1話
リイナとラクアの出会いから11年。2人は18歳となった。
同い年で話もあったラクアは、あの日から機会を見つけてはお忍びで本屋に通い、お互いの仕事や用事がない時にリイナの家に来て、お勧めの本の話をしたり、初恋について話したり、街の生活について話をしたりと会話を重ねていた。
「リイナ。この間読んだ本が素晴らしかったの!」
お忍び用とはいえ、良い生地の可愛らしい花柄のワンピースを着た、しかも美人なラクアは、そんな印象を木っ端微塵にしてくるくらい元気がいい。
今も椅子から立ち上がり、真正面にいるリイナに本の内容を熱弁している。
「偶然拾った古びた指輪が実はいつも冷徹っていわれる騎士の物で、裏の顔を知った王女が隣国に嫁がなきゃいけない中、徐々に心が惹かれてくってお話でね」
「ラクアの好きそうな設定だ」
「そうなの!古びた指輪を持ってた理由とか、王女に冷たくしてた理由とかが明かされる度に悲鳴をあげちゃうくらい良かったの!」
元々本に興味がなかったリイナもラクアからお勧めされた本を読んで見ると、プレゼン通りに面白いことが多々あった。
一通り話して満足したのか、ラクアは椅子に座って大人しく紅茶を飲んでいる。
コアなファンのようにどれだけ頬を上気させながら熱弁してても、紅茶を飲む仕草1つで本物の貴族だと実感してしまう。
音を立てずにティーカップを置く姿も様になっていて、いつ見ても惚れ惚れする。
「……ドラマティックな恋してみたいな」
「えぇ!?」
ラクアとは正反対に勢いよくティーカップを置くと、まだ入っていた紅茶がカップの口からこぼれ出しそうになった。波々と揺れる紅茶のようにリイナの心は穏やかではいられない。
「キルシュ様は?」
リイナの言葉にラクアの頬が段々と朱色に染まっていく。
その様子からもどうやら国代表カップルはまだ安泰らしいと見てとれる。
キルシュ様とは『クロード・ファン・キルシュ』という、この国の王太子だ。
そして婚約者が目の前にいるラクア・セル・マリナー。
6歳で婚約してからずっと順風満帆で、ラクアの趣味にも理解を示し、こうして街まで来るのを快く送り出してくれるらしい。
パーティーではいつも和やかに過ごしているらしいし、ピクニックで楽しそうに談笑している姿を街の人が見かけたそうだし、幼少期からの婚約でドラマティックではないかもしれないけど、順風満帆なように思える。
平民の間で広がっている噂では、ラクア以外の候補にはクロードが難色を示したようで、念のための候補はいても、実質ラクアしかいないそうだ。
お互い想い合っている。2年以内に結婚するだなんて信じられないが、きっと良い式になる。
「クロードは私では釣り合いが取れないくらい素晴らしい人よ」
恥ずかしそうに、でもキッパリと言い切るラクアに見ているこちらが心がほわほわと暖かくなる。
これだけ可愛らしい人に思われていて、嬉しくないはずがない。
「物語のような波乱万丈な恋も良いかもしれないけど、私はラクアにはいつも幸せでいてほしいな」
「リイナ……」
「2人の仲応援してるから」
「ええ、ありがとう。クロードと離れたくないもの。頑張るわよ」
ラクアの気分が落ち着いたところでもう一度カップを持とうとしたけれど、目の前の光景にまるで石化の毒でも盛られたかのように動けなくなった。
「……キルシュ様?」
「え?あ、あ、あ、クロード!?」
はにかんだ笑みを浮かべながらラクアの取り乱しようを宥めているのは、お忍びの服を着ていてもどこからどう見ても王太子だと分かるオーラが出ているクロードだった。
お互いの話はラクアを通じて聞いていたし、初めて会ったような気がしない。
礼は欠かないようにと立ち上がり、街娘がやる挨拶をスッとした。
「リイナ・ベッティと申します」
「クロード・ファン・キルシュだ。君のことはラクアから話は聞いてるよ。嬉しい話も聞けたし迎えに来たかいがあったな」
嬉しそうにラクアのこめかみにキスをする姿に、見ているこちらが赤面してしまう。
そんな行動するなんて聞いてない!と思ったのはラクアもだったようで、恥ずかしさのあまり悲鳴を上げている。
どうやらクロードは嬉しいと行動に出るようだ。
なんて認識していると、クロードの横に高身長の男性が1人立っていたのに気がついた。
(全然気配感じなかったんだけど……)
目の前の男性を一言で言うなら、恐怖だ。
ラクアが読んでいると熱弁していた、冷徹な騎士はまさにこの人がモデルだったのでは?と思えるほど鋭い瞳をこちらに向けている。
ぴっしりと纏められたオールバックの黒髪。
騎士の制服は着ていないけれど、常に携えているだろう剣の柄には王宮のシンボルマークがついていたから、騎士なのだろう。
(というか、まさか私、警戒されて?)
ラクアとはお互いに親友だと思っているけど、王宮内には街に遊びに行くのを良く思っていない人も多々いると聞いている。
まさにこの男性もその1人ではないだろうか。
男性と知り会う機会があまりない中、見知らぬ男性の威圧感に不安で一杯だ。
恐怖心で涙が浮かびそうになったのをなんとか堪えようとしたけれど、クロードに気がつかれてしまった。
「マティアス。彼女は大丈夫だと言っただろう」
「騎士として警戒するに越したことはありません。ですが……少々やりすぎましたね」
マティアスと呼ばれた男性が警戒を解くと、緊張がほどけると同時に心臓がバクバクと鳴り響いた。今までここまで音を立てたことがあっただろうか。
「彼はマティアス・ヨーゼフ・エルター。騎士団の団長をしている傍ら、時間が合えばこうして護衛業務もしているの」
年齢は25歳。マティアスは、非番の日にも鍛錬や書類整理などをしてしまうため、副団長や一般兵から休んで欲しいと泣き言が届くらしく、ラクアやクロードの護衛として、王宮内にある喫茶店や図書館に連れていって無理矢理休ませているそうだ。
今日は、普段街に来ようとしないマティアスを引き連れて散策しているらしい。
「リイナとは1度会っているはずよ。ほら、私達が初めて会った日」
「初めて……ああ、あの時のお兄さん!」
呆れたような言葉をラクアにかけていた従騎士。それが今や団長の地位まで登り詰めているなんて、平民では考えつかないような苦労も多かったのではと容易に想像できる。
あの時の人がマティアスかと合点がいったものの、もう少し表情は明るかったような気がした。
まあ、さっきまで警戒していたのだからしょうがないかと思う。
あまりジロジロと見ると、また警戒されそうで怖いと目を伏せた。
「ラクア。今日の茶会の時間が早まりそうで、こうして迎えに来たんだ」
「あら、使いを出してくれたらすぐ向かうのに」
「迎え、嫌だった?」
「それは……」
腑に落ちない顔をラクアは見せているけれど、リイナもそれこそマティアスもすぐに察しがついた。
顔を2人に向けないようにしながら部屋から抜けると、マティアスも音を立てないように後ろからついてきた。
「どうやって入ったんですか?」
「御用があればリビングにという札を見ました。この辺では一般常識らしいですね」
本屋横には騎士の詰所もあり、周りに住んでいる人達も顔見知り同士。ごく稀に事故やちょっとした事件はあるものの、騎士が警戒するような事件は11年前以降は起こっていない。
特にこの辺りは治安が良いから、どこにいるか分かる居場所札を玄関に貼っておけば、緊急の用がある時にはそこまで来てくれて便利ということで、街の殆どの人が利用している。
夜だけ戸締まりをすれば良いというのが、平民の一般常識だ。
「……ごめんなさい」
「はい?」
「ラクアが狙われたら困りますよね」
「……」
詰所の騎士に話は通じているとはいえ、万が一を考えれば、札を貼るのは悪手だった。
「確かにそうではありますが、ラクア様の友人である、平民の貴女が狙われる危険もあります」
「あ、はい」
「……」
考えつかなかったという返答をしてしまったせいか、マティアスのこめかみがピクリと動いた。どうやら癇に障ってしまったらしい。
「ラクア様を狙った際に平民が犠牲になったら、この醜聞は王宮の名誉を傷つける」
さっきから平民平民と強調して言うのはわざとだろうか。いいや、口調からしてもマティアスは街に遊びに行くのを快く思っていないうちの1人だ。
でも間違いを指摘されてしまったのは自分の思考が至らなかったせいだと思い立ち、マティアスに頭を下げた。
少し嫌な気分になったのも確かだけど、それ以上にラクアや周囲の人々を思う心に尊敬の念を抱く。
「考えが至らず、ごめんなさい。それと、言いにくいこと言ってくれてありがとうございます」
頭を上げてマティアスを見ると、一瞬戸惑った表情で目を瞬かせている。
「……いえ。騎士として、王宮の人や平民に降りかかる危険は少しでも排除したいので」
「分かりました。戸締まりするよう周囲にも周知します」
「ええ。そうしてくださると助かります。戸締まりしただけでは事件に巻き込まれる可能性はありますが、少しの時間稼ぎにもなりますから」
無表情で冷徹な瞳。だけど王宮の人や街の人達を思う気持ちは計り知れないくらい大きく、常に騎士としての職務を全うしている。
街にも仕事人間はいるけど、マティアスの仕事人間ぶりは見ていて心配になるくらいだ。
背後から聞こえたラクアの叫び声に、またクロードが何かしたのだろうかと、マティアスと視線を合わせる。
「あ……」
「どうしました?」
「いえ、なんでもないです!」
一瞬。一瞬だけ、柔らかく目を細めた表情にドキリと胸が高鳴った。
その高鳴りはなんなのか、まだリイナは知る由もない。
予期せぬ邂逅はこうして起こり、リイナの胸には湧き水のように何かが溜まり始めていた。