第一章 切符と代償(5)
おそらくそろそろだろうという時間が近づいてくる。
セレーナはジーニー・ルカに頼んで、近隣の航空機を見張ってもらっているそうだ。宇宙に浮かべたセレーナの船から、航行用レーダーで動きをチェックしている。軍用レーダーのように相手の識別ができるようなものではないけれど、マジック船の挙動は飛び切りにおかしなものなので、すぐにわかる。
そしてその時が来た。
中東側から、一機のマジック船が飛んできている。
それは恐ろしいスピードでこちらに向かっている。
様子を見ていると、陛下は近隣の空港ではなくまっすぐにホテルに向かっているようだ。
市街上空に入り陛下の船は速度を落とす。
僕らは慌ててジーニー・ルカを呼んでピックアップしてもらい、船内で正装に着替える。
ここまで来たらマジック船の異常な挙動を隠す必要はない。ホテルのヘリポートを目指す。
当然警備は厳しいけれど、そこはうまいごまかしを考えたらしい。
「随伴船。または先ぶれ。そんな感じ。多分、信じる。私のIDを見せれば」
「でもそれじゃ、これまで慎重に隠してきた身元が」
「いいのよ、だってこれが目的だもの。エミリア側からの追跡さえ振り切れていれば、ホテルの従業員だかなんだかに知られることは大した問題じゃないし」
それもそうか。
なんとなく納得し、僕はその案に乗る。
ほどなく船はホテル屋上に着陸し、予定と違う状況に混乱する警備員の前に、セレーナは自分のIDを示して見せた。
「こっ、これは殿下、失礼しました! では今回は殿下が……」
「ええ、先ぶれをつとめましてから、陛下をお招きします」
堂々と嘘っぱちを並べる。すごい。
そしてセレーナの船は僕を置いて飛び立っていった。
うん、僕を置いて。
屋上に。
セレーナの隣に。
え、なんかまずくない?
「場違いなんだけど」
「仕方ないじゃない、お付きの一人も連れてないほうが不自然よ」
僕の心配を読み取ったセレーナは正しく答えた。言われてみればそうだけれど。高校の制服のままだけれど、紺色のジャケットとスラックスは、見様によってはちょっとした正装をしたお付きに見えなくもない……かな。
そんな会話をしているとすぐに別のマジック船が近づいてくる。
僕らほど急がず、ゆったりと降りてくるそれは、セレーナの船より二回りほど大きく、直接ヘリポートに下りずにマジック船の本領を発揮して空中にぴたりと静止したままタラップだけを屋上に下した。
幾人かのスーツ姿の男が先に出て地上係員と言葉を交わし、ずらりとSPが並ぶと、その間から、よく整えられた薄茶色の髪とがっしりとした体格の男が歩み出てきた。彼は数歩屋上を進み、そして、セレーナの姿があることを発見して目を見開いた。
「……セレーナ!?」
が、そこで驚愕の表情を見せることは何か不測の事態であることを周囲に悟られると思ったのだろう、すぐに表情を戻し、
「……先ぶれご苦労。首尾は問題ないかね」
「はい、お父様のお言いつけ通り」
セレーナもそうやってしれっと返し、ここに彼女がいる理由は誰も疑わないものとなった。
加えて、僕の存在を陛下が誰何することも実際に難しい。ここで「その男は何者だ?」なんて聞こうものなら、ホテルの係員や、おそらく会談相手のスタッフであろう誰かに盛大に疑念を抱かせてしまうだろう。陛下は僕の方をじっと見て、何かを口にしようとして飲み込む、という仕草を見せた。それが、セレーナにとっての重要な隙になる。彼女はそれを狙って僕を横に置いたのかもしれない。
「お父様、会談の前に少しお打合せを」
セレーナがそういうと、陛下はしかし、少し眉根を寄せた。
「……いや、かねて決めた通りで問題ない。セレーナには待機していてもらってよい」
今度はセレーナがわずかに表情をゆがめる。
僕はなるべく不躾にならないように、セレーナの横顔をそっと見つめるが、彼女は言葉選びに悩んでいるようだ。
それからはっとして口を開き、
「さようですか、では控室まで――」
言いかけたとき、タラップの上から別の声が聞こえる。
「殿下、その任、カルロ・ジョズエ・モンターレ伯が務めますれば、どうぞこちらでお休みを」
見ると、二人の男が立っている。一人は二十か三十前後の肩までかかるほどの黒髪の優男。
もう一人の、今、重々しい声を発した方は、五十歳前後の白髪交じりの長身、黒と灰色の銀ボタン付きの長いジャケットと黒のズボンといういでたちの、落ち着いた感じの男。
その姿を見た瞬間、セレーナの顔から表情が抜け落ち、
「……ロッソ公」
小さくつぶやくのが聞こえた。
***
それは、彼女がなんとしてでも避けようとしていた摂政閣下その人。
なんという不運。
不正な手段で空を飛び綱渡りのような立ち回りでこの屋上の一角という場所を得たもろもろの努力は、一瞬で水の泡。
でも、僕自身は、がっかりという感情よりも安堵感の方が大きかったことは否定できない。
もしここでセレーナが陛下に従兄弟との結婚なんてまっぴら、なんてことを告げる場面に居合わせてしまったら、ちょっとした王国の陰謀に首を突っ込んでしまうはめになってしまうかもしれない、と、ちょっと不安に思っていたから。
僕がいろいろ考えている間、セレーナとロッソ公はいくらか言葉を交わし、そして、セレーナと僕は摂政に連れられて国王専用機に引き込まれていた。
こうなってみると、今度は別の不安が大きくなってくる。
僕はこの船を無事に下りられるのか?
仮にも地球の一般市民、へたなことをすれば国際問題になりかねないのだから、僕がここにいることはまるでなかったことだと僕を言い含めて開放、そんな判断に期待はするところなのだけれど。
小さな船室に連れられ、セレーナとロッソは向かい合って小さなソファに座る。調度品は僕にはまるで価値がわからないほどに高級感があふれている。
「殿下、いかような仕儀でこのようなことになっていらっしゃるので」
低い声でロッソが言う。
セレーナはびくりと肩を震わせ、しばし逡巡する。
「……お父様に、お話をしとうございました。その、……私の婚約のことで」
セレーナの言葉に、ロッソは少し頬を引き上げる。彼の中の何かを刺激したのか。
「諸侯各位、殿下の一挙手一投足をご心配申し上げてございますれば、このような辺境の地に一人で来るなどもってのほか。要らぬ勘繰りを受けることはお避け下さい」
セレーナは言い返そうと口を開け、しかし、言葉を飲み込んだ。
「殿下の婚約の儀につきましては、良きよう計らいます。いつでも、陛下でもわたくしめにでもご相談くださってよいものを。わざわざそのためにこの地に足をお運びとは少し……腑に落ちませぬな」
その理由は、まさにおまえだよロッソ、なんて僕は心の中で舌を出す。ロッソの目が光っているところでは、諸侯の都合を押し付けられる結果しかありえないのだ。
「さてその理由を糺し奉る前に――」
と言いながら、僕のほうをじろりと睨み付けた。
「王女殿下。どこの誰とも分からぬ平民の異性を、恐れ多くも殿下のおそばに侍らせるとは何事ですか。いくら殿下の御意とはいえ、こればかりは」
摂政の声にセレーナはびくりと反応している。
「しかし摂政様、この方は私が地球で迷っていたところを助けていただいたのです」
彼女は反論するが、
「それとこれとは別です、殿下。助けていただいたことには礼を申しましょう、しかし、侵すべからざる殿下のおそば、陛下の御座船に踏み込ませることの理由とはなりませぬ。拘束の上しかるべき詮議をせねばなりませぬ」
え、拘束? 僕が?
お小言を言われて追い出される程度だと思っていたけれど、余りに予測を外した彼の言葉に、今度は僕がぽかんとする。
いやいや。
そうは言っても。
まさか、セレーナがそんなことに応じるわけがない。
この恩人の僕を。
だよね、と思いながら、セレーナをちらりと見やった。
「……申し訳ありません、摂政様」
「では誰か――」
「いえ、摂政様。私が命じます。誰か、今すぐこの男を逮捕なさい」
しかし僕の予想に反してセレーナは扉の向こうにこんな声をかけたのだ。
扉の向こうに待機していた警備兵はすぐに一礼して寝室に入ってくると、僕の両脇を押さえた。
「セ、セレーナ……殿下、ちょっと、本気で?」
僕の問いかけに彼女は答えず、それどころか、目線さえ合わせずに、連れて行きなさい、と、そっぽを向いたまま命じたのだった。




