第一章 切符と代償(3)
僕とセレーナを乗せた列車は、猛スピードで走りだした。僕が今まで経験したことのないほどのスピードだ。
窓の外を見たこともない速さで流れ行く景色を見ながら、僕の日常を思い出す。
――今日は、秋の考査の最終日だった。
樹脂の机の表面と、最後まで埋まった答案用紙と、居眠りする僕。
「気持ちよさそうに寝てたねぇ」
試験が終わったとき声をかけてきたのは、隣の席の浦野智美。
背が高いわけでも低いわけでもなく、見た目が痩せ型と言うほどでも太めというほどでもなく。
特に勉強ができるという風でもないし体育で活躍してるといううわさも聞かない、本当にどこにでもいそうな女子高生という属性の彼女は、言ってみれば僕の数少ない友人の一人。
「大崎君、数学いつも百点だもんねえ、余裕だよねえ」
そしてこんなことを間延びした声で言うのは、本当に皮肉でもなんでもなく、ただそう思っている、というだけで、何というか、裏表の無い『いい子』だ。
僕が試験が終わって居眠りしてたら先生にスパーンとやられた件なんだろうけど。
「知ってる問題しか出ないんだから仕方ないだろ」
僕は言いながら、回答に使ったペンをトントンと机につけて揃える。
「うわー、いーやみいー」
と、彼女はくすっと笑う。肩までのストレートの黒髪とちょっとかわいらしい二重の目が、ちょっと近づいてくる。
「でーも知ってるもんねぇ。大崎君、歴史学者になりたいとか言ってるくせに、歴史の点数この前五十五点だったもんねぇ」
「いっ、いつ見たんだよ」
「うえへへー、この前答案ほっぽりだしてたでしょーう」
ぐぐっ、そんなことあったか。
ともかく、こいつは油断がならないやつだ。
「うへへ、ばらされたくなければ、プリン食わせろー。今日は購買のやつで許してやる」
何度か餌付けしてたら隙を見てはプリンをたかろうとするようになった、プリン魔人だ。
弱みを見せてはいけない。
ここは毅然と、ちょっと顔をキリッと切り替えて、
「ばらすもなにも。そもそも正解だっていう解答だって数ある説の中の一説に過ぎないわけで僕がどの説を採用するかは」
「また始まったー。マービンくーん」
と浦野が呼ぶと、二つ向こうの席に座っているマービン・洋二郎が振り向く。
マービンを呼ぶのはずるいぞ。
知性と理論の番人。テストの点は取れないのに頭の回転がずば抜けて早い。ちょっとかなわない奴。
「はは、大崎君、また例の『究極兵器』ですか」
マービンが情報端末に開いていた参考書らしきものから目を上げて立ち、歩いてくる。眼鏡の向こうの薄ブラウンの瞳とふわふわの髪が特徴的な、アングロサクソン系の血を引く好男子。
また例の、とはずいぶん失礼な言いっぷりだが。僕が何度か、浦野やマービンに、『究極兵器』の話をしたのは事実だ。
「北米の真ん中のおっきなクレーター。ふふ、発電所の事故っていう歴史は、大崎君の説の『舞台』としてはいささか退屈ですね」
「退屈とかじゃなくってさ、だって、千年前から軌道上は主権外で、千年前にクレーターが出来たんだから、当然じゃないか」
そんな風に言ってみるけれど、なんというか、あまり信じてもらえてはいない。
時々、この件でちょっとした議論をするときは、マービンがいくつか反論の種を持ってきて、僕が再反論するって流れ。
そのたびに僕はいろんな傍証を上げるけれど、いつも、マービンに押し切られてしまう。
僕だけが知ってる秘密にしたいわけじゃないのに。
ただ、一緒に、空を覆うものを、同じ目線で見たいだけなのに。
でも、そんな僕をからかったりさげすんだりもしない、マービンはなんだかとても安心する友達だ。
浦野はそんな僕らの会話をにこにこして聞いているだけで、その顔に感心だの驚嘆だのの表情は一切含まれていないわけで。
「僕はこの説をいつか確かめる、宇宙のどこかに絶対に証拠は残ってて――」
「じゃあ大崎君は、歴史学者になったら……研究のために宇宙に飛び出す、のかなあ?」
唐突に、浦野がそう言った。
「僕が?」
考えたこともなかった。どうなんだろう。
宇宙に飛び出す――そんな夢を見ながらも、結局、地球の表面に縛られて一生を終える地球人のいかに多いことか。
そりゃ、そんなチャンスがあったら、僕だって。
とは思うんだけど。
「研究のために宇宙に出るなんて……よっぽどの実績のある学者さんかお金持ちの学者さんじゃないと」
小さくため息をついて肩をすくめた。
残念ながら僕の家はお金持ちでもないし、僕の家系に著名な学者の名前は見当たらない。
「じゃあ、まずは地球で『究極兵器』の証拠を見つけて、それを世界に発表して大学者さんになるってことねえ」
浦野が言うことももっともだと思う。結局できることは、そういうこと。
学者になってから究極兵器を探すんじゃなくて、究極兵器を見つけてそれを踏み台に著名な学者になる。
そして宇宙に飛び出して究極兵器の証拠を探して――
見事なニワトリタマゴ論法になってしまった。
「おーい、大崎」
ふいに後ろから話しかけられ、振り向くと、そこには、『悪友』のカテゴリに入る毛利玲遠が立っていた。彼の白目がちの目もやっぱりニコニコと笑って僕を見ている。
「遊び行こうぜ、あーそーび。今日テスト終わったらさ、東京行って大宮行って松本行って……」
「ちょ、ちょっと待てよ、東京行くだけで帰りは夜中だろ」
「ばーか、徹夜に決まってんだろ」
「何しにいくんだよ、特に松本とか……」
「いやいやちげーんだよ、中学んときのダチがストリートライブやるっつってもう試験終わった直後からギリギリのスケジュールであちこちのブロックに予約入れまくっててまあとにかくにぎやかしに来いっつーからさ」
「サクラかよ……」
「わははは、そうとも言うわな!」
毛利は口をあけて笑う。高い背とワイルドなつりあがった眉とぼさぼさトゲトゲの頭が特徴的な彼のしぐさに、僕は思わずクスリとする。
彼はこの手の悪事が大好きなのだ。悪いことをするわけじゃない。でも、親だの先生だのの監視をかいくぐって意味の無いことをする、そのスリルをただ楽しむのが『頭の悪い大悪党』と自称する彼なりの悪事。
「じゃ、浦野、お前だけでも来いよ」
「やめとけよ、仮にも女の子だぞ」
「仮にもって、ひどーい」
浦野がふくれっつらで僕の二の腕を叩いた。
「じゃマービン……は、無理か」
「そうですね、一応親族の目もありますし」
地元ではちょっとした名家扱いのマービンの家も、いろいろと大変みたいだ。
「それよりお前、次のテストの準備しとけよ、今度赤点取ったら」
「だーいじょうぶだって、何とかなるって! つーか大崎も赤点じゃないだけで俺と似たようなもんだろが」
再び毛利はがはははと笑う。
――残る考査が終わって、結局、毛利はどこかに遊びに行き、僕はついていかなかった。終業記念プリンを求める浦野の誘いも断った。
僕は浦野の言葉について考えていた。歴史学者になれたって、宇宙時代の千年紀を採掘するために広い星海に漕ぎ出せるものなんて、地球にはきっといない。
カノン基地は、アンビリアのもの。
それは、地球を覆う檻みたいで。地球は巨大な刑務所だ。
僕らは、ずっと檻の中で暮らしている。
僕なんかにはあらがいようのない巨大な力が、僕らを地上に縫い付け続けている。
――そして、それにあらがうことが馬鹿馬鹿しくて。
ときどき、みんなが能天気に浮かれているのを見てしまうとき、なんだか、ごめんって言って誘いを断ってしまう。
そして最後に、いつもこう付け加える。
――こんな日常、壊れてしまえばいいのに。
――。
――。
「着くみたいよ」
そんな声に我に返る。
列車は徐々に速度を落とし始めていた。
隣で、とびきりの美少女が微笑んでいる。
僕の日常を壊すかもしれない、自称王女、セレーナ。
「……あの、セレーナって、実は、本当の王女様?」
少し前に僕がやったように、彼女は肩をすくめてそっぽを向いた。
ああ、これは、根に持ってるな。
そりゃそうだ、彼女の身分を鼻で笑ったんだから。
……自分が情けなくなる。
他人の言葉を斜めに受け取るのは悪い癖だ、とは、最近になって気づいたけれど、それでも、あの態度は無かったな、と。
本当にただ道に迷って困っている女の子だったとしても、あの態度は、無い。
僕がそんな風にうつむいて黙っていると、セレーナは、小さくため息をついた。
「私もそれなりに無茶言った自覚はある。でも、それならそうで、あなたは信じたふりなんてするべきじゃなかったわ。黙って請け負うことなんてないの、返事をするのは何もかも確かめてからでいいんだから」
僕より小さな子に、こんな説教じみたことまで言われて。
あー。情けない。
僕が何も言えずにいると、僕をじっと見ていたセレーナが、ふと、表情を緩めた。
「……あー、もう、落ち込まないで。私が悪かった。もっとやりようはあった。ちょっと焦ってたの。ね、ごめん」
結局謝らせてしまった。
ますます情けない。
「いや、こちらこそごめん。最初から、君を偽物だと決めつけてた」
考えていると、僕の歴史観も、勝手な決めつけなんじゃないかと不安になってくる。
セレーナが、小さくうなずいたのが見えた。
「君が何か精神的な失調の最中にある病人だと勝手に思ってた」
僕が付け加えると、セレーナは盛大に吹き出した。
「あはははっ、ほんとに!? 失礼な人! でも正直に言ってくれてありがとう。だったら、ね、もうちょっとだけ、その病人に付き合ってくれないかしら、ボランティアだと思って」
そう言われると立つ瀬がない。もう僕は、完全に彼女の掌の上だ。
「それで僕の無礼が少しでも挽回できるなら」
「頼むわよ。あ、それと、今さら殿下は無し」
僕は、うなずいて答えた。
「でも、あんな大金動かすなら相談くらいしてほしかった」
「大金? 何のこと?」
さっきも確認したデバイスを再確認してみると、僕のIDで五百六十万クレジットが決済されている。
「鉄道網貸し切り……贅沢プリン一千万個分……」
僕がぶつぶつと言ってると、
「……もしかして、割とあり得ない金額だったり、する?」
「はい、ニュースでしか見たことない桁でした」
「えっ、あわわ、やば、また家庭教師に叱られちゃう」
ちょうどその時、列車はブレーキ音をたてながら、日比谷駅のホームに止まった。
時間にして二十分。乗り換えのことを考えたら横須賀堀ノ内から日比谷到達の世界記録だと思う。
世界記録保持者になんてなりたくなかった……。
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