第三章 空想の羅針盤(1)
■第三章 空想の羅針盤
地球を出ようとしたとき、はたと問題に気がついた。
肝心の『セレーナの財布』、これが停止されていたことだ。
エミリアを出て地球に向かうときのカノンジャンプのチケットは確かにセレーナのIDで決済できたけれど、今日までのどこかでそれが取り上げられてしまっている。
僕をエミリアまでおびき寄せたいにしても、僕がそんな大金を持ってるわけが無いだろうに、ロッソのやつも手落ちだなあ、なんて思う。エミリアの大貴族様ともなると、『お金が足りない』なんて想定の埒外なのだろうな。僕のIDでロッソに連絡して送金してもらう? なんかそれも変な話だ。かといって、正式な外交ルート(在地球エミリア大使館)に頼るのも、ことを大げさにしすぎてまずい気がする。なにしろ、ちょっと派手でも家出は家出。ちょっと切れ気味のセレーナを見て逆に冷静になった僕は、ともかくこれは家出に過ぎないというタテマエだけは死守すべきだ、とセレーナを説得した。
じゃあどうしよう。数万クレジット(自家用船の搬送代金も入れればその数倍)の星間旅行代金を僕に払えと言われても無いものは無いからなあ。
思いながら僕のIDの信用余力を確認すると。
!!??!?!???!?!!!?
三億二千万クレジットという途方もない数値を示した。
そこで思い出した。最初に関東の電車網をジャックしたとき、僕のIDでチケットを買えるように彼女の信用余力を僕のIDの裏付け余力に(たぶん不正な方法で)追加していた。セレーナのIDが無効になったことでその余力がうっかりこっちに全部流れ込んで来ているんだろうと思う。
そんなわけで、アンビリア行きのチケットは易々とゲットできた。
隣のアンビリア。
残念ながらアンビリアに関する僕の知識はきわめて限定的だ。
人類が最初に植民した星。
地球から宇宙への唯一の出口。
地球上空を支配している独立国家。
僕にとってはそんなにっくき侵略者なんだけれど、セレーナはまた別の面を教えてくれた。それは、アンビリアもロックウェル連合国の影響下にある国だということだった。
さっきもちらりとセレーナが口にしたロックウェル連合国の名。さすがに僕だって、その国が何者かなのかは知っている。
宇宙開拓初期に活躍した資源商社が基盤となって誕生した巨大な商業国家。中心となったロックウェル共和国だけでなく、続々と連合に参加した他の国もほとんどが商社国家だった。広大な領域を主権下に置き、そこで産出される資源を商う。領土はおそらく宇宙で一番広いだろう。
正確な数字はジーニー・ルカが補足した。二十の商業国、八十一の居住惑星、中継星系を含めると二百三十六の星系を支配しているという。加えて、公式な数字は不明ながら、あちこちの独立国に対してかなり強い影響力を持っているらしい。
「さっきもちらっと対立だなんて言ってたけど、その、面倒な関係なのかな?」
僕が無邪気に尋ねると、セレーナはなんとも形容しがたい表情を作って見せた。
「……歴史の研究者になるには、現代の宇宙地政学も必須科目だと思うけど」
「いやっ、でも、地球に関わらないことだとまだ……」
「じゃあ今すぐ勉強なさい。私に恥をかかせるのが目的でないなら。仮にもこのエミリア王女にこれほどの協力をさせた歴史的な研究者がこの程度の知識も持ち合わせないなんて恰好が付かないわ」
電気が走るような衝撃を受け、思わず首をすくめてしまう。
彼女の言うことはどうしようもなくごもっともなことで、僕の認識の甘さに冷や水を浴びせられた。
「言うまでもないけれど、ロックウェルは宇宙一の大帝国。その軍事力も文句なしに宇宙一。直接指揮下にあるものだけでも百に近い行動単位を持ってるわ」
通常、戦争をして一星系を制圧するのに必要なのが一行動単位と言われている。防衛艦隊がいればまた違うけれど、それが百も、となると、その強大な戦力にめまいがする。
「なぜそんな軍事力を持っているのか? それはもちろん、彼らが購う資源の産出星系と輸送ルートを守るため。そして、彼らにとって最も利幅が大きく価値の高い資源は何か。もうわかるわね、マジック鉱よ。彼らはマジック鉱の輸出を独占するためだけに過去に何度もエミリアに出兵してきたわ。建前上は、エミリアに権益を伸ばそうとしている帝国主義者を排除するとかなんとか、ね」
「帝国主義者」
「シュッツェ帝国、大マカウ国。時代錯誤な宇宙帝国主義時代の生き残り。あの連中に比べればロックウェルはマシ、とも言えるけど、やってることはおんなじよ」
やばい、これ、講義ノートいるやつかな。
「もちろんエミリアは独立国家だから、そんなもの許せるはずがないわよね。だからエミリアはずいぶん前から重軍備を進めていて、今では軍事的バランスが均衡した上での友好関係にあるの。たぶん、軍事的にロックウェルに対抗できる宇宙国家はエミリアだけ。宇宙中の国家が、親ロックウェルか親エミリアかで揺れている――なんて言うと言いすぎね、エミリアは別にマジック鉱以外の資源権益に興味があるわけじゃないから、あくまで、ロックウェルに組している国とそうでない国、くらいだけれど、まあ、そんな感じで、ロックウェルを中心とした宇宙地政学上の軸があるのよ」
「親ロックウェルって、具体的に言うと何をしてるの?」
「別に。ただ、ロックウェルの宇宙艦隊がその国の支配星域を自由に通行することができる、ってくらい。必然的に、ロックウェルが星系防衛を担うから、遠回しの安全保障同盟国みたいなものね。親ロックウェル国は、防空艦隊を持たないことが多いわ」
「じゃあ、地球は?」
地球にはもちろん、新連合国と、それに属さない自由圏諸国家もあるけれど、おおむねこの文脈で言えば、新連合国のことを僕が尋ねていることはセレーナも理解しただろう、軽くうなずき、
「地球の上空はアンビリアの支配下。そしてアンビリアは親ロックウェル。つまり、地球の星系防衛はロックウェルが担っているってことね。地球の新連合国は、そもそも宇宙に主権が無いから、蚊帳の外よ」
「つまり、資源の最大消費国への輸送ルートはすべてロックウェルの宇宙艦隊の支配下」
「そう。そしてマジック鉱の地球への輸出は制限付きで、ほとんどの場合は完成品のマジック船だけが売られているのね。何しろ、もし地球の商人がマジック推進の大船団でも組もうものならあっという間にロックウェルの貿易網を食い破れる。だから、地球の首根っこを押さえてるアンビリアこそがロックウェルの通商覇権を支えていると言ってもいいわ」
「そうか……地球はだから、マジック船をほとんど持ってないし、そりゃ僕から見ればマジック船がおとぎ話にしか感じないわけだ……」
「地球で暮らしてるならそのくらいのこと知っときなさい。あなたたちの本当の支配者は誰なのか」
ぐっ、と小さなうなりが僕の喉で起こる。
僕は、ただ引かれた国境線で物事を考えて、地球の支配者はアンビリアだと思っていた。こんなのは地政学どころか地理でさえない。小学校の社会科のレベルだ。この程度のことも知ろうとせず、ただ、過去にばかり想いを馳せていた。ロマンとしての歴史学と、本当の地に足の着いた歴史学の違い。なんだかそんなものを痛感させられる。
でも、だからこそ僕は、本当の歴史学者になることを改めて心に誓う。そう、この旅は、ただ宇宙を飛び回ってロマン兵器の痕跡を探すのではなく、『為政者としてのセレーナ王女』と過ごせるというとてつもないチャンスなのだから。
「……なんというか、ちゃんと勉強するよ。胸を張って歴史学者を目指すために」
僕の渾身の宣言にも、セレーナはちょっと肩をすくめただけだった。
「ま、そういうわけで、もし究極兵器たらなんたらいうものが存在すれば、エミリアはこれまでよりもずっと低コストでロックウェルと『友好関係』を続けられるってことよ。艦隊を一行動単位でも減らせれば、年間数百億クレジットの軍事費削減ね。私はその数百億クレジットの価値のある地球人を秘密裏にかくまっているってわけ」
さっきのセレーナの一言に、これだけ重大な意味が込められていたなんて。そんなことが、ランチのメニューを選ぶように口から出てくるのだから、やっぱり本物の王女様ってのは、すごいもんだな、なんて見当違いのことを考える。
それから、言い方は悪いかも知れないけれど、急に、エミリアが身近に感じる。
地球は間接的にロックウェルに支配されている。そんなロックウェルと対等に渡り合うエミリア。
僕の心の奥底に、ロックウェルを共通の敵とする仲間みたいな意識が芽生え始めているかもしれない。
そして、アンビリアについて、そこに実際に立つからこそ知ることのできた知識というものが、あった。
僕らはアンビリアの上空に到着し、いざ着陸しようと思った時、アンビリアが、テラフォーミングに失敗した星だということを経験として知ることになった。
大気は呼吸に適さず、待ち時間が二時間以上のエアロック式着陸場に並ぶ。
上空から見ても赤茶けていたその惑星は、地上に降りると、さらに憂鬱になるような赤い空と砂漠のような大地が広がっていることが見えてきた。人の住んでいる町はビル群の連なりの中に完全に閉じているようだった。
着陸場のエアロックを出て広い到着プラットフォームに立つと、一惑星の玄関口というには少しまばらすぎる人波と、案内カウンターがいくつか、大きな案内パネルがいくつか。
僕らは相談の上、ともかく歴史問題なんだから歴史資料館か何かが無いか、カウンターで問い合わせることにする。
運良くというか、歴史資料館は宇宙港から歩いて三十分ほどのところにあると言う。
半分観光気分で、僕らはそこに向かった。
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