シンセイノセカイ
ガウェインが目覚めてから、約二ヶ月後──蜥蜴人国の街を囲む外壁の外──セレンとガウェインが決着をつけた場所──。
両手両足に鉄球をぶら下げたセレンが、歯を食いしばり、何度も同じ所を行ったり来たりして走っている──。
「おいおい! もう息があがったのか!? セレン! もっと速く動けっ! 足を動かすんだ!」
ガウェインに頼まれて、鉄球を用意したマレック曰く、その重さは一つ約十キロ程度はあると言う。
決して長い距離ではなく、おおよそ五十メートル程度、それ位の短い距離を、十メートルずつ距離を増やしつつ、全速力で往復しながら一回で走りきる。
それを毎日、朝からずっと──歩けなくなるまで──何度も──何度も──ひたすらに繰り返すのだ──。
「頑張れー! セレーン!」
スタート地点の岩の上に、片手に杖を握ったガウェインが腰掛け、反対側のゴール地点の大木の下では、スーがうつ伏せになって寝転がり、尻尾を振りながら楽しそうな表情で応援している。
──さてと……そろそろ、次の段階へ移っても良い頃合いか……?
ガウェインが片手に握った杖で岩を二回程叩くと、その音を合図にセレンが振り返り、注目した。
「──走りながらでいい! 聞け! セレン! 明日からは訓練を次の段階に進める! だが……その前に! お前に色々と、伝えておく事がある!」
──何故!? 今、この状況で話しかけてくるんだ……!
息を切らしながら走るセレンは、いつものように、そうツッコミたくなるのだが、仕方がないので黙って耳を傾ける。
ガウェインに課される訓練はいつも、全くと言って良い程、休む時間が無く、朝、宿で起きて、食事を取った後からすぐに始められ、それからは昼食も取らず、セレンが動けなくなるまで、ひたすらにシゴキが続けられる。
「──悔しいが……! クロノになったお前に、俺は負けた……! セレン! お前は強い! 無論……! 俺も強いがな!」
その時間になると、セレンは疲労困憊で何も考えられなくなり、宿に戻ると、とにかくたくさん食事を摂って、その後は気を失ったように朝まで眠る。
セレンがガウェインと、落ち着いて会話が出来そうなのは朝だけなのだが、ガウェインは片足を失っている為、セレンよりも速く起き、いつも先に訓練場へと宿を出発している。
セレンが起きる頃にはガウェインはもう宿にはいない為、必然的に二人の会話は、こうして訓練中にする事になるのだ。
「──だがな──俺が最強か──? と問われれば、それは違う! この広い世界には、様々な国があり、そこには、俺以外にも多くの強い奴らがいる。俺は鳥人のように空を飛ぶ事は出来ん! 海人と戦い海中に引きずり込まれれば、俺に勝ち目は無いだろう……。裏海に住む海獣に至っては、単独で倒せる奴なんて、この世に存在するのかどうかも分からない話だ!」
ガウェインの話を聞いて、セレンは一緒に暮らしていた頃に、アクロから聞いた、西の大海の話を思い出す──。
海人国は西の大海の中心に位置し、その権利を有する小さな島国だ。
東の大陸と西の大陸とを繋ぐ、海人の引く高速舟は、特に行商人達にとって重要で、彼らの存在は多くの国々から、一目置かれている。
また、彼らは西の大海全域の保安、保全、東の大海からの海獣の侵入を防ぐ為の、海境の要塞での警備も担う。
鳥人国は、西の大海の南、海人国の真下に位置する大きな島国だ。
鳥人は、この世界の空の絶対的支配者であり、もし彼らが世界に牙を剥けば、その能力の優位性は各国の脅威になるだろう。
だが現在、広い土地と空の全域を支配する彼らには、それ以上に望む物などは無いようだ──。
海人の引く高速舟と比べると、彼らの運ぶ空飛籠は、より速いのだが、遥かにコストがかかる為、鮮度の短い食材の運搬や、空の上という、鳥人のみが到達出来る空路の不可侵性から、特に、各国の政府要人等の交通手段として重宝されている。
「──犬人の奴らは理知的で温厚だ。争いを嫌う。だが、その中でも狼人と呼ばれる奴らは別だ! 奴らは賢く、俊敏で、その爪や牙はどんな刃物よりも恐ろしい!」
犬人国は西の大海に接し、この東の大陸の半分近くを占める大国だ。
彼らはヒトに次ぐ知能を有していると言われており、基本的には理性的で友好的だ。
考古学や歴史学者達の間では、他人種族と呼ばれる者達の中で、最初にヒトと交流を持った種族は、彼らではないかと考えられているらしい。
ただ……ガウェインの言うように多くの部族からなる大国の為、中には凶悪な性質を持った者達からなる集団も存在するので、やはり、立ち寄る時には用心するべき国である。
「──そして、何より恐ろしいのが蟲人だ! 奴らは異質で……特殊だ……。奴らの中には様々なタイプの戦士がいるが、特に警戒するべき相手は、身体の一部を武器化する奴らだ!」
ここに来て──ガウェインが今迄よりも一段、声量を上げる──。
「──戦鬼シン! 噂にだけだが……聞いた事がある……。かつて、蜥蜴人国と蟲人国の間で争いが起きた時、少数精鋭の一軍を率いて、あの強力な蜥蜴人の大軍に勝利したと語られる蟲人の英雄!」
──あの時──すれ違った男──アクロをシンの屋敷に連れて行った帰り際、馬車がすれ違った瞬間、ガウェインは強烈な悪寒を感じ、窓越しにシンの姿を確かめていた──。
一緒に馬車に乗っていた奴隷商人の頭領や、一緒に暮らすメイド達のような、普通の者達には感じ取れないであろう、死線を潜り抜けた強者同士にのみ感じ取れる、圧倒的な威圧感を──。
「──今ではあの国の盟主となり、他国との融和に力を入れていると聞くが……。おそらく……アクロを買った男……奴がシンで間違いない! 今はもう、当時よりもかなり老いたとはいえ……最悪の場合、お前はそれ程の男と戦わなければならないかもしれない……」
ガウェインの鬼気迫る表情と熱弁に、気付けばセレンは足を止めて、固唾を呑んでその話を聞いていた。
「──今後も、無自覚にでも──クロノの力に頼って戦っていれば、お前が誰かに負ける事は無いだろう……。だがその場合──お前はこれからずっと──望まずに他者を、殺め続ける事になるかもしれない……」
ガウェインの倒れた姿がフラッシュバックし、セレンの身体が震える──。
「──俺は別に、それでもいいと思っているが……。どうも甘ちゃんのお前は、それを望まないらしい……。ならばそのままの姿のお前が、今よりも強くなるしかないぞ! セレン! 明日からは、今から俺が教える戦闘術を身に着けろ!」
「──通常、俺達獅子人は皆、〝キョクシン〟と〝ボクシン〟という、二つの戦闘術のどちらか一つを使う──キョクシンは防御を捨て、相手の攻撃をその鍛え上げた肉体で正面から受け、耐え、返す全身全霊、必殺の一撃、〝セイケン〟で敵を撃ち抜く攻撃特化の必殺型戦闘術だ! ボクシンはそのスピードと動きで相手の攻撃を交わし、〝ジャブ〟という技で翻弄し、手数で敵を圧倒する防御特化のバランス型戦闘術だ! 俺がお前に二度放った技こそ、そのキョクシンの奥義、セイケンだ! これらの戦闘術は遥か昔、ヒトノクニから東の大陸に渡って来た、一人の男によって、猫人国に伝えられた戦闘術だと言われている……。お前には、持って生まれた俊敏性がある! なので先ずは、ボクシンの技術を徹底的に叩き込む! そして、とっておきの必殺技として、キョクシンのセイケンもこの俺が自ら伝授してやろう! 二つの型のいいとこ取りだ!」
セレンがかつて、二度ほど対峙し、一度はその身に直に受けた技、その威力は誰よりも、自分自身が一番良く知っている。
──その力を──自分が手にする。
それを考えると、セレンは身体が身震いすると同時に、何故か、少し熱く込み上げてくる感情があった──。
「──猫のように舞い! 獅子のように喰らいつけ! セレン!──短期間でどこまで使い物になるかは分からんが……幸い、お前の肉体は初見の頃よりもかなり出来上がっていたからな……。先ずは死に物狂いで、動きを覚えるんだ!」
セレンが黒寝子森で一人、我武者羅に身体を鍛え続けていた日々は、決して無駄では無かったのだ。
「──それとセレン……。最後に……これは……可能性の話だが……。かつて、俺が戦ったクロノは自我を持ち、その力を完全に己の意識下で、コントロールしているように感じられた……。現に、奴に命を乞うた俺は、その後も生かされている……。この訓練によって、肉体と、何よりも精神を鍛えた先に──お前はクロノの力を暴走させる事なく、扱えるようになれるのかもしれん──。いや……確証のない話だがな……。もし何か、それらしい感覚を掴めた時の為に……可能性の一つとして、心の隅にでも留めておけ──」
──そんな事が可能なのだろうか……?
今迄は、クロノの力に怯えて、もう二度と、その力を使わない事だけを考えて来た。
その可能性は、一度も考えた事が無かった……。
でも……もしそれが本当に可能になるのだとしたら……。
もう、自分の力に怯える必要は無くなる。
必要以上に誰かを傷つけなくて済む。
ガウェインの最後の言葉を聞いて心に希望が灯り、セレンは少しだけ……心が軽くなった気がした──。
「──おいおい! 何、足を止めて笑ってるんだ! 罰として今日はあと千往復だ! 走れ! セレン!」
※表海
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