第二章 凍土の黒豹と重力のペテン師(3)
何度も喧嘩して何度も仲直りして。僕らの距離はとても縮まっていた、と僕は勝手に思っていた。
なぜそんな馬鹿なことを考えたんだろう。
僕はセレーナのことを何も理解していなかった。
今だって、そう。
どうして彼女が、僕に、謝るな、と言ったのか、やっぱり分からないでいる。
あの時、『すぐに謝るジュンイチは嫌い』と言った。とてもよく覚えている。とてもショックだったから。
僕がすぐに謝ってしまうことが、よくないのかな。
だけど、悪いと思ったら謝る、ってのは、当たり前のことじゃないのか。
ずっとそう教わってきたし、それで怒られることなんて無かった。
そう言えば。ここに到着する前も同じことを考えていた。
――そうだ。
そのことを、きちんとセレーナと話そう、と思ったんじゃないか。
しん、と静まり返った資料室。ほかに誰も利用者はいない。
いいじゃないか、ここで思う存分、喧嘩しよう。
思い立って、僕は資料室を出た。セレーナはきっとロビーの辺りにいる。ほかに出入りできる場所は無いから。
行って見ると確かに、セレーナは、外向きにすえつけられた長椅子の一つに座って、凍える砂漠を見つめていた。
「セレーナ、話がしたい」
僕が後ろから声をかけると、びくっと大げさなほど彼女は体を震わせた。
振り向いた彼女は、ちょっと目は赤かったけど、笑顔だった。
「なに? ジュンイチ。あ、さっきはごめんなさいね。もう落ち着いたから」
「謝らないで。ただ、話がしたいんだ」
そして僕は自分の言葉にびっくり仰天した。
僕も、彼女に謝るな、と言っていた。
そうか、そうだったのか。
「とりあえず資料室に」
僕が言うと、彼女は浮かべた笑顔を急に失くし、うなずいた。
一緒に資料室に入る。
相変わらず静まりかえった資料室。
「正直に言うよ。僕は、君に嫌いと言われたことで、結構長い間、落ち込んでる。その理由が、僕がすぐに謝っちゃうからだって」
僕が先に口を開いた。
「違うの、ジュンイチ、そうじゃない、私が勝手に期待してついいらっとしちゃって……」
「分かってる。いや、ついさっき分かった。君は、もっとちゃんと僕と話したかっただけなんだ、僕がごめんの一言でそれを打ち切ってしまう前に」
「……うん。半分、正解」
彼女はそう言って、床に視線を落とした。
「ジュンイチに謝られる私、みじめだった」
……え?
僕はその言う意味が、ちっとも分からなかった。
「ジュンイチに頼るしかない私。ジュンイチに気遣われる私。ジュンイチに哀れに思われる私。これまで誰も、ジュンイチみたいに私を見る人がいなくて――でも、初めて気づいた。ああ、私って、哀れなんだ、って。一生嘘をつきながら生きるしかない私って、自由の国の人から見たら、そんななんだ、って」
言われて、僕は、いくらでも思い当たることがあって、言葉を失う。
彼女の言葉一つ一つが僕の胸をえぐる。
僕は――セレーナをそんな風に見てた。見てしまっていた。
嘘をつかなきゃならない人生から、救ってあげたいなんて。
だから、彼女を憐れんで、先にごめんって言ってしまっていた。
――この上ない侮辱だ。
セレーナは、半泣きの顔のまま、くすっと笑った。
「ほら今も、謝りたそうな顔してる。……うん、ごめんね、こんな風に追い詰めるつもりなんてなかったの」
「謝らないで」
僕の口をついて出た言葉は、やっぱり間違っているんだろう。
「私、ジュンイチを巻き込んだ。謝らなきゃならないはずの私が謝れなくて、なのにジュンイチはすぐに謝っちゃって。全部私のわがままで。もうこんなことにジュンイチを付き合わせちゃいけないの」
セレーナの閉じた瞼から、涙が零れ落ちる。
「あのスパイだって……あの正体を知ったらきっとジュンイチは幻滅して私の前から消えてしまう。そう思ったら私本当のことなんて何も言えなくてやっぱり嘘しか言えなくて、でもそんな私をかわいそうな目で見てごめんっていうジュンイチの視線に耐えられなくて……」
「僕は、君に幻滅なんてしない」
思わず言い返していた。
「いいえ、するわ」
今セレーナにスパイの正体と言われて、僕ははっとする。
どうして今まで気にもしてなかったんだろう。
そうだ、彼の動きは明らかに変だった。
あっさりとロックウェルの間諜だと白状し、なのになぜかセレーナに気圧される――
「……しないとも。あれが、エミリアが送り込んだスパイだったとしても」
僕が言うと、セレーナは目を見開いて顔を上げた。
「……いつから気づいてたの?」
「恥ずかしながら、今言われて。考えて見れば当たり前だった。星間通信を傍受してたなんて言う荒唐無稽な話より、ただ君のIDを君のIDの監督権がある人間が追跡してたと考える方が当然だ。そうか、僕を本気にさせるための演出か……回りくどいことをするね」
僕はようやく理解が追いついた。セレーナはとっくに分かってたことなのに。
「そんな手を使ってる私よ?」
「……ふふ、違うよ。君じゃない。だってそうだろ。また地球にきて僕に会った君は、友達だなんて夢だったっていう僕に、ちょっとだけ落胆してた。うん、今さら思い出した」
僕は、自分が情けなくなってしまう。
どうして彼女に憐みの視線なんて向けてしまったんだろう。
「僕は君に頼ってばかりで、君に迷惑をかけてばかりで、ただ君のそばにいるのが楽しくて……そんな風に一方的な関係だと思ってて、だからきっとすぐにごめんって言っちゃって……そんなの、対等の友達じゃない。ああ、君にいつも馬鹿って言われる意味が本当に分かった。僕は、馬鹿だ」
「……うん。あなたは馬鹿。私がこんなにあなたに頼られたいって思ってるのに。ちっともわからない」
「うん。だから、あんな刺客を送り込んだのは、君じゃない。あんなことしちゃ、それこそ僕は君を守らなくちゃって気張って、君を憐れんで、君を傷つけて、君を失いそうになる……僕の本質を知らないくせに僕を本気にさせたいやつが考えた、児戯だ」
僕が言うと、セレーナは、何度か目をしばたたかせて、またちょっとうつむいて。何かをこらえるような仕草をしてから、
「……そっか。私、ジュンイチを見くびってたのね。それこそ謝らなくちゃ。てっきり、ジュンイチはすっかりあいつらの手に乗って、私を憐れんで、わざと楽しそうなフリをしてるのかと思ってた。ジュンイチの馬鹿っぷりは、その上を行ってたってことね」
セレーナはうなずいた。
それから、何度か目元をこすって、顔を上げる。凛とした表情。
「やり直し」
「へ?」
「やり直しよ。なんかむかつくからやり直し!」
「え、何かやっちゃった? ――」
「違います。あなたが私に叱られて子猫みたいにしょぼくれてるところから、やり直し!」
「あ、はい」
なんだか勢いに飲まれて、思わず返事をしてしまった。
「ジュンイチはこれをうっかり美少女王女との楽しい歴史探索行だと勘違いしてるみたいだけど、これはエミリア王女たるセレーナ・グリゼルダ・グッリェルミネッティが、王族の使命として成す大事であって、あなたはその頼りにするよすがなのよ。その自覚をもってことに当たりなさい!」
「かっ、かしこまりました」
思わずかしこまってしまった。――からの。
「自分で美少女って言うのかよ」
「私は自分を過小評価しないの」
セレーナは、首をかしげ肩をすぼめて、徹底的に訓練された誰から見ても美貌の王女と見えるポーズをとった。それは卑怯だ。
それから彼女は、僕をしっかりと見すえ、にっ、と笑った。作り笑いには見えなかった。
彼女は静かに右手を上げ、僕の眉間に人差し指を突きつけた。
「だけどもう一つ、私には不満があるわ!」
「えっ、その、すぐ謝っちゃうこと……じゃなくて?」
「ええ、そう。……ま、これも私のわがまま。あなたに押し付けるようなことじゃないから」
「でも、だったら言ってほしい。僕にできることなら」
けれど、セレーナは堂々と首を横に振って見せた。
「課題よ! もう半分は、あなたの力で見つけなさい! 宇宙一偉大な王女様に一ミリでも近づきたいならね! もちろん、どんなことがあっても、私があなたと恋に落ちるような展開は絶対にありえないから! あなたが私に惚れるのは勝手ですけどね!」
彼女の元気な声と課せられた問題と最後の宣言に、僕はもう苦笑いするしかなかった。
「君もずいぶんうぬぼれなところがあるんだね、僕が君に惚れるだって?」
「あら、違うのかしら。私のそばにいるのが楽しいだの失うのが怖いだのって、ずいぶん惚気られましたけど」
瞬間湯沸かし器のように僕の顔は真っ赤になった。
え。そんなこと言ったっけ? いやいや、言ってない。多分。え、どうだっけ。
「ぼ、僕は王女様の騎士。尊敬する主君に嫌われたくない、それ以上の意味なんてない!」
慌てて言い逃れを言ってみるけれど、よくよく考えてもこの気持ちには嘘がない。と思う。
「ふん、なによ、つまんないわね、そこは嘘でも惚れちゃったとかなんとか言っときなさいよ」
それから、またくるりと後ろを向いて、
「……ありがとね、ジュンイチ」
どんな表情でその言葉を言ったのか、僕には分からなかった。
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