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第三章 ベルナデッダの飛べない巨鳥(1)



■第三章 ベルナデッダの飛べない巨鳥


「カルリージ卿!!」


 ロッソは、ロミルダ・カルリージ女伯爵を、怒気も隠さず怒鳴りつけた。


 ロッソと取り巻きの三人が秘密会談をする秘密拠点の一つ、王宮から車で数分の小さなレストラン。彼らはたびたび会うが、よほどのことが無い限り同じ拠点を繰り返し使うことはない。そんな中でもここは十回に近い利用を誇る。

 貴族の密会所としてよく使われる格調高いレストランであり、そのスタッフは貴族の秘密を命を懸けて守るよう訓練されている。噂では、スタッフは誰もが自決用の毒薬を持たされているとさえ言われている。

 その一室は、その壁から床からすべてが無垢の木材で設えられ、何十年という時の経過を化粧としてまとう、極上の個室。柔らかな曲線を駆使した浮彫が腰の高さに施され、同様の細工が対称的にテーブルやいすにも施されている。

 その静かな空気を破るような怒声だった。


「なんということをしてくれました。いえ、まずは質しましょう。カルリージ卿、殿下におおよそ不逞とも言える戯れ事を試みたのは、卿でありますな?」


 今回はあえてサルヴァトーリ子爵は呼んでいない。ともすれば、カルリージ伯の汚点ともなりかねないと読んだ、ロッソの計らいとも言える。


「……あの旅のスパイスを提供したものが私か? ええ、その通りにございますよ」


 彼女がセレーナ王女たちに差し向けた熱針銃をかまえた刺客を、ロミルダは『スパイス』と呼んで嗤う。


「馬鹿なことを。殿下を危険にさらすばかりか、あの青年にさえ危険があった。卿も聞いておられましたはず、あの青年の親族は新連合の外交官でありますぞ」


「だからこそでございますわ。何もかもを急がねばなりませぬ。あの青年に発破をかけて少しでも早く私どもは殿下の秘密を手にせねばならないでしょう?」


「だからと言って手段は選ばねばなりませぬ」


「そう、数ある手段のなかで、あれこそ格別。うふふ、手を取り合って危機を脱した年若き男女が、さて、お互いを意識しないでいられましょうか?」


「カルリージ卿。まだそのような戯れをおっしゃるか。わたくしとてさすがに我慢の限界がありますぞ」


「……白状なさいな、ロッソ摂政閣下。この一件、最も手っ取り早い手段に、お気づきでございましょう?」


「何たることを! お話にもなりません」


 その先を継がせぬよう、ロッソは怒りもあらわに言い捨てる。

 ロッソは即座にロミルダが何を言わんとしているかを察したのだ。

 エミリアが迎えている窮状、彼ら自身の計画、それを危うくする不安因子――すべてを一度に片づける方法がある。

 セレーナを至尊の地位から転落させしめその力と秘密を力づくで奪い取ればよい。

 他国の平民との密通などその口実の筆頭候補だ。

 かつて、エミリア賢王の一人とされ、貴族・民衆の二院制と平民参加の弾劾制度の整備に尽力したクイーン・リーザでさえ、一時は抵抗派貴族から平民との密通の疑義を呈され瀬戸際に立った時期があったという。それほどに王族と平民の密通というのは強力にして普遍的な武器となるのだ。

 しかし、だからこそ、王家を奉じるロッソは、その手段を決して認められない。彼は原則的に善意と忠義の人なのである。


 そして、わずかに思案の仕草を見せてから、


「……ロミルダ。そなた、一体何を考えおるのか」


 ロッソは、口調を親し気に変え、ロミルダに問うた。


「閣下」


 ロミルダは敬称を変えずにロッソを呼び返し、柔らかな照明に顔を向けてわずかに目を細めた。


「……茶化すのは一旦よしましょう。私は、同じ女として殿下のお気持ちがよくわかるのです。きっと殿下ご自身もお気づきでない、新しい感情に、殿下も戸惑っておいでです。この私とて、不幸な運命のめぐりあわせで伯爵家の跡取りとなり、様々な思惑と男たちに翻弄されて生きてまいりました。道ならぬ恋をしたことさえございました。私は一人の少女、セレーナ・グリゼルダ・グッリェルミネッティ様の味方でございます。閣下、人の恋路を邪魔するものではございませんわ」


「それこそ戯れよ。国家の、王家の重大事に、色や恋の入る余地などない」


「いいえ、それこそが重大事でございます。殿下と青年が行きつく先を見ねばなりません」


「王家を危機にさらしてもか」


「王家などなんとでもなるではありませんか」


挿絵(By みてみん)


 瞬間、部屋の空気が凍り付く。

 王の代理人であり王家の背骨たる摂政ロッソ公爵を前に放ってよい言葉ではない。

 そのロミルダの視線は、ロッソの上ではなく、さらにそこからはるか遠くを見つめているような――どこか、灼熱と冷気が混在しているようだった。

 それは、古くからロッソの片腕として、あるいは友としているからこそ許された軽口なのかもしれないが、しかし、そうとも思えない迫力を感じる。

 ロッソは、一瞬度を失いそうになったもののなんとか平静を保ち、ゆっくりと問いかける。


「……ロミルダ、一体そなたには、何が見えておる?」


 その言葉に、ロミルダも、はっとしてたたずまいを直し、静かに表情を消す。


「無礼を申し上げました閣下。私には何も見えておりません」


「……よい、友として聞く。話せ」


「正直に申し上げますわ。私とて彼らの中に何を見たのか、説明する言葉を持ちませんの。ただ、そうあるべきと思うばかり」


「ふむ、当を得んな。そなたがそれではわたくしにもまるで分かりますまい」


「ですが、彼らが絆を深めることによる政治的成果には、心当たりがございましょう?」


「究極兵器、か?」


「それこそお戯れを。あの青年を連れてくるよう命じた閣下の意図は、理解しているつもりですわ。ベルナデッダの英雄。殿下がそう呼ばれていることはもちろんのこと、その英雄は必ず二人一組で語られる」


「ゆえにあの青年には鈴をつけておかねばならん――む、そなた、殿下をその鈴に、と」


「それが熱い恋の絆でもよいではありませんか。あるいは二人の行動をお互いに縛り合う関係ともなれば、今後の閣下の計画にも」


 計画への影響、と聞いて、ロッソも唸って考え込む。

 つい先日、セレーナ王女が単独で宇宙の半分を飛び、危うく地球での会談をつぶされそうになった。これまでロッソたちの立場に静かに非難めいたことを言うことはあったが、あれはまさに青天の霹靂。ロッソにとって、自由に動き回るセレーナ王女は危険な不安定因子だ。それを安定化すると考えれば、あるいは。

 であらば、あえて――


「卿の慧眼、恐れ入る。そうであったな、ともかく、今は国家の一大事であらば、殿下の横やりはどんな手を使っても防がねばなりませんな」


「アントニオ殿下もおりますれば」


 王位継承権第三位、ロッソの養子となっているアントニオの名前が出ると、ロッソも緊張の表情を解いた。


「……だが、秘密裏に。王家への汚辱だけは避けねばなりませんぞ」


「御意に。……時を見て、殿下ともその利を語らい殿下の後押しをば、と考えてございますれば。その折は、是非にお引き合わせ下さりますよう」


「……カルリージ卿のお考えは理解しました。ですが、先のような狂言はこれ限りにしていただきたく。かような仕儀を繰り返せば御身さえ危うくなります」


「ご忠告痛み入ります。であらば、閣下、サルヴァトーリ卿にもご注意あそばせ。――独自に、地球にて何やら手探りをされているようで」


 ロミルダの言葉に、ロッソもやや深刻そうにうなずいて返した。


「む、それは薄々。彼の青年の親族が外交官などとどのような伝手で知ったものか。こちらこそ、忠告痛み入る」


 こうして、怒声から始まった二人きりの会談は静かに終わりを迎え、その後その空間を他愛もない雑談が埋めることとなる。


***


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