表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/23

ミレーニア

「……」

「これは……知ってる天井だ……」


 それは四隅に蜘蛛の巣が張った、薄汚れ、割れた、厚みの無い木の板で作られた、低い天井──中央に吊るされた一基のランタンの薄明かりに照らされ、無数の埃と小虫が数匹、踊っている。


 ──この体の窮屈さ──久しぶりな気が……


 子供の頃には何も感じなかったが、大きくなるにつれ小さくなった机、椅子、ベッド──


 ──やっぱり……寝るには足を曲げないと難しいな……


 最近はすっかりご無沙汰で、忘れかけていた懐かしい景色──


 ──この背中は──誰……!? いったい何が……


 一瞬──セレンは戸惑い思考を巡らす──


「おや……目覚めたか……? ナナシ……」


 セレンはあり得ない状況に理解が追いつかず、目を点にして固まった。


「あなたは──あなたが……なぜ……ぼくの家に……!?」


 振り返ったその見慣れた、低く、少し折れ曲がったシルエットは、ここでは絶対にお目にかかれる筈のない者のそれだった──


「なぜ……? それはまず、こちらが聞きたい……。前回お前と会ってから、もう十日になる……。三日前──いつものように森の入口に来てみたら、お前が倒れていた。どうした……!? 何があった……? なぜあんな所で……?」


 ──何を言って……!?


 立てつづけに浴びせられる質問にセレンは混乱する──


「森の入口!? 違う──! あれは──ぼくの家の前で……痛っ──!!」


 現状を理解するために整理しようとするが、強い痛みと頭に霧がかかってハッキリと記憶を思い出せない──


「あぁ……。確かに……なにやら庭が荒れていたな……」


 老人の口調はとても落ち着いている──


 ──この人……いつもはもっと嫌な感じなのに……


 そんな風に古い記憶から遡り、セレンは大切なことを思い出す──


「そうだ──! アクロ──! アクロは!? それにアイツ! ガッ……ガ……そう! 獅子人! ガウェイン!! アイツがアクロを──」


 セレンは老人がいるにも関わらず、迂闊にもアクロの存在をもらしてしまう──


 ──やはりか……


 老人は少し笑っているように見える表情でセレンに言葉を投げる──


「アクロ!? 獅子人!? なるほど……ナナシお前、こんな所で女と暮らしていたのか? それで最近はなにかと張り切って働いていたわけか……。まぁ、お前も……もうそんな歳か……。お前の家に入った時、室内を見ておおよその検討は付いていたが……。だがその女も男も、よくこんな場所にまで来たな……」


 セレンはなぜか老人が喜んでいるように感じる──


「それにしたってどうやって女と……? いや……お前の母親のような変わった女もいたしな……。いや……その話はもう……」


 ──この人……なにか勘違いして……


 セレンは老人に下衆な勘繰りでもされているのではと思い、それどころではない状況でなぜか母の話まで持ち出され、少し癇に障った。


「お前……大方、他所の男の女に手を出して、女の取り合いにでもなって殴られでもしたか? 腹にそんな大痣まで作って……。それにしても三日も寝込むとは……情けない……」


 先日の記憶は断片的にしか思い出せない──

 身体を確認すると腹に大きなアザがあり、触ると少し痛む──それに以前よりも皮膚が固くなっている気がした──


 だが今はそんなことを気にしてはいられない──!

 

「それよりも速く──アクロを──! 痛っ……!!」


 セレンは急ぎ立ち上がろうとするが、全身が痛んで上手く起き上がれない。


「やめておけ……。お前……先程──獅子人(シシノヒト)と口にしたな……? あんなのに本気で来られたら、普通は死ぬぞ!? そのアザひとつ程度で許してもらえたんだ。お前の置かれた環境を考えれば、寄って来る女がいれば他人の女でも欲しいのはわかるが……」 


 老人の頭の中ではもう都合の良い話が出来上がってしまっている──


「違います──! そんな話ではないんです──!」


 セレンは誤解を解こうと必死だ──


「ではなんだ……? どんな話だ!? はっきり言ってみろ!」


 アクロのことを話せる筈がない──


「それは……言えません……」


 セレンは言葉に詰まる──


「お前は三日間ずっと眠りっぱなしだったんだ、何をするのかは知らんが……今はゆっくり休みなさい……」


 早くアクロを追いかけたい気持ちと、上手く説明できない、できても理解される筈もない現状に、セレンは無性に怒りが湧く──


「さっきからなんなんですか──! ずっと上から目線で……母さんの話まで持ち出して──! それに──助けて貰って、こう言うのは間違っているかも知れませんが……ぼくたち赤の他人ですよね!? いいから、もう放っておいて下さい──! 大体あなた──今までぼくと一度も、まともに口を聞いたことすらなかったじゃないですか──! 何を今更……」 


 セレンは自分を助けてくれた筈の老人を、無下に扱ってしまう──

 老人は無言で、ただセレンを見据えて固まった──

 

「……すいません……。今のは、ぼくが言い過ぎました……。まだお礼も言ってなかったのに……本当にごめんなさい……。でも、あなたにだって家庭や仕事があるでしょう……? ぼくはもう大丈夫なので、もう帰ってあげて下さい……」


 セレンはこの老人と、こんなに話をしたことはない──


「仕事は……まぁ問題ない。今、私の仕事相手はお前しかいないからな、お前が治らなければ私は毎日が休日だ……。第一ここで私以外の誰がお前の面倒をみてくれる? この家どころか森には誰も近づかんというのに、それに私に家族はいない、妻はとうの昔に死んだ……」


 セレンは老人が、森に入り自分を家に運んで、傍で介抱してくれていることがいまだに信じられないでいる。


「それは知りませんでした……ごめんなさい……」


 なぜ老人が自分にこんなに構うのかが理解できない──


「……息子は一人いたがな……。こいつがどうしようもない馬鹿息子でな、若くに結婚し子どもを作ったのはいいが、無責任な根性なしで、すぐに自分の妻子を捨てて逃げた。挙げ句、酒に溺れて病ですぐに死んでしまったよ。妻子ふたりには可哀そうなことをした……」


 少し自分と境遇が似ていると思い、セレンは同情する。


「そのふたり……今は……?」


 セレンはつい気になり、話に食い付いてしまう──


「母親は亡くなった……息子は元気にしている……」


 セレンはひとりで過ごす寂しさを知っている──


「そのお孫さんはおられるんですよね……? 待っている方がいるじゃないですか……! おじいさんがこんな場所に三日もいたら、心配してますよ!?」


 セレンは老人を追い返したいからではなく、素直に、自分のために家族に心配をさせないで欲しいという気持ちで、老人を説得する。


「あぁ……いるな……。定期的に……合ってはいるがな……。心配か……まぁ……そんなに良い関係というわけでもない……。今迄……そんなに口を聞いたこともなかったが……ずっと──見守っていたつもりだ……。国の〝役人〟という立場上、近づき過ぎることはできなかったからな……」


 役人は急に会話の歯切れが悪くなり、セレンは彼の家庭環境が何かよくない状態なのかと心配した。


「聞け──! ナナシ! 何をするもお前の自由だ──! 大人になればどこへだって好きに行けばいい──! やりたいことをやればいい──! だがな……今は無茶なことはやめなさい……。お前の母もお前のことを心配しているぞ……!」


 突然、説得されたかと思えば──また母親の話を持ち出され──セレンは何がなんだか訳が分からない──


「さっきから──なぜ何度もあなたが母さんのことを口にするんですか……!? 関係ないでしょ……!?」


 暫しの沈黙の後、役人が冷静な口調で語り始めた──


「関係ないか……。それに……無鉄砲なところは母親そっくりだな……。ナナシ……お前のことをあの娘に頼まれたからだよ……」


 役人は今迄、見せたことのない真剣な面持ちでセレンを見つめる──


「お前は何も知らないだろうが……あの娘は元は役人で……私の部下だった──。一緒に今の仕事をしていたんだ……。お前の面倒を見ていたナナシがいただろう……? あれを元々、担当していたのがお前の母親だ……」


 セレンは心臓の鼓動が急激に激しくなるのを感じる──


「私はお前の母──ミレーニア──に我が息子を紹介した……」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ