第一章 切符と代償(4)
さて、説明の手数を省くために結論から言うと、セレーナの父――エミリア国王陛下は、僕らがペキンに着いたときには既に発っていた。いや、実際にいたらしいことは確かなのでジーニーの推測も大したものなのだけど、陛下の動きはそれを上回っていたということだ。
想像以上の速さに、セレーナは次の目的地をニューデリーではなくフランクフルトに変えた。今度こそ先回りするつもりで。
とすると、今度は少し早すぎることになる。もしかすると陛下一行は一泊くらい挟んでからこちらに向かうかもしれない、というくらいには。
そんな長い時間、異様な航跡を残すマジック船をフランクフルトの上に飛ばせては置けない。
そう、異様なのだ。マジック推進船は、恐ろしい速さ、かつ、非常識な航路で僕らを運ぶ。
何しろ、空気抵抗だの重力だのを気にしなくていい。
マジック船を丸ごと反重力の泡が包んで、あらゆる抵抗から守りながら空間をすべるように推進するのだから。
マジック推進装置の構成要素そのものは、重力を反転させるデバイスをたくさん並べて超高周波でオンオフを繰り返すことで船の重力感受性に巨視的な指向性を作り出し――つまり『帆』を広げて、近所にある恒星や惑星の重力ポテンシャルで起こる重力の風を受けて帆走するように進む。
周囲の惑星だの銀河だのから重力エネルギーをかすめ取って動いているわけだけど、普通の飛行機や宇宙船のように常識的な加減速なく重力を無視して飛んでいられるので、レーダーに映った姿は盛大に関心を引く。いまや僕のIDで飛んでいるとはいえ、異様な航跡が摂政の手のものにばれるかもしれない。
だから結局僕らは、宇宙船を遠くに隠して地上で陛下の船の到着を待つ必要があった。
そして今は、陛下の会合が行われるという見込みのホテル近くの大きな公園にいる。
その公園から、エミリア国王陛下が会談を行うホテルは見えていた。
普通、ホテルで会談だと言えば、黒塗りの車列が横付けするものだけれど、セレーナと同じようにマジック船を使っているので、屋上に寄せる可能性もある。
どちらになるかは実のところセレーナにも分からなかったので、玄関口に着けるなら急襲できるよう、見える位置で待機することにした。
これだけ人の目があっては目立つのは嫌とのことでセレーナはおなじみの白無垢姿ではなく、緑のシャツに白い短パンという姿。ジャケットを羽織れば一応エミリアの正装っぽくはなるらしい。その場合はどちらかというと軍事的なイベント用の恰好に近くなってしまうらしいんだけど。
ちなみにこの公園、太古の昔の歴史的モニュメントがあったらしいので僕としては心躍る場所ではあるのだけど、当のモニュメント自体は台座を残して撤去されている。
ここに置かれていたのが何のモニュメントだったのかの記録も定かではない。ただ、この近辺――ヨーロッパの国々にとっては象徴的な出来事を記録したものだったはず、というおぼろげな記述がいくつかの歴史書に見えるばかりだ。一般の教科書にはモニュメントの存在さえ載っていない。
ではそんなモニュメントがあえて撤去されたのはなぜか? それは、その前に起こった歴史的事実が、後世に不都合だったからに違いない。
もしかするとそれはヨーロッパの国々の結束の証だったかもしれない。
例えば。例えばの話だ。地球への支配権を確立した宇宙人たちが、地上の国々の結束と統合のモニュメントを見たらどうだろうか? そんなものは打ち壊してしまえ、と言いはしないだろうか。
何しろ北アメリカを究極兵器で焼き払うという暴虐で支配を確立したのだ。地球人の統合の象徴をそのままにしておくとは思えない。
もしかするとそれ以前は今の自由圏さえ含む大きな連合だったかもしれない。それが、今の緩やかな新連合……ロシア、インド、中国を通って北アメリカを貫きイベリア半島を除くウィーンまでのヨーロッパをつなぐ、とびとびの歪な連合国になっている……それは、世界の結束を取り戻させないよう宇宙人が画策を続けた結果かもしれない。
「――だいぶ熱くなってるところ悪いけど、それってジュンイチの妄想?」
そして、小腹が空いたのか屋台で買ってきたパイ生地か何かに包まれたソーセージをもぐもぐしながら、セレーナが突然そんなことを言う。意味が分からない。
「何の話? 僕の? 妄想?」
「宇宙人が地球を支配してるとかなんとか」
「は?」
「全部口に出てたわよ」
……ぎゃー。
……真っ赤になる顔をいったん風で冷やしてごまかす。
時差の関係でフランクフルトはまだ日の高い時間。日差しに目を覆うふりをしながら反対の手で顔をパタパタと仰ぐが、セレーナには丸見えな気がする。
「歴史専攻のカレッジ生か何か?」
カレッジってなんだろ、たぶん、教育システムがちょっと違うんだろうけど。
「いや、高校生……で分かるのかな、そういう専攻選択は大学に進むとき」
「ふうん。私の知ってる宇宙史とはだいぶ違ったように聞こえたから、独自研究なのかと」
「いやっ、その、ど、独自……ではあるんだけど……」
「歴史家でも目指してるのかしら」
どうなんだろう。
そうなんだといいんだけど。
そんな風に思いながら少しあいまいに頷くと、
「そっか。でもうらやましいわ。気が付いてる? あなた、宇宙でもたった一つしかない人類発祥の惑星に生まれて育ったのよ?」
なんてことを言われて、僕も、なんだか歴史家にならなきゃならない気になって、今度ははっきりを頷いた。
「うん、歴史家を目指そうと思ってる」
「だったら歴史の成績は特に良いんでしょうね」
歴史の成績は……前回の考査は……思い出したくない。
「まあその、ほら、高校の教科の試験って、問題がちょっと、なんていうの、一般人向けにあいまいな説を定説扱いしたりとかさ……」
と、歴史の考査結果が良くない理由を説明しているが、どうにも彼女が僕を眺める視線に何か痛々しいものを見る色が混じっている。
「事件の発生年を暗記するのと歴史の謎を解くのは違うんだし!」
セレーナが少しうつむいた。あれは、たぶん、笑うのを我慢している。いや、がっつりと笑わないだけの礼儀を払ってもらっているだけマシというべきか。
「えぇ、そうね、歴史的偉人が幼少のころはお馬鹿だった例はいくらでもあるもの」
「そっ、そこまで馬鹿ってわけじゃない……と思う」
「……じゃ、数学は?」
「さ、さすがに考えれば分かる問題を間違えたりはしないけど」
僕が答えると、一瞬妙な顔をしたセレーナは、小さなため息をついたように見えた。
「……あなたがどういう人なのか、とりあえずは分かった気がするわ。ありがとう」
なにやら妙な苦笑いを浮かべながら、セレーナはいつの間にか買ってきてくれていたよく冷えた紅茶のボトルを投げよこしてくれた。
「ところで、あの格好はいいのかい?」
ボトルの口をあけながら訊くと、同じようにボトルをあけていたセレーナはきょとんとして答える。
「あの格好? ああ、正装のことね。まさかあんなの私服じゃないわよ。窮屈ったらなかったわ。公式の会合に乱入する予定だったから目立たないようにって。ここじゃかえってあんな格好のほうが目立つでしょう?」
「あれが正装なんだ、エミリアの?」
「エミリアの国旗見たこと無いの? 白地にオレンジの三本線。それにグッリェルミネッティ家の紋章。誠実の白と活力のオレンジがエミリアのナショナルカラーよ」
恥ずかしながら、見たことが無かった。
いかな宇宙の大国と言え、普通は宇宙の彼方の王国の国旗だとかナショナルカラーだとかのことなんて知らないよね。
と、自分に言い訳する。
説明を受けながら彼女の姿を見ると、しかし頭の真っ白な花のリボンはそのままだ。ナショナルカラーのホワイト、ってことなんだろうけど。
「それでもリボンは外しちゃいけないって決まりでも?」
なんとなく尋ねると、
「あら、言ってなかったわね。このリボンは、通信機なのよ。ジーニー・ルカと会話するための。ブレインインターフェース」
そう答えて彼女はリボン越しに頭を指差した。
「本当は脳内ナノマシンだけでも数メートルの近距離なら意思疎通できるんだけどね、このリボンをつけてれば、星の裏側にだって届くのよ」
「そうか、だから、念じただけで関東中の鉄道網を貸切ったり、この宇宙船が飛んできたり」
期せずして不思議に思っていたことが解決した。
「そうね。あまり複雑な思考は送れないけれど、ジーニーへのオーダーならジーニーのほうが勝手に読んでくれるわ。私との付き合いも長いから、私が何を考えているか、ジーニー・ルカもかなり正確に分かるようになってるもの」
個人用ジーニーなんていうものが想像もつかない僕ら地球人にとっては、このブレインインターフェースの効用なんてものも一生分からないだろうな、と思う。
彼女はあのエミリア王国の王女だからこそだけれど、宇宙には宇宙レベルのお金持ちははいて捨てるほどいて、そんな人たちは当たり前のようにジーニーやブレインインターフェースを使いこなしているんだろう。
「分からないことがあったらジーニーに訊けるのか、だからテイトホテルの位置も」
「そ。答えもぼんやりしてるから、私も読み取るのにずいぶん苦労して訓練したんだけどね、迷った時、最初から答えを知っていたかのように、こっちが答えだって確信するの」
笑いながらセレーナは答える。
こうやって自慢げに話す表情は、客観的に見てもかわいいと思う。
のだけれど、よく考えなくともあの大王国、エミリアの第一王女。もし機嫌を損ねようものなら。
僕の使命は、彼女の笑顔を守り抜くことなのだ(自衛的な意味で)。
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