9話
バイブル100選(初)はラクアに返してしまったから、まだ読み切れていない中級者向けを読み進めていく。
本当は辞めようと思っていたけど、自分の成長のためには読んだ方が良いと思い、また読み進めている。
昨日読んだのは、まだ実践はしていないけど、ちょっとした約束を嬉しそうに取り付けることだった。
今日の内容は、恋している人に対してだけに特別な応援をする。だそうだ。
演習場でする掛け声か、拳を握って応援するか、一体何が良いんだろうと椅子に座りながら思考を凝らしている中、慌てて帰ってきた両親から聞いた情勢話にヒュッと息を飲む。
掲示板に書かれていた内容を聞くに、クロードもマティアスも危険な場所に行ってしまう。
ならラクアはどうなるんだろう。
本を読んでいる場合じゃないと思っていると、玄関からノックの音が聞こえてきた。
「ラクア!」
「遅くにごめんなさい、リイナ」
「ううん。大丈夫だよ。入って」
「うん。お邪魔します」
目尻は赤いのに、ラクアは心配かけないようにと微笑んでいる。
胸が苦しくなる微笑みに、自分はラクアを支えるために何ができるんだろうと考えていく。
「ねえ、ラクア。街の武器屋には、武器以外にも、生活雑貨とか、旅立つ人に贈る物があるんだけど、知ってる?」
「リックが持ってるものかしら。クローバーの形の……」
「そうそう!リックお兄ちゃん今も持ってくれてるんだ」
「ええ。妹から貰った魔除けのお守りなんですよって言ってたわね」
引っ越しの際に渡したお守りを、今も持ってくれていて嬉しい。
当時はお小遣いの範囲で買える品物しか用意できなかったけど、今なら幅広く準備できるはずだ。
「自分のデザインでお守りが作れるんだよ。それに、我が家のお母さんは手芸が得意です。手先が器用だから手伝ってくれると思うよ」
まるで自分の手柄のように言うと、ラクアがクスクスと笑い始めた。
「クロード様に作ろうよ」
「そうね。あら?私、自分の手作りって初めてかも……」
「おお!最高の贈り物だね」
「忙しくてあまり時間が取れないけど、良いかしら?」
「当たり前だよ」
「リイナもマティアスに作ってね?どうせだったら4人でお揃いなのもいいわよね」
「う、うん?」
「でもマティアスとだけのお揃いの方が可愛らしいかしら」
「いや、作るつもりはなかったんだけど……」
家柄がしっかりしている人に、ただの平民である自分が急に手作りの魔除けのお守りを渡すなんて、想像するだけで怖い。
そう首を振っても、いつもの調子に戻ったラクアは納得してくれなくて、結局4つ作るまでの時間はなくて、2人に作ることとなった。
クロードには、シンプルな四葉のクローバーの錫細工。マティアスには剣型の錫細工。
剣の持ち手部分には、四葉のクローバーが施されている。
どちらも魔除けとしては最適だろう。
母が教えてくれている刺繍入りの小さな袋に入れて渡したいと作っていくと、いつの間にか出発の前日になっていた。
時刻は既に21時。帰路につく人も少なくなり、酒場の活気が増している。
クロードもマティアスもラクアも準備で忙しく、全く会えていない。
明日は忙しさのピークだろう。
せめて完成した魔除けのお守りだけでも、門番に渡せれば。
そう思い、ソっと家から抜け出した。
あまり夜に外を出歩かないから、新鮮だ。
ゆっくりと帰る人。既に酔っぱらっている人。これから仕事に赴く人。
昼間とは違う雰囲気の中、王宮前までやってきた。
門番は今日もマークだ。知っている人で良かった。
「ドエルガ様。こんばんは」
「こんばんは!こんな時間にどうしました?」
「エルター様に渡したいものがあるんです。渡してもらうことは可能ですか?」
「勿論いいっすよ!」
ニコニコと屈託のない笑みを浮かべるマークに手渡そうとした時、マティアスの訝しんだ声が聞こえると同時に門が開いた。
「マーク。誰か来て……ベッティさん?」
「エルター様……」
「……」
マークに預けてさようならしようとしたのに、まさかの本人登場だ。
しかも若干機嫌が悪い。やっぱり明日からの遠征に思うところがあるんだろうか。
「なぜこんな時間に……」
「マティアス様に渡したい物があるそうです」
「私に?」
心の準備が出来ていない状態で言われてしまい、ウッと言葉に詰まる。
いっそ早く渡したほうが良い。
でもマークの前で渡すのは気恥ずかしい。試行錯誤をしながらマティアスを見つめると、眉間に皺を寄せてため息を吐いている。
やっぱり迷惑をかけてしまった。
「ベッティさんを送ってくる」
「了解っす」
マティアスに敬礼をし、リイナには手を振ったマークに手を振り返しつつ、先を歩くマティアスの後ろをついていく。
この間も思ったけど、わざとゆっくりと歩き、歩幅を合わせてくれている。
マティアスの優しさが嬉しくて、胸がムズムズしてくるものの、大切な時間を使わせてしまい申し訳なさも感じてしまう。
「送らせてしまってすみません……」
「いえ。……少し歩いたところに、たまに騎士団の夜間訓練で使用する場所があるのですが、寄ってもいいですか?」
「はい」
怒っているのかと思ったけど、ちょっと様相が違うようだ。
頷くと、少しだけ口角が上がったような気がしたものの、いつも通りの表情に、見間違いかなと首を傾げた。
夜間訓練をしている人は今は誰もいないようで、近くにある噴水の音が耳に届く。
花壇の縁に座り、噴水が流れる様子を無言のまま見つめた。
以前感じていた威圧感はなくなり、隣にいてくれると嬉しくて恥ずかしい気持ちもあるけれど、それ以上にホッと息がつける。
チラリと視線を向けると、いつの間にか見られていたのか、視線が合った。
冷徹だと思っていた瞳の奥には、数多くの感情がしまわれている。
無表情さは今もあるけれど、時折崩れることがあり、その瞬間がとても心に残る。
「明朝出立します。いない間、ラクア様を気にかけていただけると助かります」
話しかけられているのには気がついていたのに、情報を聞いた時から感じていた不安が、涙となって溢れ落ちる。
ギョッとしたような表情に、心配をかけてしまったと涙を隠すように俯くと、ソっと肩を引かれ、マティアスの硬い肩に顔を押し付けられた。
「クロード様たちと協力し、最善を尽くします」
「……はい」
「たとえ戦争になったとしても、無事に帰ってこれると信じてください」
「エルター様……」
「必ず帰ってきます」
引き寄せる手は優しいのに、言われた言葉は力強い。
おずおずと顔を上げると、柔らかな瞳が返ってきた。
不安を見透かした上で、希望ある言葉をかけてくれる。
自分だって大変な状況なのに、なんて優しいんだろう。
「……はい」
そのまま暫く見つめ合ったところで、距離感の近さを実感し、恥ずかしさで頬が染まっていく。
変なことを言う前に離れなくては。
早く誤魔化そう。誤魔化すには何が最適だろう。もしや今なら渡せるのでは?と、自分のポケットに入っていた魔除けのお守りをマティアスに押し付けた。
「これは?」
「中に魔除けのお守りが入っているんです」
刺繍入りの小袋を開けたマティアスが中から剣の形の錫細工を取り出した。
暫くじっと眺めた後、お守りを握りしめ、ふっと微笑んだ。柔らかな笑みに心臓がどくりと高鳴る。
「ありがとうございます。……直接貰えて良かった」
「っ……」
なんとなく、マティアスの声の質が変わっている気がする。
耳に響く声はとろりとした甘さが潜んでいて、聞いているだけで胸が苦しくなるほどの愛しい気持ちが湧いてくる。
本人の声のはずなのにまるで別人のようだ。
溢れ出る年上の色気に、脳が沸騰していく。
パニックになりすぎた挙げ句、マティアスの両手をお守りごとギュッと握りしめた。
「……待っています。エルター様を信じて待っています」
「ベッティさん……」
心臓がうるさい。声も上ずって、ちゃんと言えたかどうかも分からない。
1人で感極まった挙げ句、また涙がポロポロと零れた。
「えへ、泣いちゃってごめんなさい」
急に恥ずかしくなってにへらと笑うと、握っていた手を引き寄せられた。
「貴女はどこまで俺を……」
また、とろりとした甘い声。顔は俯いて見えないから、どんな表情で言おうとしているのかは分からない。
感じたのは、手にかかった熱い吐息だけ。
持っていた手に顔を近づけたマティアスが、リイナの指先にソっと口づけた。甘やかな感触にゾクリと背中が震える。
「エルター様……?」
「騎士として、自分の心を律するのは慣れて──」
何か言いかけたマティアスだったが、門番として働いてたはずのマークが歩いてきたのが見え、パッと距離を取った。
「お疲れ様っす!マティアス様は30分後に最終会議ですよね。お先に失礼しま……んん?」
「マーク……」
どうやら仕事を終えたマークが通りかかったようだ。
リイナからは見えなかったが、マティアスの異変を察知したのか、顔を青くさせてオロオロとしだした。
「あれ?俺、もしかして……」
「大丈夫だ。すまないが、ベッティさんを送ってくれ。このまま最終会議に向かう」
まだ仕事が残っていたのに、わざわざ送ろうとしてくれたなんて、優しい。
マティアスの邪魔にならないようにしないとと、首を振った。
「1人で帰れますよ?」
「いえ、夜道は危ないので」
「はい!もちろんっす!!命に代えても送らせていただきます!」
気まずさを隠すように見事な敬礼を披露する姿に、思わず笑ってしまう。
「分かりました。明日、お見送りに行きますね」
「……ありがとうございます」
柔らかな眼差しに微笑み返すと、リックから隠れるように、もう一度だけ指先を握られた。
「魔除けのお守り、今度ベッティさんにも贈らせてください」
それだけ言うと、いつもの無表情さに戻り、すぐに王宮方向へと歩き出していってしまった。
「行きますか〜」
「お仕事終わりなのにすみません……」
「いえ、ベッティさんに何かあったらダメだって分かったんで、そりゃ守りますよ」
ニヤリと笑うリックに首を傾げると、目を瞬かせた後、ゲラゲラと笑い出している。
「いやー、役得役得。あんなマティアス様中々お目にかかれねぇっす」
「平民の私まで優しい言葉をかけてくれて、優しいですよね。でも、こんな時間に行っちゃって申し訳なかったです」
「はぁ!?ベッティさんそれ……おぉ、その表情まじかよ。……うわぁ、マティアス様前途多難じゃん……」
何やらブツブツと呟いたリックが、1人で合点が言ったように天を仰ぐ。
「マティアス様。俺、精一杯応援します」
「あの……」
祈りを捧げるような格好をしながら1人の世界に行ってしまったリックは、その後も周囲をこれでもかと言うくらい警戒しながら歩き、逆に周囲からはリイナが何かやったのかという目で見られてしまった。
翌日。リイナは早起きをして、街の出入り口方向へ向かった。
既に大勢の観衆が見守っている中、ラクアとクロードが共にいる姿を見つけた。
クロードの手には四葉のクローバーが入った小袋が握られていて、嬉しそうにラクアを見つめている。
なんとも甘やかな光景を皆が暖かな目で見守っていると、ついに出立の時間がやってきた。
「これから、わが国はノイス国とスルダム国との会合に参加してくる。目的は、あくまでも理性的な話し合いだ」
王が騎士団の前に立ち、演説を開始した。だが、これはあくまでも平民が不安にならないようにか、平民に向かってゆったりとした口調で話しかけてくれている。
「不肖ながら我が息子クロードも、此度の会合に参加をする」
王から紹介され、クロードが前に出てくる。王族のみが着られる白を基調とした服に、金の装飾。腰にかかった剣にはカンナビアのマークがついている。
いつも見る優しげな笑みは見せず、王太子として前を見据える瞳と表情だ。
「今後、カンナビアに困難が訪れたとしても、父や母のように、私が国民やこの国を守っていける力を身につけていく」
信じてほしいと言いながら微かに微笑んだクロードは、ラクアに視線を移した後、お互いが頷きあった。信頼関係が結ばれていて素敵だ。
ふと、視線を感じ、騎士団の方を見ると、マティアスと目が合った。
決して表情を崩さない真剣な瞳。その姿も好きだなぁと考えながら、手を振ると、マティアスの手がピクリと反応した。
「エルター様。行ってらっしゃい」
小さく呟いた声が聞こえるとは思わない。
そう思ったのに、返答をしてくれているのか、マティアスも何か呟いている。
「行ってきます……かな?」
首を傾げると、腰に付けられたベルトに括り付けられていたお守りを示して、ソっと撫でた。こっちの気持ちなんてお見通しのような行動に、なんだか恥ずかしくなってくる。
そのまま出立していった皆を見送りながら、無事を祈った。




