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第六章 魔法の合鍵(3)


 お祭り騒ぎは夜通し続き、疲れた僕らは途中でセレーナの船に戻った。賓客室を用意すると言われたが、結局、セレーナの船が一番落ち着くのだ。

 眠って起きると、標準時の十二時になっていた。疲れていたんだと思う。セレーナは起きていたが、それでもついさっき起きたばかり、という風情だった。

 この後のことを、二人で簡単に相談し、すぐにエミリアに向かおう、と決めた。

 僕らが、もう旅立ちます、とラファエーレに伝えると、彼はとても残念そうな顔をした。彼にとって、王女殿下をエスコートすることは無上の名誉だったに違いない。それをむげに奪ってしまった罪悪感が無いでもなかったが、それでも、これ以上迷惑はかけられないから、と、彼の前を辞した。

 たくさんの補給物資と王女宛の花束(こんなものこの艦のどこにおいてあるんだろう)、そして、どう見てもラブレターにしか見えない兵士たちからの感謝の手紙の分厚い束を最後にもらい、僕らはセレーナのイルカ型宇宙船に乗って、虚空に飛び出した。

 花束はせっかくなので船の壁に掛けて飾った。手紙の束は、そのうち見るわ、と言いながらセレーナが操縦席脇のボードの中にしまいこんだ。きっと見ないな、あれは。


 船はマジック船特有の自在な推進であっという間に星間カノン基地へ。

 ベルナデッダから連絡は飛んでいるだろうから、そろそろセレーナのIDが回復されてもおかしくないよな、と思って確認してみたが、まだIDは復活していなかった。手続きに時間がかかるのかな、なんて二人で話したものだ。

 そんな話をしているうちにジャンプは終わり、船はエミリア上空にたたずんでいた。ここからはもう、大気圏に突入して王宮に降りるまで、ほんの数時間の旅だ。

 一旦エミリアのカノン基地に身を寄せ燃料を補給する。

 あとは地上に向けて飛び立つだけ、というそのとき、通信が着信した。


「……ロッソよ」


 あの時と同じ言葉を、ちょっと苦笑いしながら、セレーナが口にした。

 僕はうなずく。セレーナが接続ボタンを押す。

 きっと、戦勝のねぎらいでも発するつもりなんだろう。


『セレーナ王女殿下、摂政ロッソでございます。殿下がオオサキ・ジュンイチ様のIDをご利用と知り、こちら宛に連絡差し上げております』


 確かに、まだ操縦者スロットには僕のIDがささっている。


「摂政様、セレーナでございます。長らくご心配をおかけいたしました」


 セレーナが返すと、


『ご心配どころではございませぬ。このロッソの忠告を破って罪人を連れ出すばかりか、このエミリアに危機を招くとは不届き千万でございますぞ』


 あれ、少し話が違う? めんどくさいことを言い出したぞ、このおっさん。


「そのことにつきましては、ただ謝すよりほかにございません。しかし、このジュンイチ様は、どうしても陛下に直の拝謁を願わねばならぬ重要な情報を持っていたゆえ、一度は敵国はもとより我が国の諸侯の目をも欺かねばなりませんでした」


『それは国王陛下の代弁者であるこのロッソにも内密でなければならぬのですか?』


 ロッソの口調は、厳しい諮問の形をとっている。


「なにぶんにも、これは国内外の軍事バランスにも影響する話でございましたゆえ」


『それは――ロックウェル艦隊を撃退した手腕と関係のあるものでありましょうか』


「ええ、その通り」


『であればなおさら、このロッソが真っ先に知っておかねばなりませぬ』


 ぴしゃっと言い放つロッソ。これは手ごわい。

 いっそロックウェルと一緒に攻め込んで潰しておけばよかった。


「いいえ。あれは――もはや私のものです。エミリア王国第一王位継承権者セレーナ・グリゼルダ・グッリェルミネッティのみが持つ究極の知恵。そう、これからロックウェルからも、その他あらゆる難敵からも、エミリアを守るために、私の誇りにかけて振るわねばならぬ力」


 セレーナの言葉に、しばし沈黙が流れる。


『その儀は――臣としてお言葉のままに謹んで拝受し奉ります』


 やがて出てきたのは、ロッソの降伏宣言だった。

 セレーナは、ようやく勝ちを得たのだ。


『しかし』


 だがロッソは続けた。


『それほどの秘密を知るならなおさら、その平民をエミリアから出すわけには参りませぬ』


 彼は至極自然に、この僕の拘束宣言をした。


「そうおっしゃると思っておりました。ですから、手は打ってございます」


 そしてセレーナは、通信を一方的に切ると、僕の方へ振り向いた。


「ジュンイチ、じゃ、ここでお別れ」


「え?」


 僕は思わず問い返す。


「摂政様の手が回る前に、民間船に紛れ込んで行っちゃって。ほら、IDは返すから」


 セレーナは無造作に操縦席のIDを抜き取って、僕に放り渡した。


「それじゃ君が帰れない――あ、そうか」


 もはやエミリアの地表は目の前。IDが必要な星間ジャンプは必要ない。後は、ジーニー・ルカに命じるだけで、彼女は地表に帰れるのだ。

 そして、彼女が、ここ、エミリア上空の星間カノン基地でぐずぐずしていた理由も分かった。こうしてロッソが僕を拘束する意思を見せたら、即座に僕をカノン基地から民間船で逃がそうと思っていたのだ。

 また、やられた。

 彼女はまた、面倒を背負い込んでしまった。

 ――セレーナらしいけど。


「……僕はもうしばらくくらい、摂政閣下の相手をしてもいいんだけど」


「しばらくじゃすまないわ」


「じゃ……君が心配だ、ってのは、だめ?」


「あなたに心配されるほど腑抜けてないつもりよ」


「でもその……今度の旅ではいろいろあったし」


「だから私がやらなくちゃだめなの。ここからはあなたには頼らない」


 何を言っても言い返されてしまう。彼女の決意は、固い。


「……僕を頼りにしてくれてたんだ、うれしいな」


 だから僕は、軽口で返した。

 セレーナがちょっとふくれっつらになったのを見て、僕は、ぷっ、と笑った。


「……からかったのね。許さない」


 でも彼女も、その表情を苦笑いから笑顔に徐々に変えた。

 きっと彼女はうまくやる。

 ここで僕が残るなんてわがままを言うべきじゃない。

 別れの覚悟を済ますと、急に肩の力が抜けた。


「この船、ちゃんと船籍戻すんだよ」


「当然よ」


「気になっていたんだけど、この船、名前はあるの?」


「特に。私はこれがジーニー・ルカだと思ってるから」


「そうか、だったら、僕に名前をつけさせてもらえないかな」


「船に?」


「うん。僕は、この船を見るたびに、心の中で、イルカみたいだな、って思ってたんだ。だから、ドルフィン号、ってどうだろう」


「ドルフィンって、地球の海にいる大きな魚よね」


 そうして、記憶の中のそれを思い起こしているようだった。魚じゃないんだけど、という突込みが真っ先に思いついたけれど、そこは指摘しないことにする。


「……考えとく」


「ありがとう」


 僕がお礼を言うと、彼女がうなずいた。


「あ、もうひとつ」


 セレーナが、何かを思い出したように続ける。


「……歴史学者だっけ? やめておきなさい。あなた、数学とか情報学とか……理学のほうが素質があるわ。そっちに進むのが無難よ」


「……僕の夢は僕が決めるよ」


「もったいない、って言ってるの。あなたの数学の素質は人並みはずれて……ま、いいわ」


 言いながら、途中で勝手に何かを納得して彼女は肩をすくめた。

 一分ほども黙っていたかと思ったころに、セレーナが口を開く。


「……もう、行ったほうがいいわ」


「……うん」


「……元気で」


 珍しくしおらしいセレーナ。

 だけど、これだけ楽しくて苦しくて悲しくて嬉しい時間を共に過ごした彼女と、もう会えないかと思うと、僕だって寂しいと思う。


「君も元気で。僕は、楽しかったよ」


「当たり前よ。この私がエスコートしたんだから」


 こんな時に彼女のふくれっ面は、素直に褒め言葉を受け取れない照れ隠しなんだ、ってことに、僕はようやく理解が追いつき始めている。


「また呼ぶわ、きっと」


「分かった、その時は頼むよ」


 そう答えたけれど、『その時』は、来ないほうがいいんだと思う。

 何もかも終えて、特別な思い出もいつか日常の中に溶け込み、すべてが元通りになるのが、一番いいんだ。

 ふと思い出したように、セレーナは操縦席脇のポケットを探って何かを取り出し、ふわりと近づいてきた。

 彼女が持っていたのは、腕にはめられる程度のベルトのついた、片手に収まるくらいの黒くて小さなもの。


「これ、ジーニー・ルカの音声インターフェース。地球からでもつながるから」


 僕はそれを受け取る。


「これで、いつでも君と話せる、ってこと?」


「……馬鹿ね。ジーニー・ルカとだけよ。困ったら、ジーニー・ルカに相談なさい。許すわ」


「……ありがとう」


 これも照れ隠しなのかもしれない。

 ジーニー・ルカと話せるってことは、ジーニー・ルカとブレインインターフェースでつながったセレーナとも連絡できるってことだ。

 仮にそうじゃなかったとしても、彼女が僕を気にかけてくれていて、なんだかうれしい。


「じゃ、そろそろ」


 僕は席を立った。


「うん、それじゃね」


 操縦室の扉が開く。

 僕はそれを潜り抜け、そして、扉が自動で閉まる前に振り返った。そのときちらりと見えたセレーナの顔は、ちょっと影が差しているせいか、どんな表情だったか分からなかった。

 星間カノン基地のプラットフォームに降り立つ。それを待っていたかのように、『ドルフィン号』は、さっと空中に去っていった。


 言い忘れていたさようならを、小さくつぶやいた。



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