第五章 真実(4)
「なんだ、もう来てたのね」
セレーナは僕の顔を見るなり言った。
「……無事でよかった」
僕がそう返すと、セレーナは軽くうなずいた。
「あなたには悪いことをしたと思ってる。もうしばらくは不便が続くと思うけど、こらえてね」
セレーナは、少しうつむき加減に僕から視線を外して、そう言った。
「それは……君が、僕をだましていた、ってこと?」
僕はたまらずに訊き返す。よく見ると、初めて会ったときの白無垢の正装をしているセレーナは、いつもの白い花のリボンとホルスターを身に付けていない。
彼女が何も答えなかったので僕は続けた。
「それが答えにくかったら答えなくてもいい。だけど、僕は、もしそうだったとしても君を恨んだりなんてしない。今でも僕は、一人の人間の誇りにかけて君を守る、っていう決意を変えていない。君の味方だ」
「そういう偽善ぶった言い方はやめて。あなたは何も知らずに巻き込まれた。それだけでいいの。私を助けるだとか私の味方だとか、今後一切言わないで」
彼女は僕をにらみつけて荒々しく言い捨てる。
そんな冷たい言い方はないだろう、と思った。僕だっていろいろ考えて、それでも出した結論なんだ。
けれど僕は何も言い返せなかった。
しばらく二人の間に沈黙が流れた。
それからようやくセレーナが口を開く。
「そっか、あなたは何も聞かされていないのね。ここは、ロックウェル連合艦隊に所属する宇宙戦艦の艦内。すべてのことが終わるまで、事実を知っちゃったあなたは艦隊で監禁されることになっている、ってわけ」
貨物船ではなく戦艦だったのか。言われてもあまり驚かなかった。
背後で動いている巨大な陰謀。ロックウェルがエミリアに軍を出そうとしていることはコンラッドの言葉で十分に予測できることだった。強大な武力での諸侯の打倒――。
そして最も危険な人物、つまり秘密を知った外部の人間である僕は、最も近くで最後まで監視される対象、ということ。
「あとで私の荷物もこっちに運び込まれるけど、さわるんじゃないわよ」
「君の荷物? 君もここで寝泊まりするのかい?」
「そ。じゃ、しばらくここでおとなしくしてて」
そう言ってセレーナはあっさりと出て行った。部屋の外で待機していた兵士ががちゃりと錠をかける音が室内に反響する。
結局僕は彼女に聞きたかったことが何一つ聞けていないことに気が付いた。
彼女の出て行った扉をしばらくぼうっと眺める。
どうして何も説明してくれないのだろう。
セレーナが何を考えてこんな行動をとっていたのか。
僕ら二人の間で、そのことはまだ確かな事実になっていない。
そりゃ、僕なりにいろいろ考えたけれど、その結果いろいろな可能性は浮かんだけれど、セレーナは、真実を僕に話すべきなんじゃないだろうか。
それとも、僕なんかはこれ以上知るべきではない、彼女はそう言いたいのだろうか。
宇宙的な大国を巻き込んだ陰謀に、僕みたいなちっぽけな子供はこれ以上かかわるな、と。
そもそも、異国の軍隊を率いて祖国に攻め入るなんて、王国を誇り愛する彼女がそんなことをしたいと、心から思っているだろうか。彼女の背後にいる誰かに強要されているだけだとしたら?
僕の頭の中でめまぐるしくいろんな考えが行き来し、考えがまとまらない。
セレーナの言ったとおり、僕はとんでもない馬鹿なのかもしれない。不意に、自嘲的な笑いが漏れる。
賢い人ならこんなときどうするんだろう。
歴史上の偉い人たちは、こんなときどんな決断をしただろう。
歴史は、そんな偉い人たちの心の葛藤を語ってくれない。
そんな歴史に何の意味がある。
悶々と考え、あるいは考えられずに空白でいる時間は瞬く間に過ぎていき、いつの間にか、セレーナの荷物が届いてロッカーに入れられていることに気づき、消灯の知らせを聞いたかどうか分からないうちに部屋の明かりが小さくされ、しようが無いのでベッドにもぐりこんで体を固定して、でもなぜかこの部屋で寝泊りすると言ったセレーナは一向に帰ってきた気配は無く、最後にはいつの間にか僕は眠りについていた。
***
目を覚ましてもセレーナの気配は無く、それでも、ちらりと除いた一番遠くのパーテションのるベッドのうちひとつが乱れているのを見ると、どうやら僕が寝た後に帰ってきて、僕が起きる前に出て行ったことが分かった。
僕が起きてすぐに艦内アラームが鳴り始めた。何事かと周囲を見回すと、アラームの意味を示す簡単な説明が壁にかかっているのを見つけ、鳴っているアラームの音と突き合わせてみたところ、アラームの意味は、カノンジャンプまで三十分を示すものだった。軍艦らしいと言うか、実に粗暴な通知方法だった。
何回かアラームを鳴らした後、比較的優しい加速を経て、戦艦はどこかに跳んだ。
すぐに僕の朝食が提供され、それから二時間もしないうちに次のアラームが鳴り始めた。この日はこんなことを深夜まで含めて五回も繰り返した。
セレーナは深夜まで一度も部屋に顔を見せず、しかし、深夜にジャンプアラームで起こされたときにお手洗いを使おうとしてちらりと見ると、確かに彼女はベッドに身を沈めているようだった。開けっ放しの扉から身じろぎ一つしないのを見て、起こすのも悪いからと声をかけるのは控えた。
それとほぼまったく同じような日をもう一度過ごした。気がつくと彼女はいなくなっていて。何度も星間ジャンプのアラームが鳴り。夜遅くまでセレーナは帰ってこなくて。
次の夜が明けるとき、早朝わずかに覚醒したチャンスを捕らえて必死で目を開けた。セレーナはまだ寝ているようだ。
もう絶対寝ないぞ、と決意し、先に着替えてハンモックベンチに腰をすえ、彼女が起きるのを待つ。
標準時間午前六時ちょうどに彼女は起き、扉をくぐって来た。
僕がすでに起きていることに気がついたが、気にせずにロッカーから何かをとってきて、パーテションを閉めて着替えをしているようだった。
それから間もなく白無垢のフォーマルで出てきて、共用部分で待っていた僕に声をかけずに出て行こうとした。
「待って、セレーナ、君が何をしているのか聞きたい」
僕はたまらずに声をかけた。
「聞いてどうするの?」
「……君を助けたい」
僕が言うと、彼女は力の無い瞳で床を見つめた。
「分かってるでしょう。あなたにできることはもう無いの。次のジャンプで艦隊は国境を越えてベルナデッダに着くわ。あなたに、この大艦隊の進軍を止める力があって?」
「止めてほしいのか?」
僕はとっさに彼女の言ったわずかなヒントを捕まえ、詰問した。
「あなたが止めることなんてできるわけが無いでしょう」
「それでも、君がどう思っているのかを知りたい」
「この行動の全責任は私が負うわ。それで答えになっているかしら?」
「君は嘘をついている」
僕の口から唐突に言葉が出てきた。頭の中で形になるよりも早く。
「私は嘘をついていません」
セレーナは即答する。
「言い換えよう、君は本当のことをしゃべっていない」
「私の言ったことは全部本当」
「しゃべらなかったことに真実がある」
「何が真実かは私が決めるわ」
「つまりそれが君の本音だ」
その時初めてセレーナと視線が合った。
僕の中で、気付かないうちに膨れ上がっていた疑問が、怒涛のように噴出する。
コンラッドの言葉に怒りをあらわにしたセレーナ。
立ち去る僕を見たこともない表情で見送ったセレーナ。
あの表情は、今思えば、彼女が初めて見せた絶望の表情だった。
そして、なぜ、大軍を率いる立場の彼女が、夜間は囚人の僕と同じ部屋に押し込められているのか。
あらゆる状況が、別の真実を示しているじゃないか。
「君は真実を捻じ曲げて僕をかばおうとしている、何度もそうしてきたようにね」
「私の勝手よ」
「いいや違うね。君は最初から陰謀を巡らせてなんていない。馬鹿な僕に連れまわされた挙句、狡猾な本部長に陰謀の濡れ衣を着せられているだけだ」
「どう思おうとご勝手に」
彼女はぷいっと顔を背け、出て行こうとした。
僕はとっさに宙を泳ぎ、右手で彼女の左腕を掴んだ。ぐいっと引き寄せると、勢いあまって彼女の顔が僕の胸に飛び込んでくる。一瞬逃れようとした彼女の右肩を力任せに手のひらで押さえる。
セレーナは怒りの表情もあらわに僕の顔を睨み付ける。
「エミリア王国国王の第一息女にこんな真似をして――」
「ただで済むとは思っていない。さあ、どうする? 君がこの遠征軍の責任者だと言うのなら、不敬の罪で軍法会議にでもかければいい。できるかい?」
しばらく僕の顔を見つめていた彼女だが、左腕を強引に振り払うと、
「できるわけ……ないでしょう」
と小さくつぶやいた。
「それが真実だ」
僕が指摘すると、見る見るうちに彼女の瞳に涙があふれてきた。
「私のせいで……こんなことに……」
あふれた涙の粒が空中に光る珠を作る。
「君のせいじゃない、僕のせいだ」
「何度もそう思ったわよ! あなたのせいよ! 何もかもあなたのせい!」
なじられているのに、僕は少しうれしかった。彼女の本当の気持ちを聞けて。
「……でも、こんな罠があるってことくらい、私は予測しておくべきだった。彼らは、スパイを使って、私が摂政から追い出されたってこと、その日のうちに知っていたのよ。軽率な決断をしたのは私。最初から、私は彼らの手中に落ちるように仕組まれていた」
「それだったら、僕だってそれを予測しておくべきだった」
彼女は首を横に振った。
「駐車違反とはわけが違うのよ。私は、王女として、もっと注意を払っていなくちゃならなかったのよ。ロックウェルとはまだいろいろと面倒な関係があるのに……彼らが私の身柄を欲しがっていることなんて少し考えればわかったことなのに……間抜けにも、たびたび摂政と衝突して。公然と家出までして。付け込む隙だ、と狙われるのも当然よ。あなたが出ていったあの後、コンラッドはうれしそうにこのことを私に聞かせてくれたわ。結局私が自由に飛べない限りはどんな手を使っても私をこの遠征軍の神輿にすることはできるんだもの。便利な薬もあるそうよ。だから……いっそ恭順を示してチャンスを待とうと……彼らは、戦後にあなたの証言を得てこの件の正当性を訴えるつもりらしくて、だったら、あなたには最後までだまされていてもらおうと思って……」
「それで君は僕に何も説明をしてくれなかった」
「そうよ。もし機会を得て逃げ出せればよし、そうでなくても私たちが勝てば、私たちはロッソ公を蹂躙してあなたは堂々とロッソ公の虎口を逃れられるの。勝者の功労者として敗者を黙らせる権利を手にするの。分かってくれとは言わない。私が勝手にやったことだから」
「いや……そうか。やっぱり、僕のせいで」
セレーナは二度かぶりを振った。
「誰のせいだなんて話、しないで。私が私の力であなたを助けようと思っただけなの。私自身の誇りにかけて、あなたを助けたかった。でも結局あなたにはばれてしまった。私、ダメだ」
どうしてそんな風に、と思ってしまったけれど、でもセレーナの話を聞いていて、少しだけ、分かってきた。
彼女はずっとずっと、背負いきれないほど重いものを背負ってきて、誰に対しても自信満々に出来ないことなんてないってフリをし続けなきゃならなかった。
だけど、彼女も僕と同じなんだ。
遥か高い届かない空を見上げて、自分の無力を嘆いていた。
そんな時、自分に助けられるかもしれない友達がいたら。
一も二もなく、飛びだすんだと思う。
僕がセレーナの身の上話にほだされて彼女を助けようとしたように。
彼女は、僕と同じだ。
僕と同じものを見て、僕と同じことを感じてる。
僕と違うのは、諦めそうになった時にも、それが自分の身に何を起こしてしまうのか理解しながらも、立ち上がること。
僕一人を助けるために星間戦争さえいとわない――いや、それ以外にもいろんな目的があるにしても、こうと決めたときに自分を奮い立たせる強さを持っている。
僕がうっかり助けの手を差し伸べてしまったのは、そんな彼女の姿を見たからだった。
だから、首を横に振った。
「いや。ありがとう」
お世辞に聞こえたかもしれないけれど、まずはそう言った。そして、
「君が地球に初めて行ったとき、僕は君を助けようと思った。それは、僕のエゴだった……と思う。正直に言うと、君に劣等感を感じた。だから、上の立場に立ってやりたいとさえ思ったんだ。でも君の今の気持ちはきっと純粋に僕を助けたいと思ったからで……」
「そんなのも私のエゴよ。私はあなたに負けたくないと思ったから。かけたるものの重み。そう言われて」
しばらくにらみ合うように僕らは見つめ合い、そして、二人同時に表情を崩した。
「じゃあやっぱり僕のせいだ」
「いいえ、私のせい」
どちらともなく、くすりと笑う。
「けれど、君は一人で抱え込むべきじゃなかった。力不足かもしれないけれど、一人よりは二人だ」
セレーナは何も答えずにうなずいた。僕は彼女の右肩を引き止めていた左手の力を抜いた。
「改めて聞こう、君は今、何をしているんだい」
僕が訊くと、
「何も。ただ、提督の隣にお人形のように座っているだけ。この艦隊の行動の正当性を全軍に知らせるために」
「この艦隊はどういう正当性で行動してるんだ? いくら何でも、他国の領土に踏み込むには、それなりの大義名分がいる」
僕の言葉に、セレーナは少し黙って考え込み、やがて口を開いた。
「……マジック鉱の開発や輸出で、少し前からたびたび問題が起こってる。それは……うん、とても複雑な問題だから、そこはまたこんど。ただどちらにせよ、それはエミリアとロックウェルの対立の核心で、その中心には今のエミリアの諸侯派、つまり、ロッソ公がいるの。つまり、ロックウェルの言い分は明快。エミリアの独裁者たちが独占するマジック鉱に関する国際秩序を乱そうとしている、それを正そうとした王党派、つまり私が、戦力を借り受けて説得に向かう、って筋書」
「古典文学で百万回は繰り返されてきたドラマだ」
「正直なところを言うとね、ロッソを叩き潰すチャンスとさえ思ったの。本当よ?」
「じゃあそのまま突き進めばいい」
「ええ。これが戦争でなければ。エミリアも――ロッソも、王女の軍だからと黙って他国の軍隊の侵入を許すわけにはいかないわ。きっと戦いになる。何万人も無関係の人が命を落とす。私はそれで目的を達せるかもしれない。エミリアはより良い国に生まれ変われるかもしれない。だから、そこにジュンイチを助けるっていうほんの少しの良心のスパイスを利かせるだけで私は進めると思ってた。……でもやっぱり、誰かに止めてほしかったのね。ありがとうジュンイチ」
「……どういたしまして」
セレーナは僕が思っていたよりもずっと重い決意でこの艦に乗っていた。
それを止めてしまった僕に、何も責任がないとは言えない。
でも、この戦いを止めたいという思いは、同じになった。そう思う。
「エミリア軍は、この艦隊を追い払えると思う?」
「この規模の艦隊ならベルナデッダの駐留軍で楽に勝てる。でも……」
彼女はその先を言いよどんだ。
「ああ、そうか。ロックウェルは、声高に叫ぶんだね。この艦隊はセレーナ王女殿下の指揮下にあり、って」
「そう。仮にも王族の私がいて……王族にはひれ伏すことがその身に沁みついているエミリア国民が、王族が乗る船に向けて引き金を引けるか、って問題」
そう言ってから、セレーナは何かを思い出すような仕草をし、視線を落とした。
「私は、私の臣下が私に銃口を向ける姿なんて想像できない。私はずっとそうやって生きてきたし、臣下もそうやって生きてきた。たとえ平民であっても、その魂の髄にまで王族への畏れがしみついている……それは裏を返せば、これまでエミリアの王族がエミリアを良く導いてきたからなんだけれど……それ以外の答えを出す人間がいないのだとしたら、この艦隊はエミリア王女という強力な鎧をまとって無人の野を行くごとくエミリアを征服してしまうわ」
歴史を紐解けば、そんな戦いは何度でもあった。
僕の住んでいた日本自治区でも、昔、皇帝の旗を掲げた地方軍が瞬く間に長く続いた軍事政権を打倒したこともある。
人は、正義がどちらにあるのか、そんなことにものすごく敏感だ。
「わかった。整理しよう。君の――僕らのゴールは、エミリアをロックウェルの好きにさせないこと。つまり、エミリアが勝つこと。その後、君や僕がどんな扱いを受けるかについては、一旦保留」
「ええ、いいわ。あなたの処遇については――ううん、それを言い訳にしちゃダメね。分かった。今度こそ分かった。約束する」
その言葉を聞いて、僕は少しだけ勇気が湧いてくる。
「じゃあ次に分析だ。エミリアの武器は――圧倒的な数の艦隊。どのくらい?」
「少なくともベルナデッダですぐに動けるのは六行動単位ほどはあるはず。ロックウェルが動かしてる一行動単位に対していえば過剰戦力ね」
「そうか。ではロックウェルの武器。それは、セレーナ、君だ」
セレーナはうなずく。
「そして、僕は君を手にした。じゃあ、僕の勝ち」
僕が軽くおどけて見せると、セレーナは笑ったが、すぐに頬を膨らます。
「今はそんな冗談を言ってる場合じゃなくてよ」
「ごめんごめん」
と、僕も顔のゆるみを引き締める。
「でも、そうね、ちゃんと考えましょう。ロックウェルの武器は、私をアタックカノンから発射してエミリア艦隊にぶつけることじゃない。私がいると宣伝すること。私がいるという情報。情報こそがロックウェルの武器」
情報……情報か。
何かがひらめきそうな片りんを感じる。
戦局を一変させるもの。
情報の価値。
兵器。
……僕らのそばには、軍事基地のジーニーさえだませる恐るべき魔人がいなかっただろうか。
ジーニー・ルカ。
ジーニー・ルカがこれまでしゃべってきたことが頭の中を駆け巡り――
「セレーナ。……それだ。リボンをつけて。やるべきことが決まった」
***




