第一章 偽りを求めて(3)
「ほらごらんなさいませ。殿下は、迷うことなく地球へ向かわれましたわ」
ロミルダ・カルリージ女伯爵は嘲りとも慈しみとも取れる表情で正面のウドルフォ・ロッソ公爵摂政に言う。
「殿下に対する不遜の言は謹んでいただけませぬか」
ロッソは不快感を隠そうともせずロミルダに言い返した。
「しかし、摂政閣下のおっしゃる通りではございました。色々と理由さえ差し上げれば、地球にくちばしをはさもうとするでありましょうと」
付け加えたのは、シルヴェリオ・サルヴァトーリ子爵。まだ年は若いが、ロッソの懐刀の一人となるだけの知性を感じさせるいで立ち。
元は彼が発案したことがもとになり、地球との新しい関係を築こうとする数々の知略が巡らされ、その一端が陛下の行幸である。そこにこだわりがあるのなら地球との縁を再び手繰ろうとするだろうと彼は考えていた。加えて、彼が掴んだ重大事項もその説を補強するであろうとも。
「そなたらが言うからそのようにしたが……わたくしめには殿下を試し奉るなど恐れ多いことなれば」
ロッソはそういって首を振るが、ひとまず彼自身の目的として、あの青年を監視下に置くということは達成できそうな筋はできつつあることに満足していないわけではない。
「閣下、あの件についてだけは殿下からの口出しを慎みいただけねばならぬことは確か。せんだっては予期せぬロックウェルの介入を招いてしまいましたが、ある意味殿下のおかげで事なきを得ました。が、此度の事件を経ても、まだ殿下にその意思ありやを確かめることが最上の課題でありました。して、結果として殿下は地球にお出でになられた以上、やはり殿下の介入の意思は固かろうものかと推し量り奉るよりほかありませぬ」
サルヴァトーリは以前に説明したことを繰り返し、そして、セレーナの行幸が意味するところを推察する。
「いいえ、殿下が地球を選んだのは、ひとえにあの青年への『情』でございますよ」
一方、ロミルダはサルヴァトーリの政治的推察を鼻で笑うように切り捨てた。
「政治だの介入だの、殿下はそのような無粋な理由で動いてはおられません。言ったではありませんか。殿下は、あの引力には逆らえません、と」
そう言ってロミルダは、どこか遠くを見るような瞳をする。
「二人の若者が死線を共にし、互いの命を預け合ったのです。そこに理屈など入り込む余地はございません」
「やめよ。……いえ、おやめくださるよう。殿下にかような不遜の目を向けるのは。殿下とて王家、王女、誇りあるエミリア貴族であらせられる。ただの情でそのような判断を成される方ではありませぬ。サルヴァトーリ卿の言う通り、殿下はまだ地球との伝手を保つ理由をお持ちと考えるのが筋でありましょう」
ロッソはうっかり厳しくロミルダを糾弾しそうになり、しかし何とか取り繕った。たとえ遥か格上の公爵と言えど、エミリア貴族は爵位の上下が主従関係を意味するものではない。ただ荘園や権益の持つ大きさのみが違うばかりで、枢機院に出れば同格の貴族なのである。とはいえ、慣例的には、爵位が上のものには敬意を払うべし、とはされている。
「それよりも、閣下。少々面倒な情報を仕入れてまいりました」
サルヴァトーリはわずかにたたずまいを正してロッソに向き合う。これこそが、セレーナが地球に向かった真実だ、と。
「彼の青年……その母親が、新連合の公務員……もっと悪いことに、比較的高位の外交官にございます」
「なんと……!」
ロッソは思わず額に手を当てる。
「担当は地球の旧世界……自由圏連盟。直接にこちらへの干渉はないでしょうが、警戒は必要かと」
「うむ、よく調べてくださった。サルヴァトーリ卿、礼を申し上げる」
恐縮するサルヴァトーリ、冷や汗をかくロッソを置いて、ロミルダはわずかに口の端を上げていた。
***
オウミに行くという覚悟を決め、僕は、アンドリュー・アップルヤードに連絡を取ることにした。遠く惑星オウミに住む彼への連絡には高価な星間通信が必要だったけれど、その料金はセレーナが持ってくれた。今回の旅は身分を隠す必要もないわけで。
アンドリューは快く僕らの訪問を許可してくれた。
地球のはるか上空、百万キロメートル以上の軌道に位置する『カノン』が僕らの星間旅行の出発地だ。
僕らを船ごと、超光速で隣の星系に撃ち出す歴史上最大の大砲。
十分な着弾精度を得るための加速は一分以上続き、その間の強烈な加速度は僕らをシートにみしみしと押し付ける。そして突然、加速度がゼロになる。その時にはすでに超光速旅行を終えている。この加速からゼロ重力へ放り出される瞬間の不快感は、たぶん地球のどの遊園地でもそうそう味わえないと思う。
もう何十回とそのお世話になった僕にとって、この不愉快な発射シーケンスは、むしろ懐かしく感じるものだった。
前の旅でも、寝ている間にジャンプが終わっていて気が付かないことさえあるくらいに慣れてしまっていた。
だからと言って、今回の旅の最初のジャンプを寝て過ごそうとは思わなかった。
なんとなく、新しい旅の最初のイベントを、またしっかりと心に焼き付けたい、なんていう気持ちが起こっていたからかもしれない。
隣の星系にたどり着いたドルフィン号は、その自慢のマジック推進ですいすいと宇宙を泳ぎ、次の中継カノン基地へ。
また撃ち出され、また泳ぎ。
そんなことを何回か繰り返して、僕らは惑星オウミにたどり着いていた。ほとんど丸一日が過ぎていた。
そう言えば、前に来た時には、ここで『宇宙船の駐車違反』なんていう珍事件を起こしてしまったんだっけ。
そんなことを思いながら、着陸場を僕もセレーナも指さし確認した。それから、あの時つまらないことで大喧嘩してしまったことを思い出して、僕は少しばつが悪くてしばらくセレーナの顔を見られなかった。彼女はどんな顔をしていただろう。
今度は正しい着陸場に降り、正しく駐機場を借りた。
地下鉄を使って、アンドリューの勤める文化研究所の最寄駅で降りた。
懐かしい研究所の入り口。
用件を告げると、すぐに僕らはアンドリューの研究室に通された。
ちっとも変わらないぼさぼさの赤毛で、アンドリューは僕らを迎えた。ほかほかの状態でスタンバイしたティーセットも、前と全く同じだ。
「ようこそ、久しぶり、ジュンイチ君に、セレーナさん。また会えてうれしいよ」
「お久しぶりです、アンドリューさん」
僕は彼の手を取って挨拶を返し、セレーナも同じようにした。
「それで、地球侵略っていうあの説は、どうなったかな?」
アンドリューは僕の珍説をしっかりと覚えていて、むしろ、その進展を聞きたくてうずうずしているようだった。
「正直に言うと、あったとも無かったとも、まだ分からないんです。でも、地球を降伏させた何らかの兵器、そう、前にお見せした記事にある『未知の攻撃』、そんなものがほんとにあり得るのかをはっきりさせれば、何かが見えると思うんです」
事前に何度もセレーナと打ち合わせした通りに話した。
僕が究極兵器を見つけたことはしゃべらないこと、ロックウェルとエミリアのごたごたの話はしゃべらないこと、その他もろもろの禁止事項てんこ盛りの中でようやく口にすることができるのはこんな言葉になるしかなかった。
「なるほどね、でも、僕の見るところ、君にはまた一つ、確信があるようだ」
アンドリューはにこにこと笑いながらそう言った。
僕の確信?
実は僕が究極兵器をすでに見つけたということを、彼は知っている?
これはちょっとまずい状態なのかな? と、セレーナの顔を見る。セレーナは、僕の顔を見て少し笑い、それから、自ら口を開いた。
「アンドリューさん、実はその通りなんです」
えっ、しゃべっちゃうの?
「実は私たち、もう一度地球に行って、ジュンイチが攻撃跡だと信じているクレーターを見たんです。それはあまりに大きくて……彼が言うんですね、『これはまるで、ここにあった岩石が丸ごと抉り取られて宇宙に飛んで行ったみたいだ』って。彼は確信しているんです。その『未知の攻撃』は、きっと、マジック鉱を使った反重力技術に関係があるって」
い、いや、それはセレーナが言い出したことだったと思うけど……とツッコミを入れたかったけれど、セレーナなりに、僕と彼女の役割を決めておきたいのだろう、と、黙っていた。
セレーナが言い終わると、アンドリューは大きく目を見開いて、一度僕に視線を戻した。
「なるほど、さっきジュンイチ君の瞳に見た確信の光は、それだったんだ。……ふむ、面白い考え方だと思うよ。ただ、そうだとすると僕のところに相談に来たのは間違いかもなあ。マジック理論の専門家を訪ねた方がいい。僕に技術に関する助言なんてできないよ」
「そうかもしれませんが、……マジック技術の専門家のお話を伺っても理解できないかもしれないと思ったんです。それにこれは、どちらかと言えば、マジックの技術史のようなものを追うほうが近いのかもしれないと」
僕が言うと、アンドリューもしきりにうなずく。
「確かにね。だったら、マジック技術の歴史の中で、それを兵器に転用しようとしたなんて話があるかどうか、年代からみて地球への攻撃の時代にそれがありえたかどうか、状況証拠を固めていく方が近道だろうね」
それから彼は手元の情報端末に何かを打ち込んで、画面の上に視線を走らせている。
「うーん……僕の知り合いにマジック技術史の専門家はいないんだがなあ……それらしい人がいないかな……」
そう言いながら、画面を何度も操作している。
僕はそわそわとそれを眺めているだけだ。
隣を見ると、セレーナは退屈そうに足を組んでソファに寄りかかっている。ちょっとその態度はどうだろう、と思ったが、彼女にとっては、僕とアンドリューとの歴史談義ほどつまらないものはないだろうな、と同情はする。彼女にとって歴史研究とは、何の役にも立たない世捨て人の道楽にすぎないんだから。
「たとえば、古い研究所だったりとか」
僕が口を出すと、
「……なるほど」
半分上の空で返事をした彼はまた何度か端末をいじった。
何度かの操作の後に彼の指が止まり、それからしばらく画面を眺めていたかと思うと、端末をひっくり返して僕の方に向けた。
「惑星リュシー。ここに古い研究所がある。もともと、マジック推進理論が作られたのはこの研究所だよ。古い歴史に類する文書も見つかるかもしれない」
「本当ですか! ……でも」
僕は一瞬喜んだが、すぐに冷静に考える。僕らみたいなどこの誰とも分からない輩が訪ねていっても、そんな重要な文書を見せてもらえるとは思えない。セレーナのID特権を使うなんてもってのほかだ。
「趣味のアマチュア研究家が見られる資料なんて限られてるし……」
僕はそう言って、うなだれた。
「もしよかったら、アンドリューさんに紹介状を書いてもらえませんか」
がっくりしている隣で、セレーナが突然口を開いた。見ると、さっきまでの横着な格好はどこへやら、両手を両膝の上に美しく並べ、目を輝かせて熱心に講義を聴く学生のスタイルだ。こんな処世術、どこで覚えてくるんだろう。少なくともエミリア王家の家庭教師はそこそこにいい仕事をしているようだ。
「お安い御用。僕が君らにしてあげられるのはその程度のことだし」
にっこりと笑った彼は、手際よくフォーマットから文書を作成し始める。
「あー、君たちのフルネームは?」
「オオサキ・ジュンイチです」
「セレーナ・グロッソ」
セレーナがさらりと偽名を口にしたことに驚きつつそれを顔に出さないようにがんばっていると、アンドリューは最後に量子署名をしてから僕の端末にその紹介状をビームで送信してくれた。
「説明不要かもしれないけど、決して途中で開けないようにね。署名が壊れちゃうから。一応、こんなことが書いてある」
そう言って、アンドリューはもう一度端末をひっくり返して僕に見せた。
書いてあることは、『ドニエ共和国リュシー総合反重力研究所宛、オーツ共和国オウミ文化研究所歴史科学研究主任アンドリュー・アップルヤード発。オオサキ・ジュンイチとセレーナ・グロッソが技術史研究のために訪問するので交流研究扱いで資料の閲覧を許可されたし』、こんなところだ。
「ありがとうございます、アンドリューさん」
僕が頭を下げると、
「本当にありがとう、先生!」
とセレーナも満面の笑みでアンドリューの手を取った。
彼もその手を驚いて見下ろし、それから、
「いやー、先生だなんて、えぇ? あははは」
と戸惑いながらも鼻の下をめいっぱい伸ばしてにやけ顔だ。そりゃこれだけの美少女にそんなこと言われたらそんな顔になるのも分かるけど、なんだかむっとする。
その後、僕らはもう一度、淹れたてのお茶をご馳走になりながら、僕や彼の身の上などの雑談をし、たっぷりと楽しんでから彼の研究室を出た。
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