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第四章 拉致(1)



■第四章 拉致


 ちょっと不安だったけれど、結局オウミ駐屯基地からの脱出中に防空システムからの攻撃を受けることはなかった。ジーニー・ルカは実にうまくやってくれた、というわけだ。

 思えばオウミに着いてからずっと起きていて、気が付くと体内時計はそろそろ就寝時間を指している。

 それはどうやらセレーナも同じだったようで、航路をラーヴァに設定して一眠りしよう、ということになった。

 二人して操縦室のドアを開け、寝室に続く廊下に出る。廊下の両側にはいくつかのパントリーとトイレ・洗面所などが並び、キャビンは一番奥に四つ備え付けてある。一キャビンには向かい合った壁にしがみつく形で二人が寝られるので、定員は八名といったところだろう。

 この廊下をこうやって手すりを伝って往復するのは何回目だったっけ。

 そういえば、セレーナと並んで往復するようになったのはいつ頃からだっただろう。


「ね、さっき言ったこと、覚えてる?」


 つまらないことを考えていると唐突に彼女が声をかけてきた。


「さっき? なんだろう」


「いざとなったら私はあなたをあいつらに売るって」


「ああ、あのこと」


 それはちょっと僕にとってはちょっと不本意だけれど。


「ごめん、あれ、嘘だから。私はそんなことしない」


「そっか。ふふっ、それも駆け引きってやつかい?」


 僕が言うと、彼女は少しふくれっ面になった。


「エミリア貴族が平民を売って自分だけ助かろうとするような人間だと思われたくないから。王家の人間は、臣民のためなら自らの命を惜しみなく捨てる。それがエミリア王家の誇りよ」


「分かった、分かったよ。君は王家の誇りにかけて僕を守ってくれる、そうだろう?」


「そうよ。誤解しないで。それだけ分かってくれればいいから。それじゃ」


 話を打ち切り、自分のキャビンのドアを開けて滑り込もうとしたセレーナの背中に、


「僕は、王族でもなんでもないけど、一人の人間の誇りにかけて君を守るよ。かけたるものの重さでは君に全く及ばないだろうけれど」


 僕は彼女の背中に向けて言った。駆け引きが必要だというなら、僕だって彼女と同じ宣言をしておく必要があるだろう?

 セレーナは後ろを向いたまま少し黙っていたが、


「ふん、駆け引き上手になったじゃない。……お休み」


 そう言って振り向くことなくキャビンに消えていった。


 それを見送って寝室に入ってもしばらくは眠れなかった。

 いましがたの会話を思い出して。

 彼女は、最後は僕を地球に放って、大使館か何かに駆け込んで一人でエミリアに戻るつもりなんだろうな。

 セレーナはきっと悩んでなんかいない。

 歳でいえば僕より幼い彼女が、僕の何百倍も重いものを背負って、そのうえ、この僕を助けるためにもっと重いものを背負おうとしている。

 なのにこの僕は。

 ごく普通の単なる高校生で、遠くの王国の継承権争いに首を突っ込むなんてお門違いだ。

 セレーナ王女がちょっとばかり端正な顔立ちで、あと、ちょっとばかり僕を頼りにしてくれていて、そんな彼女と一緒にいるのがちょっとばかり楽しくて、ただそれをだらだらと引き伸ばしているだけだ。最低だ。

 ハンモックの中で身じろぎすると、金具のこすれる音がキャビンに響き、闇の深さを際立たせる。


 違う。そんなんじゃない。

 小さく首を振った。


 彼女が頼れるものも無くたった一人でどれだけ大きなものを背負わされているのか、それを知ったから。

 だから、僕だけは味方でいてあげたいと、心の底からそう思ったんじゃないか。

 放り出して逃げ出すことはいつだってできる。だったら、僕の心が完全に敗北を認めるまでは、彼女の騎士として戦ってやろうじゃないか。

 宇宙を飛び回っていろいろなものを見て。

 僕はきっといろんな新しいものを知る。

 結論を出すのは、それからでいい。それまでは、ただ、彼女の味方をしよう。


 そうと決まると、僕は急に眠気に襲われた。

 

***


 ジュンイチと別れてからキャビンに入ったけれど、ちっとも眠れなかった。

 どうしてだろう。


 ジュンイチにあんなことを言われたから?


 私は王家の誇りにかけて彼を守ると宣言した。

 彼は、彼自身の誇りをかけて私を守ると誓った。


 かけたるものの重さ。


 その言葉で私は自分でも驚くくらい冷静さを失ってる。

 私は生まれながらにエミリアの誇りを両肩に乗せられて生きてきた。その重さを常に感じ、それを守るためになら命だって投げ出すつもりだった。

 だから、私はエミリアの誇りをかけて彼を守るくらい、大したことじゃないと思ってた。

 実際に、今でもそう思ってる。


 なのに、彼は一体何をかけた?

 彼自身だと。

 そう言った。

 これまで何も背負ったことのない少年が、彼自身の誇りをかけて私を守ると言ったのだ。


 かけたるものの重さがまるで違うのだ。


 私は私自身をかけたことなんて、一度もなかった。

 たとえエミリアの誇りを傷つけようとも、このちっぽけな命であがなえばいいだろうとさえ思っていた。

 私が私だったことは一度もなかったんじゃないか、と思わされた。

 自分の言葉が余りに空虚で幼稚で、腹が立つ。

 私という人間は、彼に横柄にふるまうことでエミリアの誇りとやらを守ろうと必死だ。

 なんということはない。私はとっくにエミリアの伝統の操り人形だった。


 ああ、でも。

 さっき、というにはだいぶ前だけれど、ちょっと私は度を失った。

 私の大切な宇宙船を、ジーニー・ルカを奪われそうになって、ジュンイチに怒鳴りつけてしまった。

 彼の責任じゃないって分かってるのに。

 冷静に考えれば、エミリアの誇りにかけて、あれは私が解決しなければならない問題だった。

 怒りに任せて言うべきでないことを言い、船を取り戻しに行くという彼に対して、すねてそっぽを向いて無視した。

 あれが、きっと私なんだ。

 子供っぽくて怒りっぽくてすぐに人のせいにしちゃう、あれが私。

 そう気づいたら、なんだか急に気持ちが楽になって来た。

 ――ジュンイチになら、それを見せてもいいのかも。

 そんなことを思うようになった。


 エミリアの誇りにかけて、なんて言葉は、もうやめよう。

 いや、きっと私はその逃げ道にこれからも何度も逃げ込むことになるけれど、でも。

 できるだけ。できるだけ頑張る。

 ジュンイチのように、いつでも素直に自分の気持ちをさらけ出して、時には怒鳴り合いの喧嘩のできるような人になって、いつかは、私の誇りにかけて、誰かを守ると宣言できるようになろう。


***


 目を覚まし、自分の状況を再確認してから、キャビンを這い出し、操縦室に向かった。

 操縦席にはすでにセレーナがいた。

 僕が入ったことに気が付き、振り向いて、早くいらっしゃい、と促す。それにしたがって僕は助手席に座りベルトを締める。


「あまり眠れなくって。ちょっと早めに起きちゃったの。ちょうどラーヴァに着くところよ」


 見ると、望遠カメラを通して、海というよりは湖沼がいくつかとその周りに緑が見える以外は黄土色の地表が広がっていた。


挿絵(By みてみん)


 事前にジーニー・ルカから聞いた情報によれば、ラーヴァのあるトライジュエル共和国はオーツ共和国と隣り合った国で、そろってロックウェル連合国構成国の一つ。ロックウェルの中ではもっとも地球に近いのがオーツでその次がトライジュエルだ。地球という特異点に最も近いこの二国が、そろって艦隊駐屯地を放棄したという事実こそ、そこに何かがあるのではないかと疑わせるものがある。

 惑星ラーヴァは重力気圧ともにやや地球より低く、水循環は半分以下で砂漠がちの気候。望遠カメラに見える黄土色の地表はそんな砂漠のようだ。


「そうか、寝坊するところだった。それで、駐屯基地のことなんだけど――」


 僕が言いかけると、セレーナが遮り、


「そのこと。今回もアンドリュー博士みたいな幸運があるか、ってことよね」


「僕もそのことを言おうと思ったんだ」


 セレーナは微笑んでうなずく。


「どちらにしろ手がかりは必要だし、じゃあどこに行こうかって」


 その言葉に、僕もうなずく。

 彼女が全く僕と同じことを考えていたことに、驚きよりも納得感を感じる。

 惑星ラーヴァ、と言っても広い。

 そのどこかに、何かの手がかりを探しに行くとしたら。


「なるべく、たくさんの資料がある場所に目星をつけておいた方がいいと思うんだ」


 僕が言うと、


「……そう来ると思って、ジーニー・ルカに調べておいてもらったわ。第一都市、エル・ウェリントン。そこに、大きな図書館があるの。無茶な権限で破る必要のない、ちゃんと市民に開放されたやつが、ね」


 そうして、そこまでの地図が、既に、モニターに表示されている。


「蔵書目録も確認したから。宇宙建造物とか、軍事とか、その辺も充実してる。遠隔で読んじゃうとまたジーニー・ルカがやらかしそうだから、入館の手続きだけしといたわ」


「……だ、大丈夫?」


「何が?」


「いや、急に歴史学者に目覚めちゃったのかと思って気味が悪い」


 ゴスッ、と、膝の下あたりを蹴っ飛ばされた。


「私だってやるときはやるのよ!」


「いたたた、わわわ分かった、ごめん、助かった、ほんとに! てっきりなんかその変なものでも食べ」


 振りかぶられる右足。


「ちょちょ、ちょっと待って、ごめんってば!」


 僕が痛みをこらえながら弁明すると、セレーナはなんとか二発目のローキックを思いとどまってくれて、ふんっ、と鼻息を漏らした。


 そして、宇宙船は降下する。

 空気をかき分け、まれな雲に見送られ、宇宙船は郊外の宇宙港(今度は駐車違反の心配の無いところ!)に着地した。

 ジーニー・ルカが、乾燥に気を付けるよう注意を促し、僕らはそれを聞きながら、上陸の準備をした。とりあえず宇宙食以外の物を食べに行こう、ということで。

 僕は自分のIDを身に着けたことを確かめ、セレーナはお出かけ用の小さなポーチをロッカーから取り出す。

 いつものようにタラップを下ろし、僕らがそれを降りたとき、またもや僕らの前に驚くような光景が広がっていた。

 ビジネススーツとも礼服ともとれる黒いジャケットを着た男たちが僕らが出るのをぐるりと取り囲んでいたのである。少し向こうには、やはり真っ黒の大きな車。


 あー、これはやばい。拉致だ。拉致される。


 そんなことを考えて足を止めていると、黒服の男の一人が口を開いた。


「お待ちしておりました。エミリア王国国王陛下御息女、セレーナ王女殿下ですね?」


 彼は恭しく頭を下げた。

 僕とセレーナは視線を合わせ、お互いに、あ、ついにこの時が来たか、と無言で考えを交わした。王国からの追っ手がついに僕らを追い詰めたのだ。


「いかにも、私はセレーナ・グリゼルダ・グッリェルミネッティ。あなた方は?」


 観念したか、セレーナはむしろ堂々と胸を張って答えた。


「私どもは、トライジュエル共和国外交部のものでございます。大変失礼ながら、殿下がお見えとの報告を受け、外交部にて歓迎のためにお待ちしておりました。どうぞ迎賓館へお越しください」


 予想と違う彼の言葉に、僕とセレーナは再び目を丸くしてお互いの顔を見あうばかりだった。


***


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