3話
ラクアの風邪は2日もすれば完治したようで、りんごをオススメしてくれたお礼にと、わざわざ手作りのクッキーを持ってきてくれた。
3時のおやつにと食べてみると、どこか懐かしい味がして首を傾げる。
ラクアがたまに王宮から持ってきてくれるお菓子はどれも美味しくて、今回のクッキーも美味しいけれど不思議な印象を抱いた。
もしかして、ラクアが前に持ってきてくれたお菓子の中にあったのかなと記憶を辿っていくと、もっと過去の記憶が呼び起こされた。
「これ、もしかしてリックお兄ちゃん……?」
「凄い!正解よ」
リックはたまに砂糖だけではなく少量の塩とバターが入った、塩クッキーを作っていた。甘いクッキーしか食べていなかったリイナにとって塩味のクッキーの味は衝撃的で、小さい頃は苦手だった。
初めて作ってきた日は試作品と言っていたのに、苦手だと知るとたまに作ってきていた。
それは決まってリイナが勉強をサボった次の日だったり、意地悪を言った日だったり。
小さい頃は単純に美味しくない物を渡されたと思っていたけど、あれは嫌がらせだったのかもしれない。
思い返してみれば、食べ物を粗末にしないようにと言われていたリイナが苦しみながら食べるのをリックは楽しそうに眺めていた。
クロードがリックを厳しいと感じているのは、この嫌がらせが進化したからなのかもしれない。
だとしたら今でも性格は変わっていないようだと思わず笑ってしまった。
「リックお兄ちゃん怒ってた?」
「ううん。リイナに会うって言ったら嬉々として作ってくれてたよ」
手紙でお菓子作りができることを教えた謝罪はしたけれど、仕返しをしないと気がすまなかったようだ。
「全部食べるのを見守って下さいって」
「昔とは違ってリックお兄ちゃんの塩クッキー好きだから無意味だよって言っておいて」
リックの技術が上がっているのか使っている材料が良いのか、もう少し改良したらお店の商品として売り出せるくらいに美味しい。
目論見は外れたなともう1つ食べると、ラクアが楽しそうに目を細めた。
「前に言ってた初恋相手ってリックでしょ」
「んぐぅ!」
いきなり言われたせいでクッキーが喉奥に詰まった。なんとか紅茶で流し込むものの、若干咳き込んだせいで涙目になっていく。
そういえば出会った当初くらいに世間話として言っていたかもしれない。
「引っ越してしまった初恋相手が戻ってきて、今は王宮勤めで中々会えない中、手紙のやり取りをしている……リイナ、これもう物語よ!……ウフフ……」
ラクアが興奮するのが目に見えていたからあまり話していなかったけれど、いつ言っても興奮するなら、もう少し早めに言っておけば良かったかもしれない。
「小さい頃の思い出だよ」
仄かな初恋は、リックが引っ越して何もないまま終了した。確かにいなくなった直後は寂しかったけど、今はいいお兄ちゃんとして認識しているし、リックも妹として扱ってくれている。
「あら、世の中何があるか分からないじゃない」
どうしても恋愛話をしたいようだが、残念ながらリイナの恋愛話はそこで終了だ。
それもなんだか物悲しく、何かないかと初恋以外の思い出について考えると必然的に1人の姿が脳裏に浮かび上がり、追い出すように頭を振った。
「そういえば、クロード様は風邪の時何を用意してくれたの?」
「えっと……」
自分の話になった途端ラクアの勢いが落ち、もじもじしながら視線を忙しなく動かしている。
「お見舞いに来てくれて、わざわざりんごを剥いてくれて……その……」
「あー、もしかして食べさせてくれた?」
はにかみながらも頷く姿がとても可愛らしい。クロードの前ではもっと女の子だったんだろうなと思うと、幸せそうなラクアを見れてこっちまで嬉しくなってくる。
大切に思い合っている2人を見ると恋愛に憧れを抱いてしまうものの、リイナが恋しそうになっている相手を思うと2人のようにはなれないなと心の中で笑う。
「……もう、リイナったら!私の話はいいの!」
いつもならそのままクロードの話に移るのに、今回は一筋縄ではいかないようだ。
「リイナもマティアスみたいね」
「へっ?」
話題を考える度に出てくる人物の名前を告げられ間の抜けた声を上げた。
「マティアスは恋愛に対して興味がないみたいなの」
代々武一筋な家系で育っているそうで、マティアスの父は騎士団師団長で、兄は同じく別部隊の騎士として働き、妹は街の自警団に所属しているらしい。
2人共結婚をしている中で恋愛の噂すら出てこないマティアスには、両親も今後の行く末を心配しているようだ。
(なら私がなんて言えないけどね)
ラクアやクロードの家が凄すぎて気にしていなかったけれど、エルター家は王家を守護する、武に優れた家だ。
一介の街娘としては、話せるだけでも奇跡だと分かっている。
「エルター家だったら縁談話も来るんじゃないの?」
「そうね。王宮で勤めている人同士で出会ったり、両親が縁談を持ってくるって話も多いから、マティアスも縁談話は受けているでしょうね」
分かっていたけれど胸にチクッと痛みがやってくる。
「ただ……マティアス自身を望んでくれる人が現れてくれたらって思っているのよ」
「エルター様自身を……?」
縁談話が来るならマティアスが望まれているんじゃないの?と思ったけれど、王宮で働く人達の思惑はそう簡単ではなさそうだった。
「王宮で働くには家柄が良い人か、もしくは何らかの功績が必要なの。リックは教師としての功績を持っていて、平民だけど家族も問題を起こしていないから雇えているのよ」
審査基準は明らかにはされていないけれど、厳しい基準が存在するらしい。
「その功績を持っている人で、貴族の家柄を欲しがる人がたまにいるのよ。勿論恋愛結婚もありえるけど……」
「あー、なるほど」
騎士としての働きも十分。その上家柄が良く独身で、なおかつ見た目も良い。寡黙ではあるけれど、リックの情報の時のように、何かしてもらったらお礼をする気配りも見せる。
お近づきになれる人からしたらマティアスは良い男だろう。
家柄だけを欲しがる人には勿体ない人物ではあるけど、縁談後に仲を深めていけば問題ない。
「それに……ううん、なんでもない」
ラクアが何を言おうとしたのかは気になったものの、自分の気持ちに余裕が持てない。
マティアスが他の女性の元に行くのだと考えたら、目尻に涙が浮かんできそうだった。
家同士の結婚もありえると言っていた通り、マティアスには相応しい人がいるのに。平民なんて見向きもされないのに。
ここで泣いたらラクアが気にしてしまう。
「ラクア、あの……今日ちょっと用があって」
「あら、そうなの。それじゃあそろそろ帰ろうかしら」
「うん。今度はいつ来る?」
「そうね……」
頭の中の手帳をめくっているのかしばし止まったラクアは、にっこりと笑ってリイナの手を握った。
「リイナが泣きそうな顔をしている理由を聞きたいから、少し早めに予定を立てましょう。来週の土曜日に来てもいいかしら?」
「……うん」
長年クロードとの関係に悩んでいたラクアにはお見通しのようで、リイナ自身もラクアに隠し事はしたくなかったから丁度いい。
玄関まで見送るため立ち上がったところで外から喧騒が聞こえ眉をひそめた。
市場もある町中には相応しくない、荒々しい馬の蹄の音。
近所のおじさんの、剣なんて物騒な──という声に思わずラクアの手を握りしめる。
もしかして以前言っていた強盗かもしれない。
マティアスに指摘されてから玄関の鍵は閉めるようにしているから、誰かが入ろうとしても多少時間稼ぎはできるはずだ。
「ラクア。裏から出よう」
荒々しい声は一直線にリイナ達の元に向かってきている。
お忍びといえど護衛はいるはずなのにと思いながらカーテンの隙間から外を見ると、護衛していた騎士が倒れているのが見え、背筋が凍っていく。
「王妃候補がいるのはこの家だ!入口を塞げ!」
剣を持った男が指示を出しながら扉を蹴破る光景に、なりふり構わずラクアの手を引き裏口を目指すが、広い家ではないのに時間が無限に感じるほど、裏口が遠い。
「こんちは」
軽い挨拶をしながら下卑た笑みを浮かべた男に追いつかれるのも時間の問題だ。
「っ!リイナ!?」
今まで座っていた椅子を両手で持ち、ラクアを背に庇った。
平民だから王子妃候補を守るなんてできた人間じゃない。
大切な友人の命が狙われているから守るだけだ。
足も震えているし、椅子も重くて振り回せそうにない。
きっとここで消える命だと思うと、恐怖で涙が出てきてしまう。
「ラクア逃げて!」
せめてラクアだけでも逃さなければと思ったその時、ゆっくりと向かってきた男は、リイナが瞬きもする間もなく、黒い服を身にまとった男性──マティアスによって、首根っこを掴まえられ、床に叩きつけられている。
「捕縛しろ!」
マティアスの声に従った騎士達が素早く男を連れていく。
男への恐怖とラクアが助かったという安堵と、マティアスが助けてくれた喜びと。様々な感情に対処できず、持っていた椅子を降ろしながら床にへたり込んだ。
「ラクアぁ……よがっだぁぁぁ!」
18歳にあるまじき大号泣だが、感情が壊れている今は大目に見てもらいたい。
大声を上げて泣くリイナを見たせいか、ラクアもほんのりと目尻に涙が浮かんでくる。
「リイナったら、無茶しないでよ」
「だっで、ラクア、の、ごどっ、守りだがっだがらぁ……」
「ありがとう、大好きよリイナ」
「ゔん、私も大好き……」
友情を確かめるように抱き合ったまま無事を確かめ合っていると、大きくて硬い手が、リイナの肩に触れた。
「お怪我はありませんか?」
何度か邂逅した際にはなかった、優しげな声。
滲んだ先に見えた心配顔をしたマティアスは、リイナの手を握りながらゆっくりと立たせてくれた。
「ラクア様を守っていただき、ありがとうございます」
返答はしたかったけれど、上手く声が出せずに頷くだけにとどまる。
それよりも、涙でぐしゃぐしゃの顔を、想い人に見られたくなくて俯いたけれど、ご丁寧にハンカチを差し出されてしまった。
「お使いください」
「ありがとうございます……」
優しい。そう実感すると、また涙腺がブワッと働き始め、ボロボロと涙が溢れてきた。
なんでここまで泣けてくるんだろうと思うと、自分の感情の忙しさに笑えてくる。
「あは、今になって怖くなってきたのかな……」
「怖さを感じるのは当たり前です。素直に感情を出せるなら出した方がいい」
「いい年した女が泣くなよって思いません?」
「思いません。喜怒哀楽がハッキリしている方が良いのでは?」
「それマティアスが言うの面白いわね」
確かにと思ったリイナが涙を流しながらもクスクスと笑うと、マティアスの表情も和らいでいく。
「あれ?今日マティアスって非番よね」
「ええ、まあ……」
何やら言い淀んでいるけれど、ラクアにはお見通しのようで、キラキラとした顔を向けた。
「次の約束は取り付けた?」
「していません」
なんでよ!と憤慨しているラクアには悪いし、マティアスには幸せになって欲しいなとも思うけれど、また特定の相手がいないようでホッと胸を撫でおろす。
「ラクア様。クロード様に顔を見せに行きましょう」
襲われたけど無事ですと報告だけされても、顔を見せなければ落ち着かないだろう。
「あ、ハンカチ……」
「そのまま使っていてください。それと、詰所の騎士の数を増やして見回りをしてもらうよう手配します」
本当なら、もう少しだけマティアスにいて欲しい。そう思う心を隠し、頷いた。心配して見回りの数まで増やしてくれるなんて、ただの平民にとっては格別な対応だ。
「現場検証に立ち会えないのは些か心苦しいですが……」
「いえ!早くラクアを連れて行ってあげてください……エルター様、今日は本当にありがとうございました」
「……ベッティさんも、無事で良かったです。今日はゆっくりと体を休めてください」
ファミリーネームだけど、去り際に初めて名を呼ばれ、心臓がギュンと音を立てて高鳴った。
きっと顔も赤くなっていたんだろう。
ラクアの驚きつつも嬉しそうな顔を見て、そう思った。