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第一章 偽りを求めて(4)


「とっさに偽名を使うんだね」


 研究室を出てから玄関までの廊下で、僕はセレーナに言った。


「嘘をつきなれているってのも考えものね」


 セレーナは飄々と答える。

 きっと、王女という身分にあっては、つきたくも無い嘘をつかなきゃならないこともあるんだろうな、ということを、その一言から僕は理解した。

 一人の少女に過ぎない彼女がそんな十字架を背負っていることを――哀れ、に思う。もちろんそんなことを面と向かって言えば、強烈なローキックが飛んでくることは間違いが無いんだけれど、だからこそ、黙って彼女を助けたい、彼女の味方でいてあげたい、なんていう身に余る考えが僕の中で湧き起こる。


「じゃあ、リュシーに向かうってことでいいと思うんだけど、ジュンイチ……」


 と、引っかかるような言い方を彼女はした。


「何か問題でも?」


 僕は思わず訊き返す。


「あなた、学校は? なんだか勢いで連れ出しちゃったから忘れてたけど。あなたは学生なんだから、まずその本分を果たすべきよ」


「あ、うん、そうだと思うけど……でも、これは君の身の上に関わる大切な問題だと思うから……」


「相変わらず馬鹿なことを言うのね。あなたにとって大切なのは、どこぞの王族の小娘の言うことよりもあなた自身の生活じゃなくて?」


 彼女は皮肉っぽい笑みを浮かべながら僕に言った。

 そうか、ずいぶん前になるけれど、彼女のことを小娘呼ばわりして大恥をかかせたことがあったな、なんて思い出す。


「僕は楽しいから手伝う。それじゃだめかな」


「楽しい?」


「そうだね、僕にとってはどこぞの王族が相手だろうとそうじゃなかろうと宇宙を旅して歴史を研究することは、僕が楽しいからしてることで。その間は担任に小うるさいことは言われずに済むし」


 一瞬黙ったセレーナは、ぷっ、と吹き出し、それから大笑いした。

 僕も釣られてちょっと笑ってしまう。


「そうね、私も今回地球に行こうと思ったとき、これを口実にしばらく家庭教師のお小言から解放されるな、なんて思ったの。同じね」


 セレーナにこんな風に認められるのが、なんだか僕は一番うれしくて楽しく感じるようになっていた。

 そんな話をしているうちに、僕らは、文化研究所の広い玄関に差し掛かっていた。

 ここから通りまではほんの二十メートルといったところ。ただ、その前庭は深い植え込みがあちこちにあってあまり見通しもよくないし、お世辞にも手入れされたきれいな庭とは思えなかった。どこかの文化ではこれがもっとも美しい庭の形なのかもしれないけれど。

 玄関を潜り抜け、数歩を進んだところで、僕の背後に人間が密着する感覚があった。

 まさかセレーナが僕を!? そんな、いやいや、そんな流れは特に無かったけど。

 と思って恐る恐る振り返ると、そこには僕より二十センチメートルは背の高い黒服の男がいて、セレーナはその向こうで顔を真っ青にしているのだった。


***


 男は低い声で、文化研究所の建物の隙間の小さな路地に入っていくよう命じた。

 私たちはその言うことを聞くしかなかった。

 なぜなら、彼がジュンイチに密着してその腰に押し付けていたのは、熱針銃。

 命中すれば跡形も残さず蒸発するだけの威力を持つ。

 絶対に外さない距離でその武器を突きつけられてしまえば、どんな言うことも聞くしかない。

 混乱する頭の中で、なぜこんなことに、という問いかけだけが何十回も繰り返される。


 私は、ジュンイチの前を歩かされている。

 右手が痙攣する。

 ――右腰に、神経銃がある。

 これを抜いて振り向きさっと狙いを定めてトリガーを引き――。

 その前に、ジュンイチが粉々になる未来が見える。

 無理。


 ここでいい、と男が低く言ったのは、ちょうど建物の奥行きの半分も進んだ場所だった。向こう側には、裏玄関の正面の通りがかすかに見える。でも、全力で走っても二十秒はかかるだろうし、二十秒もの間、男の熱針銃の照準をそらし続ける方法は存在しない。

 男はジュンイチを突き飛ばし、彼はよろめいて私にぶつかった。

 彼は真っ青な顔で何を思っているだろう。

 多分、自分が殺される恐怖よりも、私を助ける方法がないかをずっと考えてる。

 彼はそんな考え方をする人だ。

 私が、ジュンイチを巻き込んでしまったことを後悔しているように。

 分かってる。ジュンイチには何の価値もない。

 価値があるのは、王女たるこの私。

 いつだって、私には価値があった。そのことを忘れちゃいけなかった。

 私の身の上一つでエミリア王家が支払う身代金は億クレジットの桁を容易に超えるだろう。

 つい先だってベルナデッダの英雄となったことも加味すれば、さらにレイズしてもいい。

 それ以上の価値――ロックウェルにとって何百億クレジットに相当する軍事的脅威を取り除くという価値だってある。

 振り向いたところで、二つの瞳と一つの銃口に視線を交えることになった。


「あなたは一体……何者なんです」


 ジュンイチが口を開いた。

 まさかと思ったけれど、彼は、必死で主導権を取りに行こうとしている。

 政治にも陰謀にも暴力にも、何も関わったことの無いはずの彼が。

 自らの命が吹き飛ぶ恐怖と戦って。

 ――私も私のすべきことを。

 そう考える。

 ただ考えるだけ。……それだけでいい。

 動揺しちゃダメ。

 しっかり、はっきり。思いついたことを脳裏に想像して――


「ベルナデッダの秘密を話したまえ。そう言えば分かるかね」


 私が考えているうちに、男は低い声で言った。

 この時点で可能性は二つ。

 ひとつは、究極兵器の秘密を知りたくてうずうずしているエミリア貴族、その中の過激派。

 もうひとつは、ベルナデッダでなすすべなく撤退を余儀なくされたロックウェル連合国。

 ベルナデッダの秘密。

 そんな言い方をするのは、どう考えても後者。


「国務統括本部長の命令かい」


 ジュンイチがはったりをかけた。

 こっちが相手の思っている以上に事態を把握していると思わせるには良い手だ。


「……そうだ」


 彼はあっさり認めた。


「どうしてここが分かった?」


「簡単なことだ。星間通信は俺たちが自由に傍受できる」


 ……違う。多分違う。

 ありえない。

 私かジュンイチか、どちらかは少なくとも生きて手にしなきゃならない。

 そんな相手に、雇い主の名前を言うはずがない。

 ……私の中で、最悪の想像が膨らむ。


「命令に、地球新連合国市民の殺害は入っているのかな」


「……入っていない。素直にご同行いただきたい」


 お願い口調ではあるものの、彼の銃口は一ミリも揺らがない。

 ジュンイチは、体を一歩左に寄せ、私をかばうように立った。

 ――いや、違う。ジュンイチを撃てば私も蒸発する。つまり――


「……エミリア王女の殺害も含まれていないはずだ。それとも僕ら二人、地球市民とエミリア王族をまとめて蒸発させてみるかい?」


 男が少し動揺して逡巡しているのが見える。

 ジュンイチの機転に少し驚いたけれど、でももう少し時間がほしい。


 後悔が波のように繰り返し襲いかかってくる。

 ジュンイチを連れてくるんじゃなかった。


 ――ジュンイチを頼りたかった。

 ジュンイチに頼りにされたかった。

 ジュンイチと信頼し合える仲間だったあの旅の間感じていた、あの翼の生えたような気持ち……。

 そんな私のくだらない我儘で、彼をこんな危険に巻き込んでしまった。

 摂政閣下のご機嫌取りなんて、私一人でできたかもしれないのに。

 やっぱり私、ダメだ。


 足元が、じりっ、と音を立てる。ジュンイチが立てたその音に、男が敏感に反応する。

 なんとか時間をかせがないと。

 ジュンイチに気負わせちゃいけない。

 私が、私が何とかしないと。

 例えば、私がジュンイチの後ろで神経銃を準備する。

 ジュンイチの体越しに照準を合わせるのは、不可能ってわけじゃない。

 焦点位置をマニュアルにして距離を手動設定してあの男の体の付近に――

 外れても、近くで神経刺激の焦点が破裂すれば、しびれや目くらまし位にはなる。

 撃てば相手を消してしまう武器を持つあの男は、その結果の重大さのためにすぐには動けない。

 それだけで時間が稼げるかもしれない。

 私は意を決して神経銃をホルスターから取り出した。


「動くな!」


 男は叫ぶ。

 そう、私がやろうとしていたことが出来ることを、男も知っている。

 だから、けん制するしかない。


「私が撃つ。ジュンイチは相手が倒れたら振り向かずに逃げて」


 はったり。

 ジュンイチはきっとできない。

 でも。


「セレーナ、その役割は僕が。その銃を渡して」


 伝わった。

 ジュンイチは、同一射線上の位置を保ったまま、手を後ろに伸ばしてくる。

 前にいるジュンイチが神経銃を手にすることだけは、あちらも避けたい事態のはずだけど、私を消すことを恐れるあの男は手を出せない。男の視線に一瞬の悩みが走る。


「もういい、一人いればいいのだからな」


 男はそう言って、大股でこちらに近づき始める。

 神経銃の受け渡しに時間がかかることを理解しての動きだろう。

 もう少しだけ時間を。

 ……もはやこれしかない。

 そう思った私は、ジュンイチをつかんで引き下げ、神経銃を持ち上げて前に立った。


挿絵(By みてみん)


 ……ジュンイチには聞かせたくないな。

 でも、もうこれしかない。


「……あなたの本当の雇い主に、なんと言うのかしらね、この私を傷つけたら」


 私が言うと、男は明らかに動揺した。


「さあ私に触れてみなさい、下賤のもの」


 そう言いながら前に踏み出すと、男は歩みを止め、私がもう一歩踏むと、それと同じだけ男は下がった。

 男の雇い主が、分かった。


 そして待ちに待った時が来た。

 突然の衝撃。

 同時に、耳をつんざくような音。

 体が後ろに吹き飛ぶ。


 あ、撃たれた。


 一瞬そう思ったけれど、すぐに違うと理解した。

 ――うまくやれた。


 男のすぐそばに、大きな鉄の塊が落ちていた。半径一メートル半、高さ三メートルもある、円筒形の塊。

 それが何かを確認するより早く、ジュンイチは私の手を掴んで走り出した。

 少し足がもつれそうになったので、私はジュンイチの手を振り払って全力で駆ける。

 チャンスはこれっ切り。

 目測どおり、二十秒で研究所の建物の角にたどり着いていた。抜けるときちらりと見ると、さっきの塊を男が乗り越えてこちらに向かってこようとしているところだった。

 とにかく人目のある通りまで。

 ジュンイチの目くばせを受けて、通りに向けて全力で走る。

 通りに出ても安全じゃない。ジュンイチが右に曲がろうとするのを、手を引いて左に。

 そして、待っていた影と圧力を左側に感じた。


「ジュンイチ! 乗って!」


 私の背後には、白い船体。

 ドルフィン号がタラップを降ろして私をすくい上げていた。すぐにジュンイチもタラップの端に両手をかけ、ドルフィン号の反重力の泡に巻き込まれて体が浮く。

 はるか下方、通りの真ん中で呆然と立ち尽くす黒服の男が見えた。


***


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