人の顔に戻るときのサインだ。
「なあ、ウドルフォ。セレーナは、私を嫌っているだろうな」
私は、王家をとりまくいろいろな思惑の多くを娘に押し付けてしまっていることを自覚している。たとえそれが枢機院の思惑だとしても、結局娘を守れるのは父親だけなのだ。
「わたくしをこそ嫌ってるでしょう。セレーナさまから見れば、わたくしはアルを――父親をいいように操り人形にしている仇敵です」
ウドルフォがそのように振舞っていることは知っている。だが、これは、親子の問題なのだ。
「私はセレーナを助けられないだろうか」
「助けていますよ。セレーナ様は今まさにあらゆることを吸収し自らの意思で立ち、次代の王としてあるべき姿を模索されつつある。それは、アルの姿を見ているからです」
「ふっ、この私の情けない姿を見て、だな」
私はそう言って自嘲気味に笑う。
もし他の臣下の目があれば、とんでもない、と火消しの大声を上げるであろうウドルフォも、苦笑いを浮かべている。
「イレーネを喪って……私は何もかも失くしてしまった。セレーナの存在を言い訳に後添えも側室も取らなかったが……私のそれこそが、セレーナにすべての重荷を載せる原因となってしまった」
久々にその名を口にしただけで、私の心は泡立ち、次いで、深い闇のような喪失感が襲い掛かってくる。
たった一人愛した王妃。
セレーナの母親でもあった彼女を死なせたのは、私だ。
国王としての激務と多忙に付き合わせた上、ヴェロネーゼ家との関係維持、そしてセレーナへの愛情……そうしたものをすべて押し付けていた。
病が彼女を蝕んでいたのを、それが手遅れになるまで気づかなかった。
きっと宮廷医も他の侍従も、何度も私に訴えたことだろう。
私はエミリアの統治という大事に対して些細な事だと切り捨てていた。いや、その記憶さえない。恐らくそうだったのだろう、と想像するのみだ。
彼女を失い、ヴェロネーゼ家の深い恨みを買い、私の体が言うことを聞かなくなり――やむなく宰相であり親友だったウドルフォを摂政に上げ、お互いに陛下、ロッソ公、と呼び合う仲になった。
いまや、たった一人の娘の愛情でさえ、ウドルフォにその管理を任せる体たらくだ。
「あの子に、学生生活を体験させることも、ウドルフォの発案だろう?」
「……セレーナさまには、幸福をつかんでいただきたいのです」
分かっている。
セレーナは、ここ最近で大きく成長した。
宇宙を横断しこの私の身を盾にして枢機院のたくらみにくさびを打ち込もうとさえした。
何とか打破せねばならないという、強い強い義務感で、セレーナは成長しつつある。
そして、セレーナを後押しした青年の存在。
直接の会話はわずかだったが、セレーナの語る彼は――彼との友情は、セレーナを、義務感だけでなく、人間として、大きく成長させるだろうと確信するに足るものだった。
そして、彼は、セレーナ自身で掴む幸福の選択肢の一つとなるはずだ。
「だが――あの子は、昔の私に似ている。すべて自分で背負いこもうとするだろうな。おそらくだが、自分の理想に無理やり巻き込んだ青年――彼に危険があったら、自らの身を焼いてもよいと思っているだろう」
デスクに飾られたイレーネの肖像画が目に入る。セレーナの笑顔は、私を気にする時間があったら民を想う時間に充てなさい、と強がっていた彼女に、よく似ている。
「……アル、やはり、もっと監視と護衛をつけましょう。何かがあってからでは遅い」
「いいや、私はそれでもあの子の選択を……尊重したい。今だけでも、自ら選び拓く幸福を味わってほしい。だからこそ、我々の手の届かぬ地球の学校へ――あの子が特に気にかけているあの青年のもとへ送り出したのだ」
私は、私の言葉が、それを紡ぐたびにお互いに矛盾していることを感じる。
私のようにすべてを失ってから後悔してほしくないという思いと。
たとえ失う惧れがあっても、それを切り拓く喜びを味わってほしいという思い。
両方知った私は、そもそもが矛盾した存在なのだ。
「……わかりました。しかし、枢機院も――わたくし共も、これを奇貨として様々なたくらみをめぐらす立場であることはご承知おきを」
「よい、任せる。ウドルフォ、お前のことは全く信用してない。だが、信頼はしている。我が子の仇敵として、全力を尽くせ」
私のその言葉を受け、ウドルフォは再び摂政の顔に戻ると、深く一礼して、続く面会の予定のために出て行った。
そして静まり返った部屋で、また、最近しばしば心のうちによぎる夢想にふける。
セレーナが、その騎士を――あの青年を連れて、我が宮殿を攻め立て、やがて私と対峙する。
セレーナの騎士が、私を守る兵士たちをうち払い、その剣を私の心臓に突き立てる。
セレーナが、勝利と謝罪とほんの少しの後悔の表情を浮かべながら、私を見送るのだ。
「ふふ、私は断罪されたいのだろうな」
思わず独りごちる。
「そのような重荷は背負わせぬ。私とウドルフォは、勝つのだ」
言葉にして、私は自分を奮い立てる。
「そしてお前には――、宇宙の片隅で小さな幸せを掴むという選択肢もある」




