エリス
「旦那様っ──! 旦那様っ──!? 急にどこへ──!?」
あの日──突然に馬車を飛び降りた旦那様を追いかけながら私は必死に叫んでいました……。
「あのっ──! ちょっと……失礼します……! すみません……通してください……!」
彼は凄い勢いで前方にできた大きな人だかりを掻き分けて行きました──
「ちょっと──!? 変なところ触らないでっ……! もおっ──! いったい……なんなんですか──!? この集まりは──!」
高く分厚い群衆の壁を必死に掻き分けて進んで行くと、前方に開けた空間が見えました。
「旦那様っ──!」
そこには背後を幕で覆われた、薄汚れた小さな鉄の檻がひとつと、何かを大仰に宣伝する男、その仲間たちに両腕を掴まれ檻から強引に離され引きずられていく旦那様の姿がありました。
「すいません──! 彼らを止めて下さい──! 主人の腕を離してください──! 何をなさったかは存じませんが……あの方はあのように雑に扱われて良い方ではありません──!」
私は大仰に宣伝していた男に主人を解放するよう伝えました。
「なんだぁ〜!? こちとら商売の最中だっ──! 突然とび出してきたあいつが──檻にしがみついて離れねーから、集まった客がうちの見世物を見れねーじゃねーか〜! 金も払わずに邪魔しやがって──! あんたはあいつの連れか……?」
宣伝していた男は、その見世物の主催者で、奴隷商人の一団を率いている頭領でした。
「あの方は蟲人国の貴族です──! 国家を代表しこの国に訪れている盟主様です──! 彼は私の主人です──!」
周りの聴衆たちは皆それを聞いてざわついていました……。
頭領は私の言葉を聞いて──少し何かを考える素振りをし、仲間たちに指示を出しました。
「おいっ──! おめぇら〜! その旦那の腕ぇ離してやんなっ! その方はお偉い貴族様だそーだ──!」
私はすぐ解放された旦那様に駆け寄りました。
「旦那様──!? いったい──どうなされたんですか……!? お戻りになりましょう──!」
彼らが腕を離した後も、旦那様は檻の方を見つめて離れようとしませんでした……。
その表情は恍惚に満ちた表情をしておられました。
「いったい──!? 何をそんなに──!?」
その時──私は旦那様と同様──ひと時──檻に釘付けになってしまいました──
「これは……美しい……」
それは美しい白い髪と艷やかな褐色の肌を持つ少女でした……。
世界の多くの国に存在する黒を名に冠する者たち、歴史学者たちの話しによれば彼らはその容姿の特徴により古来より世界中で迫害されつづけてきたそうです……。
それは各種族の中で他者に比べ肌の色が黒く、違っているということらしいですが、理由はいまだによく解っていないとか……。
違う理由が解らない──ということが差別の要因なのでしょうか……?
「旦那様──! この場は一度、引き下がりましょう──! 周囲の者たちにも目撃されております──! 我々が他国でいざこざを起こすと──国際問題になりかねません──!」
私はなんとか旦那様を動かそうとしましたが、旦那様には私の声が届いていないようでした。
「失礼〜ちょ〜っと……よろしいですか〜?」
そこへ何やら企んでいるような雰囲気で、頭領の男が近づいてきました、先程までとは全く違った態度でした。
「御主人〜どうやらアレを大変お気に入りになられたご様子ですが〜どうですぅー? 一度この場はお引き取り頂いて──あとで少し……ご相談があるのですが……」
今でも思い返すだけで腹が立ちます──! あの男の──イヤらしい目で旦那様を値踏みするような下衆な態度──!
ですが……その言葉によって旦那様は──その場は引き下がりました……。
「旦那様──!? まさか……! あの少女を……!?」
蟲人は他種族からその姿形により忌避されやすい傾向があります……。それは黒たちに対するような表だったものではありませんが、確かに存在しています──
蟲人の世界に黒は存在しませんが、蟲人という種族自体が元来──他の種族と比べてかなり異質な存在なのです……。
「アレバドデモ美ジイ……素晴ジイ……! 欲ジイ……! 必ズ──私ノ物ニ……!」
旦那様は貴族というお立場ゆえに幼い頃から外国との接触の機会も多々あり、それに曝される機会もあったのだと思います……。周囲の子どもは素直に思ったことを言ったでしょうし、子どもの頃はそういった周囲の反応にも敏感です……。
夕刻になり興行が終わったあと──我々は頭領と待ち合わせ酒場へ向かいました。
「で〜……旦那! あんた蟲人国の盟主様ってことだが〜なんだい……? あんた〜うちの奴隷が気に入ったって〜のかい……?」
そういった辛い経験による人格形成により──旦那様は幼い頃より御自身の姿を──とても醜いものと感じ……嫌悪されてきました……。
そして最も蟲人と対極にある姿を持つ者として、私たちヒトを──美しい存在と感じるようになり……気に入ったヒトを見つけては身近に置くようになっていきました……。
「先に──まず結論から言わせてもらうが……あれは譲れないな〜。あんたらも一度、アイツを見て理解したと思うが……あのクロノヒトは若くて容姿も悪くない……! 何よりあの大変に珍しい、美しい白髪を持ってる……! あんなものは〜俺も長いこと──この商売をやってるが〜見たことがない──! アイツを使えば──世界の端から端まで見世物にしてまわれば……俺たちは相当に儲けられる──! ってぇ〜話だ……!」
自分と対極にある美しいものでありながら、自らと同じような境遇にも置かれている少女に──強い共感を感じておられたのでしょう……。
そこに、あの美しい白髪と言う希少な付加価値まで付き、旦那様には少女が、さぞかし尊いものに思えただろうと思います……。
「だけどよ……俺もそこまでケチな人間じゃねぇ……。商売人としちゃ〜今後も貴族様と仲良くお付き合いができるとなれば〜それはそれで──なかなかに魅力的なお話だ──! で……旦那様に相談なんだがよぉ……俺たちは西の大陸南端のクロノヒトの住むスラム街から鳥人国を通って、この海人国まで来た……! ってぇと──次はあんたらの住む東の大陸だっ──! あんたらの住む蟲人国は東の大陸の最奥だろ……?」
頭領はヘラヘラと胡麻を擂りながら旦那様へすり寄りました……。またも先程とは全く違う態度で、本当に現金な男だと思いました。
「ヅマリ全デノ国ヲ回ッデ稼イダ後ナラバ……ゾノママ私ノ下べ届ゲデアレヲ譲ッデモイイドイウゴドガ?」
頭領は満面の下卑た笑みで大きく頷きました。
「分ガッダ……イイダロウ……エリズ──後バ任ゼダ……」
その場で私は手付金として相当の額を支払い──後日──我々は海人国を去りました。
その後──数ヶ月経った頃──奴隷商人のひとりが屋敷を訪れ、少女に逃げられたという話を聞かされました。
あれから──もう一年以上が経ちました。
商人たちは全力で捜索に当たっているようですが、いまだに少女は見つかっておりません……。最近の旦那様はまるで、何かに取り憑かれたように人格が変わってしまいました……。
それがエリスには心配でなりません……。
──旦那様……