サイカイノオトコタチ
猫人国の北部の荒地を馬車で西へひと月、セレンは蜥蜴人国の中心街に辿り着いていた。
この国の蜥蜴人と呼ばれる者たちは、光沢のあるツヤツヤとした肌を持つ者、ボコボコとした分厚い乾いた皮膚を持つ者、身体がヌメヌメした体液で包まれた者など様々な個性を持つ。
皆、似たような顔立ちをしており、彼らの種族名の由来はヒトの間で古来より伝わる、竜という空想上の生物に、その外見が似ているからだそうだ。
集まった蜥蜴人たちの喧騒に包まれる、街の中心にある円形に窪んだ広場は、食材、雑貨、洋服、土産、宝石、飲食と様々な種類の露店がぐるりと一周、並んで取り囲む。
──お腹が空いたな……
鳥肉の焼ける香ばしい匂いが鼻腔に広がり食欲を刺激し、口の端から溢れそうになるヨダレを啜る。腹の虫が鳴きやまないが、朝から何も食べていないので仕方がない。
「あの──! すみません──!」
目深にフードを被り全身をマントに隠した、灰色の仮面を被った男が、広場の中心で通行人に声を掛けてまわっている。いかにも怪しいその姿に、立ち止まってくれる者は少ないようだ。
「さっきからなんなんだあんた!? あんたが店の前をウロウロしてるから客が寄り付かねぇ! 何をしているんだ?」
ひとりの年老いた露店の商人が、見かねて声をかけてくる。
「あっ! すみません……。あの──ガウェインという獅子人を知りませんか!? この街に住んでいるはずなんですが……」
老人は下を向き、手元の串をまわしながら少し考えた後、セレンの顔を見て答える。
「すまないが……知らないな……。つづきは他所で聞いてくれ──」
フォルンが掴んだ情報では、この街を拠点に用心棒などの荒仕事を請け負っている、ガウェインという獅子人がいるという話であったが、詳しい住所まではわからなかった。現地に入り、セレンはその足で聞き込みをしている。
「そうですか……。すみませんでした。あの──それ、ひとつ頂いてもいいですか?」
セレンは焼鳥の串を一本買い、広場を囲む階段の中段に空いた場所へ腰掛けて、顔を伏せて仮面の下半分を持ち上げ、それを口に含む。
炭の香ばしい匂いが口の中に広がり、少し焦げた表面のカリッとした皮に歯を通すと、甘い脂を含んだ肉汁があふれ出し、苦味と甘みが絶妙に溶け合い空腹を満たしてくれた。
仮面の下──険しかった表情が綻ぶ。
今朝──街に着いてから、道行く蜥蜴人達にずっと尋ねてまわっているが、全く情報を得られていない。
「おにいさ〜ん! 朝からずっとここにいるね〜? 何してるの〜!?」
突然──階段の上より肩口から覗き込むようにして若い女性が声をかけてきて、セレンは背中に何か柔らかい感触を感じ、前方へと飛び出す。
「……」
ドキドキしながらうしろを振り返ると、そこには大きな耳をピクピクさせながらフワフワとした尻尾を振って、お腹を抱えて大笑いする灰色の毛を持つ少女がいた。
「あぁ……! これっ!? ワタシは狼人──犬人国から仕事でここへ来てるの! あなただって蜥蜴人じゃないんでしょ……?」
少女は仮面の裏で顔を赤くしながら、凝視して動かないセレンに語りかける。
「あっ、はい……。あの……ぼくは今、ガウェインという獅子人を探してるんです──! この街のどこかに住んでいるはずなんですが──」
セレンは面倒を避けるため、自分の身分は明かさないよう質問だけをつづけた。
「ガウェインのおじさんなら何年か前から──ここから南にまっすぐ行った大通りの裏通りにある宿屋に住んでるわよ!? もし仕事の依頼なら宿の下の酒場に行けばいいわ。みんな暇な時は大体、そこで一日中お酒を飲んでいるから──」
少女が答え終わる頃には階段を飛びあがり、セレンは既に少女のうしろにいる──
「助かりました──! ありがとう──!」
セレンが背中越しにそう伝え、少女がうしろからの声に振り返った時には、駆け出したセレンは遠く南の通りの中程に到達していた。
「わぁ〜! はっや〜い!」
──でも、まだ自己紹介もしてないのに……あんなに急いでどうしたのかしら……? それにしてもあの人……変な格好ね……
少女はセレンの姿を思い返して、クスクスと笑う。
セレンは広場から南にまっすぐ進み大通りに出ると、建物と建物の細い隙間を通り抜け、狭く暗い裏通りに辿り着く。
「おい、あんた……! ちいと……金かしてくれんか……?」
酒に酔った蜥蜴人の老人に声をかけられる。
「すみません……ごめんなさい……」
そこは表通りと違い路上で眠る者、生気を失ったような顔をして蹲る者など路上で暮らす者たちであふれていた。周囲を警戒しながらしばらく進むと、入口の横の窓から騒がしい声の漏れる寂れた古い宿屋が目に入り、セレンは立ち止まる。
──此処だ……! この先に──ガウェインがいる……!
セレンは扉の前に立つと自然と鼓動が速くなるのを感じ、目を閉じて深呼吸し気持ちを落ち着かせる。
──よし……!
準備の整ったセレンは、扉の取手を引いた──
「見つけたぞ──! ガウェイン──!」
扉を開けるとすぐ、奥のテーブルに座り、ひとりで酒を嗜むガウェインが視界に入った。
「……」
抑えきれずに吐き出したセレンの叫びに、ガヤガヤと賑やかだった店内は静まり返る──
「ガウェイン──! アクロをどこへやった──!? アクロは無事なのか──!?」
取り乱すセレンを尻目に、ガウェインは手に持ったグラスの酒をゆっくりと飲み干しテーブルに優しくグラスを置くと、おもむろに立ち上がり店内をぐるりと見まわした。すると店内にいた客たちは一斉に立ち上がり、テーブルの上に勘定を置くとゾロゾロと店を後にする。
「その声はセレンか──!? 待っていたぞ──!」
ガウェインは満面の笑みで嬉しそうにセレンの目を見ながらのそのそと近づく、セレンも目を逸らさず無言で近づき両者は睨み合う。店主はカウンターを出ると、そそくさと金をかき集め店の奥に引っ込んだ。
「おいおい……。お前、なんて格好してるんだ……!?」
ガウェインはセレンのフードを取って、仮面のおでこ辺りを人差し指で軽く小突いた。
「セレン……お前、あの夜のことは全て覚えているのか? どこまで覚えている……?」
ガウェインは失った左目を指差しながらセレンに問いかける。
「あの夜……お前と言い争いになって……それから──」
すぐさま殴り合いになると覚悟していたセレンは、ガウェインの予想外の態度に一瞬──困惑しながらも当時のことを思い返してみる。だが、今もあの夜のことは途中までしか思い出せないままでいた。
「今はそんなこと……どうでもいい……! それよりアクロの居場所を教えろ──!」
セレンの記憶に残っていたのは、聞いた覚えは無いが、なぜか知っていたガウェインの名前、たくさん問答し、アクロを連れ去られた事実だけである。
「なんだ……やはり──何も覚えていないか……」
ガウェインはとても残念そうな顔をして、鬣を弄りながらセレンを見おろす。
「まぁいい……。セレン──ついて来い。知りたいことがあるなら……力ずくで吐かせてみろ──」
ガウェインはセレンに背中を向け扉のほうへと歩き出す。
「……」
セレンはガウェインのうしろ姿を睨みながら歯を食いしばり、拳を震わせた。