オトコノタタカイ
「ありがとう──アクロ」
「心から──君のことが大好きだ──」
セレンが心音をこぼした刹那──
朱き残光が堕つ──！
瞬刻──！
「ジシィャアァアァッ──！」
逆毛立つ狂脚が収縮し──弾け──跳ねる──！
突き刺した八爪は大地を抉り！
奪われた泥土が背面の宙を染め──舞い──散った──！
咆哮する琥珀の閃光が闇夜の一刻に炸裂──！
舞い降りる黒き剣尾の五爪が眼前の敵の瞳を襲う──！
セレンは他者と争ったことがない──傷つけたこともない──だが助けたかった──大切な人を──そして守りたかった──その約束を──
確信した野性の激情が、その本能を呼び醒まし、全身全霊で立ち向かう──！
「馬鹿が──！」
男はアクロの腕を離す──セレンを本気で迎撃するために──あまく見積った眼前の子猫を、コイツは獅子だとみなおした──！
──なかなか……根性だけはあるようだな……。〝セレン〟だったか……？
「グゥオァラァアァッ──！！」
激昂し牙を剥く鬣は生粋の戦人──！
叩きつけた豪脚が地表を割り──揺れる大地に森は怯える──！
弧を描く広大な背筋群から放たれた──大槌の如き巨拳が振りきった反撃の一撃──！
黒影の瞬速は武人の予見を凌駕した──！ 束ねた五槍の如き刺突が、男の片眼を穿つ！
刹那──！
武人の放つ超弩級の拳が、黒影の肉体を撃ち抜く──！
黒影は空中に固定される──
闘いは一瞬で決着し、実力は伯仲しなかった──
男が右腕を引き抜き、天を仰ぎながら倒れたセレンに、アクロが駆け寄る──
「知らない空だ……」
泣いて縋りつくアクロの涙が──その腕から流れる血が──セレンの体の中心にポッカリとあいた大穴に零れ落ちた──
其ノ肉ノ壁面ハ赤黒ク蠢ク闇ノ泥沼ノ様ダッタ──
「セレン──お前は勇敢な戦士だった……。お前は……アクロと言ったか……？ ほら……いくぞ──！ アクロ」
男は失った左目を布で押さえながら泣き喚くアクロの身体を右手で抱き上げた。
片腕に抱えられ宙に浮かぶ脚はジタバタと暴れる。
アクロの金切声の絶叫が夜の帳に鳴り響く──
男は背を向け歩き去る──
アクロの声が遠くなる──
──行っちゃ駄目だ……アクロ……！
──行っちゃ駄目だ……！
──行っちゃ駄目だ！！
──行っちゃ駄目だ！！！
──行っちゃ駄目だーーーーっ！！！！
セレンの意識は漆黒の闇に堕ちた──
黒寝子森を出て、森の入口から僅かばかり歩いた場所に、男は馬車を停めていた。泣き喚き暴れるアクロの口と手足を布で縛り、馬のうしろの荷車に乗せる。
アクロの存在に確信がないながらも、荷車を用意して来たことを考えれば、男は用意周到で抜け目ない性格なのだろう。
荷車の前に座り、先ほど失った左目に布を巻いていると、背後でまた、アクロがジタバタと大暴れし出す。
モゴモゴと何かを叫んでいる──
男は相手にするのも面倒と無視し治療を続けた──
直後──！
突然、馬が激しく暴れ出す──
背後の森から異質な気配を感じ取り、男の額には無数の大粒の汗が吹き出し全身の毛がよだつ──
先程まで辺りに人気は無かった──
周囲は今も無音のまま──
男はうしろを振り返る──
其処ニハ既二意識ヲ喪失シ白眼デ此方ヲ睨ム──直立不動の真黒いナニカ……がいた──
──セレン……お前はまさか──
「おいおい……本物なのか──！？」
男の脳裏に己が若き戦士だった頃の記憶が蘇り──この出会いも何かの運命だと確信した──
「声は聞こえているか──！？ もし、まだ息があるのなら──！ アクロを救いたければ──！ 俺を追ってこいっ──！」
「俺の名はガウェイン──！ ガウェイン・ガドウィック──！」
「また会える日を待っている──！」
ガウェインは己の名を明かし全力で馬車を走らせ去っていった──
「ガ……ェ……イン……ガド……ィック……」
黒いナニカは膝から崩れ落ちた──
第十話
男の戦い
あの日──
私は海人国にいた──
東の大陸から西の大陸へ、我が国の商人や商品を送る為の、新たな渡航、輸送経路の確保、また、それらに関する様々な条約の交渉、締結の為、そこへ国家の代表として訪れていた──
アレと出会ったのは、その帰り道でのことだった……。
「鳥人国ガラ……ゴノ国マデ約ビド月……ヤッド空ガラ降リデ来ダド思エバ……マザガアンナニ交渉ニ時間ガ掛ガルドワナ……ゼメデモッド速グ鳥人ノ籠ガ着イデイレバ……モッドゴノ国ヲユッグリ満喫出来ダダロウニ……」
そんなことをボヤきながら、私は馬車の窓から流れる異国の風景を眺めていた……。
「旦那様──お言葉ですが……空路でもあれ程に時間がかかるのです！ ですが我が国の商人たちは、利益のため、より時間のかかる海路を選ぶ者が多く、今回の新しいルートの確保や彼らに関する様々な条約の締結はそれだけ重要な物だったのです。我が国は東の大陸の最奥──彼らはそれ程の困難な旅をし商売を行っているのです……」
隣にはいつも口うるさい、ヒトの女がいる。訳あって生まれて間もない頃に私が引き取り、ここまで育ててきた者だ……。
──コレはよく喋る……。我らの種族は最も発声が不得手な種族……。だからこそ今回のような交渉ごとには、私が抱える数多の女達の中から、最も声の美しいこの娘を連れてきたのだがな……。なぜ──こんなにも懐かれてしまったのか……。
私はそんなことを考えながら、ずっと──外を眺めていた。
そうしていると馬車の進む道の先に、何か大きな人だかりが見え……遠目でみた時それはどうやら檻のようで、その時の私は退屈で普段なら見過ごすであろうそれを眺めて待っていた。
そして馬車がその横を通った時──
「つまり今回の旅の目的は遊びでわな──！？」
「ヴァガッダ──ヤメロ……」
私は身を乗り出すように腰を浮かし窓の外を覗き込みながら、隣に座るソレの口を片手で塞いで話を止めた。
「分かってるなら……良いのです……」
「ヴォイ……止メロ……早く！ 止メロォオオ──！」
私はすぐに立ち上がり──
咄嗟に大声で叫び御者に馬を停めさせた。
「だっ……旦那様──？ どうしま──！？」
私は扉を開け、すぐに馬車から飛び出した。勢いよく転げ落ち、すぐに立ち上がり、全力で走り、群衆をかき分け最前列へと躍り出て、その衝撃を目の当たりにした──
「マザカ……ゴンナ……アァアッ……ナンダァ……ゴレヴァ……」
それまで私はあれほど美しい個体を見たことがなかった……。私の屋敷の女達は、選りすぐった女達だ……。そのどれもが美しい。
だがあの宝石のような褐色と白……。
今も脳の裏に焦げ付いている……。
思い出すだけで、全身の熱が冷めない……。
「ヴァアァ……美ジイ……欲イ！ 早グ……来ォイ……俺ノ元ェ！」
今はまだ──眠れぬ夜が続いている……。
