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第1章 第一節

 林を抜けた瞬間、潮風が頬をかすめた。生温かい湿り気のある風がゆっくりと流れ込み、澄んだ青空から降り注ぐ陽光が、波間へと降り注ぐ。光は水面で細かな粒となって弾け、その煌めきがわずかな時間、空気の中に漂っているかのようだった。

 その開けた視界の向こうに、未だ中に入れないでいる仲間たちの影が揺れる。声と動きが交差し、その中で一際大きく手を振る姿があった。

「フォル!」

 ファイナの声は迷いなく、はっきりと響いた。その直後、ほっとしたような息遣いと共に、勢いよく腕を掴まれる。柔らかい指先にわずかな震えがあり、彼女の安心がそのまま伝わってくる。彼女の栗色の髪が光に照らされ、わずかに揺れていた。フォルは微かに口角を上げ、少し肩の力を抜いたように応じた。

「悪かったな、少し時間をかけた」

「本当だよ! 変な場所に入っちゃって、心配したんだからね!」

 ファイナは詰め寄るように言いながら、フォルの姿を改めて確認する。肩や腕に視線を走らせ、傷はないか、異変はないかと探るような仕草を見せる。その動きには、焦りではなく、確かめるような慎重さが含まれていた。その横ではルディアが腕を組み、軽く眉を上げている。

「ま、お前ならそう簡単には死なないと思ってたけどな。で、そちらさんは……?」

 彼の視線がフォルの隣に静かに立つアマレへと向かう。薄布を纏った華奢な体躯がそよ風に揺れ、金の髪は陽光を受けて細い糸のように煌めく。その髪の一筋一筋が微細な光を織りなし、波打つように動く。その姿は空間に溶け込むというよりも、そこに異質な存在として浮かび上がっていた。まるで、この場に属しているのかどうか定かでないような違和感。佇むだけで目を引く風貌と相まって、その静寂が不自然なほど際立っていた。

「俺が見かけた影は彼女だったんだよ」

 フォルは短く答えながら、視線を少し泳がせる。

「それで?」

 ルディアが促すと、フォルは軽く息を吐き、手を頭にやった。指先が髪に触れるも、意識は言葉を探すことに集中している。彼の瞳は宙をさまようように動き、言葉を選んでいる時間が、かえって彼の困惑を際立たせた。

「あー……何かこう、気になるから、一緒に来ないか、と……」

 語尾が若干曖昧になりながらも、フォルはそれ以上の説明を加えず、単純な理由として話を終わらせようとした。

「うん……? フォル、まさか一目惚れでもした?」

 からかうようなファイナの言葉が、軽やかに飛んだ。彼女の表情には、揶揄の色があるものの、本気でからかうほどの意図はない。ただ、興味本位の追及に近い。フォルは眉を寄せて顔をわずかに歪ませた。

「いや、そういうんじゃない……と、思う」

 彼自身、確信を持って否定できない様子で言葉を濁す。その反応にファイナがすかさず乗り込む。

「え~なにその反応~」

 彼女の目は好奇心に輝き、声の調子が軽く弾んだ。会話を深掘りするというより、その曖昧な態度を楽しんでいるようだった。

 そんな彼らのやり取りをよそに、フォルの隣で静かに控えていたアマレにタンザがそっと声を掛ける。

「……私は、コンスタンザです。タンザとお呼びください」

 彼女は言葉を丁寧に紡ぎながら、表情をできるだけ穏やかに保った。警戒しつつも、いたずらに相手を不安にさせないように慎重に話す。その意図を汲んでか、あるいは単に気に留めていないのか、アマレは表情を変えずに軽く会釈を返した。

「……アマレ」

「あたしはトリュファイナだよ。ファイナって呼んでね! 髪すごい綺麗だねぇ」

「俺はコンコルディア。ルディアでいいぜ」

 フォルをいじるのに飽きたのか、ファイナとルディアがアマレの方へ歩み寄る。ファイナは明るく声を弾ませながら名乗り、ルディアは少しくだけた調子で続く。アマレは彼らの視線を受けながらも、特に驚いた様子もなく、静かに頷いて返した。その仕草は落ち着いていて、波立つことがない。

「そういや、この見えない膜? みたいなのは何だったんだ?」

 ルディアがふと切り出し、再び自身を拒む膜に手を押し当てる。ファイナも興味深げに、手にした杖の先で軽く膜を突いてみせた。

「そうそう、フォルだけ通れるとか……アマレちゃんも通れるんだよね?」

「俺は魔力が無いから、とか言ってたか?」

 全員の視線が集まり、アマレはわずかに迷うような間を置いた後、静かに口を開く。

「……これは、色を持った魔力に反応するもの。フォルは魔力がないから、通れた」

 アマレの声は静かで、淡々とした響きの中に揺るぎない確信が滲んでいた。潮風がわずかに流れ込み、膜の表面がかすかに揺れる。

「フォルに魔力が無いのは見たら分かるんだけど……色って?」

 ファイナは自分の手を見たり、周囲へ視線を飛ばしたりしながら問いかける。眉をひそめつつも、好奇心が勝っている様子だ。

「……地脈に流れる魔力が、大地を通して生物に分け与えられているのは知っている?」

 アマレの視線が足元へと向かい、その場の全員が頷いた。地脈の流れは基本的な知識として理解している。

「それが流れ込む時、それぞれの専用の魔力っていうのかな……そういうものになるの。それが、魔力の色」

 言葉は柔らかくもはっきりしていたが、それでいて曖昧な、どう伝えたら良いか悩んでいるようだった。

「では、アマレさんは何故通れたのですか? 貴女からは魔力を感じられますが……」

 タンザが問いを投げかけると、アマレの瞳がわずかに細まる。その変化は微細で、何かを測るように思考を巡らせているようだった。

「……私の魔力には、色がないから」

「それは、どういう……?」

「……」

 視線を外し、口を閉ざす。拒絶するわけではなく、言葉にするのを躊躇うように。その様子に、一瞬の沈黙が場を満たした。誰もその沈黙を破ろうとせず、ただ空気の流れがわずかに変わる。遠くから潮騒が聞こえ、風が穏やかに吹き抜ける。

 その静けさを軽やかに打ち破るように、ファイナが一歩前へと跳ねるように歩み寄った。彼女の動きは溜めを作らず、そのままアマレへと向かう。

「じゃあ、次の質問! アマレちゃんって、エルフなの?」

 彼女は躊躇なく流れる金髪の先を指差し、長く伸びた耳を示した。その声は明るく、先ほどの沈黙など気にもしない様子だ。

「……エルフというものが何か分からないけれど、そう呼ばれているのなら、そうなのかもしれない」

 アマレは少し首を傾げながら答える。言葉は曖昧で、どこか探るような響きがあった。彼女自身、定まった認識がないのか、それとも単に深く考えたことがなかったのか。

「なあ、彼女も連れて行くつもりなんだろう?」

 ルディアが静かに口を開く。その声には躊躇いはなく、ただ確認するような調子だった。フォルは一瞬目を向け、それから短く答える。

「ん、ああ。そのつもりだが……」

「なら、耳は隠しといた方がいいんじゃないか。騒ぎになっても面倒だろう?」

 その言葉にフォルとファイナは確かに、と頷く。しかしタンザだけは違った。彼女の瞳が鋭く光る。わずかに息を吸い込むような仕草の後、その目はアマレへと向かう。

「……ちょっと待ってください。まだ行動を共にするとは決めていませんよ」

 タンザの言葉は冷静で、慎重さが滲んでいた。風が緩やかに流れ、彼女の背後で葉擦れの音が微かに響く。

「まあ、そうだが……」

 フォルは少しばつが悪そうに目をそらしながら言い、ルディアとファイナはきょとんとした顔でタンザを見た。アマレはただ静かにその視線を受け止め、何も言わずに立っている。その姿は変わらず、揺るぎなく。

「皆さん、もう少し警戒心というものをですね……アマレさんには悪いですが、彼女が何者であるか、何が目的でここに居たか、何も分かっていないんですよ?」

「そういえば、アマレは何故こんな所に一人で居たんだ?」

 フォルの問いは悪びれる様子もなく、気軽に放たれた。タンザは二の句を継ぐこともできず、額に手を当てる。

「……気がついたらここに居た。それ以上は……分からない」

 アマレの声は静かで、淡々としていた。けれど、その言葉にはどこかためらいがあった。探るように、慎重に、そしてどこか記憶の底を覗き込むような。その言葉を庇うように、フォルが腕を広げた。

「とはいえ、このまま置いとくわけにもいかないだろう?」

 その口調は軽いが、放たれた言葉には迷いがなかった。

「いいんじゃねぇの。悪意があるようには見えないし、見捨てるのも後味が悪いしな」

 ルディアが肩をすくめ、大剣を揺らす。その動作はいつもの調子と変わらず、どこか気楽な雰囲気をまとっている。

「女の子には秘密がつきものだしね。それに、こんな綺麗な子初めて見たし、あたしはお友達になりたいな」

 ファイナが明るく笑いながら、アマレの腕に組み付いた。その動きには迷いがなく、親しみが込められていた。

「……分かりました。では、何かあったらフォルが責任を取るという事で良いですか」

 タンザの声には、慎重な響きがあった。問いかけるというよりも、念押しするような口調だ。

「ああ、それでいい」

 短いけれど、迷いのない言葉。それを聞き、軽くうなだれ流れる黒髪もそのままに、深く息を吐いた後、手を伸ばした。

「……それでは改めて、これから宜しくお願いします」

 差し出された手を見て、アマレの視線がゆっくりと動く。相手の顔と手を交互に見つめる。数秒の間を置いた後、わずかに微笑み、その手を取った。

「……よろしく。その、ありがとう」

 彼女の声は静かで、それでいてどこか慎ましさを帯びている。

「いいえ。私もこういう性格ですから、ごめんなさいね」

 タンザも同じように微笑み、握手を交わす。彼女の手の温もりは穏やかで、軽く指先が動くと、その意図を受け取ったようにアマレも力を入れた。

「あ、笑うとかわいいねぇ。タンザも……もしかして、照れてる?」

 ファイナの覗き込むような視線に、タンザはわずかに眉をひそめる。けれど、すぐに背を向け、歩き出した。

「……照れてません。さあ、行きますよ。あまりゆっくりしていては日が暮れてしまいます」

 少し早口になった彼女の背中を見て、仲間たちの笑い声が溢れる。風が軽く吹き抜け、その音が草の間に細やかに溶けていく。

「そういえば、勢いで連れてきてしまったが……何か持っていくものとかは無いのか?」

 フォルは林の奥へ視線を送りながら尋ねる。彼の問いに、アマレは一瞬だけ沈黙した後、静かに首を振った。

「大丈夫」

「そうか。じゃあ、馬車に乗ってくれ。移動しよう」

 フォルの言葉に促され、アマレは歩を進める。繋がれた馬の鬣が風に揺れ、荷台にはしっかりと積み込まれた物資が並んでいた。彼女はその様子を興味深げに眺める。馬車の木製の車輪が微かにきしみ、旅の準備が整ったことを告げていた。

 先に乗り込んだフォルの手に引かれ、アマレは馬車へと乗り込んだ。動きはためらいがなく、しかしどこか慎重さを含んでいる。御者台ではタンザが手綱を握り、その横にルディアが腰を下ろしていた。彼の腕は無造作に組まれ、大剣の柄がわずかに光を反射している。

 同じく荷台へ乗り込んだファイナは早速荷物を漁り始めた。背負い袋の中から様々な品を取り出し、吟味するように見つめている。

「ひとまず耳とか服とか何とかしないとね」

 彼女の手は迷いなく動き、探し物を的確に見つけ出していく。その横でアマレは流れる髪を手で掬いながら、ふと口を開いた。

「どこへ向かうの?」

 視線はまっすぐフォルへ向けられている。彼女の声は静かだが、言葉の奥にはわずかな探るような響きがあった。

「オルタル王国……今居る国な。その王都、ルミナグアだ。そこに俺達が拠点にしている場所がある」

 フォルは軽く方角を示すように視線を向ける。その動きを追うようにアマレも顔を向け、遠くの景色を目でなぞった。

「オルタル……ルミナグア……」

 呟きつつ思案顔になる。だが、思考に耽る間もなく、ファイナに腕を引かれた。

「まずはそのままだと寒いからこれを着て。で、耳はこのリボンで隠そう!」

 ファイナは何とも楽しそうに鼻息を荒くしながら、衣服や布を手にしている。その勢いにアマレは驚き、わずかに気圧される。

「……お手柔らかに」

 静かな口調の中に、微かに困惑が滲んでいる。それを見て、フォルは笑みを浮かべつつ、海風に身を委ねた。馬車はゆっくりと進み始め、木々の間を抜けるように道を進む。

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