7話
恋愛バイブル100選を実践しようにも、ことごとく失敗した上に、実践すらできていない。
今日読んだ、思わせぶりな態度やら、昨日読んだ、1つの物を分け合うなんて、機会もないのだから不可能に近いんじゃないかと思う。
(それに、サラサ様が美人すぎた……)
クロードのお姉さんのサラサは、伝説の美女だと言われても信じるくらい、綺麗な人だった。
マティアスが想っていた──今も想い続けている可能性だって否定できないだろう。
恋愛バイブル100選(初)をラクアに返すために家から出ると、ほど近くにある武器屋からマティアスが出てくるのが見えた。
朝早くから早々に運を使わなくても。見つからないようにゆっくりと反対方向に歩こうとしたものの、気が付かれてしまった。
「ベッティさん。おはようございます」
「おはようございます!今日は武器屋に行ってたんですか?」
「ええ。団員が増えてきたので、訓練用の模造刀を発注しにきたんです」
「エルター様って団長ですよね……ドエルガ様や他の新人の方とか、発注担当の方がするお仕事だと思ってました」
こういった雑務もこなすんだなぁと感心していると、マティアスが目を瞬かせている。
「今日は他にも気になることがあったので……それより、マークを知っているんですか?」
「喫茶店に行く際の門番さんだったり、この間は図書館で偶然会ってお話したんですよ」
明るくて調子がいいけど、自分の否はすぐに謝ってくれたし、話していて楽しくはある。
そんなイメージを話すと、マティアスが頷いてくれた。
「ええ。煩いのが短所でもありますが、ムードメーカーとして盛り上げてくれていますね」
「そうなんですね……うわっと」
さっきまで慌てて逃げようとしていたせいか、持っていた本がずり落ちる。
寸前のところでマティアスがキャッチしてくれたものの、タイトルや内容をバッチリと見られてしまい、一気に赤面していく。
「これは、その……」
「……女性は、そういった本が好きなのでしょうか」
「人によるかとは思いますが……知り合いの方で読んでいる人でもいるんですか?」
「ラクア様の護衛になる以前……7歳くらいですかね、小姓となって仕えていた方がいまして」
「もしかして、サラサ様……」
「ええ、そうです。サラサ様も同じような本を読んでは、実験と称してクロード様や俺や、その時出入りしていた業者たちに試していました」
懐かしむように目を細めたマティアスの表情は柔らかい。
騎士は小さな頃から主君と共に成長していくのは知っていたけれど、2人の絆が垣間見えて、胸が苦しくなる。
「サラサ様はきっと効果あったんだろうなぁ……」
「……ベッティさんは、効果がなかったんですか?」
「そうですね。実践しようにもできなかったり、失敗続きで、今はやる勇気すら湧いてこないんです」
自分で言って情けなくなってくる。
受け取った本をギュッと握りしめながら苦笑いを見せると、マティアスの眉が困ったように下がった。
「ベッティさん。これからラクア様の元に向かうんですよね?」
「はい」
「後は帰るだけなので、ご一緒します」
「えっ?他に気になることがって……」
「それは既に終わりました。時間があればですが、気分転換に市場でも覗きつつ向かいませんか?」
事情は知らないにせよ、マティアスなりに慰めてくれているのか。
優しさに喜んで良いのか、泣いて良いのかよく分からない状況だ。
それでも離れがたく、頷きながら隣を歩いていると、ふと視線が合った。
「ニックもベッティさんと何度か市場に来たことがあると言っていました」
「そうですね。小さい頃は一緒に買い出ししたり、女性関係で失敗したお兄ちゃんの買い物に付き合ったり……」
懐かしい。喧嘩した女性へのプレゼントを買いに来た時は複雑な心境もあったのに、今ではいい思い出になっている。
辛い気持ちも、時間が解決してくれる。
ならマティアスに感じているこの気持ちも、いつか風化していくだろう。
そう思うと、少しだけ気持ちが楽になっていった。
「もしかして、小さい頃のベッティさんは……ニックのことが好きだったんですか?」
まさか当時の心境を片思い相手に問われるとは思わず、ギョッとしてしまう。仄かな、かなわなかった、初恋。
「なんで急に……」
「ニックが教師としてやってきた頃に色々ありまして。可愛い妹に憧れられているから、妹を悲しませるようなことはしないと、本人が言っていたんです」
どんな状況でその発言が出たのかは分からないけれど、妹同然に大切にしてくれている。
きっと仄かな片思いにも気がついていたんだろう。
その思いごと大切にしてくれているんだなと、笑みを浮かべた。
「もしや、その本の相手は……」
「違いますよ!?」
「ではどんな……いえ、追求するつもりはないのですが、ベッティさんには色々お世話になっているので、少しでもお力になれたらと思いまして」
全く知らない人だったらどうするのか。それにしても今日はよく話してくれる。
きっと元気のない自分を慰めてくれてるんだろう。優しい。好き。
でも想われていないようで悲しい。
様々な思考が脳を占拠する中、市場の呼び込みの声が響く。
「新作の爆弾マンはどうだーい!」
「……行ってみますか?」
「え?あ、はい!」
良いか悪いか、有耶無耶になってしまった。他の人が好きだと思われたら、それはそれで嫌だけど、サラサのことがあって、どうしても勇気が出ない。
ホッと胸を撫で下ろしながら屋台に向かうと、爆弾マンのいい香りが辺りに充満していた。
新作は、チョコクリームマンと、チキンシチューマンだそうだ。
美味しいのかは分からないけれど、どちらも気になるが、朝食を食べたばかりでお腹に入らない。
楽しく食べたいから、どちらか片方だなと思っていると、既にマティアスが2つとも注文してしまっていた。
「エルター様!?」
「この先にある公園で食べましょう」
「え?あ、お金払いますよ!」
「このくらい出させてください」
「……ありがとうございます。でも、次に新作が出たら私が払いますからね!」
「……ええ」
一瞬目を見張ったマティアスが、緩やかに口角を上げて微かに微笑んだ。
「次の新作も楽しみですね」
「そう、ですね……」
滅多に笑わない人の微笑みは心臓に悪い。
それが好きな人の笑みだったら尚更だ。次の新作だなんて気が早いですね。
なんて言葉も返せないまま、公園にやってきた2人は、空いているベンチに座り、爆弾マンを全部で4つ取り出した。
「あの、朝ごはん食べたばかりなので、あまり食べられないかもしれません……」
無理矢理食べても失礼だと思い素直に言うと、少し考えた末に半分にして渡してくれた。
「半分ならどうですか?」
「あ、それなら食べられると思います」
「なら半分ずつ食べましょう」
受け取ったチキンシチューマンをパクリと口に含むと、口の中にクリーミーな甘みが広がっていく。
「美味しい……」
「旨い……」
「あは、同時に言ってますね」
「ふふ、そうですね」
チョコクリームマンは、マティアスには甘すぎたようだけど、ガツンとくる甘みがクセになる。
好きな人とこんな風に分け合って食べられるなんて、幸せだ。
(あれ……?)
そう言えば昨日読んだ内容はと考えたところで、驚きの声をあげながらマティアスを見る。
「もしやエルター様って、恋愛マスター……」
「は?」
「だって、100選を自然にしてて……師匠って呼ばせていただいても?」
「意味がわかりません。100選ってそれですか?」
「そうです!恋愛バイブル100選っていうので、初心者中級者上級者と続いているんです」
とってもためになるんですよと見せると、パラパラとめくったマティアスは一言呟いた。
「ベッティさんの方が自然と……」
「はい?」
「とりあえず、師匠ではないですよ。恋愛は、ほぼしてこなかったので」
「え、でもサラサ様は……あっ、何でもないです!!」
失言をしてしまった。ラクアがあれだけ頑なに話さなかったのは何か理由があるだろうに。
誰にだって話せない事情を持っているだろうと反省していると、俯いたリイナの頭をマティアスが優しく撫でてきた。
「世間に出ている噂話とは事実が違います」
「無理に言わなくて大丈夫です!誰にだって話したくないこともあるでしょうし……」
「いえ……聞いていただいても良いでしょうか?」
マティアスの瞳から目を逸らせず、コクリと頷いた。
「ありがとうございます。……あの方は、あくまでも尊敬している1人です。確かに、歳が近かったのと、サラサ様が当時恋占いをよくしていたので、同い年の私との仲を囃し立てられたりもしましたが……」
当時のサラサや周囲とのやり取りを思い出しているのか、苦笑いを1つ見せて、言いにくそうに言葉を発している。
「ただ、その……一時期ですが、サラサ様と婚約をしていました」
「えっ?」
衝撃の発言に心臓がキュッと縮み、口からは吐息が漏れた。
「あくまでも貴族関のみに発した偽装婚約でしたがね。当時は女性であるサラサ様の地位を狙う人が多く、あらゆる物から守るための婚約でした」
適当な相手との婚約よりは、ある程度家柄がしっかりしていて、事情を知っている者が婚約に適している。
白羽の矢が立ったのは、同い年のマティアスだった。
マティアスなら大丈夫だろうと、王と王妃のお墨付きで決まったらしい。
内容としては、噂になるくらいの逢瀬やお茶会。パーティーには小姓ながらも、パートナーとして参加することもあったそうだ。
お互い乗り気では無かったそうだから、初めから断ることも出来たかもしれない。
でも、それでサラサを守れるのならとエルター家とマティアスが婚約を了承したようだった。
マティアスの口から語られる度に、心臓がバクバクと嫌な音を立てる。
「……そんな話、私にして大丈夫なんですか?」
ラクアが語らなかったのは、王族に関わる内容だったのもあるだろう。
マティアスの許可を得ていなかった中、無関係な平民に聞かせる話じゃない。
「婚約は既に解消していますし、サラサ様はもう嫁がれた身。問題ありませんよ」
「……好きだったんですか?」
「主従関係での敬愛です」
あまり恋愛をしてこなかった身としては、好きと敬愛の違いが分からないが、マティアスの言い方だと、あくまでも尊敬の比重が強そうに感じた。
「ベッティさん。誤解は解けましたか?」
「誤解?」
「ラクア様が、ベッティさんがサラサ様との関係を誤解してしまったと言っていたので、どんな誤解をされたのかと少々気になりまして」
「サラサ様が婚約した際に反発したとか、片思いしていたとか、将来の約束をしていたとか、心を通じ合わせていたとか……」
そんな噂が貴族間で広がっているのは、マティアスも知っているのだろう。
騎士団内でも広まっているのは、マークの話し方から見ても間違いなさそうだった。
こめかみを押さえたマティアスは、深く息を吐いた後、リイナをじっと見つめた。
「違います。……まだ噂が残っているなら言っている人間を排除すべきか……」
何かを悔いるように項垂れたマティアスが、普段の様相とは違い、しかも物騒な物言いをしていてオロオロと焦ってしまう。
「お、落ち着いてくださいね?」
「なら、俺のことを信じてらもらえますか?」
「もちろん!エルター様がこうして話してくれたんです。何があっても信じますよ」
「……それなら良かった」
目尻がゆるりと下がっていく。なんでわざわざ話してくれたんだろう。
少しは秘密を話しても良いくらいには、近づけているのかな。
そう思いながら、ラクアとの約束の時間まで、公園でのんびり過ごしていった。




