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彼は人気者だ。いつでも周りに人が沢山集まっている。告白なんて恐れ多いし、集まっているその人達の輪の中に入るだけでも足がすくむ。否、入る事を考えただけでも、である。
でも・・・。
側に行きたい。
隣に立ちたい。
そこを、私だけの場所にしたい・・・。
その気持ちを抑えられない。
彼は3年生、もうすぐ卒業してしまう。だから私は決断した。一世一代の計画を練った・・・。
『カッコいいよね、付き合いたいー!』
『でもあの人長続きしないらしいよ。しょっちゅう新しい彼女連れてるって』
『だけどさー、あの人と別れた後の女子ってみんなさー・・・』
色んな噂が絶えない人。放課後は大体、仲の良い男友達と昇降口横の倉庫前の段差でたむろしている。今日もそうだ。座ってる男子と立っている男子が半々くらいの5〜6人の集まりの中、一際目を引くイケメンの姿が見える。
放課後。部活に向かう人、待ち合わせをする人、真っ直ぐに家に帰る人。今日は1年から3年まで、全てのクラスの終了時間が同じだった事もあって、昇降口前はとても混み合っていた。
そんな中、私は足音も荒く前進してそのイケメンの前に立ち、息を吸い込んだ。歩き始める前から、心臓はバクバクと激しく脈打っている。
当のイケメンを含めて、そこにいる全員が私を見た。痛い程の視線を感じる。
「大鳥先輩、私と付き合って下さい!」
私は大きな声で言った。覚悟がしぼんでしまわないうちに、歩いて来た勢いそのままに。そして、言い放った後は、そのまま顔を隠すように俯いて目を瞑った。『言ってしまった!』と、自分自身の行動に驚きながら。ただただひたすら恥ずかしかった。
大鳥ナオ、3年生。この学校一のイケメンは誰?と学校中の誰に聞いたとしても彼の名前が上がる筈。それくらいに名の知れた人だ。『顔が良い』ただその一点で。
ストレートの髪を長めのアシンメトリーにカットし、アッシュブラウンにカラーリングしている。両耳には小振りなピアス。色白で目鼻立ちはくっきり。カットされた眉が綺麗な、オシャレな先輩だ。
「誰?」
大鳥先輩の隣に座っていた男子が言った。長身の、モデルみたいに綺麗な人だ。名前は知らない。でも、よく大鳥先輩と一緒に歩いているのを見掛ける。同じクラスなのかも知れない。
私は、自分に向けられているであろうその質問を、思いっ切り無視した。怖くて、口を開いたら途端に震え出してしまいそうだったから。
変わらず全員の視線は私に刺さり続けている。
「俺で良いの?」
大鳥先輩の声が聞こえた。私は俯き目を閉じたままで頷いた。顔が熱い。頷くだけで精一杯。今すぐ逃げ出したいのを気合いで我慢して踏み留まる。
「すげーマジメちゃんだね。1年?」
また違う声が聞こえる。大鳥先輩の後ろに立っている男子だ。一段高い所から、腰を折り曲げて無理矢理に私の視線と高さを合わせてそう聞いて来た。
そんな簡単な質問にも、私は答えられなかった。勿論目も合わせられないし、その男子を見る事も出来ない。
みんな3年生。しかもみんなカッコよくて、私なんかとは住む世界が違う人達だ。言葉の、声の一つ一つに余裕が感じられる。自然に喋り、自然に知りたいと思う事を何の躊躇もなく聞ける人達。それに比べて私は・・・。
入学以来何一つとイジっていない制服に、校則通りに2つに結っただけの黒いままの髪。指定のホワイトソックス、学校のロゴ入り通学鞄。
校則の見本そのままの姿は、お世辞にもイケてるとは言えない。大鳥先輩みたいな人に似合わないのは百も承知だ。
もうダメ。震え出しそう。
無理かも知れない・・・。
そう思って目から涙が出そうになった時、大鳥先輩の声が聞こえた。
「いいよ。行こう」
え?と思い、俯いたままで目を開いた。
風が動いた。
緊張のあまりに強く握りしめていた私の手を、伸びて来た少し大きな手がフワリと握った。そして優しく引かれる。
「マジかよナオ、ソレ行くの?」
長身の男子が、立ち上がってそう言った。
「何処に行くんだよー」
一段高い所に立っていた男子が、曲げていた腰を戻しながらそう聞く。
驚いて顔を上げると、大鳥先輩が集団から外れ、私の手を引いて校門に向かって歩き出した所だった。
私、OK貰えた・・・?
「新しい彼女と下校デートだよ」
前を大股で歩く大鳥先輩が振り返って友達にそう言う。脚が長い。付いて行けなくて躓きそうになる私。大鳥先輩が一瞬止まる。私の顔を見て微笑んだ。イケメンの満面の笑みだ。非常に眩しい。
「ナオって呼んで。呼び捨てで。名前何?」
「・・・凛」
「リン、イイね。カッコヨ」
名前を褒められた。親に感謝だ。
繋がれた手の温度が上がっていくのを感じる。生まれて初めての『彼氏』が出来た・・・。勇気を振り絞ったら、こんなに簡単に・・・。いや、簡単では無いか。この一瞬で、私は多くのモノを捧げた気がする。今まで大切に仕舞い込んで隠し続けて来た自分を、公衆の面前に曝け出してまで。
うん、頑張った。
そう思って、次第に成功の喜びが湧き上がって来る。
けれども、次の言葉を聞いて温度の上昇が止まった。
「リン、今いくら持ってる?財布の中」
ん?と私は思った。
何故所持金を聞かれるのだろう・・・。
そう思いながらも、うろ覚えの所持金を伝える。
「親は厳しい方?」
「ううん・・・、それ程でも、ない・・・」
ナオはそれを聞いて「OK」と呟き、何処かに電話を掛けた。
私は、少し不安になった。その不安を感じ取ってか、ナオは電話をしながら私を見て、安心させるように微笑む。
普通にしていてもカッコいいけど、笑うと更にカッコいいな。何だかズルい。
結局、笑顔一つで私の不安は綺麗に丸め込まれて、そのままナオの目指す目的地まで、連れて行かれてしまうのだった。
「ナオの電話はいつも急だからなぁ」
連れて来られたのはナオが行き付けだと言う美容院。
「コレ俺の専属。この子俺の新しい彼女リン。宜しく」
コレと言われた美容師さんは、私を見てニコっと笑って軽く頭を下げた。私も紹介されてお辞儀をして答える。
二十代の半ば位の男の美容師さんだった。短く刈った髪をシルバーに染めて、整髪料で全体的にツンツンと立たせている。薄いヒゲをオシャレに整えていて、それがとても似合っている。
「リンちゃん宜しくね。座って座って。学割と新規割引でカットパーマカラーで5千弱でどう」
流れる様に自然に鏡の前に座らされて背後に立たれ、鏡越しに目を合わせてそう聞かれた。しかしながら戸惑って何も答えられない私。えっ、あのっ、と小声でオタオタしていると、横から代わりにナオが答えて、美容師さんと2人でどんどん決めていく。
「ん、それでやって。色はパープル系?ラベンダーとか似合いそう」
「カラー初でしょう?イキナリそれはキツくない?」
「ならピンク系ブラウンとかは」
「イイね。それで行こう」
という感じで。
今ひとつ状況を飲み込めていない本人を置いてけぼりにして、施術は勝手に始まった。
私がシャンプーをして貰っている間、ナオは電話をしながら外に出て行き、戻った時には綺麗な女の人を連れて来た。パーマやカラーの待ち時間の間、彼女は私の眉を整えて、学校にもしていける軽いメイクを実際に施しながら教えてくれた。
洗顔やケアの方法のアドバイスも怠らない。「こんにちは」というありきたりな挨拶から始まった彼女の指導は、美容素人に対する初めてのレクチャーとして完璧で、動きから話し方から、何もかもにプロフェッショナルを感じた。
そして、施術後の完成した私は、私ではないみたいに可愛いくなっていた。明るい髪色にゆるふわのウェーブ。淡いメイクは嫌味もなく自然で、この美容院に入る前の自分を思い出すのが困難な程に。
ここまで変わるなんて・・・。
思わず、自分に見惚れた・・・。
「完璧じゃない?」
鏡の向こうの私の横に、ナオが立ってそう言う。完璧、というか完全に今の私の見た目は、少し前の見た目よりもハイレベルだ。
これは、急いで施術しないと一緒に歩けないレベルだったと言う事だろうか。だったら無理に告白をOKしなくても・・・。
そんな事を考えていると、風が動いてナオの顔がすぐ横に来た。鏡の中のナオが私を見たかと思うと、鏡の中の私に顔を寄せる。頬に暖かく柔らかい感触。
「え!」
驚いて私は、鏡越しではなくすぐ横にあるナオ本体の顔を見た。そして思ったよりも近い距離に更に驚いた。
びっくりする私を見て笑いながら、ナオは店を出て行った。
・・・遊ばれてる、ような気がする・・・。
「本当に、五千円で良いんですか?」
ドアのすぐ横に置かれた小さなレジの前で、私は小声でそう聞いた。五千円程度で済む内容では無かったであろうこの現状に身が縮む。チラリと美容師さんの背後の壁に貼られたポスターを見ると、cut20,000円〜、colour5,000円〜・・・という文字が見える。小さく縮んで、出来る事ならそのまま消えて無くなってしまいたい。
「勿論」
美容師さんはそう言って、私が出した五千円札を受け取った。
「どうせ何も聞かれずに連れて来られたんでしょ?逆にゴメンね。新手の客引きだよね、これじゃ」
レシートを渡してくれながらそう言って謝ってくれた。
こんなに良くしてもらって、謝られるなんて!
そう思うものの、言葉が何も出て来なかった。口の中で「えっと、あの・・・」と、また小声で言葉にならない声を発する。
「ナオはね、いっつもこういう事するの。勝手だよね。リンちゃんは何も悪く無いから気にしないでね」
メイクをしてくれた女の人が、一枚のカードを私に渡しながらそう言った。見るとそれは薄いピンク色に可愛い小花柄の描かれた名刺で、『beautyartist 茉莉』と書かれている。
「隣で店やってるから、気に入ったら遊びに来てね。聞きたい事があったらいつでもその番号に電話して」
「ありがとうございます・・・」
私は、深々と頭を下げて店を後にした。
会計を済ませて外に出た私は、すぐ横で待っていたナオと合流した。そして、そのまま家迄送って貰うことになった。
「可愛いくなったから襲われたら大変でしょ?」
ナオはそんな事を言いながら私の手を取って、そのまま優しく手を繋ぎ続けた。心なしか、施術前よりも距離が近い気がする。
「朝は俺寝坊して遅刻するから、明日も放課後昇降口でね」
家の前まで来ると、ナオはそんな風に次の約束をした。
寝坊するのが決まっているらしい。3年なのにそんなで大丈夫なのだろうか。
「俺は専門行くから。専門行って資格取って美容師。遅刻でも何でも出席してればいんだ」
何も考えてない様に見えて、実は既に卒業後の事を決めているのだな、と思った。ナオのオシャレな風貌にも、今日一緒に行った美容室にも、しっかりとした意味があったのだ、と。
だからと言って遅刻をしても良いという訳では無い、とも思った。
「じゃ明日ね。明日は通帳かカード持ってきて」
繋いだ手を離して、頭を撫でて、背中を向けて後ろ手でバイバイ。イケメンの破壊力を噛み締めつつ、頭にポカンと疑問が一つ浮かんだ。
「通帳かカード・・・?」
「1日でこれかよ」
「ナオすげーな」
昇降口を出ると、『おお』というどよめきと共にそんな声が聞こえて来た。
翌日、私は朝のルーティンがガラリと変わった。いつもより早く起きて、茉莉さんのアドバイスに従って丁寧にケアをした。流石に学校に化粧をして行くのは抵抗があったので、洗顔、化粧水、日焼け止めを塗るだけにしたものの、それでも、いつも洗うだけだったので大きな変化だ。
髪も、初めて下ろして行く事にした。柔らかいウェーブが潰れないように目の荒い櫛で梳かし、綺麗なラインが崩れないようにスプレーで軽く留める。根元は、アホ毛が出て来ないようにワックスを薄く伸ばした。
鏡を見る時間が格段に長くなった。
今までは、鏡を見るのが嫌だった。ちっとも可愛くないし、何をどうしても変わる気がしない。見る事が苦痛だった。だから最低限、洗顔後に水が拭き取れているかどうか、髪の毛がキチンと結えているか、その確認だけ。
髪型と眉、それだけでこんなに変わるなんて知らなかった。
鏡を見ることが、楽しくなった・・・。
倉庫前の段差の方に顔を向けると、ナオが笑顔で立ち上がり歩いて来るのが見えた。ナオの背後には、今日は4人の男子生徒がいた。その中の1人と目が合う。昨日、一段高い所から腰を曲げて話し掛けてきた男子だ。
「リンちゃん、ナオに飽きたら俺と・・・」
その人の後ろから、昨日も居たモデル風の男子生徒が殴った。
風が動いてナオの腕が私の肩に掛けられた。軽く笑いながらナオが言う。
「行こ」
不思議だ。昨日までとは全てが違う。
勇気を出して、良かった・・・。




