第二章 凍土の黒豹と重力のペテン師(4)
それから、僕は完全に勘違いしていたことを思い出した。
僕は歴史的事実を探るためにこの研究所に来たんじゃなかった。
マジック、反重力物理学において、それを兵器に転用できる、はた目からはまるでそうであるかのような理屈をでっち上げることが目的だったのだ。
だから、こんな資料室でいくら資料を読んでも、ほとんど無意味なんだ。この短時間で、反重力物理学の神髄にたどり着けるはずがない。
「セレーナ、そういうわけで、僕はどうやら浮かれて間違っていたらしい。僕らに必要なのは、理論や歴史の積み重ねじゃなくて、ペテンなんだった」
「そうね、せっかくあなたは大層なペテン師なのに、早くそのことを思い出してほしかったわ」
「僕がペテン師……」
確かに、ペテン師呼ばわりをされた記憶はあるけれど。
釈然としないながらも、ともかく、目的は変わったんだ。そうなれば、僕には別の考えがあった。
「と、とにかく。僕はさっきからちょっと気になっていたことがあって。バスの中から見た、外の鉄柵。きっと屋外の実験場なんだろうけど、広い実験場を用意するってことは、もしかすると、大きな破壊力を生むような技術上の危険があるのかもしれないと思うんだ。そこでどんなことをやっているか、聞いてみたい」
屋外の実験で破局的な失敗だってあったかもしれない。それは、破壊を目的とする兵器として転用できるはずだ。
「なるほど、さすがジュンイチ、目の付け所がいいわね。でも、どうやって?」
「こうする」
僕は情報端末を取り出して、ビクトリアの端末を呼び出した。
間もなく、端末は、ビクトリアが応答したことを僕に伝えた。
「あ、ビクトリアさん、もし時間があればで結構なんですが、お願いしたいことが」
『もちろんどうぞ。まだ資料室? すぐ行きますね』
彼女は短く答えると、一方的に接続を切った。
それから、資料室に彼女が現れるのに二十秒しかかからなかった。外をバタバタと駆ける音に引き続いて資料室の引き戸が開くまでの早さと言ったら。
ひょっとすると、こんな機会には飢えていてうずうずしているのかもしれない。
「どんなことでしょう?」
「外の実験場を見たいんです。どんな実験が行われているのか」
「お安い御用ですよ。一緒に来てください」
そう言うが早いか、彼女は僕らを引き連れて建物の奥に進み、一か所、守衛所のようなところで実験場への立ち入り手続きをして、その奥のちょっと厳重な扉を開けた。
そこは鉄の壁、鉄の扉に囲まれた狭い空間。その奥にさらに重そうな扉がある。
「実験場は危険なのよ、少なくとも実験をしているときはね。だから、こうやって厳重に管理しているんです」
そう言って、ビクトリアはその重そうな扉を力いっぱい向こう側に押した。どうやら自動ドアでさえ無いようだ。
扉と壁の間に小さな隙間ができると、途端に、冷たい風が屋内に吹き込んできた。
あまりの風の冷たさに思わず目を閉じ、それからもう一度目を開けたときには、閑散とした実験場の大地が開き切った扉の向こうに見えていた。
ビクトリアに続いて、僕は、実験場に踏み出した。セレーナも後に続く。
はるか遠く、点になって見えなくなるくらい遠くまで、左脇から伸びている鉄柵が続いている。右側も、その鉄柵に対して九十度の角度でもう一つの鉄柵が伸びている。正面は小さな丘になっていて見通しがふさがれている。たぶん、その向こうで、二つの鉄柵は一つにつながっている。
「もう少し奥まで歩いてみましょう、最近は実験もしていないから。寒くない?」
「へ、平気です」
と答えた僕の声はがたがた震えていて説得力はちっとも無い。一方セレーナは、ちゃっかりとダウンジャケットを羽織っている。
ビクトリアはやせ我慢の僕をちょっと笑ったようだったけど、僕らを先導してどんどんと実験場の真ん中に向かって歩いて行った。
「さっき危険があるって言ったじゃないですか、どんな危険があるんですか」
歩きながら、僕は尋ねてみた。
「いろいろね。一番多いのは、試作エンジンの不具合」
前を歩きながらビクトリアは答え、続けて、
「コントロールを失って、瞬時に何百メートルも吹っ飛んじゃうことがあるの。もし人がいたら、大事故ね。一応、定位置を一定以上離れたらすべてのエネルギー供給がカットされるような安全装置がついているんだけど、それでも、その瞬時のエネルギーで砲弾みたいに飛んでっちゃうの。最高記録は、二キロメートル。あれは逆に笑えちゃったわ」
「不具合の宇宙レコードってわけですかね」
「たぶんね。タイトルホルダーは、私」
そう言ってビクトリアがちょっと振り向いて茶目っ気たっぷりに笑って見せたものだから、僕もつられて思わずふふっ、と笑ってしまって、あ、失礼しました、と取り繕ったものの、彼女は全く気にしていなかった。
「どのくらいの加速度で飛ぶんです、素人考えで言えば、重力ポテンシャルの傾斜以上の仮想重力を発生させるのは難しそうですが」
「ま、個別のマジックデバイスそのものについてはその通りなんだけど、マジック船に乗ったことは? 乗ってみれば分かるわ。たとえば地上からなら、ものの十数秒で何万メートルにまで飛び上がれるのよ。仮に惑星の重力をまるっきり反転させたって、こんな加速は無理よね。重力そのものの力を使うんじゃなくて、重力ポテンシャルにそって流れる重力の風をマジックの帆に受けて走るのよ。傾斜そのものは関係ないの。帆に受ける風の総量が問題で、仮に質量の小さな船、つまり小さな重力しか持たない船でも、大きな帆を広げれば、何百倍もの重力加速度を得られるわ、しかも内部は無重力でね」
「つまり、マジック推進機関の性能は、その帆をどれだけ大きく広げてどれだけ精密にコントロールできるか、ってことですね」
僕が確認すると、
「あら、呑み込みがいいじゃない。その通り。そして、私は、その帆の大きさのタイトルホルダーってわけ」
「その代わりにコントロール不良のタイトルホルダーでもあるわけですね。でも、帆が大きい分、位相コントロールが難しいんでしょう、そのために、デバイスもたくさん必要になるし……」
「……呆れた。技術史とかやってないで、技術者にならない? 研究所で席空けて待ってるわよ」
「あ、その、いや……」
なんだか、褒められてはいるんだろうけど、ちょっとこんな風に言われても、素直に喜べないというか、僕の本来の興味の分野である歴史をちょっと馬鹿にされているような気がして。それに、なんだか似たようなことを誰かにも言われたような気がするし。
「ま、個人の資質と夢が相関している必要はないわね。さて、もう少し行くと、面白いものが見られるわよ」
ビクトリアのしゃべり方は、最初ちょっと硬いところがあった気がするんだけど、なんだかすっかり打ち解けてきたように感じる。僕が彼女を楽しませているのかもしれないと思うと、少しだけ鼻が高くなる。
僕らは視界をふさいでいた丘を登った。上りきったところで、はるか向こう、実験場の最果てまでが見渡せた。草木一つ生えていない大地が延々と続き、実験場の最果てのさらにその向こうには、青くかすむごつごつとした岩山がたくさん見える。
「ほら、あそこ」
ビクトリアが指差した方向を見ると、たぶん数百メートルは離れていると思われるそこには、大きなくぼ地があった。
その直径は、五十メートル以上は確実にある。
「エンジンが吹っ飛ぶなんて事故は日常茶飯事。だけど、あの事故は、今でも語り継がれているのよ。もうそんな事故を起こす人はいないけれどね」
「事故? あの穴が?」
「そう、あんな穴を開けるような大きな爆発」
その言葉を聞いて僕の鼓動が急に早くなった。
これこそ、僕らが知りたいことだった。
地面に巨大なクレーターを作るような、マジック技術の事故。
それこそ――。
「どうやら君はマジック理論のことをよく知っているみたいだから、説明するけれど、マジック素子の機能は、純粋には単純な重力反転。それは良い?」
「は、はい」
僕は寒さか興奮かどちらが原因か分からない震えに耐えながら答えた。
「それを高周波で振動させて、位相制御でマクロ的な重力感受性の傾斜を作る、それがマジックの帆、ここまでは分かってるわね。普通の事故は、その帆を作る精密制御のエラーが原因。帆があらぬ方向に向いて、エンジンが意図しない方向に吹っ飛ぶってだけだけれど、あの事故は違うのよ」
そう言いながらビクトリアは視線を穴ぼこに向けた。
「四百八十三個の素子を使った大規模実験のとき、最初のスイッチを入れた瞬間に、周囲を巻き込んで爆発。粉々。原因は後で分かって、それは今では『突入反重力効果』って呼ばれているの」
「突入……?」
確かに穏やかじゃない言葉だけれど、意味はよく分からない。
「そうね、オーバーシュートって言ったほうが通りが良いかもしれないわね。要するに、反重力をオンにする瞬間、本来は重力が反転するだけのところが、ちょっとだけ行き過ぎてしまうの。回路の突入電力が残留してその余剰エネルギーが重力をマイナス1.0005倍から1.0010倍にまで反転させすぎちゃうわけ。小規模装置では気づかれなかった効果が、大規模実験で見つかったの。制御ミスで同位相で突入したときそのピークが閾値を超えて……爆発的な反重力が周囲を吹き飛ばしたの。素子ごとのパワー投入を必ずずらすっていう設計基準ができるきっかけになった大事故の記録。だから、修繕せずに記念碑的に残してあるの」
オーバーシュート。
これこそ、反重力の兵器転用のためのキーワードだ。
もちろん、まともに戦争に応用することを考えれば、あらかじめ相手の懐に危険なマジックエレメントを大量に抱えさせるなんて現実的じゃない。それに、あの程度のくぼ地じゃ、宇宙戦艦一隻を航行不能にするのが精一杯だろう。けれど、そこから先は、誇大広告でなんとでもなるような気がする。
僕が黙っていると、ビクトリアは振り返って、僕の顔を覗き込んだ。
「……どうやら、この事故に興味を持っちゃったみたいね。今働いている人はもう誰もこのことを知らないけれど、知り合いにこの事故のことに詳しい人がいないでもないわよ」
渡りに船とはこういうことなんだろうな。
「ぜひ」
僕は躊躇せず、紹介を頼んでいた。
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