第三章 歴史探索行(7)
「自称歴史マニアと歴史研究家の会見、大変面白かったわ。要するに、歴史大好きなんて言ってる人種なんてみんな似たようなもん、ってことね」
研究所のエントランスを出たところでセレーナが話しかけてきた。
「もしかするといろんな定説が覆される。オウミどころか宇宙の歴史さえ書き換えられるかもしれないんだ。大変なことなんだぞ」
僕はまだ、彼が新説に強い興味を持ったことに興奮を抑えきれなかった。
「で、どうなの? 遺構の位置の手がかりは?」
「遺こ……、あ」
あ。
「まさか、それがすっぽり抜け落ちてたんじゃないでしょうね」
セレーナの顔つきが、怒りの雷を放つ荒ぶる神のそれに変化していくのが分かった。
「いやいや、少なくとも、艦隊基地がかつてあったことは確かだったし、えーと――」
“――何しろ地表から百万キロメートル彼方で観光地にするわけにもいかないけれど――“
アンドリューの言葉がリフレインする。
「そうだ、確かに、百万キロメートルの上空、まだ浮いているって」
「惑星を囲む半径百万キロメートルの球面の面積、計算してみる?」
……言いたいことは分かる。痛いほど。
つまり放棄され放置された巨大建造物の行方なんてものは、通常の手段で分かるもんじゃない。闇雲に探すにも、『百万キロメートル上空』というヒントだけでは、セレーナの言う通りの面積をしらみつぶしにするしかなくて。
「……確かに、君の言う通り、難題だ。それに、軍事基地の現在の軌道プロファイルなんてものも軍事機密の類だからおいそれとアクセスできるもんじゃない。あー、でかい衛星の一つでもあればある程度推測できるのに」
大きな衛星があれば重力的に安定な軌道はおのずと限られるわけで、そんなことをつぶやくと――
「あるわよ」
真顔のセレーナが言った。
「え? 衛星が?」
「あ、ごめん、とっさに口に出ちゃった。ジュンイチの言ってること考えてたら急に思いついて――ジーニー・ルカね。ジーニー・ルカが、あるって言ってる」
「その軌道も分かる?」
「……ああ、そういうこと。ええ、分かるも何も、オウミ上空の衛星で一番大きいものって言ったら、カノン基地のことよ。高度も同じ百万キロメートル」
ジーニー・ルカと話(?)をしながら、セレーナは答えてくれた。
同じ高度で互いにぶつからず重力的にも安定したところ。
なおかつ、軍事基地の最重要防衛目標であるカノン基地にも十分に近い、けれど、カノン基地攻防の戦火に直接巻き込まれにくい場所。
「うん、ありがとう。候補は二か所だけに絞られたみたいだ」
***
軍事基地が重力的に安定している必要があるかどうか?
それは偉い人が考えることだけれど、下手な小惑星並みの質量があるカノン基地が近隣にあることを考えれば、安全な設計にする必要があるのは自明だ。加えて、『あえて全く同じ高度』に作ったのだとすれば、そこにはいろんな意図がある。それはもちろん、宇宙艦隊として外征する際に重力エネルギーが同一の面を通ることがエネルギー収支的に最も効率が良い、だとか、地上からの補給を地表~カノン基地間の往還システムと共用できるだとかの理由があるだろうけれども、もしそこに『ついで』で重力安定という条件が付けくわえられるなら、当然そうするはずだ。そして、何百年という時間を経てもカノン輸送システムが安全に運用できている理由の一つは、巨大な邪魔者である軍事基地が十分な距離を置いてお互いに絶対ぶつからない軌道関係にあること。
つまり、軍事基地は、オウミ~カノン基地~軍事基地という正三角形の位置関係の頂点の一つ、ラグランジュ点に置いてあるだろうと想像できる。
カノン基地の前方、オウミを中心として軌道角をちょうど六十度進んだ位置か、六十度遅れた位置のどちらかだ。この場所を正確に目指すには、当然ながら地上カノンからの打ち上げ角がとても重要で、カノン基地向けに打ち上げた往還シャトルがその燃料だけで軌道を変更し正確にこの位置に到達するのはかなり難しい。少なくとも、数日から数週間という旅になるはずだ。だから、そこに浮いていると知っていても実際に見た人はおらず、おそらく、軍用レーダーで軌道を時々チェックしている程度だろうと思われる。
でも、僕らは別だ。
何しろ、重力の風を受けて宇宙を自在に駆け回るマジック船を駆っている。
予想より早く、返還手続きは四時間で終わり、僕らの船は戻ってきた。路線バスで現場に戻り、僕らの到着を待っていた警官に詫びと礼を言ってから船に乗り込んで、彼の立会いの下、空へと飛び立った。
行く先は決めている。百万キロメートルの彼方に浮かんでいる、古い駐屯基地だ。
飛行すること小一時間、遠くに見たことも無いような巨大な構造物が見えてきた。事前にルカに聞いた情報では、幅四十キロメートル、奥行二十五キロメートル、高さ十三キロメートルの巨大な直方体とのこと。
目の前にまで近づくと、それはもはやこの世をこちらとあちらに隔てる巨大な壁としか言えないような代物であり、視界いっぱいをただ平坦な壁が覆うばかりとなった。
そこで、頭の中の上下感覚を少し修正すると、それはまるで延々と広がる地平線で、僕らの宇宙船はその地平に機首を向けてまっさかさまに落下しつつある、という錯覚に変化した。
その感覚に耐えられなくなり、僕は思わず、機体の底面を壁に向けるよう、セレーナに頼んでいた。セレーナも実は同じ感覚に悩まされていたらしく、結局、宇宙船は広大な地平に対して床を下にしてゆっくりと降下していくことになった。
何百年も放棄されていたその基地は、あちこちに大きな穴が空いている。この宇宙船が潜り抜けられそうな大穴さえいくつか見つけることができた。
しかし、どんな経緯があれば、あんな大穴が空くんだろう。
あんな隕石がこの近辺を飛び回っているとも思えないけれど。
けれど、その疑問はすぐに解決した。
「セレーナ王女、レーダーモニターをご確認ください。未確認飛行物が高速で接近中です」
いつに無く早口でレポートするジーニー・ルカ。
操縦席の前に表示されたモニターを見ると、水平レーダーモニターの左下に光の点が数個あり、中心に向かって動いている。
「分析は」
「少々お待ちください……ミサイルです」
……?
ジーニー・ルカの言葉はあまりに淡々としていて、驚くことを忘れてしまっていた。
あの光の点はミサイルで、レーダーモニターの中心、つまりこの宇宙船に向かって進んでいる、ということは。
つまり。
……もうすぐミサイルが僕らを粉々にする、ってこと?
「全速、回避!」
セレーナが叫ぶ。
それ以外のオーダーは確かに思いつかない。
船はマジックの泡に包まれたまま、ミサイルを真後ろに従える形に加速した。
レーダーの光の点が近づいてくる速度は急に鈍る。
この加速は、さすがにマジック船だ。
だが、普段は起こるはずのない強い振動が座席から伝わってきて、操縦席脇のボードの扉もガタガタと音を立てる。
「な、なんだいこの揺れは」
「大質量のそばでマジック機関を最大運転しているため振動がございます、ご了承ください」
僕の問いに、ジーニー・ルカが淡々と答える。
実のところ、窓の外の景色は、体に感じるよりも激しく上下に揺れている。
マジックの泡に包まれていなければ、船内の僕らはミンチ状態だろう。
考えているうちも船の速度はさらに増し、眼下を流れる基地の側面は滑らかな流水にしか見えないような速さで視界を流れていった。問題のレーダーの光点は徐々に遠ざかり始める。
「ふう、びっくりした。防空システムが生きているんだ」
一息つきながら、僕が言うと、
「……そうね、それも、案外、頭が良さそうよ」
セレーナが返す。
何のことだろう? と思って彼女を見ると、彼女はレーダーモニターを指差す。見ると、水平モニターの正面と左右、垂直モニターの上側、それぞれ五、六個の光点が見える。
正面の光点は猛烈な勢いで迫ってきている。セレーナが速度の反転を命じ、船は再び激しい振動をしながら、基地に対する相対速度を減じていく。
あっという間に速度が落ち、基地表面の構造が視認で追える程度になるが、それでも正面からのミサイルはすさまじい勢いで船に迫ってくる。
「到達までは?」
「およそ十六秒」
ジーニー・ルカの答えにセレーナが頭を抱える。
後ろに逃げようにも、後ろにはさっき振り切ったミサイルがまだ追ってきているはずだ。
「いいわ、突っ切りましょう、ミサイルは化学推進だから急激な回頭はできないでしょう、脇をさっと潜り抜けちゃいましょう」
彼女の言葉をオーダーと解釈したジーニー・ルカが、再び前方に向けて加速する操作を始める。
けれど僕は思わず叫んだ。
「だめだ、ジーニー・ルカ、ストップ!」
僕の声に、ぴたりと船が止まる。
後で気づいたが、これが、僕が初めてこの船を操縦した瞬間だった。
「ちょっとなんなのよ、ジュンイチ! ジーニー・ルカも!」
「だめだ、ミサイルには近接信管がある」
歴史マニアを自称する以上、僕だって宇宙軍事技術に全く無知じゃない。
宇宙で運用するミサイルはフィンで方向転換できないため、常にロケットモーターをふかしっぱなしだ。そのため飛行速度は馬鹿みたいに速くなる。あまりに高速なので、普通は直撃なんてしない。近傍を通過するのがやっとだ。
だから、直撃狙いではなく、ターゲットの直近まで近づいたところで起爆するようになっている。いわゆる近接信管だ。宇宙戦争の場合は、その爆発で撒き散らす破片が効果的にターゲットを破壊する。装甲よりもステルス性を重視している宇宙戦艦に対しては、それで十分だから。
「まずは後退だ、最も近いミサイルから距離をとる」
僕が言うと、宇宙船は再び驚くほどの加速度で後方に向けて動き出した。
その間も、レーダーモニターに映る数十発の光点は徐々に中心に近づいてきている。
こんな防衛システムが生きていたなんて。
僕の額に汗が流れるのを感じる。
基地の側面にたくさん空いた大穴は、すべてこのミサイルの仕業なのだ。自らを防衛するミサイルが、侵入者が破壊されるか逃亡したあと、ターゲットを失って側面に衝突して大穴を空けていたのだろう。
ということは、この近辺には、遥か昔にそのミサイルの餌食になった墓荒らしたちの骨も浮かんでいるということになる。想像するとぞっとする。
「どうするの、ジュンイチ」
「考えてる!」
近接爆発でばら撒かれる破片をすべて避けきれるかどうか。マジック推進のこの船なら、可能かもしれない。けれども、それは賭けに近い。戦闘のための装甲なんて付いていないこの船、破片の一つでも当たってしまえば粉々だ。なにより、この船に致命的なダメージを与える最も小さな破片は、きっとレーダーに映らない。
「後方ミサイルがレーダーに入りました、衝突まで十二秒」
ジーニー・ルカが淡々と告げる。
モニターをもう一度見る。
前方、左右、上方のミサイルは今の後退で前方寄りにひきつけている。その数、数十発。後ろ側はさっきまいたミサイル数発だけだ。比較的後方が安全と言える。
けれども、そこをすり抜けてその先に別のミサイルが待ち受けていないと言えるだろうか?
「……穴だ!」
僕は叫ぶ。
「オーダー! 最も近い基地壁面の穴を潜り抜けなさい!」
瞬時に僕の言葉の意図を正しく理解したセレーナが、正しいオーダーとしてジーニー・ルカに伝えた。おそらく、ブレインインターフェースもフル稼働で正しい意図をアウトプットしているだろう。
基地壁面にいくつも空いた穴のひとつが左下方に見えていた。と思った次の瞬間にそれは真正面に移動し、恐怖を感じるほどの速度で拡大する。
操縦席の船窓すれすれを、穴のふちからぶら下がる瓦礫が通り過ぎていく。船の外壁を爪のようなそれが引っかいていく甲高い音が聞こえるような錯覚が生じる。もし本当にそんなことがあればとっくに船の気密は破れていただろうけど。
基地の内部は巨大な空洞になっている。巨大な戦艦を点検・補給するためのドックのようなものだから、相当な空間がある。
強力な前照灯をつけると、瓦礫がふわふわと浮いている。レーダーで先に気付いたジーニー・ルカがそれらの瓦礫を器用に避けている。
すぐに、前照灯よりも明るいフラッシュが数回、暗闇を破った。ミサイルが、入り口のふちに当たるかして爆発したようだ。
レーダーモニターに後ろを追ってくるものが映っていないことを確認して胸をなでおろした。
爆発の閃光が消えると、そこは永遠のような静寂に包まれていた。
前照灯に照らし出されたのは、幽霊のように漂う無数の瓦礫と、壁面にこびりついたまま凍りついた数百年前の作業機械たち。
ここだけ、時間が完全に止まっているようだった。
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