私のたった1つの願い
『貴方は今何処にいるのですか? 無事ですか?』
ベッドに寝そべったままスマホに写る笑顔の恋人の顔を眺める。
暫く恋人の顔を眺めてからスマホの電源を切り枕元に戻す。
それから戦闘服を身に着けて隣室の監視ルームに行き、全てのモニターのスイッチをONにした。
モニターの画面をチェックして敷地内に奴等が侵入していない事に安堵する。
此処はスマホの電波も届かない荒野の深部にある軍の物資貯蔵施設。
万が一核戦争が勃発したあと生き残った人たちに供給する為の、数十万人が数カ月暮らせるだけの食料や水、生活必需品に燃料、武器と弾薬、煙草や酒類等の嗜好品までもが地下200メートルの所にある貯蔵庫に保管されている。
地上にあるのは私が今いる分厚いコンクリートで出来た兵舎と倉庫を兼ねた建物と、ヘリポートに燃料タンク。
それに兵舎と地下の貯蔵庫の維持に必要な電力を賄う為の、太陽光発電パネルと風力発電の風車が十数機立っているだけ。
朝飯を食ってから狙撃銃と弾倉か入ったバッグに双眼鏡を持って、倉庫の数百個の土嚢を積み重ねて封鎖してある出入り口の扉の脇にある螺旋階段を登り、倉庫の屋上に出る。
施設内と外を隔てる塀の外側には、押し合いへしあいしながらギッシリと奴等が私を求めて群がり、塀の金網に齧りついている。
その金網の塀は僅かにだけど1日1日と日が経つ度に内側に傾斜を増して行く。
1年前のあの日まではこんな非現実的な事が日常になるなんて思ってもいなかった……。
2週間娯楽が全く無いこの施設で勤務すると4週間本隊で当番の者以外は自宅に帰れる通常勤務に付く、その待ちに待った交代の日の早朝に本隊から緊急連絡が入る。
「交代の部隊を送れない事態が発生した、別命あるまで施設を死守せよ」
発せられたのはこの一文だけ。
交代の部隊が送られない理由は教えられず、こちらからの問い合わせにも一切答えてもらえなかった。
施設にいるのは曹長を頭に全部で6人。
私たちはブツブツ文句を言いながらも別命が来るのを待った。
だが、2日経っても3日経っても本隊から連絡は来なかった。
それでも荒野の周辺にあるラジオ局や荒野で暮らす世捨て人のアマチュア無線からの情報で、何が起こっているのか知る。
世界中で同時多発的にゾンビが発生して人々に襲いかかっているらしい。
ゾンビが発生していると言われても、施設で1番の高所である風車の天辺から四方を双眼鏡で見回しても、ゾンビどころか人影一つ見えない。
偶に遥か彼方を野生動物が横切って行くのが見えるだけ。
曹長は正確な情報を得るため、所属する軍は違うが高級将校がいる50キロ程南にある空軍基地に向けて、軍曹に兵を1人付けて送り出した。
2人が出かけてから10日程経ったある日、荒野の地平線の彼方に人影が現れ施設の方へ歩み寄って来る。
それを私と一緒に作業していた伍長が先に見つけ双眼鏡で眺め、「あれは? ……軍曹だ、 オイ! 曹長に報告しろ」と私に命じて自身は軍曹の方へ駆け出した。
曹長に報告してから曹長等と共に軍曹の下に駆ける。
門を抜け駆ける私たちの目におかしな物が映った。
軍曹が伍長の首に齧り付き首の肉を引き千切っている。
軍曹は引き千切った肉を頬張り咀嚼して飲み込んだ。
同僚の兵士が軍曹と首筋から夥しい血を流し息絶えている伍長を引き離そうとするのを、曹長が制止し警告を発する。
「近寄るな! ゾンビだ」
それを聞いて私と同僚は所持していた小銃を乱射。
「止めろ! 止めろ! お前らゾンビ映画を見たことが無いのか? ゾンビの身体を穴だらけにしても倒せん。
ゾンビを仕留めるには頭を撃ち抜くんだ」
曹長はそう言いながら腰のホルスターから私物のガバメントを引き抜き、軍曹の頭に2発撃ち込み続けて息絶えた筈なのに立ち上がろうともがく伍長の頭を撃ち抜く。
それがリアルなゾンビを見た最初だった。
その後は1日に1体から2〜3体のゾンビが施設に向かって歩み寄って来るようになる。
それ等は迷彩服を身に纏った兵士だと思われるゾンビや荒野の周辺部の町村から荒野に迷い込んだか逃げ込んだ、市民だと思われる普通の格好をした人たちのゾンビだった。
私たちは施設に向かってくるゾンビの数が増える前に、塀の内側に幅2メートル深さ3メートル程の壕を行く重も掘る。
壕は私たちの住処となっている倉庫の周りにも掘った。
掘った壕には容器に入れたガソリンやヘリコプターの燃料を設置、壕がゾンビで埋まったらスイッチ一つで点火できるようにする。
それと施設を囲むように地雷原を構築した。
最初の頃は施設に向かってくるゾンビは1日に1体から2〜3体だったのに、数カ月経った頃は1日にやって来るゾンビの数が10体から2〜30体に増え、地雷原の地雷に引っかかるゾンビも増えて地雷の設置が間に合わなくなる。
それでも貯蔵施設に大量にあった地雷の設置を続けていたある日。
最初の日から半年以上経っていたある日、私はこちらに向かってくるゾンビの1体が見覚えのある人だと気がつく。
私は大声で曹長を呼んだ。
見覚えあるゾンビは以前曹長に紹介された事のある曹長の若い奥さん。
彼女はオムツやミルクで膨らんだリュクを背負い、胸側に頭を食いちぎられた赤ん坊を抱えていた。
逃げる途中ゾンビに噛まれゾンビになり、抱えていた息子さんを喰ったのだろう。
曹長は奥さんだったゾンビの頭を撃った。
撃ったあと曹長は、「ごめんよ、一緒にいてやれなくてごめんよ」と呟きながら奥さんと息子さんの遺体を抱きしめる。
私と同僚は軍曹と伍長の遺体が埋められている墓の脇に穴を掘り、彼女たちの遺体に手向ける花を摘む。
2人の遺体を抱えて来た曹長は穴の中に遺体を横たえてから私たちの方に顔を向けて「すまない」と声を掛け、ガバメントの銃口を咥えると引金を引いた。
曹長が亡くなってから1週間程経った時、残っていた同僚が車に大量の食料や水に武器弾薬を積み込み施設から出ていった。
一緒に来ないかと誘われたけど、もしかしたら、警察の特殊部隊でスナイパーをしている恋人が此処に逃げ込んで来るかも知れないと考え断る。
同僚が出ていってから半年経ったが、その間生きた人の姿は見ていない。
今では1日に100体以上のゾンビが荒野の彼方から次々と現れ、施設の塀に齧りつく。
地雷原の地雷は1カ月程前に爆発したのが最後。
私は狙撃銃のスコープを覗き知り合いの姿を探す。
いた、彼女とデートの時よく利用したレストランのオーナーシェフ。
彼の頭付近に狙いを定め……撃つ。
他には……あ、あれは、本隊の大隊長、狙いを定め……頭を撃つ。
狙撃銃を使ってはいるが、狙撃手では無いので倒すまで数発撃ち込む事もあった。
私は休息を挟みながら知り合いを探し求めて屋上を何度も周回する。
恋人と買い物に行ったスーパーの店員、彼女のアパートの隣の部屋の娘さん、警察の特殊部隊の紅一点のスナイパー、車を買ったディーラーのセールスマン、以前彼女が紹介してくれた警察の特殊部隊の彼女の同僚、彼女が特殊部隊に入隊するまで所属していた警ら隊の警察官、本隊の同僚の兵士、ヘリコプターのパイロット、彼女にプレゼントする花を買っていた花屋の小母さん。
知ってる顔を見つけては頭を撃ち抜く作業を繰り返す。
地平線の彼方に太陽が沈み始めた、今の世界を表しているのか血のように真っ赤な太陽が沈んで行く。
モニター室に戻り、狙撃銃の手入れを行い空になった弾倉に弾を詰める作業を行う。
弾を詰め終わるとシャワーを浴び夕食を摂る。
ベッドに横たわって枕元に置いてあるスマホを手に取り、笑っている恋人の顔を見つめた。
私は何時まで正気でいられるのだろうか?
否、もう狂っているのかも知れない。
毎日毎日、知り合いの顔を求めて見つけては頭を撃ち抜く作業を続けてとっくの昔に狂っているかも……。
『貴方は今何処にいるのですか?
お願いだから何処かで無事に生きていてください。
それが私のたった1つの願いです』