第三章 歴史探索行(5)
僕は歩いて行政センターに向かった。
ジーニー・ルカが言った『同期まで一時間』、あれは、あの船の所有者情報が全システムに同期されるまでの時間のことだろう。だから、一時間以上の時間をおいてから行政センターに出向いて手続きを始めようと思った。その時間をつぶすのに、センターまでの散歩はちょうど良い距離だった。
行政センターは市中でも最も中心に近い大通り沿いに、灰色の壁の二階建てビルとして鎮座していた。さすがに一共和国の首都の行政センターと言うだけあって、その端にたどり着いたとき、反対側の端はかすんで見えないほど遠くにあった。
一時間近くを歩いてきて喉も乾いたので、エントランスわきにあった小さなカフェで休憩をとった。そう言えば、標準時で言うところの正午をすでに回っている。まだ昼食を摂っていないが、セレーナはどうしているだろう。勝手に食べていればいいが。そう思いながら、飲み物と一緒にサンドイッチも注文してつまんだ。
席を立って、あの警官に渡されたカードに従い、何十と並んでいる窓口の中から違反者手続きの窓口にたどり着く。それこそナビシステムくらい使えば簡単なのに、と思ったが、この国では、固いカードに印刷した情報を手渡すというアナログな手段の方が結果として便利だと判断されたのだろう。そう言えば僕は地球で交通違反なんてやったことがないからどんなふうに案内されるのかも知らない。こんな果ての星で人生初体験とは。ため息が出る。いくつか空きがあるけど、どこでもいいのかな。
ふと誰かにじっと見られているような居心地悪さを感じて周囲を見回す。なにか書類を抱えて足早に歩く男性。所在なさげに呼ばれるのを待つ老婦人。――気のせいかな。
と、視線を戻すと、空き窓口は一つになっていて、悩みが一つ消えた。
係員は五十前後のメガネをかけた仏頂面。軽く事情を説明しカードを見せるとすぐに得心した模様で、僕は続けてIDを提示する。
「オオサキ・ジュンイチ、十七歳。国籍は地球新連合国。職業は学生。学生にしちゃ随分豪勢な旅ですねえ。船は、船籍はエミリア王国、所有者は君自身。失礼ながら、どういう経緯でこの船を?」
係員はパネルに表示された情報を読み上げ、僕に質問をした。
「以前にエミリア王女のお役に立つことがあり、下賜されました。今は、学期間休みを利用して歴史研究の旅をしています」
「なるほどね。若いのに大したものだ」
僕が何度も心中で練習した宇宙船入手と旅の目的の口上をそらんじると、彼は特に疑いも持たなかったようだ。
「違反履歴は無し。今回の違反について申し述べることは?」
「ジーニーの案内に従った結果、あの場所に着陸しました。ジーニーに確認したところ、データの同期ができていなかったと」
「ふむ、報告内容と一致しているね。分かりました。おそらく情報処理上の事故として処理されるね。六時間ほどかかるが、それで処理完了。君個人の交通リスク指数への加算が行われることになるけど、その点だけはご了承を」
と、後半はマニュアルの注意事項をざっと読み上げるように彼は僕に説明した。
「六時間ですか」
僕が思わず聞き返すと、
「長ければ、ね。事実確認を人手で行うから。これでも速いほうなんだよ、ほかだと翌日渡しなんて普通だよ」
違反車両を一日置きっぱなしの方が迷惑なんじゃないかな、なんて思うけれど、よく考えたら、普通の地上車なら牽引で持って行かれるんだろうな。彼らにしてもあんなところに大きな宇宙船が置きっぱなしじゃ困るだろうから、最大限努力してくれることに期待するしかない。
それでも、最大六時間もの間、どこで待てばいいのか、置いてきたセレーナにはどう伝えたものだろう。
思案しながらもとりあえず礼を言って窓口を立ち去ろうとした僕に、係員は再び声をかけた。
「歴史の研究と言ったね、私の知り合いに文化研究所の歴史研究員がいるんだがね」
歴史研究員という言葉を聞いて、僕はびくりとして足を止め、振り返る。
「研究員……学者さんですか」
「そうそう、ちょっと変わった人だがね」
本物の、プロの研究家。
僕らの探索行に一番必要な人じゃないか。
ちょっと変わってる、なんてのもまさにうってつけ。と言うより、歴史家なんてたいていはちょっとした変わり者だと相場が決まってる。……僕は違うけど。
「もし時間つぶしに困るようだったら、連絡を入れてみるが」
気が付くと、彼はその顔を仏頂面事務処理員から人のよさそうなおじさんに切り替えている。
「えっ、いいんですか」
「構わんよ、ちょっと待っててくれ」
すぐさま彼はどこかに連絡を入れた。最初は事務的な話っぷりだったのが、だんだんと笑い声の混じる雑談になりかけ、そこで思い出したように係員から僕のことを切り出してから、話は終わった。雑談の内容はどこそこのバーのボトルがどうのこうのと言う内容なので、たぶん飲み友達だかなんだか、そういうものなのだろう。
「良いそうだ。名前はアンドリュー・アップルヤード。行政センターのデイビッド・ライポルトの紹介と言えば分かる」
彼はそう言いながら、僕の端末に紹介カードをビーム送信してくれた。ちらりと見ると、その場所はここから徒歩でもさほどかからない距離のようだ。
僕は思わずその優しいおじさんの手を取って礼を述べた。
彼は少し照れたようにはにかんだが、若くから学問に熱心なのは感心、息子にも見習わせたいね、というようなことを言って、僕を送り出してくれた。
歴史研究家!
僕が目指す何かを、すでに実現したその人!
浮つく心を何とか抑えつつ、行政センターの大きなエントランスを出ようとしたところで、そのすぐわきの大きな柱にもたれかかっている、見覚えのある薄緑のチュニックが目に入った。
まさか。
僕がその人物にゆっくりと近寄ると、彼女は顔を上げ、もたれた壁から一歩前に出た。
「遅いわよ、何してたの?」
そこに立っていたセレーナは、睨み付けるような視線で僕を刺しながらそう言った。
「き……君こそ、どうしてこんなところに」
「私が私の船を取り返すのにここにきて何が悪いの?」
あー。
つまりは、そういうことなのだ。
僕が一人で出て行ったあとで、僕一人に行かせてしまったことに居心地が悪くなり、そわそわとし始めて。
やっぱり気になって思わず飛び出してしまって。
もしかしてずっと見られてたのかも。
そんなセレーナの姿を妄想をしてみると、少し笑みが漏れた。
「大丈夫、君があの船の由来のおぜん立てをしてくれたおかげで、あと何時間か待っているだけで船は戻ってくるよ」
だから、こんな風にちょっとセレーナのお手柄をおだててみる。
実際あの時所有者情報書き換えてなかったら相当面倒なことになってた気がする。
「そ、そう? じゃよかったわ。あなたじゃ余計なトラブル起こしちゃうだろうと思ってあわてて追ってきたんだけれど、ま、何もなかったんなら結構なことね」
右手で長い髪を後ろに払いながら、ちょっと戸惑うような表情はまんまと僕のおべんちゃらに引っかかっている。
「ただ、何時間かはかかるみたいだ。そしたら、ちょうど窓口の人が歴史研究家と知り合いだっていうんだ。それで、時間潰しもかねて行くところ。君も行くかい?」
「窓口の担当者の知り合いにたまたま歴史家が? 話ができすぎてて胡散臭いわよさすがに」
確かに言われてみればその通り。ちょっと浮かれすぎてて、その点にはちっとも気が回らなかった。
「聞いてる限りだと酒飲み友達とかなんとかだから、まあ正直、胡散臭いのが出てくるだろうとは思ってるけど、僕も。研究者と言いつつただの資料整理の職員かもしれないし。それでも、どうせ暇だしね」
「ま、ぼーっと待ってるくらいなら構わないわ。でもその前に何か食べて行かない? お腹ペコペコ」
ああ、そうだろうな、今ここにいるってことは、僕が出てすぐに後を追ってきたってことだ。そのあと、入り口で僕が出てくるのを待ち構えていたのなら、何も食べている暇はなかったかもしれない。
実は僕は少し腹ごしらえを済ませてしまって、と言うのは簡単だけれど口にせず、彼女に付き合って僕にとってこの日二度目の昼食を摂った。
そのころには、つまらないことで喧嘩をしていたことなんて二人とも忘れてしまっていた。
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