【始まりの地・旅立ちの島】第1章 限界を超える
私は42歳のサラリーマンである。
就業時間の1時間前には出勤し、ほぼ毎日残業、帰宅するのは23時が通常コース。
一流企業ではないが、それなりに大きな会社の本社営業部勤務、第3課 課長だ。
鈴 野:「佐々木課長、おはようございます」
佐々木:「おはよう。いつも早いね」
鈴 野:「佐々木さんほどではありませんよ」
本社営業部とは言え、第3課は稼ぎ頭ではない存在だ。やはり第一課がそれである。
第3課はと言うと、大口先は少なく、中堅どころや小口取引が多い。その分こまごました仕事が多いのも仕方がない。
部下は鈴野、宮村、中尾、竹内、上村、そして事務の宮里である。
課の方針として、「楽しく」を掲げており、その為、部下への指示命令はあまり行わず、会社の方針を伝えたうえで、個々の判断に任せている。
ま、それが上層部との摩擦につながり、いろいろ大変ではあるのだが。
前永部長:「佐々木君 ちょっといいかい?」
前永部長からの呼び出しだ、営業成績の事でまた小言でも言われるのだろう。そう思いながら、ミーティングルームに入った。
前永:「佐々木君、第3課の進捗なんだが、あまり思わしくないね。どうするの。」
佐々木:「はい、その件ですが、先日の会議でもお話ししたとおり・・・」
前永:「違うだろ!」
前永部長は大きな声でそう言いながら、テーブルをたたいた。
前永:「違うだろ。申し訳ございません。だろ?」
佐々木:「も もうしわけございません・・・。」
前永:「君は無能なのかい?私の言いたい事が理解できないのかい?」
ほぼ毎日がこの状況、俗にいう「パワハラ」である。明確な根拠なく、社員を無能と呼び、部長と言う肩書だけで無理難題を押し付ける。
若い社員へは私からそう言う態度を示すことはできない。なぜなら「パワハラ」だからだ。しかし、現在の部長職の連中や役員連中は、昭和のそれをそのままにしている。
中間管理職の辛さはこういう形で具現化されているのだ。
私が入社した20年前は、給料もそこそこ良い方の会社だった。少しづつではあるが、組織は拡大し、社員数も増加していった。しかしここ5年、業績は著しく低下し、ボーナスも寸志程度でしかなかった。部長や役員からは、厳しい締め付けが徐々に増え、常態化したのが現在の状況である。
「転職でも考えた方がいいのか・・・。な?」
そんな事もしばしば考えつつ、日々の業務をこなし、5月の月初を迎えたときである。
鈴野:「佐々木課長、少しお時間よろしいですか?」
佐々木:「あぁ、いいよどうした?」
就業時間まえの朝8時過ぎ、佐々木と鈴野はミーティングルームに入った。
鈴野:「すみません。お時間いただきまして。」
佐々木:「なんだよ、改まって。」
鈴野:「これ」
辞表である。私も今まで考えたことは何回もある。その度に思い直し、今がある。しかし、現在のこの会社の状況や、これからの展望などを考えれば、鈴野のような若者は、もっといい会社に転職した方が未来が明るい。そう思った。
佐々木:「わかった」
それ以上何も言わず、ミーティングルームを後にした。
鈴野は非常に優秀な社員だ。得意先との関係性はさることながら、提案力も成約率も、申し分ない。そんな社員が第3課からいなくなれば、この第3課は維持できない。それくらい優秀な社員なのだ。
13:10分 デスクの電話が鳴る。前永部長からの呼び出しだ。
前永:「君はなにかね?鈴野君を辞めさせて良いのかね?」
佐々木:「鈴野の人生ですので、本人の意思を尊重しようと・・・。」
ダン!(机をたたく音)
前永:「ばかか君は!」
「上司である君が止めなくてどうするんだ!」
「本当に無能だな、君は!」
「無能と書いて、佐々木と読むのかね、私の辞書に新しく追記しないといけないね。」
佐々木:もう、我慢できない・・・。
もういいだろう・・・・。
こんな会社・・・・。
鈴野が退職し、その残務を引き継た事で、佐々木の業務は完全にオーバーワーク、次元を超えていた。
佐々木:もう・・・もぅいい加減にしてくれ!
佐々木は大声をだし、デスクの前で仁王立ちしていた。
度重なる残業、休日出勤、休みなく働き3ヶ月がたった8月10日夜中の1:25分。
佐々木は誰もいない事務所のデスクの前で、息を引き取った。死因は脳梗塞と心不全
佐々木は独身であった為、その状況を確認できたのは、明け月曜日の朝となった。
佐々木:そっか、俺、死んだんだな・・。ま それでいいだろう。もう疲れた。
少し休ませてもらう事にするよ。
佐々木:へ~幽体離脱ってこんな感じだったんだな。昔読んだ本とほぼ同じだ。
どんどん空高くへ登っていくけど、どこまで上がるんだろう。
あれ?サンズの川に行くんじゃないの?え?
そのまま意識が少しづつ薄れ、真っ暗な世界へ吸い込まれていくように消えていった。